13 février 2017

2月11日 金のかかる国連 RDC : des besoins humanitaires estimés à 2,3 milliards de dollars pour les trois prochaines années

Le samedi 11 février 2017
6時半、曇り、24℃、70%。

キンシャサの国連事務所によると2017年から3年間でRDCコンゴの人道支援対策プラン(HRP)に23億ドルが必要だという。
このプラン、国内難民対策、貧困対策が主らしいのだが、国連の各機関は様々な数字をはじいて簡単に何億ドルとアドバルーンを上げる。予算獲得のためなのだろうか。国連だけではない。巨大な国際NGOなども同様で、厖大な資金を集めるためにいくらいくら必要だとアナウンスをする。
その資金がどう使われているかの監査は、制度としてあるに違いないが、どうもよく見えない。
RDCコンゴの特に東部では、湯水のようにお金が使われている。だが20年も紛争が続いている。
ルブンバシのゴルフ場でゴルフをしているのは国際職員だ。一流のレストランでグルメを楽しんでいるのも国際職員。彼らが住んでいるのは高級住宅地ゴルフ地区。機関内で出世競争に明け暮れている。必要悪なのだろうなぁ。

RDC : des besoins humanitaires estimés à 2,3 milliards de dollars pour les trois prochaines années
10 février 2017 à 14h48
Par Jeune Afrique avec AFP

Selon le Plan de réponse humanitaire (PRH) publié ce vendredi par les Nations unies à Kinshasa, les besoins des populations vulnérables de RDC sur la période de 2017 à 2019 s'élèvent à 2,3 milliards de dollars.

« Pour mettre en oeuvre ce PRH, quelque 2,3 milliards de dollars américains seront nécessaires durant les trois prochaines années », poursuit-il.

Selon l’Ocha, « la plupart des besoins sont concentrés dans les zones de conflits à l’est du pays, mais des poches de vulnérabilités existent ailleurs » dans ce pays « frappé depuis plusieurs décennies par une crise aigüe et prolongée ».

Outre les conflits armés, le bureau onusien cite les violences inter-communautaires, ainsi que l’absence de développement parmi les facteurs à la base de la vulnérabilité chronique qui touche la majeure partie des 77 millions des Congolais.

2,1 millions de déplacés internes

Selon le plan de l’Ocha, la problématique des mouvements de population représente plus de la moitié des besoins humanitaires. Il touche plus de 2,1 millions de déplacés internes et près d’un demi million de réfugiés à la fin 2016.


« Le contexte humanitaire est aggravé par les tensions politiques pré-électorales, le ralentissement économique et la propagation des violences inter-communautaires », ajoute-t-on au bureau des affaires humanitaires de l’ONU en RDC.

11 février 2017

2月10日 ムソシのクォータ ジュベ君 quart japonais Juvé

Le jeudi 10 février 2017
6時半、雨、24℃、70

火曜日からリカシのクリタ アヤコさん(ムソシの子どもの一人)の次男ジュベ君が家に来ている。息子クリスチャンが招待した。僕も賛成。ジュベ君は今年15歳。小学校は終えたものの学費の都合がつかないため学校に行けない。クリスチャンが去年12月彼に初めてあった時「僕が学費支援するよ」と云ったが、まだ就職も決まらないクリスチャンには出来ない夢だ。クリスチャンの時のように僕が面倒を見ようと思ったが現在の僕の財政状態では無理だ。キプシでクリスチャンのいたマペンド校に行くとしても、学費minerval3000円だけでなく、制服、靴、食費、サッカーの参加費等々の経費があと6年かかる。そこでフランシスコ会のシスター・アスンタさんに相談することにした。
ジュベ君のように途中で学校に行けなくなる子どもたち(日本人の祖父たちの孫)が200人以上いると想定される。
クリスチャンは、小学校も本当はまともに卒業していない。7年の間をおいて中学からまた学校に通い始めた時は追いつくのに相当苦労したようだ。ジュベ君は今年9月の新学期から学校にまた通うことができれば直ぐに慣れるだろうが。

昨日はジュベ君を、行ったことがないというので、ルブンバシの動物園に連れていった。アフリカなのにキリンもシマウマ、カバ、サイもいない動物園だが、ライオンやトラ、ワシやサルがいる。ところが一番人気のライオンは小屋に隠れて姿を見せなかった。小屋にいるのかどうかも分からない。人間に食べられてしまったかもしれない。餓死したかもしれない。


