Le vendredi 11 octobre
2013
6時、快晴、25℃、40%。
RDCコンゴの水道はレジデゾという公社が一手に引受けている。キンシャサもマタディもルブンバシもレジデゾRegidesoだ。RegidesoというのはRégie des eaux(「水の公社、レジ・デ・ゾ)」をもじった名前である。それはそうとして、レジデゾに国が今年に入ってから一銭も払っていない。請求書の額が溜まりにたまって3100万ドルだという。水道公社としてはでは水の供給を止めればいいようなものだがそうはいかないようだ。国は水道と電気について今年2月供給契約を結び、支払いを約束した。しかし払っていない。レジデゾでは従業員の給与も払えないでいる。従業員は給与なしでどうしているのだろう。そこが不思議なところである。まさに「何とかしている」わけである。
キプシの僕の家は、水道料金を払っていない。何故か僕の家のある地区は、レジデゾの管轄ではなく、キプシの鉱山会社の責任になっている。以前は国営鉱山会社ジェカミン、今は英濠グループのKico社だ。断水はKicoになってから不定期ではなく定期になった。朝方と夕方には必ず水がでる。
国が約束を守らず、支払いを「踏み倒している」というのは何ともお恥ずかしい話ではないか。「無い袖は振れない」と国はいうのだろうか。
RDCコンゴのカタンガ州のウペンバ国立公園にはシマウマがいる(ことになっている)。シマウマはRDCコンゴではここだけだ。11700km2以上の広大なサバンナの公園である。落差がアフリカ一といわれるロフォイの滝があるクンデ・ルング国立公園には行ったがウペンバには行けないでいる。ウペンバはクンデ・ルングの北に位置するけれ、何しろインフラが悪くアクセスが出来ないからだ。公式には去年2012年4月からウペンバの北部について訪問可能になったというのだが、どう可能なのかわからない。ルブンバシからウペンバまでのアクセスが惨憺たるものである。テンケまでは順調に車で走れるだろう。問題はその後だ。ウペンバに向かう途中の町でコンゴ河の漁業基地であるブカマ市まででも車で一昼夜以上かかる。ルブンバシから僅か400キロ程度の地点である。雨季の通行は不可能。
ウペンバ国立公園はEUの金でフランクフルト動物園が復興事業を数年前から続けている。
ブカマからウペンバ国立公園に向かう道にゾウたちが移動してるという。ゾウを射殺しないようにと当局が村人たちに要請している。村々ではゾウのおかげで畑が荒らされ、人が二人殺されている。ゾウは保護されている動物だなどといっても村人が納得するわけがない。ゾウを国立公園まで誘導するなど具体的な手段が講じられねばならないと思う。
元リベリア国大統領でシェラレオーネ特別裁判所(ハーグ)が50年の刑を言い渡したチャールズ・テイラーの受刑地が英国になるようだ。何故英国に決まったのか不明。本人の希望なのだろうか。僕は事件が事件だけにシェラ・レオーネの刑務所で余生を全うするのが筋だと思う。
ノーベル文学賞は日本でもケニアでもなくカナダに行った。アリス・マンローMunro氏。彼女の短編小説を僕はひとつも読んだことがない。これから読もうという気もない。
RDCコンゴの初代首相で1961年1月ルブンバシで暗殺されたパトリス・ルムンバの人気はまだまだ衰えないようだ。
ドイツにはルムンバの銅像が少なくとも二ヶ所あるそうだ。首都ベルリンとライプツィヒ。ライプツィヒにはルムンバ通りLumumba Strasseというのもある。
8日(火)はベルリンで、その翌日9日にはライプツィヒでルムンバの銅像の盛大な除幕式があった。ルムンバの長男フランソワ・ルムンバやRDCコンゴの上院議員、在ドイツ大使等々が参加している。
ドイツに何故ルムンバなのだろう。ドイツはタンザニア、ルワンダ等を植民地とした歴史があるが、コンゴはベルギーだった。現在もドイツは日本同様あまりRDCコンゴに経済進出していない。ドイツ人が好むルムンバは理想主義者のイメージだろうが、アフリカの象徴がルムンバなのだろうか。民主主義革命が頓挫してしまった「アラブの春」に対するブラック・アフリカへの勇気付けだろうか。それとも増大するアフリカからの移民労働者に対するメッセージだろうか。メッセージとすればその内容はなにか。
なかなか意味深長なルムンバ再登場である。
ライプツィヒに2011年1月建てられた胸像 去年何者かに破壊された |
Deux statues de Patrice
Emery Lumumba inaugurées en Allemagn
le 10 octobre, 2013 (オカピ放送)
Une statue de l’ancien
premier Premier ministre congolais, Patrice Emery Lumumba, a été inaugurée le
mercredi 9 octobre dans la ville allemande de Leipzig. Le sénateur Léonard She
Okitundu, qui a participé à cet événement, a déclaré que cette statue
contribuait à perpétuer la mémoire de Lumumba. Une autre statue du héros
national congolais a été inaugurée la veille à Berlin, la capitale allemande.
She Okitundu a indiqué
que le buste inauguré à Leipzig remplaçait un autre inauguré en 2011 et qui
avait été vandalisé.
Dans cette ville
allemande, une avenue portera aussi le nom de Lumumba. Cette avenue longe le département de langues où se trouve le
buste de l’ancien Premier ministre.
Pour le sénateur
congolais, les Allemands ont voulu immortaliser l’ancien premier Premier
congolais « de la manière la plus spectaculaire » pour « son combat et sa vie
dédiée au service des autres et de la nation ».
En dehors de She
Okitundu, l’ambassadrice de la RDC en Allemagne Clémentine Shakembo Kamanga, le
fils ainé du héros national conmgolais, François Lumumba, une cinquantaine
d’ambassadeurs africains, des personnalités politiques allemandes ainsi que des
Congolais de la diaspora venue de plusieurs pays d’Europe ont aussi participé à
l’inauguration de la statue à Leipzig.
En RDC, le gouvernement
a annoncé en mai dernier la création d’une ville qui porterait le nom de
Lumumba. Lumumbaville sera située à l’actuel emplacement de la cité de
Wembo-Nyama jusqu’au groupement Ewango dans le territoire de Katako-Kombe au
Kasaï-Oriental.
Pour le porte-parole
du gouvernement congolais, Lambert Mende, cette décision avait été prise pour «
honorer la mémoire de Patrice Emery Lumumba qui a été assassiné à cause de la
défense des intérêts nationaux dont il a fait son cheval de bataille ».
Patrice Emery Lumumba
a été Premier ministre de la RDC entre juin et septembre 1960. Il a été
assassiné en janvier 1961.
En 2001, une
commission parlementaire belge avait conclu à la « responsabilité morale » de
la Belgique dans cet assassinat.
Le jour de l’indépendance du Congo, le 30 juin
1960, Lumumba avait prononcé devant le roi Baudouin un discours dénonçant les
abus de la colonisation, marquant sa rupture avec l’ancienne métropole.
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