Le 16 février 2010, mardi
教会が各種登録や官庁の書類作成で世話になっているAntonio氏とKyungu会長を引き合わせた。Kyungu氏は全て自分のコネクションで解決出来るといいたそうだったが、お互いに協力してことに当たるように要請した。個人の矜持じゃないんだ。協会のためである。
マドンナに農園のミルクを買って与えたところ下痢。滅菌されているといっていたが、問題があるのか。それとも濃すぎるのか。ビオフェルミンを飲ませてみた。半錠。僕はこの薬ともいえぬ薬で小さいときから腹痛をなおしてきたけど、果たしてマドンナにも効果があるのだろうか。(追記: お腹の調子は翌日回復。農場のミルクにも慣れたようだ)。
Le 17 février 2010, mercedi
マドンナに初めて牛肉を与えてみた。サーロインの一部である。水煮にした。先ずスープだけを飲み、次いで肉をがつがつと全て平らげた。
Le 18 février 2010, jeudi
ルブンバシ大学の学長シャブ・ムンバ教授Prof Chabu Mumbaに面会。11時半のアポイントに約40分遅れて会談。日本の大学との共同研究、学生交換等に強い関心を示した。
「学生留学についてはマスターやドクタの手前でこれから大学の助手になろうとするようなレベルの人間を出したい。環境・公害問題についてカニキ副学部長(ポリテク学部、既面談)等専門家会議を実現させたい。正式申し込みを待って東京理科大学加納教授に招待状を出す用意がある。大使館、外務省を通じてよりも、直接日本の大学とコンタクトしたい。外交ルートでは時間がかかりすぎる」とのことであった。
2006年に会った学長はKabila大統領の顧問に就任。ムンバ学長は新任。専門は地質学だそうである。学長室は2006年と同じ。秘書官は僕のことを覚えていてくれた。
ルブンバシから僕の住むキプシまでは30Kmだが、途中にミンブル村(2月14日の項参照)がある。この村にカタンガ州及び隣国ザンビアの北部にまたがる地域の酋長chef coutumierがいる。西欧風にいえば貴族であり、「酋長」というのは語弊があろうが「住民の伝統的リーダー」である。いつか彼に会いたい。勿論政治的行政的実権はない。けれども隠然とした影響力が地域の人々にあるという。鉱山開発でも彼の同意がいるときいたことがある。初代大統領のカサヴブもキンシャサの西にあたるバ・コンゴ地方の「伝統的リーダー」でもあった。同様、カタンガ分離独立問題で悪者にされたチョンベもカタンガ州の地方の名門の出だった。現在これら「伝統的リーダー」から代議士や知事もいるし、大学教授も輩出している。だから酋長というイメージではない。
Le 19 février 2010, vendredi
昨日20日で切れるインタネットの月ぎめ契約を、余裕をもってルブンバシのVodashopで更新した。つまり次の30日間ネットアクセス使い放題のサーヴィスの為60ドル払った訳だ。ところが、60ドルがクレジットされたことをメイルで受け取ったが、肝心のアクセスができなくなった。キンシャサ本社のミスだというのだが、昨夜、今日とインタネットが出来ない。担当のDan君。Kinshasaに連絡したというのだが、どうなっているのだ。実にけしからん!
庭師との契約書を用意した。あとになって支払いで揉めたりしたときに契約書があった方がいいだろう。仕事の範囲、時間、雨で仕事が出来なかった場合の順延などかなり細かく決めておいた。
「Association Katanga-Japon」のレター・ヘッドを作った。プリンターを買おうかな、やはり。いちいちCybercaféに行くのも面倒だし、今後様々な手紙を提出しなければならないから。インタネットの世の中なのに、メイルではことを運んでくれない。保守的な事務がまだまだコンゴには多い。第一僕のように常時ネットに繋がることの出来るひとがそうはいない。役所だって、運輸省の出先機関で、あろうことか手動式のタイプライタを使っているのをみたのだから。電気が来なくても動くには違いないが。気の利いたところには自家発電機がある。
今夜はカレー。インド人は2006年にもいたがインド料理レストランはなかった。2009年6月にはレストランも出来ていた。さらにインド人経営のスーパー(Jambo Martなど)が出来たので、カレーの香辛料を売っている。ところが、今度はインドカレーといっても種類が多すぎる。日本の普通のスーパーではそれほどインド香辛料の種類が多くない。僕は分からないから大体の色で判断して適当な香辛料を過日買った。それでどうも間違いないようだ。
Le 20 février 2010, famedi
