Le 25 février 2010, jeudi
ネットが安定しない。繋がったり繋がらなかったり。
Kipushi郡のトップ(Administrateur de Territoire Kipushi、官撰)、カモナErnest Kamona氏を表敬訪問。Kipushi出身のKyungu氏夫人とその弟でKipushi中学の校長をしているルプタ氏が付き添ってくれた。警察か軍隊出身の官僚臭の強い男。しかし、挨拶をしておいて良かった。先週、スポーツ振興のNPO代表が来て早速サッカーの指導を始めたが、憲兵がきて不法滞在で逮捕したそうだ。僕の場合は、幸い調査員Robert氏が向こうから来たし、教会の敷地を借りているのでそう手荒なことはしないと思われる。第一、やっとではあるが3年間の滞在visaもDGMからおりている。
これから、警察署長、市長等にも挨拶する。なにしろカタンガ州に日本人は二人しかいないのだ。
昼間、比較的ネットが安定していたので、ブログ『アフリカの星』および『日本カタンガ協会』を急いで更新した。
デザートはパイナップルとバニラ・アイスクリームにした。美味い。パイナップル一本と「La Brioche」店で売っている箱入りのアイスクリーム。喫茶店で出てくるパフェの5倍の量があるかな。食べ過ぎて腹痛をおこさなければいいが。ルブンバシは高原なのにやはり南国なのだと実感する瞬間だ。
アルジェリアで一緒に働いたS氏が帰国帰任されるというニュースが入った。本当ならば大変なことだ。プロジェクトは人でもっている。衛星地上局を建てたとき、それはNさんだった。Nさんがアルジェリアに来なければ第二地上局は成約できなかったろう。こんどの高速道路プロジェクトではS氏は僕の恩人だが、彼がいなければトンネル工事が致命的打撃を蒙るだろう。三拝九拝して彼にいてもらうべきなのに、新任の区間工事責任者は自分に自信がありすぎるのだろう、それとも自分の小さな権力をひけらかしたいのか、いずれにせよ、誤った判断をしたものだ。
Le 26 février 2010, vendredi
公証人のところで定款にあってなお決まっていなかった役職(事務総長、会計主任、相談役)を任命する総会議事録に証明をしてもらって、それを銀行に提出した。これで銀行が口座開設に必要だとする全ての書類が整えられ、口座開設の運びとなった。
銀行名:BIAC (Banque Internationale pour l’Afrique au Congo)
支店名:Lubumbashi
住所:532, chaussée Laurent Désiré Kabila, Lubumbashi, Katanga, RDC
口座番号:330 432 600 01 (修正済み、3月1日の項参照)
口座名義:Association Katanga-Japon
口座名義人住所:547, Avenue Mpolo, Lubumbashi, Katanga, RDC
SWIFT:BIACCDKI
送金に際してはBiacのコルレス銀行を入れると間違いなく送金されるそうです。
コルレス銀行名:ING
コルレス銀行のSWIFT:BBRUBEBB
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これで東京の僕の口座からも必要資金を送金できる。また寄付、会費等も正式に受付可能となった。従って会計報告を順次していかなければならない。
会費・寄付金があつまるかどうか全く未知数である。
ルブンバシ大学当局に日本の大学と交流しようというレターを提出した。
Le 27 février 2010, samedi
「日本カタンガ協会」のホームページに銀行口座番号をupすると同時に寄付寄贈の要請、会員募集、会員申込書のページを作成掲載した。まだまだ修正が必要だろう。だが、とりあえずアップしておかなければ先にすすめない。
マドンナは凄い。どんなに怒られても、怒鳴られても、お仕置きを受けても敢然と悪戯に挑戦する。打たれ強い。怒られると、恨めしそうな顔をして僕を睨む。そうでなければ、「まぁ、いいじゃない、このくらい許してよ」と甘えに来る。
今日は初めて骨付きの肉を食事に出した。プラスチックの骨を半分に千切ってしまったほど歯が丈夫だからと思って、本物を与えてみた。喜んで骨を齧っている。マドンナに咬まれたら豪(えら)いことになるぞ。末恐ろしい奴じゃ。
そろそろワクチンを注射しなくちゃ。いや、僕にじゃなくて、マドンナに。
Le 28 février 2010, dimanche
今日が2月の最終日とは。2月は28日しかなかったのだ。
僕が借りたVillaは元は司祭の住宅だった。しかし、その前は?