画像をつける。日本の中学生に見えると思う。クォーターだが、隔世遺伝か孫たちの方が日本人に近い顔つきをしていることが多いのは不思議だ。お祖父ちゃんがみつかるといいね。




10 février 2017

2月9日 RDCコンゴ:トランプのお蔭で紛争鉱物の自由化? Donald Trump remet en cause la loi sur les minerais de la guerre en RDC

Le jeudi 9 février 2017
6時、曇り、23℃、70%。

電力会社の先月の請求書がやっと昨日来たので支払いを済ました。29000フラン(2900円)だが、ドルとコンゴフランのレートが1ドル1250ないし1300フランと、フランが下落し続けているので30ドル以下である。

トランプ米大統領が戦争鉱物(コルタン、金)などの貿易規制を緩和するようだ。
ドッド・フランク法を呼ばれる法律で、米国株式市場に上場している企業は製品に使われている戦争鉱物について調達先の公表が義務付けられている。ところが、携帯などに「血の鉱物」がどれほど含まれているか、それがどこから、どうやって来たのかを詳細に開示することは至難である。金がかかる。だから企業としては面倒なことはやりたくない。
ドッド。フランク法の適用のために、RDCコンゴでも、紛争鉱物の採掘時点からトレースできるようなシステムが一応はある。しかし、実態は全く異なり、正規に輸出されトレース可能になっている鉱物は大企業の鉱山だけで、大部分は密輸出されている。比較的トレースが容易と思われる金にしても、RDCコンゴの産出量、輸出量は極端に低い。大金鉱がないルワンダやタンザニア、また金鉱がある南アフリカに密輸され、それぞれの国の産出金として市場にでているのである。
ドッド・フランク法は笊(ざる)法に違いないのだが、さりとて、これを緩和して「どうでもいいじゃないか」というわけにはいかないだろうが、トランプ政権になって、企業側から圧力がかかっているだろう。
ドッド・フランク法は、理想の追求に違いない。理想を追わず、ではもっと実効的にRDCコンゴ東部の戦争を終わらせる手をトランプはとるのだろうか。それとも、遠いアフリカの、しかも米国にとって直接派兵もしていない戦争は知ったこっちゃないというのだろうか。「強いアメリカ」は、「閉ざされたアメリカ」になるのかもしれない。
コンゴにとっては、密輸が自由になって、一部の層には歓迎されるトランプとなるだろう。既にそれを期待してアフリカの独裁者たちはトランプにエールを送っている。
トランプ米大統領と
カビラRDCコンゴ大統領
会談があったとはきいていないので合成画像だろう
(CongoMikiliなる海外在住コンゴ人メディアから)
Donald Trump remet en cause la loi sur les minerais de la guerre en RDC
Par Claire Fages Diffusion : jeudi 9 février 2017

La nouvelle administration américaine veut détricoter l'article de loi sur les minerais de la guerre en République démocratique du Congo. Un recul très regrettable aux yeux des ONG, d'autant que la réglementation américaine a fait école, malgré la difficulté de sa mise en œuvre.

Donald Trump remet en cause la loi sur les minerais de la guerre en République démocratique du Congo. Cet article de la loi Dodd-Frank impose depuis 2010 aux entreprises américaines cotées en Bourse de publier ce qu'elles versent aux Etats miniers et de remonter toute la chaîne d'approvisionnement des pièces composant leur produit pour s'assurer qu'elles ne contiennent pas de tantale, d'étain, de tungstène ou d'or qui aurait financé les groupes armés en RDC.

Un véritable casse-tête pour les entreprises d'informatique américaines, qui ne font qu'assembler des composants fabriqués en Asie, à partir de métaux rares raffinés aux quatre coins de la planète, en quantités de plus en plus infimes : aujourd'hui, il faut une loupe pour voir les condensateurs de téléphones portables qui contiennent du tantale. Tracer le coltan, le minerai à l'origine de ce métal est d'autant plus difficile pour les entreprises en bout de chaîne que les lots sont petits, et qu'en RDC ils viennent aussi bien par de mineurs professionnels qu'informels pour se retrouver mélangés dans les mêmes centrales d'achat de Goma, dans l'est du Congo, pour être concentrés. Sans parler de la contrebande vers le Rwanda et l'Ouganda.

