【ムソシの子供たち 9】子供たちとの出会い
そもそも初めて「ムソシの子供たち」の存在を知ったのはチーちゃんの訪問を受けてからだ。多分、2010年の暮れのころと思う。どうして僕の存在を知ったのか、キプシの家に突然尋ねてきた。当時カタンガ州には僕とフランシスコ会女子修道院のシスターであるアスンタ佐野さんしか日本人はいなかった。去年アスンタさんが帰国して現在は僕一人になってしまった。
チーちゃんは、自分は「日本人の子だ」と宣言した。27歳。不思議に思って訊いてみると父親はモリタといい、ムソシ鉱山で働いていた日本人で、父親が帰国後苦しい生活を送ってきたと切々と語り始めた。その日は多少の小遣い(コンゴでは「交通費」という)を渡して帰した。
そのごちょくちょくチーちゃんは家に来た。無心である。一度、彼の住んでいるというムソシの家に行ってみた。日鉱が建てたコウヨウという日本人住宅街の外れに住んでいた。住宅街には遊園地もある、往時は瀟洒な一戸建て住宅街と思えた。しかし、チーちゃんが奥さんと小さな子供といたのは、ガレージのような長屋の一角であった。台所もない、テレビもない狭い一室だけ。目を覆いたくなるほどの貧しさだった。
チーちゃんはその後奥さんと別れて(逃げられて)、ルブンバシに登り、ケイコさんの家などを転々としている。一時、電話会社の守衛などをしていた時期もあったが、今、失業中。
コンゴで就職するためには、縁故がないとできない。縁故は出身種族である。「ムソシの子供たち」には種族がない。父親が他界していても出身種族を申し出なければならない。日本人だというと相手にされない。差別である。しかし、これがコンゴ社会だ。
チーちゃんの画像が見当たらないのでブルース・ナルセ君のものを出す。ブルースは父親がムソシで空手などを余暇で教えていたらしい。空手映画の先駆者ブルース・リーから名前をとったと思われる。彼も就職先がなく、ぶらぶらしている。
2 commentaires:
bonjour nous sommes les enfants metis japonais abandonné au Congo al,epeauque qu,on appelle Zaïre avec les présidents Mobutu
ce les présidents qui refuse pour le japonais ne pas le droit de partir avec les enfants
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