06 juin 2010

6月3日 le jeudi 3 juin 2010 ネット回復 rétablissement de la connexion Inernet

Le 3 juin 2010, jeudi
快晴。微風。

今朝もネット不通。アスンタさんにお世話になる。その後アスンタさんとKafuvvuのカテドラルを見学。柔道家からの緊急連絡で16時にフランクラン君の待つ大学病院へ。フランクラン君の用事は下記するが、一緒にVodashop Lubumbashiへ。やっとネットが通じるようになった。原因は人的ミス。PCや回線の所為ではなかった。月曜日に早くも僕は、その可能性をキプシのVodashopで指摘していたのだが、先入観からだろう、よく調べてくれなかったのだ。
17時にネット回復。人騒がせである。次回の支払い時にトラブルがないようにしたいが、ミスを回避するには、インプットを人の手でしないことか、ミスを発見する回路を作るしかないだろうが、現状ではそれは絶望的だから、トラブルは繰返されるだろう。ま、少なくとも6月末、7月初めまではなんとかまともにネットに接続できることを期待する。

ブカリの作り方(訂正)。
シスター・アスンタ佐野さんのところの調理師さんに教えてもらった作り方である。
先ず材料はトウモロコシの粉だけ。先ず冷たい水を用意し、その中に少量(50g程度)のトウモロコシの粉を入れ沸騰させる。お湯が薄い糊状になる。沸騰したら更に500gの粉を入れ再び沸騰してきたらよく掻き回す。パスタの生地状になる。別の容器にいれくるりと回すと塊ができる。これでブカリの出来上り。米を炊くときに塩をいれないと同様に調味料は一切入れない。

国際柔道連盟(IJF)が僕の要請に応えてくれそうだ。国際連盟がキンシャサにあるコンゴ柔道連盟に連絡をしてきて、cargo readyだがコンゴの本部たるキンシャサに柔道着、タタミ等を送ってよいかときいてきたそうだ。IJFから直接連絡がなく、フランクラン君から聞かされて驚いた。キンシャサに送られては、ルブンバシには確実にとどかない。クレームしても「後の祭」になる。先ずキンシャサからルブンバシまで送る手段が高くつく。それにキンシャサはルブンバシのことを考えるよりも先に自分たちのことを考えて「ネコババ」するに違いない。
ともかく国際柔道連盟(スイス)反応があってうれしい。全日本柔道連盟は全く音沙汰なし。無視されている。少なくとも今のところ。

04 juin 2010

右ハンドル車輸入禁止 interdire l'importation des véhicules avec volant à droite

RDC(コンゴ民主共和国)の道交法では、車はヨーロッパ大陸と同じく右側走行である。カタンガ州も例外ではない。しかるに、見るところ80%以上が右ハンドル車。右側走行で右ハンドルは事故のもと。そこで州のインフラ・運輸大臣が6ヶ月の猶予期間をおいて右ハンドル車輸入および販売の禁止措置をとることにした。
大型ドラックはVolvo、Ivecoなど欧州から輸入され左ハンドルである。しかし乗用車、ミニバスなどは日本、ドバイ、南アからの中古車輸入で多くが右ハンドルである。僕の車は日本車でも左ハンドルだが、むしろ珍しい部類に入る。道路事情が劣悪であるのに加えて、右ハンドル車の追越しは本当に怖い。
しかし、同様の通達がキンシャサ中央政府から2008年に出されているが、全く守られていない。今回のカタンガ州の通達もこのままでは無視される可能性が高い。通関時にチェックを実施するのか、改造工場をルブンバシに作るのか、具体的な措置に触れていない通達では実施が危ぶまれる。
以下はdigitalcongoの記事。
Lubumbashi, 31/05/2010 / Economie
Un délai de six mois est accordé aux importateurs de ces véhicules pour écouler leurs stocks. Après ce délai, la décision sera de stricte application. Le ministre provincial des Infrastructures et des transports, Laurent Kahozi Sumba, a pris une décision interdisant l’importation et la vente des véhicules avec volant à droite au motif que ces véhicules ne sont pas conformes au code de la route de la RDC et étant à la base de nombreux accidents de circulation à cause du faible angle de visibilité du conducteur en cas de dépassement.Ces véhicules souvent en provenance du Japon, des Emirats Arabes Unis et parfois de l’Afrique australe où l’on roule à gauche, sont attirés par les importateurs congolais et autres en raison de leur prix bon marché.Cette décision du ministre, grommelle-t-on à Lubumbashi, risque de tomber dans les oreilles des sourds et son application se ferait attendre, car deux véhicules sur trois en circulation au Katanga et dans les deux Kasaï, constate-t-on, ont les volants à droite.Une décision similaire prise en 2008 par le gouvernement central de la RDC n’a jamais été exécutée, notent les observateurs. Une autre décision prise en son temps d’interdire la circulation des véhicules aux vitres fumées est restée sans effet, rappelle-t-on.

