Le 16 mars 2010, mardi
6時起床。7時15分、キプシ出発。8時丁度にシスター・アスンタを迎えにルブンバシに到着。ドン・ボスコで満タン。国境の町カスンバレサ到着10時。距離が90kmしかなく、道がいいのに時間がかかったのは、40km/時の制限速度標識がところどころにあり、慎重に運転したため。交通警察に口実を与えもめるのを避けたのである。これからコンゴ出国及びザンビア入国手続きに2時間を要した。車をコンゴから出し、また返ってくる証明書に25ドル、手伝ってくれたOFIDA(税関)の官吏に謝礼6ドル。ザンビア側の手続き(ガソリン税、道路使用税、保険等々)で200ドル。更に途中で入ってきた通関業者に30ドル。ザンビアに車で入るのは金がかかりすぎる。12月にタンザニアからザンビアに入ったときはタンザニアの仮ナンバーだったので業者費用をいれて250ドル払ったが、今度も似たような金額を払うことになった。数次とはいえコンゴ出国・再入国visaに250ドル、ザンビア入国visaに50ドル既にかかっているのだから、500ドル以上の出費。これはたまらない。次にザンビアに入るときは長距離バスなどを利用したほうが賢明だ。
12時過ぎにやっと国境を越え一路ルサカへ。タンザニアに抜ける道と交差するKapiri Mposhiまでの道は既に去年12月に通過したところ。その先Kabweを通ってLusakaまでが新しく通る街道。総じてよく舗装された道なので120から140kmで走ることができる。ところどころで警察のチェックが入るが、今後の警官のようにしつこく賄賂を請求されることはない。保険証がやや問題となったのみ。というのは、カスンバレサのザンビア側で付保したが、保険会社の判がルサカになっていたこと(しかし、本社がルサカなら判がルサカでもいいではないかと僕は思った)、付保した日付が3月16日なのにバック・デイトして3月14日に有効期限がきてしまうという記入ミスがあったこと。馬鹿ばかしい。
ルサカについたのは19時過ぎ。既に暗かった。宿舎にシスター・アスンタが予約していたところを探しあてたが、サレジア会の神学校建設現場というハプニング。現場の建設会社社長がサレジア会に連絡してくれて、近くにあったサレジア会の修道女宿舎City of Hopeで宿舎が手配できた。サレジア会は広大な土地をここでも持っている。食事は既に21時を過ぎていたために、目玉焼きを用意してくれただけ。昼食なしに只管ルサカを目指して運転してきた身には軽すぎる食事だったが致し方ない。部屋をいただき、3日振りにシャワーを浴びることが出来たのは幸いだった。
Le 17 mars 2010, mercredi
朝食後、サレジア会のシスターが日本大使館まで案内してくれた。インターコンチネンタルの真向かい。ダル・エス・サラムよりも広い土地に立派な建物。領事担当官長島氏は丁寧かつ親切にアスンタさんの旅券更新をしてくれた。旅券ができるまで、大使館の周りを散策。ATMがガソリンスタンドにあったので、100万クワチャをおろした(19 230円相当,
去年12月より多少クワチャ高傾向)。大使館の周りは緑の多い地区。外国大使館が軒を並べる。
パスポートを受け取ってから街の中心街に行ってみた。高い建物が並ぶ。高層建築がこんな広い土地を持っている都市で必要なのだろうか。銀行がやたらと多い。まともなレストランを探したがみつからないので、ファスト・フードの店でハンバーグなどをtake out。今夜の宿はNdola(カッパーベルト州の州都)と決めて車を北上させた。この町にはフランシスコ会の宿舎がある。19時にはフランシスコ会の施設に到着したが、沢山の神父さんが各地からきていて、部屋を確保するのがやっと。食事は外でとることになった。近くのショッピングセンタを紹介されて行ってみると、バーの奥にあるレストランしかなかった。Hunter。地元のひとはアンテールと発音していた。英語圏なのにHを発音しないのは不思議。店を教えてくれた人はコンゴ人かもしれない。冷凍肉を電子レンジで解凍、油でこんがりと揚げてしまう。小瓶のビールを3本飲んでしまった。アスンタさんはミネラル。あんまり感心しない食事。ゴキブリが壁を這いまわっていて清潔とはいえない。
Le 18 mars 2010, jeudi
7時半にはフランシスコ会を出発。Solwwziに向かった。そこにザンビア22年(シスター・アスンタはコンゴ28年目)のフランシスコ会神父久保さんを訪ねた。農夫のような姿で農園や元修練所施設の改装をしていらっした神父にお会いできた。剛毅、多弁。奄美出身。やはり九州はキリスト者が多い。Solweziに来られる前はもっともっと田舎で宣教していた様子。Solweziで一番のホテルのレストランにつれていっていただいた。しかし、食事はやはり英国の伝統というべきか、何を注文してもそこそことしか言いようがない。英国圏は食事が貧しい。それだけではない。内装が豪華なレストランなのに、ナプキンが紙であるとか、食器に工夫がないとか、ちぐはぐなのである。 食事途中横殴りの大雨が降った。