アスンタ修道女に教えてもらったヒーターを街中で買い求めた(1800FC、180円)。これでバケツに湯を沸かすのである。それをバスタブに入れて風呂に入る。直接バスタブの水にヒーターを入れてみたが、水量が多いのと、またバスタブの栓が緩く水位が下がるのでお湯にはとてもならない。バケツに沸かした湯を注いでいくしかない。えらい苦労だ。こんな苦労をして風呂に入らなければならないとは。鉛管工Augustinの無責任さ加減には腹が立つ。それでもやっと初めてこの家でバスタブを使ったのである。
ムラポ師にお湯の件を含めてクレーム・レターを書いた。プリンター(HP F2480、130ドル、初めの店では240ドルといっていたmulti機能プリンター)を買ったのでこれからどしどしレターを出す。
ネットが通じない。ルブンバシのVodashopにPCを持っていってモデムを差し込んだときは、SIMの中のメッセージを消してSIMの負担を軽くしたのでネットに接続できたとDan君は説明したが、家に帰って接続をトライすると相変わらずcredit額が不足だというメッセージが返ってきて接続できない。どうもDan君の説明は勝手な解釈のようだ。これで2日間ネットが不通。
Le 21 février 2010, dimanche
元Gecaminesのエンジニア2人に会った。一人は今KipushiのForrest精錬所の技師Robertさん、もう一人は独立して鉱山事業のコンサルタントをしているAugustinさん。主に後者がはなしをした。カタンガ州の鉱脈地図は70年代から更新されていない。調査があっても私企業はその結果を発表しない。唯一2008年にベルギーの博物館が新しい地図を作って公表している。銅・コバルト鉱脈はカタンガの南、マンガンは西、錫は北に集中している。ウラニウム鉱山は国の直接の管理下に置かれていて通常訪問できない。鉄道は古く、機関車は70年代初頭に納入された日立製(電気)とGE製(ディーゼル)が一番新しい。レール、枕木など設備も老朽化しており時速5km/Hがいいところ。運搬手段は従って道路以外考えられない。しかしMukoshi/Kinsengaからルブンバシ、ルカシを経由してKolwesiまでの道路はなんとか走れるが、それから西、また北は乾季はいいが雨季はトラックでは走行不可能。Augustinさんが先月北のKaminaまでカナダの会社と調査に行ったときは560kmに5日間を要した。乾季なら2日でいけるところである。道路整備計画(これは「日本カタンガ協会」のホームページに表紙を載せたカタンガ3ヵ年計画の一環)は10~15%しか完成しなかった。中国は中小企業が進出している。これまでいわば山師aventurierの投資だった。しかし、鉱業生産物とバーターでインフラを整備する巨大投資を中国政府がコンゴにofferしてIMFや世銀お批判を浴びた。昨年のことだ。たしかにバーターの予定だったが、中国に割り当てられた鉱山の質が悪く、中国側もインフラ整備のスピードを大幅に減らしている状態。
直ぐになんとか開発できるのはMukoshiからKolwesiまでのアーチ地帯(arc)の銅・コバルトだ。その他金属の開発にはインフラと一体になる必要があるようだ。先ず道路を作り、資材機材を運び基地を作る。それから鉱山開発という段取りか。
Visaで金を引き出そうとしたら出来なかった。銀行が拒否したというが。日曜だから引き出せなかったのか。身に一銭もない。明日引き出せなかったら大変だ。
エンジン・オイルの交換を自動車のメカ30年の経験を持つというKyungu氏と双子の兄弟にKyungu邸でしてもらった。新しいオイルが7L以上入った。スペックでは6.5なのに。オイルはELFを僕が買った。他のオイルはどうも怪しい。フィルターは20 000kmで代える。
昨日に引き続いてバスに浸かった。効率よくバケツの水をお湯にして60分後にバスタブに入れるようになった。
Le 22 février 2010, lundi
BiacのATMで400ドルひきだした。いっぺんに400ドルを出そうとしたらエラー。200ドルづつ2回のオペレーションとなった。気まぐれなATMというよりもこの銀行の都合で100ドルの新札で1000ドル引き出せたり、汚れた10ドル札ばかりだったりするのだ。客へのサーヴィスなどまるで考えていない銀行である。もっともそれは銀行だけではないけれど。
ネットがまだつうじない。ルブンバシではなく、Kipushiの家の向かいにあるVodashopの女性支店長Oliviaさんに頼んだ。それでも今日は不通。明日に期待するしかない。何か不都合が何時もあって、明日明日の毎日とは。