03 juin 2010

マドンナ 満5ヶ月 Madonna, 5 mois accomplis

疾走するマドンナ



(bonjour à tous !)
マドンナ5ヶ月目の誕生日(6月2日)の姿である。仔犬の顔から大人の顔になってきた。

チコちゃん7週間 Chico 7 semaines

あくび


チコです。家に来て5週間目、生まれて7週間(誕生日は4月8日としました)。

6月2日 le mercredi 2 juin 2010 マドンナとチコ Madonna et Chico

Le 2 juin 2010, mercredi
曇り。かなり寒い。

ネットなお不通。

昨晩から歯痛。激痛ではないが、歯茎が腫れている。歯医者には行きたくない。ドン・ボスコ病院に歯科がある。日本語と中国語が達者なコンゴ人E君(『コンゴ日誌』(2006年参照)は、一昨年からキンシャサの対面にある隣国コンゴの首都ブラザヴィルで中国系企業で働いているが、その彼がドン・ボスコの歯医者の世話になったことがある。まぁまぁらしい。しかし、日本とスイスの歯医者は世界最高水準の技術と設備を誇っている。大抵の国の歯医者は、歯痛などというと直ぐに抜歯してしまう。患者もその方が安いから承知する。歯が痛い度に抜かれていては堪らない。アルジェにドイツ人の歯医者がいた。ドイツ人だから医療技術も高いかもしれないと思って行ったら、彼も抜きましょうと宣った。

「あれしちゃいけない、これしちゃいけないって煩いわね。電気のコード、紙屑かご、蚊帳って面白いのよ。第一、田邊さん、遊んでくれないじゃないの。ご飯を作ってくれればいいってもんじゃない。聖書にだって「パンのみにて生くるにあらず」って書いてあるわ(L’homme ne vit pas seulement de pain、ルカ伝4.3)、かまってちょうだい」とチコ君。「でも、君ねぇ、噛んだり、引掻いたりするからな、また爪を切ってあげる」、「いいわ、痛くしないでね」

今日でマドンナは満5ヶ月である。まだ吼え方を知らない。誰にでもじゃれつく。それでも、もう身体が大きいから怖がられる。マドンナにいわせれば、「あたしって不幸だわ。もうお家の中に入れないし、一人狭い小屋に閉じ込められて、ちっとも遊んでくれない。特に、あの仔猫がきてからというもの、一日に一回ボール遊びをしてくれるだけ。それだけじゃ足りないって分からないのかしら。まだ子どもなのよ。愛されてないんだ、あたしって」、「そんなことないよ。大好きなマドンナちゃん、今日は誕生日、君の好物、骨付きのお肉をちゃんと買ってきたからね。お誕生日おめでとう」

今日一日ネット不通。Vodacomに競争相手がないことも問題なのだろう。携帯電話会社はあと3つある。Zain、Celltel(中国系)、Tigoだ。Zainはタンザニアやザンビアでつかった。Tigoはセネガルやタンザニアでも営業していた。セネガルにはフランス系のOrangeが進出している。僕はOrangeを利用した。ここでも一応VodacomのalternativeとしてZainも持っている。Zain社にもネットサーヴィスがあるが、Kipushiではできない。それに今日は水曜日でVodashop Kipushiは昼間での営業。どうしようもない。

