Le samedi 1er juillet 2017
6時、快晴、19℃、55%。
ザンビアのチンゴラ市の綴りはChingolaで「Chi」を「チ」と発音している。RDCコンゴはフランス語圏なのでChiではシと発音してしまうのでチは「Tshi」と書く。
ザンビアで話されている言葉はベンバ、ニンジャ等多言語だが英語が公用語となっている。アルファベット表記の発音は英語的だ。ザンビア、コンゴとも植民地時代の宗主国が人名や土地名などの固有名詞の表記を決めた。
ザンビアにはキンシャサの友人に頼まれて彼の息子ジョザファト君(21歳、Josaphatは旧約聖書に出てくるユダ王国の国王)を連れてビクトリア瀑布見物に行った。ルブンバシのISP学校(Institut Supérieur Pédagogique)に今年キンシャサ大学から転入する。僕にとってビクトリア瀑布は3回目。乾季にザンビアも入っているが、まだ瀑布全体に水が落下していた。初めてカッパを借りて飛沫(しぶき)が大粒の雨のように降り注ぐ中に入った。
瀑布のあるリビングストン市に3泊した。ルブンバシからリビングストンまでは1015kmしかないのにバスで2日かかる。ジュネーブからアリカンテまでは1日だ。ザンビアの道は日本政府の援助のお陰もあって舗装されている。しかし、高速はキトウェとンドラ間の60kmだけだ。
リビングストンの南ア系スーパー「ショップライトShoprite」でニンニクを買った。ルブンバシでは大粒のニンニクが払底していたため。ルブンバシの問題はなんでもかんでも輸入なのに流通が悪い。ときどき商品が届かず店の棚からものが消える。計画経済の社会主義体制でもないのに。
キンシャサには「Shoprite」があるが、ルブンバシには進出できていない。地元スーパーが政政治的に動いて邪魔をしているらしい。
売りに出している三菱の四駆L200の後輪が2本とも空気が抜けていたのでタイヤを外した。この作業を庭師ジョゼさんと隣の床屋理髪師エスドラスEsdras君にやってもらった。買い手候補にフランス人と南ア人がいるが話が進まない。僕は車の運転が好きだが、僕が運転すると交通警官に角々で止められてチェックを受けては賄賂を要求される。疲れるからもうこの国コンゴでは運転したくない。だから売ることにしたのだ。それにガソリン代も生活の負担になってきた。
左手の中指の付け根が痛い。甲が腫れている。どこかにぶつけた所為だろうが、何時何処でぶつけたのか記憶がない。
ルブンバシに買い物に出たら、為替が1ドル1575フランになっていた。先週RDCコンゴの中銀が公定歩合を20%に上げたばかりだというのに、金利政策が全く効を奏していないということだ。10年前のように60%以上にする必要があるのだろう。カタンガ州の景気は銅価格が今年に入ってから22%上昇しているから回復基調にある筈なのにこのフラン低下はどうしたことか。
Le dimanche 2 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。
左手の甲の腫れが引いてきた。中指はまだ痛みなしには曲げられない。
ヘルムット・コールやシモーヌ・ベイユが亡くなった。盛大なセレモニーが行われている。セレモニーは生存者のためであろう。
僕はセレモニーが大嫌いだ。何時からそうなったか。大学の入学式あたりからと思う。入学式も卒業式も出席しなかった。誰の影響だろう。高校は仙台二高で圷(あくつ)校長だった。校長は右翼で僕は彼の挨拶が気に食わなかった。受験校で国立大学合格数競争しか学校の方針がなかった。僕は早く卒業して自由になることだけを望んでいた。その高校でST君との友情が生まれたのは奇跡としかいいようがない。それが第一の青春だった。高校の卒業式には出たのか出なかったのか覚えていない。出たくなかったが、出ざるを得なかったかもしれない。
こうした状況は今のスペインやフランスの高校にもあるようだ。TVでたまたま既存の価値に反抗する哲学教師の物語『#Philo』(アシュタグ フィロ)を見ていてそう思った。『#Philo』の主人公はメルリMerli先生。恵比寿の日仏で会ったフランスの哲学者オンフレイMichel Onfrayさんを思い出した。オンフレイさんも高校の教師をしていた。彼の授業はきっと型破りのメルリ先生のようだったろう。TVシリーズはスペインの作品である。
日本では哲学の授業はなく倫理に吸収されているようだ。哲学は危険な思想を教えると文科省は考えているのだろう。その通りで危険ではない哲学は哲学ではないのだ。
コールやベイユに続いて、フランスではシラクやデスタンが次の候補者だ。同じように生前の功績が称賛されるのだろう。アフリカではムガベかな。
