20 avril 2010

Karibuni Amaz     4月12日~4月15日 du 5 avril au 11 avril 10

Wa Mama Watunzi Supporting Group (Karibuni Amaz)
Le 12 avril 2010, lundi
日本からMarie-Jean(「日本カタンが協会」キュング会長夫人)を尋ねて4人のお客様がみえた。Tさん、Iさん、Kさん、Yさんの一行だ。東京は世田谷のママさんバレーボールチーム「カリブニ・アマスKaribuni Amaz」の方々。だが、唯のママさんバレーボールチームではない。前日成田を出発、Amsterdam-Nairobi経由、今朝10時半にルブンバシ空港に着かれた。大変な強行軍。
僕はあつかましく海苔を買ってきていただいた。数条というところ、沢山いただいた。極上の焼き海苔であった。恐縮。

昼食後お疲れの4人をつれてシスター・アスンタ佐野さんのところへ。いつものように世界一のコーヒーをいただいた。このコーヒー、フェアトレードを扱うNGOなどで日本販売を考えてもらえないものだろうか。

国立ミュゼ(美術館、博物館)にいってみたが15時で閉館。交渉するも不可。

スーパーSparoでミネラル・ウォータを購入してもらってMarie-Jeanの家に4人を送り届けた。みなさん、ご苦労様。バレーボールを通して、当時外交官として東京に赴任していたキュング一家と知り合いになった。IさんはMarie-Jeanの裁縫の先生でもある由。
果たしてMarie-Jeanの夕食はどうだったろう。僕はコンゴの地元料理があまり好きなではない。それは2006年の賄いのおばさんの所為もあるかもしれない。

Le 13 avril 2010, mardi
Tさん一行にキプシのフォステムFostem小学校で合流。Marie-Jean(「日本カタンが協会」副会長兼事務長)の長兄でイタリアに移民しているStéphane Musengeさんが援助して6年前に設立した小学校。FostemとはFondation Stéphane Musengeの略称。運営は地元にいる次兄のNorbertさん(「協会」の参事でもある)。キプシ市の中でも最も貧しい地区の外れに学校がある。
子供たちが校庭にあつまり合唱で歓迎。可愛い寸劇などもあった。月謝は3500FC(350円)。この授業料は公立(4500FC)やカトリックの学校(30ドル、2900円以上)に比べても安い。しかし、その3500FCすらも子沢山の家庭にとってはかなりの負担になり、支払えない家庭がでてきているという。生徒80余名のうち、十数名は両親がいない環境。祖父母の家から通っている。先生は6人。音楽とか算数とか教科ごとに分かれているのではなく、それぞれの先生がすべての教科を教える。この先生たちの給与も滞りがち。
鋼鉄製の椅子、机は州政府からの寄付。黒板は壁をペンキで黒く塗っただけか、板切れ。トイレがまだない。
それでも全生徒が制服を着ていた。しかし、東京の私立の生徒のような立派な制服ではない。中には半ズボンの裾が縫われていない子もいた。一張羅にちがいない。リュックも鞄も持てず、ビニール・サックにノートをいれている子が多かった。
近所からこの学校の生徒ではない子供たちが、何が起こったのだろうと見物にたくさん現れた。裸足の子が多い。この小さな学校、近所の学校にすら通えない子供たちがいっぱいいるのだ。
小学校というけれど幼稚園もある。小学校は今のところ5年まで。来年6年生ができる。そこで教室を増設しているところだ。土台だけが出来ていた。

小学校の歓迎と見学が終わったのが14時。Tさんたちが乗っていた車、『日本カタンガ協会』会長のキュングさんがどこからか借りてきて運転していた車がバッテリー・トラブル。これで昼抜きになってしまった。さらに保険証に問題ありとキプシ入り口で免許証などを取り上げられていたため、ルブンバシに同じ車で帰れない。Tさん一行に僕の車に乗り換えてもらって、僕の家にも立ち寄っていただいた。そしてマドンナと対面。マドンナは日本女性から撫でてもらって大興奮。お腹を出してあられもない姿をさらしてしまった。

