Le jeudi 24 octobre
2013
6時、曇り、24℃、60%。9時半、薄日がさしてきた。
昨夜も雷雨だった。しかも5分ではなく2時間位続いた。これでは完全に雨季だ。今年は乾季の訪れが2週間早かったが雨季も早まったのだろうか。そうとすれば、庭の水撒きをこれから半年しないで済むから、僕もクリスチャン君も大助かりだ。
16時、雷雨。
アサガオの蔓が延びてきた。裏庭に植えたサラダは鳥が啄ばんでしまって食卓には出ないだろう。今度廉い蚊帳を買ってきて鳥から守るようにしよう。古い蚊帳があればいいのだが、僕は電気蚊取りと線香のお陰で蚊帳を吊らずに寝ている。
今日24日(木)の毎日新聞(電子版)によると、RDCコンゴの男性が日本で難民申請をしている。記事を引用する。
「難民認定:「日本政府は認定を」 母国・コンゴ民主共和国で政治活動、マッサンバさん訴え 2013年10月23日
日本政府に難民認定を求めているアフリカのコンゴ民主共和国出身、マッサンバ・マンガラさん(38)を囲む会が今月、横浜市神奈川区の港町診療所であった。8月に半年間の収容生活から脱したマッサンバさんは「難民認定を勝ち取り、権利を回復できるよう支えてほしい」と約45人の参加者に訴えた。
マッサンバさんは紛争や政治腐敗が絶えない母国で、政府に対抗する宗教政治運動に参加。2008年、当局の弾圧を恐れて来日、日本政府に難民申請して横浜市内で暮らすようになった。難民申請は認められず、マッサンバさんは今年2月に東京入管に収容され、処分取り消しを求めて東京地裁に提訴。8月に仮放免許可を受け、社会生活に復帰した。
囲む会は、支援者でつくる「支える会」の主催。マッサンバさんは「深刻な差別や不公平が横行し、一握りのグループが支配している」と母国の現政権を批判。「母国にいれば当局からひどい目に遭っていた。日本で支えてくれる人々に感謝している」と述べた。
マッサンバさんは就労資格がないため、生活費は支援者のカンパが頼り。支える会への参加やカンパの申し込みは「カラバオの会」(045・662・5699)へ。【河津啓介】」
毎日新聞は少なくともマッサンバさんの難民申請を認めるべきだとの立場のようである。2008年に来日しているから、2011年11月の大統領選挙がらみでRDCコンゴを離れたわけではないことがわかる。東部の戦争を逃れて来日したのでもない。RDCコンゴ全国で戦争があるとはとてもいえない。カビラ政権に反対する「宗教政治運動」がどのような運動を意味するのか不明である。
確かにカビラ大統領を厳しく批判した人権団体のトップであるチェベヤ氏は2010年6月2日キンシャサで官憲によって殺されている。しかし、最大野党の党首でカビラを大統領として認めていないチセケディ氏は聊か自由が制限されているようだが命に別状はない。
僕が考えるのは、多くの場合、マッサンバさんのような例は「経済難民」であろう。これは現在の国際社会ではアクセプトできる難民とはならない。日本は難民受け入れに非積極的でその面での国際貢献が余りにも低い。しかし、かといって無差別に難民を受け入れるのはいかがなものだろうか。だから、アジアに位置する地理的関係から、北朝鮮や中国の難民を積極的に受け入れてはどうかと思う。反北京政府の難民がフランスを選ばず、日本を選べるようにすべきである。
下記のベルギーでの例をみると、ベルギーには合法的に6万人を超えるコンゴ人移民がいる。旧宗主国という特殊事情である。毎年不法移民が押し寄せているが、難民申請をするのはごく少数である。ベルギー政府はコンゴ人について難民として居住許可を出していない。1951年のジュネーブ難民条約に謳うような状況にRDCコンゴがないと判断しているからだ。2012年、1400名のコンゴ人が難民申請をしたが、ほぼ1件も認められていない。逆に80名が強制送還されている。RDCコンゴの東部の戦闘地帯から来たコンゴ人は皆無に等しい。
フランスでRDCコンゴ出身者の難民申請が2012年4000人を超えた。申請総数は6万1468件であった。RDCコンゴは国別難民申請のトップだったOFPRA : Office français de protection des
réfugiés et apatrides(フランス内務省管轄の役所)の発表。原因は2011年11月の大統領選挙に続く野党弾圧と考えられている。しかし、フランスもRDCコンゴにおける反政府運動が蒙る危険度があまり高いとは考えていない。難民として認められるのは全体で1万件前後である。今年に入ってから認められたのはシリア人が圧倒的多数のようだ。
コンゴ人の場合、難民申請国にフランス語圏としてフランスやベルギーを選ぶ例が多い。しかし、認められるのは例外的である。RDCコンゴに続いて申請者で多いのは、ロシア(2873人)、スリランカ(2435人)、コソボ(2084人)、中国(2035人)となっている。欧州は経済難民を拒否している。
コンゴ人にとっては米国のグリーンカードをとるか、学歴か技術があればカナダに普通に移民申請をしたほうがいいのではないか。
RDC: l'accroissement
des demandes d'asile inquiète la Belgique
BELGA Publié le
dimanche 14 juillet 2013 à 13h51
Belgique "Les
gens veulent une meilleure vie, mais ce n'est pas prévu par la convention de
Genève."
Les demandes d'asile
politique présentées par des ressortissants de République démocratique du Congo
en Belgique ont atteint un chiffre record qui n'est pas justifié par la
situation en RDC, a déclaré le directeur général de l'office belge des
étrangers, Freddy Roosemont. "Ce sont des procédures abusives (...) la RDC
n'est pas un pays en guerre", a affirmé jeudi soir M. Roosemont lors d'une
conférence de presse dénonçant des mensonges circulant sur les avantages liés à
ce type de demande.
"Il n'y a ni
maison, ni travail, ni argent", a dit M. Roosemont.
Après un examen du
dossier qui ne dure plus que six mois, les demandeurs reçoivent généralement
l'ordre de quitter le territoire, a-t-il expliqué.
Selon lui, sur 1.400
demandes d'asile déposées par des ressortissants congolais en 2012, les
réponses positives ont été "quasi nulles". Le responsable a précisé
que 60.000 Congolais, originaires de RDC, vivent légalement en Belgique.
En 2012, selon M.
Roosemont, 80 Congolais ont été expulsés de Belgique.
"Les gens veulent
une meilleure vie, mais ce n'est pas prévu par la convention de Genève signée
en 1951 à propos de l'asile politique qui prévoit une crainte individuelle ou
une persécution par l'Etat", a-t-il dit.
En mai 2013 selon un
document fourni par ses services, près d'un millier de ressortissants d'une
vingtaine de pays ont demandé l'asile politique en Belgique, ceux de RDC étant
les plus nombreux avec 106 demandes suivis par les Afghans.
Interpellé sur les
difficultés d'obtention des visas, le responsable a expliqué que les règles se
basaient sur le traité européen signé à Schengen et que l'administration était
devenue plus méfiante devant l'abus de demandes abusives.
"Nous n'avons
rien contre les regroupements familiaux, les études, les congrès ou le
travail" a-t-il dit, expliquant qu'il était allé au Sénégal, en Guinée et
s'apprêtait à aller au Kosovo afin de lutter contre cette inflation de demande
non justifiées.
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