Kyungu氏の奥方と銀行口座開設のためにBiacに行った。奥方は押しが強い。Kyungu氏よりも機転がきく。この夫婦はどうも奥方でもっているようだ。今日は担当が外出で、都合よく女性部長Nadine Kalala女史に直接話ができ、明日にも口座ナンバーがとれることになった。口座開設のための最低入金が100ドルだというので、僕が入金。僕を除いて全員一人では金を引き出せないようにした。
Kyungu氏の奥方Marie-Jeanneを「日本カタンガ協会」の副会長兼事務長にしよう。
居住許可証申請のためにDGMに提出していた旅券が返ってきた。3年間の滞在ヴィザがおりた。予定より12ヶ月長かった。しかし今度は、海外に出るためには出国査証が必要だという。マルチで7ヶ月友好の出国ヴィザが300ドル。高いじゃないか。法外だ。そんな馬鹿げたことは初耳だ。なんでこう外国人を苛めるのか。
一体、後進国で働いている女性は普通の男たちよりも良く出来る。並みの男たちには「ぼんくら」が多い。勿論出来ないのに気位だけ高い嫌な女もいる。その例がアルジェリアにいた。思い出したくもない。
燃費。580.2km/58.2L。即ち9.97km/L。う~む、litter当り10kmいかない。
Le 23 février 2010, mardi
アルジェリアでは休日も普段も朝6時起床。アルジェリアを出てから7時起床にしている。今朝見知らぬ男が玄関口に立っていた。誰だろう、庭師が来られなくなったのだろうかとドアをあけると「子供が病気なので、薬を買うため仕事をさせてくれ」という。何が出来るのかと問うと、特に専門がない。しかも教会が僕のところに送ってきたという。早速教会のJustinさんに電話するとそんな事実はない。嘘つきめ。門の鍵がかかっていないから勝手に入り込む。鍵をかけると誰も入れなくなるが、不便もある。
冷えたパイナップルを昼に一個食べた。美味い。こんな果物が100円。天の恵みだ。そこいら辺でいくらも木に生っている。これを食べていれば飢え死にすることはない。家の庭にもあるはずだ。マンゴ、バナナ、アボカド、パパイア、パイナップル。グアーベというのもあった。そんな国柄なんだから、齷齪(あくせく)働かないといけない日本とは違う。
カタンガ州にも地雷が埋まっている。カタンガ州だけで日本よりも面積があることは「日本カタンガ協会」のホームページに既に書いた。地雷がこの州のいたるところにあるわけではない。東端のモエロ湖やタンガニーカ湖の地方と西端のアンゴラとの国境地方に埋まっている。このため危なくて農業が出来ない地方がある。そこに「MAG」というNPOが地雷除去作業をしている。ルブンバシに彼らの事務所があるが。3月で閉鎖して地雷のある地方の事務所だけを残すことにした。ルブンバシに事務所があるうちに訪問する予定である。
Vodashop@KipushiのPatrice氏の説明によると、ネットがダウンしているのはキンシャサのシステムが原因で昨日以来鋭意システム復旧に努力しているそうだ。昨日から? 僕は5日前からネットが通じないといっているのにねぇ。システムダウンなら僕だけの問題ではない。早急の回復を待つよりいたしかたない。Dan君も早くにそういう説明をすればいいのだ。キンシャサ本社に真剣に連絡をとっていれば原因が掴めたはずだ。駄目な男の一人としかいいようがない。明日朝なおネットが使えない状態なら、キンシャサのチーフに直接連絡がとれるようにしてくれると。何故今出来ないのか問うのは止めておこう。明日朝と決めた理由があるだろう。
ネットが通じないと日本からの翻訳依頼があったときに困る。しかし、家の筋向いにCybercafeeがあるので急場には間に合う。Cybercafeのシステムは僕の使っているUSBモデムとは違う。時差が日本と7時間あるので、急ぎの仕事も可能だ。でも仕事が来ない。アルジェリアにいるときは日本からの仕事を全て断った。アルジェリアでの仕事(調達)だけで手一杯でアルバイトなんて出来なかった。これでコンタクトが切れてしまった気がする。依頼する側にしてみれば、不快だったのに違いない。でもなんとかして欲しい。このブログを見ているXさん、Yさんお願いしますよ。
鉱山局のダニエル氏に会った。何故か事務所ではなく外で会った。ガソリン・スタンドのオープン喫茶。薮蚊や毒虫にさされた。Chansa氏と行ったDar es Salaamの店を思い出した。話は独立系Augustin氏とは違ってもっと楽観的で、どの鉱山もアクセス可能だし、開発できるという。そうだろうか。役人のいうことだ。盛んに調査目的について聞く。