食事後ようやく14時半にSolweziを出発、コンゴ国境Kipushiに向かう。山道。舗装されていない。一番最初の監視ゲートで、ザンビアに入国した地点から出国せよと難癖をいわれ、120 000Kwachaを取られた。しかも、道が悪いから案内人をつけてやると。ところが案内人と称するのは赤シャツのザンビア人一人とコンゴ人二人。要は乗せていってくれということだ。しかし、若いコンゴ人Dembu君が悪路で大活躍をしてくれた。第二チェック・ポイントでこれからはもっと悪路だよといわれた。既に大きな水溜りの連続だというのに。コンゴに近づくにつれ道が更にぬかるみ、確かに悪路中の悪路になった。大きな水溜りが渡れず、それを回避する枝を敷いた脇道を通ったり、その脇道の先が通れず戻ったり、四駆で走っても立ち往生したりと苦労の連続。とんだサファリだ。国境まであと15km、ついに水溜りに嵌まり、前進も後退も出来なくなってしまった。すると、どこからともなく村人が集まってきて、水掻きをしたり、タイヤの嵌まった泥を掻いたり、何回も車を押したりと3時間も悪戦苦闘してくれた。見物人も集まっている。みんながそれぞれコメントする。それでも車は泥から脱出できなかった。3時間後やっと後方からトラックがやって来てロープで引っ張りあげてくれた。つまり3時間車が四駆もトラックも通らなかったということだ。このトラックの運転手がコンゴ・フランで10 000(1000円)、村人たちが総勢で10 000要求。ま、全てがボランティアとはおもわなかったけれど。10 000フランもらっても、泥を全身にかぶったり、ぬかるみに浸かったりと合わない重労働であったろう。
しかもこれより以前、燃料が途中で足りなくなった。ガス欠寸前。みっともない。Solweziで補給しようと考えたが、130kmあまりならメータ上は十分に可能とふんで給油しなかったのだ。しかし、悪路の連続で燃料消費量が過大になった。ガソリン・スタンドはルブンバシまでない。サスペンス。そこで、途中で悪路のため立ち往生していたトラックの運転手に頼んで20Lを150 000クワチャで分けてもらった。スタンドではリッタ6200くらいだから、20Lで124 000の筈だが背に腹はかえられない。僕の車がディーゼル車だったので助かった。
Dembu君は、水溜りに裸足になって入って深さを調べたり、路肩の固さを確かめたり、僕らの行く手も走って車の走行を助けてくれたのである。ガイドするジェスチャーも堂にいっていた。これだけの活躍をしたのだ、最後にいくら請求してくるかなとおもったら、国境に着いたとき、彼はあっさりと「じゃ、またね」と去っていってしまった。彼にこそ礼をしたい。電話番号は控えたので、家に呼ぼう。僕と同じ街、KipushiのGecamines住宅地区に住んでいるそうだ。
結局夜の22時過ぎに国境に着いた。国境は既に閉鎖。同乗の彼らは暗闇に紛れて国境を越してしまうのだそうだ。ザンビア側にホテルは見当たらない。車の中で寝るしかなかった。車の窓を密閉して窒息しても困るので、10mmほど窓を開けておいた。車の中は狭いし、蚊が煩く飛んでくるので殆ど眠ることが出来なかった。
アスンタさんは軽い寝息をたててお休みである。Solwezi出発前に聖アントニオに無事キプシに到着できるように祈りを捧げていた。途中立ち往生したときも、落着いて「明日になれば誰か来るわよ」と動じなかった。アッシジの聖フランシスコは生まれも育ちもよく、大人になってから放蕩三昧。しかし、全てを擲って裸一貫神に命を捧げ、貧しい人たちの味方となった。さすがフランシスコ会の修道女である。
この悪路を自転車を押して通る人たちがかなりいた。炭や野菜を荷台いっぱいに積んでいる。家路を急ぐのではない。国境にある市場に行くのである。このぬかるみでは自転車を漕ぐわけにはいかない。只管歩いて押す。雨の中、傘も差さずに歩く。時折、近くを歩いている人が後押しをする。自転車で行く人にチップは請求できない。貧しい人たちの連帯感であろう。中には数日間かけて山越えをして市場に辿り着く。コンゴでもザンビアでも自転車で長距離運搬をしている姿をよく見かける。大変な重労働である。自転車からオートバイになるためには、どれだけ働かなければならないことか。
Le 19 mars 2010, vendredi
Kipushi国境は手続きが簡単である。今日はザンビア側で市がたつ(コンゴ側からは化粧品、シャンプーなどを持ち出し、ザンビア側から馬鈴薯、トマトなどの農産物が集まる。無税)ので、コンゴからその市に行く人がひっきりなしに国境を越える。越境料金は僅か100フラン(10円)。普段はずっと人が少ない。ましてや雨季は道が悪いのでSolweziまで行くひともまた来る人も限られている。Kipushi税関や入国管理官は僕らがわざわざ悪路を渡ってきたので驚いていた。入管手続き、通関、車の再入国ともにスムーズに行き、とくに意地悪もなかった。クンデ大佐に電話して介入を依頼する必要もなかった。
帰宅すると、マドンナが大騒ぎ、飛びついてきた。庭師のAndreさんにマドンナに食事を用意するようお願いしていたが、実行してくれたようだ。
午後アラン君が来て、「日本カタンガ協会」の打ち合わせ。
電気もつけっぱなしで寝てしまった。23時に起きて、マドンナに食事を用意し、バスに入ろうと思っていたが、それも出来ずぐっすりと寝た。途中目が覚めたのは翌朝4時。
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