Le lundi 3 juillet 2017
6時、快晴、18℃、52.5%。
朝携帯電話の目覚ましが鳴って起きた途端に停電になった。夕方18時に帰宅しても電気が来ていなかった。19時になって電力会社のマルタンさんに電話したら20時には回復すると云う。確かに20時、電灯がともった。計画停電だが、なぜ同じカマレンゲ通りの半分が停電になったのか理由は不明だ。
タイに出張されていたNさんからお土産をいただいた。コディバのチョコレート、芝大門更科布屋の江戸蕎麦、こしひかり、山本海苔、本目浅吉の抹茶入玄米茶。選択がずば抜けている。日本の珍味などがないのが素晴らしい。感激である。
微熱気味だったのでパラセタモール500㎎を飲んだ。即効。
Le mardi 4 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。
クラウドという言葉を調べていて、これまでのMS ExcelではなくGoogle Sheetを使うことにした。MS WordもGoogle Docsを使用することにしよう。
ExcelやWordがいらなくなった。MSの株をもっていたら売るべき時がきた。Googleの株に切り替えるのがベターだろう。OSもGoogleが提供できるかもしれない。もっともMSがGoogleを買収してしまうかもしれない。
le mercredi 5 juillet 2017
5時半、快晴、18℃、52.5%。
アルジェリア独立記念日。
le jeudi 6 juillet 2017
5時半、晴れ、18℃、60%。
電力会社Snelで支払い。インヴォイス総額が150万フラン(15万円)を超えていた。勿論エラー。こんな請求書を平気で配布する。クレームしたら5月消費電力料金は24500フラン(2450円)だった。停電がキプシとしては多かった所為で3万フラン以下となった。
le vendredi 7 juillet 2017
6時、快晴、18℃4、60%。
運転免許証が一昨年12月に切れていた。それを更新した。この国では運転したくないので必要がないと思ったが、修理した三菱四駆L200が家に置いておいては売れないので、「売ります」の広告を車に張って多少運転するためだ。そのためには免許証以外に車検証、税、保険がいる。車の売却代金を上げて1万ドルから9000ドル程度にする。10万キロ走った日本の中古四駆がここでは2万5000ドルもする。僕の車はドバイで買ったもので、5万キロしか走っていない。
le samedi 8 juillet 2017
6時、快晴、18℃、60%。
GoogleのDocsでこの原稿を書き始めたが、今日は突如「エラーが発生した」というメッセージがポップアップで出てきて慌てた。Windowsを再起動したら正常に戻ったが、こういう不安定性は困る。
マーゴちゃんがいよいよ出産らしい。ベッドの上で子どもを産んでもらっては大変だ。カナリアにいたとき、チーカちゃんは僕のベッドで出産してしまった。
6月分をまとめて2つにわけてブログを更新した。僕は生来の怠けものだなぁ。
le dimanche 9 juillet 2017
6時、快晴、18℃、55%。
ムソシの子供たちのレストラン「ホープ」の会議に出た。4月の家賃$400はシスター・アスンタ佐野さんの知人I氏、ムソシに一時期いらしたこともあるI氏の寄付で賄ったが、家賃を出すだけの売り上げがもう半年以上ない。売り上げはコンゴフランで家賃は米ドルだ。フランは毎日のように安くなっている。それもあるが、経営が悪いことも確かだ。
どうするか。
アスンタさんと僕は、ルブンバシをあきらめ、家賃が安く、ムソシの子供たちが多く住むカスンバレサに引っ越すことを提案した。ルブンバシにいるムソシの子供たちは比較的恵まれた環境で経済的に困っていない家庭を持っているケースが多い。
始めた養鶏の収支はトントンだったが、継続する。ナナさんの家では300羽まで飼える。養鶏もレストランもカスンバレサでする。
ムソシの子供たちの団結もカスンバレサ地元の方がより期待できそうだ。
カスンバレサはルブンバシから南に90km、バスで2時間かかるが、ムソシに隣接している。
le lundi 10 juillet 2017
5時50分、快晴、18℃、55%。
満月が朝西の空に沈む。夕日は語られるが、月が沈む、朝日が東から昇りはじめ、月が白くなって西に沈むところが詠われることは少ないのではないか。ドラマチックではないからなのだろう。だが、夜と昼との交代、これも毎日のドラマではないか。
今朝も停電しなかった。僕の家の地区は9日ごとに停電させると電力会社の職員アドラールさんは料金を払いに行ったときに云っていたがなぁ。明日がその日かもしれない。
