快晴。風あり
コンゴの歴史を振返ってみる。
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6万~7万年前、コンゴを含む赤道アフリカやタンザニア、ケニア等に広くピグミーpygméeが住んでいた。今や、アフリカのピグミーの総人口は20万を切っているようだ。そのうち5万のピグミーがコンゴ(RDC)の国民だ。紀元前2000年あたりから紀元500年にかけて、北からバントゥbantousがコンゴ地方に押寄せてきた。民族の大移動である。バントゥはナイジェリア、カメルーンを起源とする大民族である。バントゥがコンゴに農業と鉄をもたらした。また、彼らがコンゴKongo、ルバLuba、ルンダLunda王国を築いていくのである。
(続く)
コンゴの歴史は僕にとっても勉強である。僕たちはアフリカ人といえば、独立後は別としても「土人」というイメージが強かった。それは僕らの世代では『少年ケニア』の影響か、映画『キング・コング』、『ターザン』に登場した「土人」の所為なのか。欧州では、ベルギーの漫画家Hergeの『タンタンの冒険Les Aventures de Tintin』シリーズに出てくるアフリカ「土人」である。フランス語圏でタンタンをしらない人はいない。最近そのシリーズ中の『Tintin au Congoタンタン、コンゴに行く』が、コンゴ人に批判されて、「人種偏見だ、輸入禁止にせよ」などと騒がれている。
しかし、本当にアフリカ人は無知で原始的な、あるいは野蛮な「土人」だったのだろうか。フランスでもindigèneを使わずautochtoneというように、日本では原住民と言い換えられているが、真相はどうなのだろう。ヒントをくれたのは他ならぬコンゴの作家ソニー・ラブ・タンシである。
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