Le 10 mars 2010, mercredi
出かけるときはマドンナを営倉にいれておくことにした。マドンナには狭い部屋だろうが6畳の間よりは広い。それでも帰ってきてその部屋から開放すると甘えて大変。飛びついてくる。
Colonelクンダ氏の息子が南アで今年4月大学を卒業する。その後、日本に留学したいという。学部入学か、修士課程。専攻は経済。これはひとつ大使館にきいてみなければ詳しいプロセスがわからない。
それと彼の所有する幾つかのホテルに投資するひとはいないかとの依頼。タンザニアのO氏は候補か。ホテルの宣伝はTVでしているそうだ。
ルサカに行けるかもしれない。シスター・アスンタが旅券の更新にルサカの日本大使館を選んだ。キンシャサでも勿論更新できるが、飛行機代(700ドル)、ホテル代(100ドル以上)が極めて高い。一泊二日。7時間ぐらいで着けそうである。国境の手続きだけが時間を要する。出国ヴィザを既に取得(聞いていた250ドルではなく120ドル、やはりDGMルブンバシの担当Nyemboは相当ふっかけている)。ザンビア入国Visaは50ドル。僕が行く場合は車の保険もかかる。
Le 11 mars 2010, jeudi
昨日溶接工が来て、窓枠の矯正をした。これで横殴りの雨が降っても雨水が部屋に入り込んで部屋が洪水になることを防げるようになった。窓枠の取っ手を真ん中に持ってきただけなのだが、一応隙間なく窓が閉まるようになった。4箇所分の溶接工の代金10 000FC(1000円)。
今日は建具屋が来て、戸6枚に錠前をつけた。これで僕の部屋、台所、トイレ、バス・ルーム、西側の寝室などに鍵をかけることができるようになり、マドンナが進入できなくなった。錠前一組6000FC(600円)、装飾的でなないが、戸が閉まればいいのだ。取付け手間賃5000FC(500円)。
建具屋に犬小屋も頼もうかな。
配管工の仕事は中途半端だったので、まだ残っている。
使用人小屋(boyerie)を目隠しするため葦簀(よしず)を注文している。ルブンバシからキプシ街道に入る手前にGecaminesの銅精錬工場があるが、その工場の脇が湿地帯で、葦簀を作っている。つまり葦(あし)を編んで簾状の板を作成しているのである。これが丁度目隠しにいいと思った。風雨に対する耐久力はないだろうが、仮の目隠しとしては都合がいい。90x160cmの葦簀が作れるというので20枚頼んだ。これをAndréさんが庭で切った木の枝で杭を打ち廻らしたので、それに貼付ける。
雨季。夜になると雨が降る。不思議だ。雷もよく鳴る。
夜になってもお腹が減らない。昼、アスンタさんのところでご馳走になったが、ブカリと呼ばれるトウモロコシの粉で作ったコンゴ風饅頭(中身はない)の所為だろうか、この国で初めて茹でた大きなトウモロコシを一本まるまる食べてしまった所為だろうか。
カタンガ州の経済企画・財務省の参事官ダテンボAggée Matambo Toto氏と面談。カタンガ州の3ヵ年計画は終了。資金不足のため計画倒れになったが、現在5ヵ年計画を策定中。10月ごろに出来上がる。インフラでは鉄道整備に重点がおかれるだろうとのこと。
州政府の参事官カポヤBaudouin Kapoya Mutomb氏と面談。初めてGouvernoratの中に入った。公園のように整備されていた。ここにMoise知事がいるのか。元はチョンベ政府の敷地だったという。AKJの自己紹介。
インフラ省の参事官とのアポは土曜日。今日に前倒しは結局空振り。
Le 12 mars 2010, vendredi
DGM Kipushiでは出国ヴィザを発行できない。ルブンバシのDGMでしか出来ないことが判明した。丁度Kipushiの所長Kabila氏がルブンバシに会議で来ているということなので、ルブンバシに出ることにした。11時半Kabila氏にMulti visaの支払いをした。200+35ドル。Nyembo担当より50ドルほど安い。Nyemboは自分の懐に相当入れている感じである。上手くいけば今日、遅くとも明日には査証が下りる。そうしたら月曜朝にザンビア大使館で入国査証をとる。火曜日早朝、アスンタさんを迎えに行って、Lusakaに出発。なんとかこの段取りで行きたい。マルチ出入国査証にしたのは、7ヶ月以内にまた出ることがあるだろうからである。一回の出国だけなら117+40ドルだそうである。