コンゴ(RDC)は食料輸入国である。主食はマニョック(芋)の粉とトウモロコシの粉を混ぜて作った蒸しパン(カタンガ州ではブカリという)。トウモロコシを輸入していることは既に書いた。米も輸入である。隣の国タンザニアでは日本が農業指導をして水田耕作をしている。ダル・エス・サラムからの道すがらに見た。ここでも稲作が出来るはず。雨季ともなれば水田をつくるのに十分な雨がふる。カタンガ州では無理だろうが、エクワトゥールEquateur(赤道,、エカトゥールではない、発音例外)州なら二毛作も出来るかもしれない。僕の買っているのはイタリア米。キロ550円。リソット用だが炊飯器で炊けば日本米とさして変わらない。

韓国映画『My Brother』をDVDみた。韓国映画というと一時は戦争、スパイ、暴力映画が多かったように思う。この映画は違う。日本語吹替えで見てから、韓国語で見直した。心温まる映画といえる。生活のリズム、学制、受験等々日本と似たところが多い韓国社会だ。ラストは運命の悪戯というには悲劇としか云いようがない。後悔先に立たずか。兄弟でも仲がいいことの方が珍しいかもしれない。よく仲のよい友だち関係を兄弟と比べるが、そこには幻想があるのではないか。
そういえば、Moon君といういわゆる在日韓国の若い友達がいた。フランス語を話すのは余り得意ではなかったが、プルーストを一緒に読んだときの解釈は鋭かった。韓国語は大学に入ってから覚えたようだ。剣道が強かった。2005年ころ、彼に会いにソウルに行ったことがある。一旦日本に帰国してから、彼は韓国の大学の日本語教師になった。どうしているかな。連絡をとりたいがメイル・アドレスがみつからない。もう一つのPCの中にあるかもしれない。
コンゴの家族は10人なんてざらである。小さな女の子が赤ん坊(妹や弟)を負ぶって水汲みをする、近所にお使いにいく。男の子が赤ん坊を負ぶっているのはみたことがない。

6月1日 le mardi 1er juin 2010 ソニー・ラブ・タンシ他 Sony Labou Tansi, etc

Le 1er juin 2010, mardi
朝霞。広範囲に雲がたちこめた。雨にはならない。肌寒い。セーターを着込んでいる人もちらほらといた。

ネットは相変わらず不通。PCを持ってアスンタさんのところに行こう。今朝のアポイントはAMO。エイズ患者の診療所。そのあとに寄せてもらう。
とんちきなVodacomにはほとほと疲れさせられる。ルブンバシに行ったついでにVodashopに寄ってクレームしたが、担当者は「待つ以外ない」と宣言。

前もって(土曜日)注文しておいた牛肉をMegastoreで受け取った。フォンデュ用に切っておいてもらったのである。ブルギニョン用に角切りにしたのではなく、フランスやスイスでいうシノワ(中華風)だから、すき焼用より本当はもっと薄めに切る。出来上がりは、まぁまぁだった。これを一部は今夜バタ焼きにしよう。残りはどうするか後で考える。すき焼用やしゃぶしゃぶ用にヒレやサーロインを肉屋が切るのはヨーロッパでは常識である。ルブンバシでもそれが出来る店がある。

ネットをアスンタさんのところでやらしてもらった。メイルの返事を数本、またキンシャサの日本大使に「日本カタンガ協会」の自己紹介メイルをだした。ブログは、明日もネットが家から出来なかったら木曜日にアスンタさんのところから更新しよう。手際よくできるように準備がいる。
ブログ『アフリカの星』および『日本カタンガ協会』がByoolさんのところで5月30日から掲載されだした。ありがたいことである。ブログのアクセス数が増えることを期待する。カウンタを設けていないのでわからないが、Byoolでのアクセスの場合、メイルで報告していただける。
http://www.byool.com/