帰りのバスの中にジュヴェ君(15才)くらいの少年がいた。無賃乗車だった。キプシ街道の途中の銅精錬工場ソミカを過ぎたワンタンシTV曲あたりから乗ってきた。運転手は一旦キプシのケルメス市場で降りた少年にまた乗るように云い、警察に突き出す態度をみせた。運転手はソミカで降りた2人の客から2000フランを受け取っていた。だから少年の分は余分な売り上げであった。ケチな運転手だと思ったが、少年が助けてくれというので、僕が運転手に1000フラン払った。一緒に乗っていた学生らしい青年も助けてやってくれと云う。ルブンバシの物乞いの子供たちに一銭もださない僕だけど、僕の町キプシの子どものようだし助けざるを得ない。しかし、一種の「無償の行為acte gratuit」だと納得した。
ルブンバシのオルトドックス(ギリシャ正教)の修道院で念願のチーズを求めた。キロでしか売らない。豆腐大の塊が4個。3個を近くのフランシスコ会修道院のシスター・アスンタさんに分けた。このチーズはシスターと数年前に行った見本市で初めて食した。焼いて食べる。赤ワインがあるといいなぁ。
le mardi 11 juillet 2017
4時50分、快晴、18℃、50%。間違って5時に起きてしまった。
6時になっても停電していない。tant mieux ! 早朝停電を気にする「早朝停電恐怖症」じゃないか。tant pis !
Duolingoという外国語学習サイトで先週土曜日からスペイン語の復習を始めた。
なかなか良くできている。僕の場合フランス語からスペイン語を習う。日本語からだとまだ英語しか習えない。日本の方でフランス語などを習いたい場合は英語からということになろう。サイトはジョザファット君から教えてもらった。彼はここでドイツ語を習ったという。お試しあれ。
20時半、マーゴちゃんが今日一匹目を死産した。まだ他の子は出てこない。チーコちゃんが、心配してか、マーゴに付き添っている。ブラッキー君も落ち着かず、マーゴの周りをうろついている。仔猫が生まれたら里子にだすのだが、箱を用意してタオルや古着を敷いた。今夜無事に生まれるだろうか。日本で母の家から姿を消してしまったチーカはカナリアにいた時に2度出産しているが、一度は僕のベッドの上で1匹目を出産してしまった。ペルシャのチーカの子はアンゴラとのハーフだった。最初の仔猫のチャコとミケは手元に置いた。20年も前のことだから、二人とも他界しているだろう。
マーゴの健康が心配だ。
21時、入浴。夜の入浴は嫌いだが致し方ない。
le mercredi 12 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。
6時ぴったりに停電開始。日誌をみたら前回は3日だったから丁度9日目。予定通り停電した。Snalのアドラールさんの云う通りだった。本当に計画停電なのだ。
20時(正確には19時50分)、回復。
マーゴのお腹にはまだ子どもが残っているはずだが出てきていない。
電話ではないと云っていた豆腐が行ってみるとあった。2丁、6ドルを買って帰宅。夜は豆腐づくし。
le jeudi 13 juillet 2017
6時、快晴、18℃、47.5%。
先月書いた快い響きをもったルブンバシの通りの名前、「チャンガレレ」はTshangaleleと書く。シャンガレレではながった。リカシ市の人口湖の名前でもある。間違ったので訂正する。
隣の床屋Esdras君のところで整髪。
le vendredi 14 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。
カスンバレサでムソシの子供たちがレストラン用の物件を見つけたようだが見に行けない。僕の旅券が滞在ビザのため移民局に提出されたまま返ってきていないためだ。致し方ない。カスンバレサ街道では途中で旅券検査がある。賄賂をせびるためのコントロールだ。
今日はフランス革命記念日。パリではトランプを招待して大騒ぎ。第一次世界大戦、1917年に米国が参戦してから100年記念だという。一般はヴァカンスでパリにいない。
この1917年は、ロシア革命の年でもある。父健一が生まれた年だ。父は1985年、僕がルガノにいた時に他界してしまった。
le samedi 15 juillet 2017
7時、快晴、18℃、50%。
6時に目が覚めたとき停電していた。これは定期の停電ではないな。8時20分に回復。tant mieux。10時10分、再び停電。merde alors !
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