21 juillet 2010

7月19日 le mardi 19 juillet 2010 リベリア他 Libéria, etc

Le 19 juillet 2010, lundi
快晴。

プリンタの設定を終えた。ソフトの設定が全てネットに通じていないとできないことが多い。
ネット環境が悪いところではこれが困る。

リベリアLiberiaは、USAが開放されたアフリカ系奴隷を居住させた国である。勿論彼らがアメリカから移住してくる前に先住民がいた。中東のイスラエルを建国したシオニズムと似た状況である。アフリカ大陸でもっとも早くに独立した(1842年)。現在はアフリカではじめての女性大統領を戴いている。
リベリアは農業国だが、その最大のプランテーションのオーナーは日本のタイヤ・メーカ「ブリジストン」であることを知っている人は少なかろう。アメリカのタイヤ会社をブリジストンが買収した結果である。またリベリアはタックス・ヘイブンparadis fiscalでも有名だ。
アメリカ大陸に売り渡されたアフリカ人が、実は他の国にも帰ってきている。英国が奴隷制廃止を決めて、ブラジルやジャマイカ等からアフリカに戻った人々が、ベナン(元ダホメイ)、ガーナ、ナイジェリア、シェラレオーネなどで独自の社会を形成した。19世紀も20年代のことである。出身地に戻れないケースが多いようだ。世代の交代、獲得した生活習慣の違い、異部族間の婚姻などが原因と思われる。そんなことをMaryse Condéの『セグSégou』第2巻を読んでいて教えられた。そういえば、パリ大学時代、僕のいた大學都市Cité universitaireのモナコ館にマルティニーク出身の学生たちがいたが、セネガルの学生たちと仲がよくなかった。お互いを馬鹿にしていた。

妹さつきのブログによれば、彼女は今パナマに滞在中だが、パナマのPortobelloという海岸線の町で「コンゴ」というダンス、歌、音楽があるそうだ。奴隷解放を祝う「コンゴ」らしいが、コンゴから特に来た奴隷というわけではない。パナマもアフリカ、イベリア半島、アラブ、インド、アジアが混じっている。そうした混血文化からこの「コンゴ」が生まれた。
16世紀初めからアフリカ黒人が奴隷としてパナマに送られている。その後パナマはアフリカ人奴隷の中継貿易拠点となった。
レセップスがパナマ運河建設工事を開始したのが1880年であった。フランスは建設を諦め米国が建設していくのだが、労働者はアフリカからの奴隷の子孫たちとカリブの島々のアフリカ系の人々の移民とで構成されていた。16世紀初めからアフリカ黒人が奴隷としてパナマに送られている。その後パナマはアフリカ人奴隷の中継貿易拠点となった。

http://blog.goo.ne.jp/satsuki555may/e/96ddc806637080047794686ffea38570

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