ソニ・ラブ・タンシSony Labou Tansiの『La vie et demie生涯半』(邦題『一つ半の生命』で翻訳がある)を読み出した。これはベケットやイオネスコ、カフカ、日本では先日亡くなった井上やすしにも匹敵する面白い作品だ。作者は両コンゴ(キンシャサ・コンゴの父とブラザヴィル・コンゴの母)の間に生まれた。通常ブラザヴィル・コンゴの作家とされる。こんな作家が出てくる土壌がアフリカにあるということは文化の成熟度が高まっているといえる。

エイズ患者を支援する団体「Amo」の診療所をルブンバシ市のケニア地区に訪ねたが、この訪問については、ネット回復後別途書く。

5月31日 le lundi 31 mai 2010 ダリダ他 Dalida, etc

Le 31 mai 2010, lundi
晴。かなり強い風あり。

朝からVodashopでネット接続のクレーム。Oliviaは9時開店なのに15分送れて出社。それから待つこと1時間半、彼らのネットが通じないという。何時まで待てばいいのだ。10時半に一旦帰宅。12時前に再びVodashopへ。「Patience !」だって。問題は認識されたからあとは「待つのみ」だという。もう十分に待ったではないか。遅滞なくネットに繋がったのは開始時の1月とあとは4月だけだ。毎回悪夢。焦っても仕様がないとはいうものの、緊急時はシステムがおかしければ、マニュアルで修正できるはずだ。

ネット不通と昼間の断水が重なって、いらいらが増す一方だ。

ダリダDalidaの歌を聴く。フランスでは世代が変わってもまだ彼女のファンが多い。僕が初めてダリダの歌を聴いたのはアルジェにいたときである。港を見下ろすアルジェの丘の家に間借りをしていた。テレムリー地区である。その家には25くらいの長男と小児麻痺の障害をもつ次男と長女と母親が住んでいた。その家でラジオから流れてきた『ジジ・アモローゾ(Gigi amoroso)』に、これぞ僕が探していた地中海のシャンソンだと思った。誰が歌っているのか知らなかった。数ヵ月後パリに行きカセットを買った。そして初めてダリダの写真をみた。飛切りの美人だった。それはそうだろう。若いときに「ミス・エジプト」に選ばれているのだから。彼女の歌には哀しい物語が多い。『Mourir sur scène舞台に死す』、『Il venait d’avoir 18 ans彼は18になったばかり』、『Fini la comédie喜劇はお仕舞い』、『Avec le temps時につれて』等々。『ジジ・アモローゾ』もペーソス溢れる。ダリダ自身悲劇的な恋が多かったようだ。彼女が自殺したのを知ったのは、カンヌの海岸でその日の新聞を陽に当たりながら読んだ時だ。ショックはショックだったが、「嗚呼、逝ってしまったか」という感慨だった。栄光もあったろうが、不幸を背負って生まれてきたような歌姫だった。

日本大使と電話で初めて話ができた。「日本カタンガ協会」のことを全く知らなかった様子。僕が邦人登録をしたときに報せている。キンシャサの大使館からきたF氏から報告を受けていないのだろうか。突然の電話でおもいだせなかったのかもしれない。メイル・アドレスを教えてくれなかった。F氏を介して連絡せよ、とのこと。慎重である。大使ともなれば当然の自己防衛であると理解しよう。

5月30日 le dimanche 30 mai 2010 クラシック音楽他 la musique classique

Le 30 mai 2010, dimanche
晴。のち快晴。風あり。

2006年の『コンゴ日誌』の一部を読み返した。誤字が多い。恥ずかしい限りである。今もブログ『アフリカの星』や『日本カタンガ協会』で誤字が多いのだろう。校正が難しい。いや、何回も見直さないのは怠惰なだけである。読者には申し訳ない。

