Le 21 juin 2010, lundi
快晴。清清しい陽気。
コート・ディヴォワールの作家アマドエゥ・クルマAhmadou Kouroumaの遺作『Quand on refuse on dit non厭なときはノンと言え』を読み終えた。文庫本140ページの短編で、未完の小説であった。
タイトルの言葉は、作品の初めの方にでてくるが、サモリー・トゥレSamory Touréの言葉らしい。マリンケmalinke人サモリーはウアスルOuassoulou帝国を19世紀後半に興した。ウアスル帝国(Wassoulouとも書く)は、現在のマリ、ギニア、ブルキナファソに跨る帝国である。サモリーは帝国の拡大を図るとともに、当時侵略してきたフランス植民地軍に抵抗した。その意味で彼はマリなどで英雄となっている。クルマもマリンケ人であり、サモリーを引用したのだろう。しかし、サモリーはフランスの植民地化を拒否refuserした(ノンと云った)だけでない。一方において帝国拡張に奔走し、他の民族を強制的にイスラム化しようとして強い抵抗(être refusé)にあっている。だからサモリーの言葉は、民族によって意味がちがってくるし、彼は一方では英雄でも他方では、フランスにとってやっかいな戦士というだけでなく、他民族にとっては悪魔だったのである(つまり、ノンと云われたのである)。
ストーリーは単純である。隣国リベリアで少年兵をしていたビラヒマ(15歳)がコート・ディヴォワールの故郷ダロアDaloaに帰ってきてまたまた内戦に遭遇する。この内戦で父親を失いブアケBouakeに逃げようとする美しい娘ファンタのエスコートをビラヒマ少年が申し出る。
ダロアもブアケもアビジャン(旧首都、人口380万人)から200km以上北の内陸の都市である。ブアケ(人口65万人)がコート・ディヴォワール第二の都市で商業の中心地、ダロア(人口25万人)は第三の都市でココアの集散地で有名。
徒歩で森や草原を行く道すがら、ブラヒマがファンタから聞いたコート・ディヴォワールの地理と歴史の話をファンタがして、それをブラヒマが少年らしく解釈する。それだけだ。確かに、作者クルマ版の歴史、ことに近代・現代史がよくわかる。それだけだ。
この小説の中で気になるフレーズがあった。何回も殺戮の話が書かれた箇所で、たとえばコート・ディヴォワールの惨事、ブルキナ・ファソ(元オート・ボルタ)に亡命していた反政府軍が首都アビジャンを占領しようとした内戦のところで、「les Ivoiriens, pris par le sentiment du tribalisme, se sont mis à se zigouller comme des fauves et tous les jours à creuser et remplir des charniers.イヴォワール人は、部族感情にとらわれて、野獣のようにお互い殺し合いを始め、日々墓穴を掘り墓穴をいっぱいにした」これに続く次の文章である。「Mais les charniers font de l’humus qui devient du terreau qui est bon pour le sol ivorien.しかし、墓穴は腐植土となり、肥沃な土地となる。肥沃な土地はイヴォワールにとっていいことだ」(page 46)、だがbon(良い)という理由は、こうして、コート・ディヴォワールには、以前のように世界で最高のカカオができるようになるから、というのである。これはビラヒマ少年、ファンタ、そして作者のfatalisme(悲観論)であろう。皮肉としてもきつい。
また、この作家の妻はフランス人(キリスト教)であり、彼らの子供たちはみんなクリスチャンである。クルマは反キリスト教ではないことを示すために旅の途中でキリスト教のミッションに宿を提供される話も書く。しかし、僕はコート・ディヴォワールの内戦にはイスラムの臭いが強くすると考えている。武器が本当にどこから来たのかを考えててみれば分かることだ。 リビアかサウジが,,,。
さらに、作者クルマは、インドシナ戦争に若い頃に出かけている。勿論フランス軍に組み入れられてのことだ。狙撃兵として4年間インドシナにいた。その後フランスの大学に行くわけだが、つまり、フランス軍に参加したのは、フランスに行くためで、多くのアフリカ人(モロッコなど北アフリカ人、セネガルなどのサブアフリカ人)が多くこの制度を利用したけれども、考えてみれば、インドシナ戦争は、ベトナム、ラオス、カンボジアの独立を阻む戦争ではなかったのか。彼、クルマはどれだけのインドシナ人を殺したのか。プラグマティストといって済まされない。その贖罪rédemptionがコート・ディヴォワールの民主化なのか。この日誌でも書いたセネガルの作家ウスマン・センベーネは同じくフランス軍に第二次世界大戦の時に参戦したけれど、インドシナ戦争のときは、フランスを批判して参加していない。僕は、アマドゥ・クルマを偉大な作家として持ち上げる人々の気が知れない。
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