Le 31 mai 2010, lundi
晴。かなり強い風あり。
朝からVodashopでネット接続のクレーム。Oliviaは9時開店なのに15分送れて出社。それから待つこと1時間半、彼らのネットが通じないという。何時まで待てばいいのだ。10時半に一旦帰宅。12時前に再びVodashopへ。「Patience !」だって。問題は認識されたからあとは「待つのみ」だという。もう十分に待ったではないか。遅滞なくネットに繋がったのは開始時の1月とあとは4月だけだ。毎回悪夢。焦っても仕様がないとはいうものの、緊急時はシステムがおかしければ、マニュアルで修正できるはずだ。
ネット不通と昼間の断水が重なって、いらいらが増す一方だ。
ダリダDalidaの歌を聴く。フランスでは世代が変わってもまだ彼女のファンが多い。僕が初めてダリダの歌を聴いたのはアルジェにいたときである。港を見下ろすアルジェの丘の家に間借りをしていた。テレムリー地区である。その家には25くらいの長男と小児麻痺の障害をもつ次男と長女と母親が住んでいた。その家でラジオから流れてきた『ジジ・アモローゾ(Gigi amoroso)』に、これぞ僕が探していた地中海のシャンソンだと思った。誰が歌っているのか知らなかった。数ヵ月後パリに行きカセットを買った。そして初めてダリダの写真をみた。飛切りの美人だった。それはそうだろう。若いときに「ミス・エジプト」に選ばれているのだから。彼女の歌には哀しい物語が多い。『Mourir sur scène舞台に死す』、『Il venait d’avoir 18 ans彼は18になったばかり』、『Fini la comédie喜劇はお仕舞い』、『Avec le temps時につれて』等々。『ジジ・アモローゾ』もペーソス溢れる。ダリダ自身悲劇的な恋が多かったようだ。彼女が自殺したのを知ったのは、カンヌの海岸でその日の新聞を陽に当たりながら読んだ時だ。ショックはショックだったが、「嗚呼、逝ってしまったか」という感慨だった。栄光もあったろうが、不幸を背負って生まれてきたような歌姫だった。
日本大使と電話で初めて話ができた。「日本カタンガ協会」のことを全く知らなかった様子。僕が邦人登録をしたときに報せている。キンシャサの大使館からきたF氏から報告を受けていないのだろうか。突然の電話でおもいだせなかったのかもしれない。メイル・アドレスを教えてくれなかった。F氏を介して連絡せよ、とのこと。慎重である。大使ともなれば当然の自己防衛であると理解しよう。
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