26 mars 2015

3月25日 日本大学付属板橋病院 Hopital Universitaire de Nichidai (Itabashi, Tokyo)

Le mercredi 25 mars 2015
5時半、晴れ。

日大板橋病院に約束の時間に30分遅れて到着した。僕が歩くと血尿がでるので、妹に無理してもらって車で都内に入った。首都高速の混雑と複雑なジェットコースターのルートのため迷ってしまった。カーナビが最初動かなかったこともある。
病院につくとAさんが先ず、診察券の発行など手続きを助けてくれた。泌尿器科に限らず玄関からどこの科も待っている人々で埋まっていた。大きな病院である。
泌尿器科のY先生(准教授)がほどなく診察室にいれてくれた。Y先生は極めて人あたりの柔らかく、十分な説明をしてくれた。
エコグラフィー(音波)、MRI(磁気共鳴画像)検査をしたが。そのたびに画像の解説をしていただいた。ルブンバシにも民間の中国人医師のところにMRIがあるらしいがドン・ボスコ病院にも大学病院にもない。結果、前立腺は通常の2倍で約42グラムと肥大してる。薬で治すのは無理だろう、手術が必要との診断をいただいた。
今日は午後2時半採血をしてから、会計を済ませて15時半に病院を出た。
超特急である。Y先生のご協力・ご理解、また事務方W氏のお口添えのおかげである。

Y先生が2Lの袋を下げて生活をするのは辛いでしょう、カテーテルのジョイントにプラグを差し込めば袋は就寝時につけるだけでいいだろうとおっしゃってプラグを手配してくださった。簡単なプラグなのだが、ルブンバシにはない。だから2か月半袋をぶら下げて毎日を過ごしてきた。全く僕にとっては革命的なアイデアをY先生が提示されたのだ。カテーテルはまだ外せないが、袋からは解放された。

次回の診断アポイントメントは28日(土)11時半となった。これも板橋までの距離を考慮されたためと思う。ありがたいご配慮である。この日、手術日が決まるかもしれない。
日大板橋病院
大変大きな施設
超近代的
コンピュータリゼイションが進んでいる
ルブンバシの病院と東京の病院とを比べるのは意味がないかもしれない。しかし、それは建物だけの話ではない。医療機器、医者の知識、技術だけの話でもない。すべてにわたって格差が大きすぎるのである。
医療保険制度、行政から始まってインフォームド・コンセントまでアフリカの医療は「遅れている」という言葉では済まされない。
病院建設、医療機器の提供には海外から多くの援助が寄せられている。爆発する人口の前に現在の援助が十分であるとはいわない。けれどももっと抜本的な医療制度改革が必要だと僕は思う。
サンカラ(ブルキナの暗殺された大統領)が医療を無料にしたと評価しているひとがいる。僕はその当時のブルキナを知らない。しかし、無料である医療の実態を知らずに評価するのは無責任である。
その時代、米ソ東西冷戦に組しないといいながら実はソ連陣営に政治的に近かったアルジェリアのブームディエンヌ体制下に僕は暮らしていた。医療は無料だった。学校教育も無料。原油収入が国家財政を支えていた。

テニスで怪我をしてアルジェ大学付属病院で数針縫ってもらったこともある。しかし、僕がいた9年間、医療の質は確実に低下する一方だった。フランスに留学した医学生は帰国しなかった。医療が無料だということは、必ずしも国民生活の向上に供していなかった。原油からのお金をもってしても無理があったのである。

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