19時半、Kabilaさんから査証が下りたから、明日の朝ルブンバシで会おうとなった。火曜日出発に一歩近づいた。
久しぶりに床屋Rafaelに行った。いつものように短髪にした。気持ちがいい。でも白髪が目立つなぁ。いっそ金髪にしてやろうかな。1月16日以来だった。この床屋、Alain君によれば、内務大臣など重鎮も来るのだとさ。それはそうとして、問題は今日風呂に入れるかどうかだ。
小さなアボカドもある。Mimbulu村で買ったら100FC(10円)。でも小さいな。子供の頭ほどもありそうなのは500FC。その中間が200FC。今日はそれがなかった。アボカドには老化防止のvitamine Eがあるのだそうだ。コレステロールも減らしてくれるという。奇跡的な果物だ。しかしデザートではなくhors d’oeuvreで食べる。そういえば果物がhors d’oeuvreになるのもそう珍しくない。メロンに生ハム、サラダにグレープ・フルーツpamplemousseが入ることもある。コンゴの人はパンにバターを塗るようにアボカドをパンに塗る。
Le 13 mars 2010, samedi
9時半ルブンバシ。DGM事務所にKabila氏は出勤せず、自宅に来てくれという。彼はルブンバシからキプシに通っている。自宅に訪れると、旅券があった。数次visaがとれていた。Nyemboより正当な料金でこれからもDGMの届出・許可関係を処理してくれそうだ。
11時にインフラ省の参事官カロブエBernard Kalobweと面談。愛想がいい男だが、実力のほどは分からない。25日の大臣とのアポを頼んだ。
新しいことは、Likashi-Kolwesi間の道路整備テンダーが出され、来週中にも落札業者が決まるという。この道が整備されると国境からKolwasiまでの時間が大幅に短縮される。業者は常識的にみれば、中国かForrest社であろう。中国の評判は極めて高い。
珍しく夕方3時間停電。それよりも水の出が悪かったのが問題。11日木曜日も9時から16時まで停電したらしいが、家をあけていたので実害なし。
Le 14 mars 2010, dimanche
快晴。
Rottweilerの記事をネットで読んだ。やはり番犬として生え抜きのわんちゃんである。マドンナが成長したら、恐ろしい番犬になりそうだ。楽しみでもあるが、記事の通りというよりは、愛らしいわんちゃんに育って欲しい。少なくとも今のところ彼女は僕に対して甘えん坊。容姿は精悍そのもの。50kgとなると、今のうち僕も鍛えておかなければいけないかな。ルブンバシにフィットネス・クラブが出来たから、そこに通うか。Anvil Miningのオフィスのとなりである。
Le 15 mars 2010, lundi
朝一番にザンビア領事館で入国visa申請。11時半に来いと言うので、早くもvisaが下りるのかと思ったら、さにあらず、査証代金を払え、15時半に旅券をとりに来いという始末。能率の悪い官僚たちだ。受付に男性、査証の窓口に3人の女性。50ドルもふんだくってのんびりと仕事をしている。云われた時間の1時間前にいってみると、既に出来上がっているではないか。ま、待たされるよりはましだが、時間前に行ってみようと考えたのは、彼女らの目の前にいて時間通りにしろという示威の意味があった。
果たして明日行くルサカの在ザンビア日本大使館はどうであろう。僕がラス・パルマス(スペイン)の日本領事館で旅券申請をしたときはその場で待つこともなく作ってくれた。アルジェの下田大使はテニス友達だったこともあったかもしれないが、大使館に行って待たされたことはない。タンザニアはふざけていた。ザンビア領事館のような体たらくならば、また岡田大臣にメイルをだしてやろう。
キプシ国境に午後行ってみた。乙仲がうろうろしていた。暇だからだろうが、車の通関をするわけではない。こうした業者が国境の税関、警察とぐるになって金をせびるのだ。コンゴのキプシからザンビア側最初の町Solweziまでが120km。中国が整備したとは聞いているが舗装はされていない。その道が雨の所為で相当悪そうだ。行きはカスンバレサからザンビアに入り、帰りはキプシからにしよう。カスンバレサのたちの悪い税官吏や警察に金を巻きあげられるのは敵わない。
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