20 mai 2015

5月15日 息子クリスチャンを勘当 déshériter mon fils Christian

Le vendredi 15 mai 2015
5時半、快晴、22℃、60%。

日大医学部付属板橋病院を退院してから1か月が経った。体調はすこぶるいい。ありがたい。

ネコのチーコちゃん、マーゴちゃん、僕がひと月半の日本一時帰国から帰ってきたとき、一応元気にしていたがやや痩せていたようにみえた。それよりも僕の寝室にシフトしてから甘えん坊になって、僕にひっついてきた。夜は僕の両脇にくっついて寝ていた。僕の不在中、誰もカランカラン(calin撫でること)してくれなかったからだろう。これじゃ野良猫になれないなぁ。
チーコ(左)とマーゴ(右)
 ネコちゃんのトイレの砂は13日(水)スーパー「マ・メゾン」にあったので購入したが、今日現在まだ河原の砂を使っている。お蔭で僕のベッドも砂だらけ。致し方ない。

ロラン・ガロス(フランス・オープン)は終わってしまったとおもったら、519日からだった。よかった、今年も見られる。


ここで息子として3年間世話をやいたクリスチャンのことを書かねばなるまい。勘当したとは既に述べた。3月初めのことである。
クリスチャンがまた僕の金を盗んだのである。額は小さい。3万フラン。3000円だ。しかし、これが初めてではない。去年11月には12万フラン。12月にはザンビア通貨クワチャで100ドル相当、2月にもクワチャで同じく100ドル。
月の小遣いは30ドルにしていたが、盗み出すので今年に入ってから渡していない。授業料は勿論、床屋、衣類、携帯等々必要なときは云えば都度渡していた。
だから今度は勘弁しなかった。彼が通っていたマペンド校に行き校長に即時退学させると話した。学校を終わって帰ってきても家の敷地に入れなかった。着の身着のまま放り出したのである。
その夜、僕が就寝中、網戸を破り、空いていたサロンの窓から、僕のPCや車の鍵を盗み、自分の部屋の網戸も破って衣類を持ち出した。窓には鋼鉄の桟があるから家の中には入れない。さらには何と愛犬マドンナちゃんを連れ出したのである。マドンナはクリスチャンが好きだ。散歩に出るのかと思ってついていったに違いない。マドンナのお腹には子どもがいた。今回は近所の駄犬と子どもを作ってしまったらしい。3月末には仔犬が生まれた筈だ。しかし、マドンナを育てるには金がかかる。大型犬で食事の量も半端ではない。
マドンナの消息も、クリスチャンの消息も分からない。クリスチャンはまだキプシにいるという噂はきいた。
マペンド校の校長マルセルさんは、「許してやれ、卒業まで面倒をみろ」という。だがクリスチャンも謝りに来ない。
シスター・アスンタ佐野さんは「懲りないわねぇ、ストリート・チルドレンは難しい。一旦自由に慣れてしまうと安きについてしまうのよ」。
南アで買った時計もスマートフォンももう売ってしまったろう。どうやって生活しているのだろう。心配しても詮ないことなのかもしれない。
「もったいない」、せっかくのチャンスだったのにと人は云う。クリスチャンもマペンド校を卒業して、自動車の機械工になりたいと夢を語っていた。しかし、勉強しなかった。記憶力のいい子で、その気になれば学校の成績は上位に行けたはずである。サッカーの練習には熱心だったが、暗くなって練習遅く酒気を帯びて帰宅したこともしばしばある。ま、付き合いがあるのだろうからと、一応文句は言ったが放任した。
5年前、サレジア会のマゴーネ校に入れたが、そこでは左官になるコースしか空いていなかった。自動車のメカニシャンになりたいというから、1年後マゴーネ校の神父さんに相談してキプシに引き取ってカトリック系のマペンド校に通わせたのだがなぁ。
卒業したら、福島のIさんのところにメカの修行に出そうかとまで考えていたのに。
ルカ伝の15章「放蕩息子」を歓迎する父親には僕はなれなかったのかもしれない。「許し」に限度があってはいけないのだろう。

次に世話をする子は、「日本人を父親として生まれ、コンゴに置き去りにされた会」の1/4日本人の血を引く子で、成績がいいのに学校に通えない家庭の子を引き取ろうかと思う。25%日本人でも不良は困る。

マドンナの辿った運命もかわいそうだ。綱を切って飛んで帰ってくる姿を夢に見る。痩せ衰えてよたよたしているのか。何でも食べてしまうコンゴ人、猿もシマウマもゾウも食べられてしまう。マドンナも食べられてしまったかもしれないと思うとやりきれない。
(追記)20日現在、マドンナはまだ生きているという噂もある。


ブルンディのクーデタは半ば失敗したようである。しかし、混乱がしばらく続くだろう。

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