Le mardi 14 juillet 2015
5時半、快晴、18℃、45%。
久しぶりに生野菜をサラダにした。コンゴの人は生野菜を食べない。スーパーには置いてあるが質が悪いことが多い。今日は珍しくローマ・サラダがあった。割と新鮮。勿論二酸化マンガン液で洗って食した。
保険会社ソナスSonasでミニバス営業をしているハイ・エースの保険代12カ月分を支払った。883ドル。高い。去年と同額。事故を起こしていないのだから額が多少減ると思ったが全く変わらない。
保険会社はこれまでSnas(国営)の独占だったが、法律上は今年から自由化された。ところが国際的的保険会社がまだルブンバシでは営業していない。一部大企業(鉱山)むけだけだ。来年からはきっと欧米の保険会社が営業するだろう。そのためかSonasは高い保険料を早く払わせようと必死だ。7月4日に保険がきれたが、通常2週間の更新余裕期間が設けられている。しかし、4日から毎日電話で更新の催促がきた。国営会社が営業に熱心なのは珍しい。強制保険をかけている車が、RDCコンゴでは20%にも満たないと聞いている。明日から付保しているかどうか路上でコントロールがあるという。しかし、しばらく待てばコントロールがなくなるので、付保していない車はその間おとなしく身を隠すことが多い。それに、保険がなくても多くの場合、調べる担当者にわずかの金を渡せば見逃してくれる。賄賂の国である。
僕の私有車三菱は1月に保険をかけている。しかし、Sonasはたとえ保険対象の事故があっても、支払いが悪い。査定が厳しいのではなく、払わないのだ。フランシスコ会の四駆は事故被害にあって保険支払請求をしたが、2年たってまだ払ってもらっていない。
火災保険、失業保険等々保険はすべてSnasだ。
そんな独占保険会社しかない現状はいつ修正されるのだろうか。
16日(木)にタイムラインでシェアしたビデオ『Vous
êtes contaminé, le virus est en marcheあなた方は感染している、ビールスは拡がっている』についてコメントする。Être en marcheをpropagerと解釈した。
アナーキストだと云われるが 僕は面白い意見だと思う |
アフリカでは欧米の民主化圧力で公平で透明性のある選挙が要請されている。ビデオでは国民の代表者である大統領や国会議員を投票で選ぶ制度はしかし真に民主的なのだろうかという疑問が提示されている。国民は主権者だが、今、国民は単なる選挙民になっているのではないか。それはフランスでも日本でも同様で、大統領や首相が任期の間、主権者(国民)を無視して横暴をふるうことが許されるシステムになっている。
スイスは直接民主主義国で毎週のように国民投票ないし住民投票がある。国民はある案件について投票を請求することもできる(イニシアティヴ)。投票率は必ずしも高くない。しかし、時間と金をかけている。地方議員や国会議員に全てを任せてはいない。権力の制限として機能している。住民エゴも確かにある。それでもスイスはこの直接民主主義をやめようとはしない。
ビデオに出てくるエティエンヌ・シュアール氏はマルセイユの高校の教師だが、政治学の論客でもある。欧州憲法に反対してノンを導いた一人だ。代表制民主主義(代議員制度)の欠陥は案件ごとの審議を代議員に任せてしまうことにある。民主主義の発祥地アテナイでは籤引きで議員を選んでいた。「そうかなぁ」と思うが、議員がなんでも多数で決めることには危険がある。直接民主主義でなければ、大統領の横暴を防げない。政権与党の勝手を任期途中で阻止できない。
権力を制限するのが憲法だともいう。憲法が先ずあって、それを死守するというベクトルではない。憲法は国民が天皇にでも大統領、首相にでも勝手をゆるさないためにある。改正は出来る。しかし、憲法改正をするのはあくまで国民だ。
日本の現状をみると、憲法改正が容易ではないから、憲法解釈を議員の多数で変えてしまおうというものだ。これが出来るのは代表制民主主義だからである。
現行制度では阿部首相の専断を批判はできても、止めるのは容易ではない。裁判所で抽象的違憲審査ができない日本の制度欠陥を認めないのはおかしい。それに憲法改正が必要なら憲法を改正するしかない。
ビデオは現行のフランスの民主主義に対して他の選択があることを示している。アフリカでは選挙さえすれば民主的だと形式に流れている。ギニアやコートジボワール、ナイジェリアでは選挙で無事に政権交代ができた。だが、それで民主主義は終わりではない。根幹は国民主権なのだから、その国民の意思をどう政治に反映していくかは制度の問題とあわせて不断の国民的監視が必要で、それは現行制度の問題にも及ぶことがあるということだ。
タンザニアがRDCコンゴに教えを垂れた。国連がスポンサーのオカピ放送の記事だから、RDCコンゴに警告を発している記事になっている。
タンザニアの現大統領キクウェテ氏が次期選挙に出ず、現建設大臣マグフリ氏を大統領候補とすると12日(日)に政権党が決めたことを持ち上げている。
マグフリ氏 マガフリと記事にはあるが誤り |
キンシャサのメディアが、タンザニアの例を引き合いに出して、民主主義の好例だと間接的に現政権が憲法改正、選挙法改正、さらには諮問集会等を試みたことを批判していると今度はオカピ放送が遠まわしにカビラ批判をしている構図である。もっと直接的に云えばいいのにと思うが、在キンシャサのフランス大使がフランス革命記念日にあたってあからさまにカビラ政権批判をして、国内問題に介入だと論議を呼んでいるから、国連の運営するメディアとしては余り露骨な発言ができないのかもしれない。
La Tempête des Tropiques : «Alternance : la
Tanzanie donne une leçon à la RDC»