ネット不通。これは月曜日に朝にクレームに行ってはじめて埒が開くというものだろう。のんびりしたものだ。

バイブルを買った。フランス語版。日本語は厚く重いので東京に置いてきてしまった。ルカ伝から再読。ルカは医者だ。だが、スイスでの僕の親友の名前でもある。

この家が誇りっぽい原因はどうも風向きによっては風が砂誇りを300Mほどルブンバシ寄りの採石場から運んでくるからのようだ。ざらざらした砂ではない。超微粒の砂である。採石場といっても正に手掘りで、多くの子どもたちが働いている。児童労働の拠点でもある。安くて質がいいらしくルブンバシからも買い手がくるときいた。

バッハのブランデンブルグを聞きながら書いている。全曲が1時間47分。しかし忙しい曲である。歌舞伎は通し狂言だと数日かかる演目もあったはず。しかし、歌舞伎や文楽の人形芝居は全体の論理を追及しないから、小話が独立している。ではこのブランデンブルグはどうなのだろう。小刻みに切って演奏されることもあるのだろうか。楽章で切ることはありそうだ。しかし、それは本来作曲家に対して失礼だろう。
家で静かにクラシックを聴くのは落ち着く。アルジェリアはコンスタンティーヌのフランス文化会館では、時折、フランスから演奏家が来て演奏会や歴史や哲学の講演会を催してくれた。僕は唯一の日本人会員だった。日本人キャンプでは基本的に夜間外出禁止になっていた。僕はだから隠密に出かけたのだが、そうすると会場でTVインタヴューをうけたりする。インタヴューは致し方ない。しかし、演奏会はちょっと気が重かった。というのは、アルジェリア人聴衆の態度の悪さである。演奏中にフラッシュをたいて写真を撮る、携帯でメイルをする、途中で出たり入ったりする。こんな聴衆は見たことがない。よくぞ演奏家が我慢していると思う。会館側で演奏前に注意を促してくれるように電話でも話したし、直接会館の人に依頼したこともある。効果はなかった。ここコンゴではどうだろう。外国人を排斥したアルジェリアとは違うから、ヨーロッパ人が来るのでまともかもしれない。仔猫のチコは夕食時なのに珍しく騒がず、大人しく音楽に聴き入っている。

チャイコウスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いていたら『北京バイオリン』を見たくなった。陳凱歌(Cheng Kaige)監督の作品だ。初めてCheng Kaigeの作品を見たのは、パリのレ・アル(昔の中央市場)の地下映画館、『Adieu, ma concubine』だった。いつのことだったろう。中国に凄い監督が現れたと思った。国が上昇気流にあるとき、芸術・スポーツ分野にも逸材が登場する傾向がある。

5月29日 le samedi 29 mai 2010 結納金・品他 La dot, etc

Le 29 mai 2010, samedi
晴。多少雲あり。

朝一番でネット料金の支払いをキプシのVodashopでした。直ぐに有効にしたというが、出かける前にチェックしたら、ネットが通じなかった。SMSでクレーム後外出。16時半に帰宅してネット接続を試みるも通じない。全く無責任。多分土曜だからキンシャサの相手がいなかった等々の言い訳を後になってするのだろう。
今日はPCもよく落ちる。またoverheatか。扇風機をつけたら堕ちないのだから不思議だ。その論理がわからない。偶々なのか、原因があるのか。

26日にla dot(結納金品)のことを書いた。家の向かいの携帯電話会社に勤めているEric君は3月末に結婚した。婚約をしたのは数年前のこと。その折、山羊4頭、塩1袋、パーム・オイル2缶等800ドル相当の贈り物をしたという。800ドル(72 000円)といえば彼にとって可也の金額である。奥さんは幼友だちである。それでも大家族と大家族の結婚になる。奥さんは既に妊娠した。来年Eric君は父親になる。子どもは6人欲しいらしい。「そんなに育てられるのか」と訊くと、肩をすくめた。子どもを沢山作らないと一人前と周りから看做されないのだ。

フランシスコ会の産院の見積もりをアスンタさんとした。建築家Josephは1600M2の建屋を提案している。しかし、それは診療所部分も含んでいる。その部分を除いて、産院だけにすると700M2ほど減る。すると総額も30万ドルを少し上回る程度になる。これなら、大使館と交渉できるのではないか。

