曇。7時、気温22℃、湿度72.5%。
客間の内装ペンキ塗りが始まった。建具屋で今回はペンキ屋となったセバスチャンは8時半にやってきた。
南京豆とビスケットを買いに町にでて、前輪左がパンクしていることがわかった。よくパンクするよ、全く。
午後、地元キプシでパンク修理。300円。しかし、2時間も修理にかかるのか。というのも、修理したタイヤを嵌められなかったからだ。ジャッキの高さがあわなかっただけの話だが、ああでもない、こうでもないと、5人もかかって車の高さを調節したのだった。
カ
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自伝的小説で、作者の幼少時代からフランスの専門学校に留学するまでのアフリカ(ギニア)でも生活が描かれている。フランスの植民地時代である。向学心旺盛な少年は、首都コナクリから東に600kmも離れた町から、首都の高校に進学することを選び、さらに高校卒業後奨学金を得てパリに留学するのである。
この作品はフランスでまたアフリカでポピュラーになったが、厳しい批判にもさらされている。というのは、フランスの植民地政策、植民地統治を批判していないからだ。父母や大家族に守られた懐かしい幼少時代はあっても、フランス人に虐げられた農民の生活がないというわけだ。しかし、正直カマラ少年にとって、日常のアフリカ人への人種偏見を描くよりも、失われていく「アフリカらしさ」を書き残しておきたかったのではないか。少年から青年期に移行するときの割礼の儀式が2章にわたって語られるが、大きな不安から晴れて「大人になる」過程がよくわかる。もっとも割礼年齢が12歳、13歳と遅いことに驚かされた。ユダヤは乳児、アラブ人は6歳、7歳で割礼を終える。
カマラ・ラエは1960年代には亡命先のダカールで、民族学者として研究活動に入るが、『黒人少年』は民俗学的意味も歴史的にはあるといえよう。
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