UniLu(ルブンバシ大学)で柔道見学。大学の寮の一角に柔道とボディービルディングの部屋があった。Tさんたちにもご同行願った。
10名ほどが柔道の練習。指導者は隣国コンゴのブラザビルで柔道2段を取得した先生。一応みんな柔道着を着ていた。タタミはなく、おが屑を六七センチ敷いて、その上にシートカヴァーを載せている。おが屑が飛び散って髪の毛につく。汗をかいた体にも引っ付く。それでも熱心に稽古をしている。規律がよくとれていて見事である。若者たちの真摯なそして熱心な意気が伝わってくる。小さな体躯で加納治五郎の綽名をもつ青年もいた。
僕は「日本からなんとか師範を呼べるように努力したい。まだその工作の端緒で果たしてどうなるか分からないが、いつか国際試合に出られるようにがんばろう」と挨拶、Tさんも「自分がフランスに留学した当時は、フランス人の柔道家は少なかった。けれど、フランスはその後世界チャンピョンを輩出するまでになった。これからの精進できっと皆様の中からチャンピョンがでることでしょう」と激励。

Le 14 avril 2010, mercredi
朝、ネット不調。夜には回復していた。

10時からTさん一行と一緒。
ルブンバシ郊外のRwashiに土産物を買いにいった。マラカイト(仏語、malachite、マラキット)等の土産である。価格交渉に疲れる。僕はセネガルで見たと同じ2枚板の椅子を30ドルで買った。アスンタさんのフランシスコ会にあるようなマラカイトの壁掛け十字架が欲しかったが売っていなかった。特注だそうだ。

昼はギリシャ・サークル。中華も同じ店で出す。僕はラーメンをご馳走になった。本来なら遠来のお客様に奢っていただくのではなく、僕なり「日本カタンガ協会」でお誘いしたい。けれども、僕にも「協会」にもお金がない。本当に辛い。すみません、Tさん。

博物館閉館10分前に寄ったが、入場を断られた。ラストチャンスは明日朝。

街中にアフリカ・デザインの生地見に行った。70年代は日本の商社がろうけつ染めを大量にアフリカに輸出していたが今は中国なのだろうか。正札にはオランダろうけつと書いてある。一体、アフリカ女性の洋服のデザインは原色を使っていて派手であるが、彼女たちによく似合っている。

Le 15 avril 2010, jeudi
断水。昨夜風呂に入っておいてよかった。

ドルが安定通貨としてこの国で通用していることは既に述べた。ところがすべてのドル札が使えるわけではないことが、ここにきて初めてわかった。つまり2004年以降のドル札でないと使用できないのだ。米ドル札の表にseriesXXXXと年号がふってある。どこの店でもこの番号を調べているようだ。2003年を含めそれ以前の札はこの国では使用できない。ではそうした札を持っているときにそうするか。銀行で換えてくれるのか、要チェックである。

3度目の正直、駆け足で国立博物館を見学。Tさんたちと一緒。2006年に僕が来たときからみると展示が情実しているので驚いた。ルブンバシ動物園もそうだったが、この改善は嬉しい。時間がなく一部しか見られなかったが、文化面も疎かにされていないことを認識した。ガイド付き入場料が1 000FC(100円)である。

ママさんバレーボール、「Karibuni Amaz」のTさん一行が帰国の途についた。ケニアのナイロビからの飛行機が3時間遅れた。疲れましたでしょう。パリで英気を養ってください。
Tさん、Iさん、Kさん、Yさん、本当に遠いところルブンバシまで来ていただいてありがとうございました。毎日が予測しない出来事でお疲れになったと思います。でも、子供たちの笑顔はいい思い出としてお忘れにならないでしょう。
ママさんたちが欧州へ旅立って、穴がぽっかり僕の心に開いたようだ。素晴らしい人たちだった。コンゴに対する偏見の「へ」の字も出てこない。コンゴの、カタンガの人々を同じ地球市民として平等にみてくれた。同情じゃない、それは正に連帯の精神だった。日本も捨てたもんじゃない。こうした「草の根」が確実に育っているのだ。今後ともよろしくお願いいたします。

ところが、アイスランドで火山が爆発、その火山灰で欧州路線が混乱している。多くの航空便がキャンセルされたそうだ。果たしてご一行はナイロビで足止めになったのだろうか。15日の欧州は6000便が欠航となったと報道されている。空港で待つことなくホテルを航空会社が用意してくれていれば多少とも疲れをほぐすことができるだろうが、心配なことである。

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