アラン君のハード・ディスクが壊れて新しいHDを買った。デスク・トップに内蔵されるHDだが、なんと500ジガ。100ドル。同じ店で、2006年僕は外付けHDを買っている。そのときは120G。100ドル以上したと思う。

夜、ネット出来ず。読書。

5月28日 le vendredi 28 mai 2010 小説『郵便為替』(ウスマン・サンベーヌ)他 roman≪Le Mandat≫(Ousmane Sembène), etc

Le 28 mai 2010. vendredi
快晴。

エイズ予防・患者支援のNOP「AMO」訪問。町村単位でエイズ・テスト(任意)を行い、陽性者の治療をしている。コンゴは幸いにして、南アと比べて性行動が違うこと(思春期に入って直ぐに性行為に及ばない、社会的抑制)、注射による麻薬摂取者が少ないことから患者数が少ない。とはいえ、エイズに対する知識が不足していて、たとえばカスンバレサ地域(ザンビアとの国境)では爆発的に患者が増えている。これは国境地帯という特殊性のため外国人の出入りも激しく、また多くのプロ(セックスを商売とする女性)がいるためであるという。プロは比較的エイズの恐ろしさを知っており、予防策を講じているが、客の要請により少しの金で予防策をあきらめてしまうことも多々ある。
予防対策のキャンペーンもカタンガ州各地に出かけて行って実施している。そのための移動車も2台ある。またキャンペーン用のパンフを始め、ポロシャツや帽子などもあった。
「AMO」は多くの国際機関の支援を受けている。またザンビア、南アの関連団体とも交流している。入院施設はないが、診療・治療施設がルブンバシに2ヶ所ある。そのうちの一つを来週見学することになった。テスト、診断、治療(薬)等全て無料である。

ルブンバシのフランス文化センタの図書館の会員になった。さっそくアフリカの小説家の本を借りた。ひとつはセネガル人作家Sembène Ousmane『le Mandat郵便為替』(1965)、今一冊はコンゴ(RDC)の作家Pius Ngandu Nkashamaの『La Mort Faite Homme人を作った死』(1986)。アラン君が高校の時に読んだ本だそうだ。
サンベーヌは映画人としての方が有名かもしれない。
小説『郵便為替』は、フランスに移民した甥から郵便為替が主人公Diengのもとに届いたことから全ての悲喜劇が始まる。筋は単純だが、セネガルの社会が浮き出ている。1960年代の社会だが、今も変わらないだろう。しかも、大筋コンゴにもあてはまる。イスラムとキリスト教と国の宗教はことなるもののコンゴでも似たり寄ったりの事件が起こりそうである。キーワードは「正直者は馬鹿をみる」(L’honnêté est un délit de nos jours)。サンベーネはフランスにドッカー(港湾労働者)として出稼ぎに行っていたことがある。またフランス共産党に入党したらしい。しかし、筆致は『蟹工船』などとは違う。ずっとエスプリが利いている。僕はアルジェリアやコンゴでの毎日を振返り、苦笑することしきりであった。
Nkashamaの方は、大学人としてフランスやアルジェリア(アンナバ)、コンゴはルブンバシで教鞭をとり、今はUSAの大学の仏語仏文の先生をしているらしいが、この作品は冗長でぐるぐると同じことを繰返し、重くて退屈至極。デモをして15年の刑を言い渡された学生の刑務所での夢想。一つひとつのフレーズは意味の深いことを云っているのに退屈する。飛ばし読みをしてしまった。

Gaston司教から返事がきて、契約の変更要請を受諾した旨の内容。一方、ムラプ神父からは、ごたごた言われてたまらないから賃貸契約を破棄しようという手紙。全く内容が違う。司教は神父の上の上の人のはずだがなぁ。ムラプ神父はそんなこといっていいのか。出て行けというなら出て行ってもいいが、面倒なんでね。わからずやの神父だ、ムラプは。