Le 1er avril 2010, lundi
10時、市役所で都市計画局長カララBenze Kalala氏と面談。ルブンバシ市の5カ年計画の全文を入手した。首都キンシャサ市では今年から既にODAが入っていることを述べ、ルブンバシも考えるべきであると提言、局長は大いに乗り気であった。日本の企業が全く進出していないことに懸念をいだいていた。先ず、5カ年計画、といっても前回副市長と面談したとき、また環境部長と会ったときに知らされているように、この5ヵ年計画はほとんど進んでいないが、計画書にある項目で早急に日本として実現できるものがあるか日本の当局に調べてもらいたいと僕は思う。
11時、市の参事官ロバティKabela Lobati氏と面談。姉妹都市について聞いた。ベルギーのリエージュ市とのことは知っていたが、最近隣国ザンビアのNdola市と姉妹都市関係を結んだそうだ。Ndolaはザンビアのカッパーベルト州の州都。銅の鉱脈はコンゴのカタンガ州と隣のザンビアの州とに跨っているから、この両都市の関係は既に深かった。また、南アのヨハネスブルグ市との姉妹都市の話ももちあがってきており、ヨハネスブルグから使節団が今月来ることになっていると。
日本の都市との姉妹関係も出来ることなら推進したいと市当局は考えている。都市間の外交は国家間よりも話が早いし親密になれると期待している。僕から既に副市長に話している宇都宮市と、代案として仙台市に申し込みをしてみたらどうかと話した。正式に文書で提案をしてくれないかとのことなので、「日本カタンガ協会」としてアイデアをぶつけることにした。勿論日本のどの都市からも頼まれているわけではないから、あくまでアイデアを出すといにとどまる。しかし、姉妹都市というと派手な欧米、なたは流行の中国でないと日本の都市はなかなか相手にしてくれないかもしれない。
昨日、一昨日、家にハエが一匹いた。あまり多くはいないが、ハエは蚊に続いて僕の敵である。新聞紙を丸めて叩こうにも新聞紙がない。ルブンバシの中国系雑貨店なら売っているかと思って立寄ったが、ないという。しかし、テニスのラケットとバトミントンのラケットの中間くらいの大きさのラケット型の電気 ハエ取りを勧められた。電池は充電式。アルジェリアで散々中国製の充電式懐中電灯を買ったが、「安かろう悪かろう」で全て粗悪品だった。4000FC(400円)だから仕方ないか。試しに買うことにした。スイッチをいれて、ネットに何かが当たると「パチッ」といって火花が散る。ハエが感電するするんだって? しかし、これはマドンナの玩具になりそうだ。
16時に帰宅してみると、また停電ではないか。参ったなぁ。しかし、18時に回復。今日は夕食をつくれそうだ。
朝食にマドレーヌを買っているが、ゴッフルにしようかと思う。作り方は簡単。小麦粉、玉子、砂糖、水そしてベーキング・パウダーを混ぜて焼けばいいだけの話。道具はジャンボで売っている。とっておけるから作り置きができる。
Le 2 avril 2010,,vendredi
へとへとに疲れた。朝5時起きをしてKiniamaに行ったのである。Kiniamaは「キニヤマ」と聞こえる。日本の地名のようだ。丁度僕が住んでいるKipushiからルブンバシを挟んで対極にあるザンビアとの国境の村である。ルブンバシから北北東に125km。この村にキュング氏が83年に手に入れたという22haの農園がある。そこをキュング夫妻と彼らの親戚でもある僕の庭師アンドレさんと訪問見学するドライブだった。しかし、それはザンビアの山越えをした3月18日に続いて悪夢の紀行となった。
道は空港の裏手を回るようにして続く、舗装はされていないが比較的整備ができた道である。場所によっては120kmで走行できた。しかし、Kiniamaの手前11kmで、橋が壊れていて車でアクセスできない。オートバイの後ろに乗るか歩行しかない。壊れた橋の手前の部落でオートバイ2台を借りた。運転手つきである。運転手にしがみついていないと振り落とされる。以前はKiniamaまで車が通れたそうだが、橋が壊れてから10年以上経つ。道は最早オートバイがやっと通れるだけの幅しかない。雨季の所為で水溜りがところどころにある。オートバイの性能も悪く人が乗ったままでは越せない水溜りもある。その場合は水溜りの中を歩かなければならなかった。こんなことをしなければ行きつけないとは聞いていなかった。どんだaventureである。11kmを超えるのに1時間以上かかった。途中に部落が点在する。電気・水道がない。いかにも旧来のアフリカというイメージのパヨット(藁葺き屋根の四画や丸の家、壁は土)である。パヨットを僕は非近代的な未開の家とは思わない。気候にあった生活の知恵が生み出した家でもあるのだ。
Kiniamaにも修道院と教会、そして付属の小学校があった。教会は滔々と流れる川にかかる橋の真正面にあり、20世紀初めに宣教師が来た往時を偲ばせる。今は荒れ果てたその横の修道院でAbbee Godefroid Kilimba神父が教区を守っている。彼にはKiniama村に向かう途中の水溜りで会った。神父もヤマハのオートバイを運転していた。初めは神父さんとは分からず、村の若者かと思った。
Kiniamaに向かう途中にlodgeがある。8 000ha(間違いなく8千ヘクタールである)という広大な土地にホテル($150)、レストラン、遊園地、オーナーの自宅等が建設中。一部は完成していた。牛や豚、山羊等を飼っているだけでなく、ダチョウ、ワニなども飼育している。オーナーは在キンシャサのコンゴ警察のトップMumbi将軍(inspecteur général de la police nationale)。150名の従業員が働いているという。しかし、一介の将軍がどうしてこのような広大な土地を取得し開発できるのだろう。とても採算があうように出来ているとは思えない。
やっと20時に帰宅できた。降るほど星が奇麗にみえた。見事。入り口のランプがついていた。しかし水が出ない。それ以上に、マドンナが暴れていた。サロンのカーテンを全部引きちぎってしまった。彼女のヒステリーにも参った。朝からたった一人にされて、外にも出られなかったのだから、マドンナの気持ちはわからないでもない。それにしても気の強いrottweilerである。早く犬小屋を作ってあげないといけない。
le 3 avril 2010, samedi
ワッフル・メーカーを買いにルブンバシにでた以外、一日休暇。
le 4 avril 2010, dimanche
復活祭。paques。
フランシスコ会修道院でお昼をご馳走になった。
15時、在ルブンバシの加藤さんも修道院に来られた。米系NGOで活躍されている方。「The Center for Victims of Torture」(拷問犠牲者のためのセンター)のコンゴ責任者。初めはPwetoに、今はタンガニーカ湖畔の町モバMobaが中心でトラウマをかかえた戦争犠牲者たちのケアにあたっている。避難民というともっと北のゴマなどが有名だが、カタンガ州の東北端もにも戦争犠牲者が多い。それでも今年中に全て帰郷したり、他の土地に移住できるようにしたいと。ルブンバシに事務所を開設、現地には飛行機で通う由。加藤さんはアメリカの大学を出ているが、フランス語も堪能。頼もしい方の知己を得た。
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