Pour l'étain les transformateurs asiatiques ont pu se rabattre sur l'Indonésie et la Birmanie, mais la RDC est restée incontournable pour se fournir en tantale, le coltan y est tellement abondant et peu cher que les mines des autres continents ont fermé, de l'Australie au Canada. Seuls l'Ethiopie et le Mozambique ont pu devenir une origine concurrente viable de tantale.


La filière a donc dû faire des efforts pour se conformer à la loi américaine, non sans avoir tenté de multiples recours en justice et réussi à en faire annuler des dispositions au Congrès il y a peu. Certains raffineurs spécialisés aux Etats-Unis et en Allemagne ne s'approvisionnent plus qu'à partir de mines certifiées qu'ils connaissent. En RDC, la production d'étain s'est officialisée à Bisie pour fournir le transformateur malaisien MSC. L'extraction artisanale de coltan connaît un semblant d'organisation en coopératives au Congo. Et la loi américaine a été transposée en Europe et jusqu'en Chine. Sa remise en cause est qualifiée de grave recul par l'ONG Amnesty International.

2月8日 南スーダン難民レポート(三浦記者、朝日新聞)ツウィーター réfugiés sud-soudanais en Oudanga

Le mercredi 8 février 2017
6時、快晴、23℃、70%。

南スーダンの難民は国境を接するRDCコンゴにも押し寄せている。同様にウガンダにも毎日難民が国境を渡ってきている。その取材に三浦記者(朝日新聞)が現地を訪れた。ツウィッターでその様子がレポートされた。
南スーダン難民の子どもたち
(ウガンダ=南スーダン国境)


難民の姿は、どこも同じだ。しかし、多くの児童の証言は現実を映してしている。そして南スーダンには日本の自衛隊がいるのである。日本の災害に出動した自衛隊の活躍は否めない。ならば、海外でも、戦争の被害にあっている人々の救急、救済にこそ自衛隊が国連難民高等弁務官事務所
UNHCRとともにあたってはどうなのだろうか。自衛隊にはそのノウハウがあるはずだ。「戦闘」でも「銃撃戦」でも、問題はそれに参加することではなくて、抗争から発生する避難民に安全を提供することだ。

2月7日 RDCコンゴ:海外安全情報ページ(外務省) sécurité en RDC (MAE japonais)

Le mardi 7 février 2017
6時、曇り、23℃、75%。

8時、雨。
ルブンバシに出なければならないのに困ったなぁ。最近3輪車タクシが走り始めたが都合よく家の前を通りだろうか。

隣の牧師さんの家のカマレンゲ通りに面した塀の一角に床屋が出来ている。その床屋で先月整髪したのだが、昨夜泥棒が入ったという。盗るものもさしてないと思うが、プラスチックの椅子、扇風機、安香水などが被害にあった。牧師さんの敷地内からドアの南京錠を壊して入ったのだ。物騒だね。しかし、どうせ近所の悪の仕業だろう。

日本の外務省が次のような情報を発信した。
これまでの情報分析よりもRDCコンゴの評価が詳細を読むと悪くなっている。これでなおビジネスチャンスを探りに日本企業が来てくれるだろうか。ルブンバシでさえ「不要不急の渡航は辞めてください」とある。
外務省
(東京)

海外安全ホームページ:海外安全情報
URL

「投資環境が改善しています。日本のプレザンスを引き上げましょう」と何時云ってくれるだろうか。

2月6日 ルワンダ:クリーンな警察官を演出 Rwanda: licenciement de 200 policiers

Le lundi 6 février 2017
6時、曇り、22℃、80%。いよいよ湿度80%。

フランス語でKCの音に差はない。KaKiKuKeKo。但しCCaCuCoがカ行、CiCeはサ行の音である。Kuはクと発音するためにはKouCuCouと書く。
アフリカにはKで書かれる名前(固有名詞)が多い。
コンゴはCongoと書くが、コンゴ王国はKongoだ。カタンガ州はKatangaと書くがCatangaでもいいはずだ。コロンゴ市はKolongoと書きColongoとしない。何故だろうか。
Kだけではない。
Musoshi鉱山はムソシと読む。しかし、フランス語の本来の表記と発音ならミュソシになるがミュソシという人はいない。クンデルング国立公園はKundelunguだが、キュンドゥリュンギュとは間違っても読まない。カバンゲさんKabangeはカバンジュとは発音しない。
フランス語辞書のKの項をみると多くは外国語だ。カキクケコca qui cou qué coとなるのが「本土」のフランス語。
ルブンバシはリュビュンバシではなく、リュクサンブールLuxembourgはルクセンブールとフランス人は発音しない。
どうも日本語のローマ字読みをさせるのは外国の地名や人名なのである。ここに僕はアフリカ植民地の差別を見る。