もともとギリシャ人が住んでいた家とわかった。この辺には外国人がかなり住んでいたらしい。しかし、1974年のモブツの政策、zaïrianisation(ザイール化)によって外国人の資産(土地、家屋、企業等)をコンゴ人に強制的に譲渡させたときに、コンゴ人がオーナーとなった。それを教会があとになって買い上げたということである。
Zaïrianisationとは、独裁者モブツがアフリカ・ナショナリスムの衣を着て大向こうの受けを狙った政策だが、勿論ただ外国人(ギリシャ人、ポルトガル人、ベルギー人等)を排斥しただけで、コンゴにとって得るところが少なかった、否、失うものが多かった愚策の一つである。
敷地のなかに、その昔は使用人(馬丁、庭師、ボーイなど)を住まわせたボイェリーという小さな家がある。「ボイェリー」という言葉を英語、フランス語の辞書で調べたが単語としてまだ見つからない、収録されていない。Googleで “boyerie congo”で検索してみるとlogement au boyであると説明されていた。Wikipediaにも書きかけがあった。そのボーイの小屋を教会が司祭が亡くなってから二家族に貸したらしい。一見10人以上が、水道のない家に住んでいる。僕の家のサロンから見えるboyerieである。ということは向こうからもこちらが見える。教会は初め彼らを退去させるといっていたが、上手く交渉が運ばないらしい。垣根をboyerieの周りに回(めぐ)らすことにしたが、ゴミはそこらじゅうに捨てるは、僕の車に悪戯するは、邪魔くさい。隣人としての付き合いなどしたくない。引越し当初女中に雇ってくれと来たがとんでもない。
マドンナに骨付き肉とスープ、スープの中にご飯を入れて食べさせてみた。これも旨そうにたちまち平らげた。
Le 1er mars 2010, lundi
『日本カタンガ協会』のホームページに協会長Kyunguの挨拶文が載っている。そこにカタンガにはサツマイモがあるので焼き芋ができるとある。先日Mimbulu村で、そのサツマイモと称するものを買った。もともとサツマイモは特に好きではない。馬鈴薯(ジャガイモ)の方が好きである。カタンガのサツマイモの皮は白く中も白い。形状も日本のサツマイモとは異なり不揃いで、なんかの根には違いないと思うもののとてもサツマイモのように見えない。そこで洗ってから輪切りにして水煮にしてみた。すると段々と実が黄色味を帯びてきた。柔らかくなったところで皮を剥ぐと、サツマイモのように剥ける。味はというとサツマイモそのものである。してみると、原産地はアフリカかもしれない。日本へは17世紀に中国、琉球と渡ってまさに薩摩の国(鹿児島)に渡来したとある。ウガンダやナイジェリアが世界の主要生産地の一つに数えられている。
銀行から電話で、先週金曜日に発行した口座番号が違ったので直ぐに来てくれという。とんちきめ。
口座番号:330 432 600 01 (330 432 100 01ではなく600 01であるというわけ)。怖いね、バンカーがこれでは。これでホームページも修正だ。
ペットボトルなどプラスチック廃棄物を回収して洗浄、粒状にして再販するNPO、UMOJAを訪ねた。ルブンバシ郊外にそのプラントがあった。キンシャサでは既に稼動しているというが、ルブンバシではまだパイロット・プラント段階であった。洗浄用の水確保のために井戸を45M掘ったが失敗。まだ開梱されていない20フィートコンテナが2台敷地の入り口に置いてあった。今月10日に稼動予定していたが、僕の観察ではあと数ヶ月はかかろう。電気の安定的供給を受けるのも問題があるに違いない。しかし、アイデアはいい。仕事を創造することが出来、かつ自然界では腐食が難しいプラスチック(地中に埋めても土になるには100年以上かかるだろう)を処分できるのだから。プラスチック回収で生計をたてているひともキンシャサでは出ていると。
このNPOのパトロンはEUとISF(国境なきエンジニア、在ブラッセル)。ルブンバシ責任者のカボヤTomy Kaboyaさんは電気機械エンジニア且つルブンバシ大学で教鞭をとっている。
Aucun commentaire:
Enregistrer un commentaire