le 14 juillet, 2015 Radio Okapi
La politique tanzanienne semble avoir
inspiré certains journaux kinois, notamment la Tempêtes des Tropiques qui titre
à sa Une : «Alternance : la Tanzanie donne une leçon à la RDC».
«Le président Jakaya Kikwete a choisi son
dauphin en la personne de John Magafuli», annonce le journal. Et d’expliquer
que le parti au pouvoir en Tanzanie, Chama Cha Mapinduzi (CCM), a désigné le
dimanche 12 juillet dernier John Magafuli, actuel ministre des Travaux publics,
pour le représenter lors de l’élection présidentielle d’octobre prochain.
Pour le quotidien, le geste de Kikwete est
une leçon morale et politique à la RD Congo, dont le président Joseph Kabila
n’a pas encore donné sa position, alors qu’il est à son dernier mandat.
Une belle leçon de démocratie pour
l’Afrique, estime pour sa part Le Potentiel.
«A l’instar du Béninois Yayi Boni et du
Burkinabé Michel Kafondo qui ont promis de ne pas se représenter à la fin de
leur mandat respectif, le président tanzanien Jakaya Kikwete s’est soustrait de
la course à la présidentielle de 2015», se désignant, «en toute démocratie», un
dauphin. Un « fait rare dans la région », note le journal.
En ce qui concerne la situation politique
en RDC, le même quotidien titre : «Dialogue et calendrier consensuel. Un schéma
suicidaire en gestation». Selon le journal, la Majorité présidentielle (MP) ne
manque pas d’initiatives pour pérenniser son emprise sur les institutions de la
RDC.
«Après avoir tenté en vain de modifier, à
son goût, la constitution et la loi électorale, elle réfléchit sur la mise en
œuvre d’un schéma qui, à son terme, devait conduire à une table rase des
institutions issues des élections de 2011, ouvrant ainsi grandement la voie à
une 4e République», accuse le canard.
Sur un autre sujet, Forum des As tire :
«L’Assemblée nationale sans matières», avant de révéler les raisons de la non
tenue des plénières à la chambre basse du Parlement. «Depuis l’ouverture de la
session extraordinaire dans les deux Chambres, le 4 juillet en cours, explique
le journal, aucune plénière n’a été convoquée pour débattre de la matière
principale qui est l’examen du projet de loi sur la répartition des sièges aux
municipales, urbaines et locales ».
Et pour cause, selon le quotidien, l’examen
de ce projet de loi est bloqué du fait que le texte lui-même n’a pas encore été
déposé par le Gouvernement à l’Assemblée nationale.
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