ルワンダのカガメ政権は、警官など公務員の腐敗corruptionに厳しいことで知られる。アフリカの公務員の腐敗はどこでもかなり一般的で公務員に犯罪意識さえない。
とくにルワンダの西の隣国RDCコンゴでは一種の疫病といってもいい。警官は「水をくれ、コーラをくれ」などというが、実質は現金の要求である。本当にミネラル・ウォータを差し出すと突き返してくる。100円とか200円の範囲であることが多いが、でっち上げの交通違反だと5000円や1万円のときもある。贈賄側もスムーズな人間関係のために必要だとあきらめている。必要悪だと腐敗を肯定する論文を書いたルブンバシ大学の教授までいる。
そんなアフリカの体質を全否定したのがルワンダの独裁者カガメだ。クリーンな独裁者というわけである。
BBCによれば、このほどルワンダでは「容赦なく」200名の警官を収賄のかどで解雇したという。これが初めてではない。
アフリカでクリーンな国の第3位にルワンダはランクされている。アフリカ54カ国で3位だ。トップはボツワナ、2位がモーリシャスである。
ルワンダの警察官
Rwanda: licenciement de 200 policiers
6 février 2017 BBC Afrique

Au Rwanda, 200 policiers licenciés pour corruption.
Le gouvernement rwandais a licencié 200 policiers impliqués dans la corruption, rapporte AP.
Selon l'agence de presse, le porte-parole de la police Theos Badege a déclaré qu'il n'y aurait «aucune pitié» envers les agents corrompus.
Le licenciement des policiers a été approuvé lors d'une réunion du Cabinet tenue vendredi dernier. Elle a été présidée par le chef d'Etat Paul Kagame.
Le Rwanda a été salué par les pays donateurs pour les mesures prises contre les fonctionnaires corrompus.

Il est le troisième pays le moins corrompu d'Afrique subsaharienne, selon le dernier sondage de Transparency International.

05 février 2017

2月5日 スーダン:米国との関係強化 Le soudan prêt à renforcer ses relations avec les Etats-Unis

Le dimanche 5 février 2017
7時、曇り、22℃、75%。

エキセントリックな外交政策を始めたドナルド・トランプ米大統領が入国制限をした7カ国にスーダンも入っている。そのスーダンの外務大臣が、「米国との関係を強化する用意がある」と新国務長官ティラーソンにメッセージを宛てた。テロ対策という共通の目標があるというのである。
スーダン(首都ハルツーム)はオマル・アル=バシール大統領の国。アル=バシールはダフールのジェノサイドで国際刑事裁判所から指名手配されている初の国家元首だ。その国がトランプに秋波を送ったかたちだ。外交とはやっかいなものである。
もともとこの外務大臣イブラヒム・ガンドールIbrahim Ghandour氏は、欧米との関係改善のために、2015年アル=バシールが民間(大学人)出身から起用した人物であるそうだ。
ガンドール外務大臣
(スーダン)
Le soudan prêt à renforcer ses relations avec les Etats-Unis
4 février 2017 BBC Afrique

Le ministre soudanais des affaires étrangères, Ibrahim Ghandour, a exprimé samedi la volonté de son pays de renforcer ses relations avec les Etats-Unis.
Cette déclaration intervient dans un contexte marqué par un récent décret du président américain Donald Trump interdisant aux ressortissants soudanais d'entrer sur le territoire américain.

Cette déclaration intervient dans un contexte marqué par un récent décret du président américain Donald Trump interdisant aux ressortissants soudanais d'entrer sur le territoire américain.
"Le Soudan et les Etats-Unis ont de nombreux objectifs communs, y compris la lutte contre le terrorisme ", a indiqué M. Ghandour dans un message adressé au nouveau secrétaire d'Etat américain Rex Tillerson.
Le ministre soudanais n'a pas réagi spécifiquement au décret controversé de Donald Trump bloquant l'entrée aux Etats-Unis de plusieurs citoyens de pays à majorité musulmane dont le soudan.
Le décret s'inscrit dans le cadre de la nouvelle politique américaine de lutte contre le terrorisme.
La mesure a été temporairement suspendue par un juge fédéral américain.