「鉱脈を探すのか、試掘したいのか、自主開発か、業務提携か。マンガンについては国営企業EMK(本社ルブンバシ)がアンゴラ国境に近いKisengeで採掘し、アンゴラ経由で輸出していると。(これが事実かEMKで聞いていみる必要がある)。錫étainはKatemiに鉱山がある。以前Zairetainが開発していたが今は誰も手を出していない。コバルトは多くの企業が進出していて飽和状態。一番大きいのはKambove鉱山である」。
権利はあるが、実際に稼動している鉱山がどれだけあるのかはかなり疑問。特に銅・コバルト以外。すなわちアーチ地帯と呼ばれるルブンバシ>リカシ>コルウェジに沿った地帯以外はアクセスが難しく、また運搬が困難と思われるからである。
豪雨の中、地雷除去を実施しているNPO法人MAG(Patrice Ngoy氏)を訪問。MAGルブンバシが3月で閉鎖するのは地雷除去が終わったからではないことが判明した。UKおよびベルギー政府がお金の出し手だったが、コンゴに対する援助項目の内で地雷除去の優先度が下げられたために資金不足となりルブンバシ事務所を閉鎖することになった。地雷除去はカタンガ州の東北、モエロ湖近くのPoeto地方で継続する。地雷はRCDがばら撒いた。MAGはアンゴラにも事務所があり活動している。アンゴラとコンゴの国境にも地雷が埋まっている。とくにKapanga。こちらは先ず被害状況の調査からしないといけない。全く手がつけられていない。MAG以外ではDCA(Den Church Aid)がカタンガの北部KalemiやKabalo、Nyunzuで地雷除去をしている。雪が降るほど高地で寒い地方だそうだ。ここもRCDの進入で被害を受けた地方である。
RCDとはRassemblement Congolais pour la Democrazie(民主主義コンゴ連合)。多くの政治・軍事団体、連合がそうであるように名前と行動が一致しない。テロ集団といっても過言ではない。隣国ルワンダ及びウガンダの支援を得た反政府軍。2003年以来政府軍の指揮下に入り、RCDのリーダーであるルベルワAzarias Reberwaは4人の副大統領の一人となった。
事務所をでるとさっきの激しい雨はもうあがっていた。
Le 24 février 2010, mercredi
ついに一週間ネットが通じない。困る。抗議のためにVodashopに毎日通っているが埒があかない。18時半に一度回復。しかし19時時には再びダウン。不安定。
新しい鉛管工が来て、直ぐに直したというものの、そのときは水が止まっていて、水が出始めた夕方に帰宅して調べてみると中途半端。これで10 000FC(1 000円)払えだって。しばらく払わない。しかし、湯が出ることが確認されたので、シャワーを浴びた。気持ちがいい。2月3日以来。公共の風呂屋もサウナもない街ルブンバシなのだから、バスタブなんてホテル以外では贅沢と思うけれど、これで生活条件が一応整ったといえるかもしれない。僕は日本の熱い風呂よりも、バスタブに泡立ち石鹸をいれてゆっくりとバスタブで身体を洗うのが好きである。日本に帰国したときに人の家で風呂桶の中で身体を洗い、使用後湯を抜いてしまって怒られたことがある。シャワーも勢いよく湯が迸りでるなら好きだけれど、ちょろちょろの湯では情けなくなる。
昼、またルブンバシの警官につかまった。こんどは警察署まで来いと言う。しかたない。交差点の中で止まったのがいけないと罰金150 000FC(15 000円)。アラン君が知合いのお偉いさんに手を回して、裏金30ドルで手を打った。署長の電話番号も手に入れた。次回は署長に直接電話してこ煩い警官の「おねだり」をかわすことにする。警察署の中に略式裁判をする部署があり、調書をとられたが署名を拒否した。こんなところで署名などしたくない。開放される前に署長に挨拶したが、どこかで見た顔だ。Julesさんという。「日本カタンガ協会」の宣伝をしておいた。本当に木っ端役人は手に負えない。食えない連中である。
ルブンバシ大学で国際協力担当部長ルバラ教授と会った。日本の大学との交流の話を持ちかけた。学長から既に話は聞いていた。
同氏はgéologueでもある。カタンガ州の鉱山開発に関するセミナーが先週ルブンバシであり彼も参加している。そのときの資料をくれるようにたのんだ。大学、行政、企業が参加したなかなか興味あるセミナーだったようだ。彼によればEMKのマンガンも採掘しているもののアンゴラの港まで搬出できていない。タンザニアの港まで運んでいては採算に合わない。従って現地で付加価値をつけて国際競争力をつける以外EMKを救う道はないといっていた。鉱山省の情報はやはりいい加減であった。錫はインフラがないので全く手付かず。コバルトは飽和状態。
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