01 novembre 2010

10月31日le dimanche 31 octobre 2010 黒い聖母他 Sainte Vierge noire, etc.


Le 31 octobre 2010, dimanche
快晴。

ネット不通。ネットワークのアンテナが立っていない。11時、ネット回復。

8時から断水。昨日も帰宅したら断水で22時まで水がでなかった。18時10分回復。

今日の午後、サッカー・クラブのアフリカ・チャンピオン決定戦がルブンバシ開催された。「マゼンベ」とチュニジア「エスペランス・チュニス」である。「マゼンベ」が5-0でチュニスを下した。得点王トレゾールTresor選手を欠いた試合だったのに圧倒的勝利。「マゼンベ」は既に去年の覇者。今年もトップに立てるか。先ず戦勝。次はチニジアまで遠征。
家で日光浴をしていたが、遠くでゴールの度に歓声があがるので、「おっ、やったな」とわかる。強いサッカー・チームがあることは、ルブンバシの、カタンガ州の、いやコンゴRDCの誇りである。フォルツァ・マゼンベForza Mazembe !
マゼンベと日本のサッカーチーム,、たとえばベガルタ仙台との親善試合をして欲しいなぁ。ルブンバシを知ってもらう最高の手段だろう。 そうすれば仙台との姉妹都市のプロジェクトが進むかもしれない。

僕の部屋に「黒い聖母マリア」をプリント・アウトして金の額縁にいれて飾った。黒い歳暮はスペインのアンダルシアの御輿が有名だが、プリント・アウトしたのはポーランドの教会のもの。聖母マリアもイエス・キリストも中東の生まれ。ユダヤ系である。あるいはセム人といってもよい。パレスチナ人との差はない。肌の色は白い場合も考えられるが、普通なら褐色、髪は黒、頭髪は巻き毛だったと思う。職人(大工)の妻だったから、家事の傍ら、裏庭で畑仕事もしたに違いない。とすれば、真っ黒に日焼けしていたとも考えられる。いずれにせよ、青い目、ブロンド、白い肌の聖母マリアは西欧の発明である。黒い聖母は全く自然であると僕は思っている。

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