Quelques semaines avant son départ de la Maison Blanche, Barack Obama avait lui, décidé de l'allègement de sanctions imposées au soudan par les Etats-Unis.

2月3、4日 ニジェールで大規模反政府デモ Niger : nouvelle manifestation contre le gouvernement et la vie chère

Le vendredi 3 février 2017
6時、雨、23℃、72.5%。

雨があがりかけた10時半、ルブンバシに出た。チセケディの逝去で昨日はルブンバシでも一部で暴動があったらしいが、今朝のルブンバシは全く正常であった。

Le samedi 4 février 2017
6時、曇り、22℃、75%。

ネット不安定。直ぐに接続が切れる。

7時半、暗くなり雨が降り出した。こういうことは珍しい。通常、昼間は晴れにむかう。
10時半、雨がやんだところでルブンバシに出た。

125日のブログで書いた政治宗教団体BDKがセントラル・コンゴ州(州都マタディ)の東135㎞キンシャサ側のキンペーゼで22日(木)騒乱があり12名以上の死者をだしたようだ。原因はBDK組織内部の抗争で、セントラル・コンゴ州独立などには関係ない模様。

ニジェールの首都ニアメイで昨日24日(土)数千人規模のデモがあった。かなり広範な参加層で、要求も多岐に渡っている。給与遅配、路上商店撤廃反対、物価高騰から外国軍駐留反対まで。現イスフ大統領体制を、対処次第では揺るがすかもしれない。
今のところ、警察や軍の介入がなさそうで、デモ弾圧による犠牲者の報道がない。それなりに民主主義的なのだろうか。
キンシャサで同じ規模のデモがあったら、只では済まないだろう。
ニジェールは原油もあるが、ウラニウム産出では世界トップである。しかし、原油もウラニウムも価格下落で、国の収入が激減している。それに、隣国マリのジハディスト対策で派兵、この派兵も財政を圧迫している。
イスフ大統領の舵取りとは必ずしも関係のない外的要因でイスフ大統領が窮地に立っているともいえる。
ニアメイには日本のYさんがいる。心配なことだ。なんとか民主的に落としどころがみつかるように祈る次第である。
ニアメイ(2月『4日)
ニジェール
Niger : nouvelle manifestation contre le gouvernement et la vie chère
04 février 2017 VOA

Des milliers de personnes ont manifesté samedi dans la capitale nigérienne Niamey contre le régime du président Mahamadou Issoufou qu'elles accusent "de mauvaise gestion", dénonçant le coût de la vie, ainsi que la présence de bases militaires occidentales.
A l'appel d'un collectif d'organisations de la société civile, les enseignants, les élèves, les agents municipaux et les commerçants ont parcouru les rues de Niamey, scandant des slogans hostiles au régime, avant de tenir un meeting devant le siège du Parlement, en criant "Tayi taouri" ("la vie est trop dure" en langue locale), ou "sauvons le Niger".

Les agents municipaux en grève depuis des mois réclament le paiement "de 6 à 7 mois d'arriérés" de salaires, tandis que les commerçants ont exprimé leur en colère après la destruction de milliers de boutiques, échoppes et restaurants par la municipalité de Niamey.

De nombreux militants de l'opposition ont également pris part à cette manifestation, qui s'est dispersée dans le calme.

Certains manifestants ont réclamé également l'annulation d'un accord signé en 2014, accordant au groupe français Bolloré le monopole de la manutention des deux plus importants entrepôts de douane de Niamey, monopole qui a engendré une hausse significative des taxes.

Les manifestants ont également dénoncé "la présence des bases militaires française, américaine et allemande" dans le pays et officiellement dédiées à la lutte contre le terrorisme notamment au Mali et en Libye voisins.

Le 21 décembre 2016, une manifestation similaire avait déjà été organisée à Niamey. En réponse, les partisans du régime, qui accuse l'opposant en exil, Hama Amadou, d'orchestrer la manifestation, ont organisé "une contre manifestation" pour soutenir le président Mahamadou Issoufou" le 8 janvier dernier.

Le Niger est un pays sahélien presque entièrement désertique et parmi les plus pauvres du monde. Son économie est en outre affectée par la chute du cours du pétrole - dont il est un modeste producteur depuis 2011 - et la baisse du prix de l'uranium, dont il un grand producteur mondial.

Une partie des ressources du pays est absorbée par la lutte contre les jihadistes venant du Mali et des islamistes du groupe nigérian Boko Haram, qui mène régulièrement des attaques meurtrières au Niger.


Avec AFP

04 février 2017

2月2日 南スーダンにモハメッド6世国王(モロッコ)が訪問 Mohamed VI en visite à Juba

Le jeudi 2 février 2017
6時、曇り、24℃、70%。

モロッコの国王モハメッド6世が南スーダンを訪問した。
アフリカ連合UA33年ぶりに復帰したばかりで外交攻勢に出ている。UAにモロッコの南の領土、旧スペイン領西サハラ(サハラウィ)が、独立国として認められてUAに加盟したのに反発してモロッコは脱退していた。
西サハラの実効支配とサハラウィを支持しているアルジェリアの弱体化が、モハメッド6世にUA復帰を決心させたようだが、勿論経済的理由がありそうだ。
モロッコとしては南スーダン問題に首を突っ込み、経済力を背景にアフリカの問題はアフリカで解決するという実績を作りたいのかもしれない。アフリカ市場に最近積極的にモロッコは進出している。
国内が比較的安定しているモロッコである。リビアが落ち込み、アルジェリアがブートフリカ大統領の健康問題で外に出られない事情をみてとっている。
モハメッド6世(左)を迎える
キール南スーダン大統領
Mohamed VI en visite à Juba
2 février 2017  BBC Afrique

Mohammed VI a été accueilli à Juba par Salva Kiir, président du plus jeune pays du continent africain.
Le roi du Maroc, Mohammed VI, a entamé mercredi soir une visite d'Etat de deux jours au Soudan du Sud.
Le Maroc a retrouvé son siège à l'Union africaine après 33 ans d'absence lors du dernier sommet de l'instance continentale.
Mohammed VI a été accueilli à Juba par Salva Kiir, président du plus jeune pays du continent africain.
Le Soudan du Sud fait face depuis trois ans à d'intenses violences entre les rebelles et les forces gouvernementales.
"Le Maroc est un pays avancé en plusieurs domaines, il dispose d'un meilleur savoir, d'une meilleure expertise dont nous allons bénéficier", a déclaré le ministre sud-soudanais des Affaires étrangères, Deng Alor.
Lundi, au terme d'une intense campagne diplomatique, 39 pays africains sur 54 s'étaient prononcés en faveur du retour du Maroc au sein de l'UA.
Rabat remportait ainsi son pari, après avoir réalisé que la politique de la chaise vide devenait un obstacle à son expansion économique et son influence en Afrique.

Le royaume chérifien avait quitté l'organisation en 1984 pour protester contre l'admission de la République arabe sahraouie démocratique (RASD) proclamée par le Front Polisario au Sahara occidental, un territoire que Rabat considère comme sien.

2月1日 RDCコンゴ:チセケディ逝去 RDC: les partisans d'Etienne Tshisekedi pleurent leur leader

Le mercredi 1er février 2017
6時、曇り、24℃、70%。

1212日のブログで食堂経営をしている「ムソシの子どもたち」への支援をお願いした。
これに応えていただいたのが、村上さん、山形さま、さつきちゃんの3名でした。合計金額13万円。貴重なご寄付ありがとうございました。
収支は次の通りです。
食堂家賃11月分                     245ドル(家賃400ドルのうち155ドルは食堂の粗利益から)
遅配給与                     100ドル(賄のジュディットさんの1112月分給与)
運転資金補助              200ドル(ビール類ストック形成)
食堂家賃3か月分       1200ドル(保証金6か月分のうち3か月分を既に消費していた)
超過分は、僕が1月にした通訳アルバイトから補填しました。
お蔭さまで、2月の食堂営業も出来ます。この経営から、少しでも利益をだして子どもたちの子どもたち(日本人の父親にとっては孫たち)の教育費を出せればと願っています。

1月の電気消費量が503kWhだった。12月より50kWh節約できたが、去年の通常月の400kWhよりも多い。電気コンロを買い替えてサーモスタットがきくようになったというのに。今月請求は2800円くらいか。日本の平均は二人暮らしの家庭で9600円らしい。消費量は555kWh/月というから、電気製品をたくさん使う日本の家庭と僕のところがそう変わらない数字だ。調理と風呂に電気を使っている所為だろう。そうするとRDCコンゴの電気代は日本の1/4から1/3なのかぁ。
しかし、消費感覚からいくと28000フラン(2800円)は28000円相当なのである。

庭師ジョゼさんに1月の半分だけ払った。あとは少し待ってもらう。

RDCコンゴ:モブツ時代からの反骨、反体制の象徴だったチセケディEtienne Tshisekediが昨日入院先のブラッセルで亡くなった。84歳。
モブツとは友人関係だったようだが、モブツを独裁者と呼んた初めてのコンゴ人政治家だそうだ。
問題は後継者がいないことだ。息子がいるが、父親のようなカリスマ性がない。
大統領選になり、カビラ現大統領が出馬しない(できない)となれば、元カタンガ州知事のモイーズの一人勝ちとなろうが、まだ大統領選の実施自体が何時なのかはっきりしない。
チセケディ氏
(RDCコンゴ)
RDC: les partisans d'Etienne Tshisekedi pleurent leur leader
Par RFI Publié le 01-02-2017

L'infatigable opposant congolais s'est éteint mercredi 1er février à Bruxelles, à la clinique Sainte-Elisabeth, à l'âge de 84 ans, des suites d'une embolie pulmonaire. Dès l'annonce de son décès, des Congolais ont commencé à se rassembler devant l'hôpital et dans les rues de Kinshasa.

C'est par la voix de son fils Felix que l'on a appris mercredi 1er février en fin de journée la disparition de celui que ses partisans surnommaient « le sphinx de Limete ». L'opposant de plus de trente ans avait quitté Kinshasa dans un avion médicalisé mardi dernier à l'aube.

Son parti, l'UDPS, avait alors démenti les rumeurs d'un état de santé dégradé. Mais depuis des mois, on savait Etienne Thsisekedi fatigué, malade. Ces dernières années, il a quitté à plusieurs reprises son pays pour de longues périodes d'hospitalisation, mais comme à chaque fois il est revenu, en 2011 pour la présidentielle, comme en 2016, incarner son rôle de leader de l'opposition.

La dernière fois, en juillet dernier, après près de deux ans de convalescence à Bruxelles, il est revenu triomphalement à Kinshasa, créant l'un des plus grands rassemblements politiques des cinq dernières années à Kinshasa.

Dès l'annonce de sa mort ce mercredi soir, la rue kinoise a d'ailleurs réagi. Des dizaines de partisans se sont rendus à sa résidence à Limete qui était aussi le siège du parti, pour pleurer, avant d'être dispersés à coups de gaz lacrymogène. C'est sans conteste une page de l'histoire politique du pays qui se tourne aujourd'hui.

Reportage devant la clinique Sainte-Elisabeth à Bruxelles

Avec notre bureau à Bruxelles

Seuls ou par petits groupes, les Congolais de Belgique ont commencé en début de soirée à affluer vers le quartier huppé d’Uccle dans le sud de Bruxelles. Ils n’étaient au début qu’une vingtaine devant la clinique Sainte-Elisabeth, mais beaucoup appelaient pour annoncer leur arrivée. Ceux qui étaient déjà présents étaient aussi pendus au téléphone pour prendre des nouvelles de leurs proches et de leurs amis au pays, avec évidemment une inquiétude particulière quant aux évènements de Kinshasa.

Pour eux, la présence devant l’endroit où est mort Etienne Tshisekedi est une évidence, ils n’auraient pas imaginé ne pas venir rendre hommage à cette figure tutélaire du Congo pour cette veillée funèbre improvisée sur le parvis de la clinique.

Certains se disent membres ou sympathisants de l’UDPS d’Etienne Tshisekedi, mais pour tous, c’est une figure et une voix indispensables à l’avenir du Congo qui s’est éteinte ce mardi à Bruxelles. Ils ont tous toujours connu Etienne Tshisekedi comme figure emblématique de la vie politique congolaise, principalement comme opposant et au-delà du deuil ce sont aussi les questions sur l’avenir de la République démocratique du Congo qui commencent à se multiplier.


Il y a les pessimistes qui ne voient pas qui pourra le remplacer et quel sera l’avenir de la Commission de suivi des accords de la Saint-Sylvestre, et ceux qui se disent que le flambeau de son engagement politique de toute une vie sera repris en cette année cruciale pour l’évolution politique du Congo.