16 avril 2014

4月5日 キプシ刑務所 prison de Kipushi

Le samedi 5 avril 2014
7時、晴れ、24℃、75%。

明日早朝ルサカに向けて家を出る。できるだけ早くに国境を通りたい。国境さえ短時間で越えられれば夕方にはルサカに着いているだろう。宿はネットで予約した。

午前中キプシ刑務所にメルセデール会のシスター・ルーシーさんと行った。場所はもっと郊外にあるかと思ったら意外と街に近かった。周りに住宅もある。しかし、狭い。僕の家の敷地(2000M2)の半分もないかもしれない。収容定員40名のところに今日は303人が収容されていた。女子は3名だけなので部屋にはベッドがあった。大部屋である。男子とは隔離されている。男子が従って300名、3つの大部屋と中庭の壁際にテントを張って雨を凌いでいる場所に収容されていた。雨の日の夜は寒いだろう。どれほど雨を防げるかもあやしい。独房など存在しない。大部屋でも横になって寝ることができず、足を立てて座って眠るのだそうだ。狭いだけではなく汚臭もする。不潔極まりない。救いは国際赤十字が最近設置してくれた水周りである。大きなタンクが刑務所の脇の櫓の上におかれている。炊事場のタンク、中庭のタンクも水がでる。水だけは僕の家よりも何処よりも恵まれているだろう。水源は市の水道だろうから、家と同じで、水質は決して飲料水として安心して飲める水準ではないのに、みんな平気で飲んでいた。
キプシの刑務所入り口
右が所長の事務室
画像は米系キリスト教団体ソテリアの慰問団が去年3月に撮ったもの
中庭でミサがあげられ、小型のバイブルが配られた。受刑者はみんな神妙にしていたが、どれほど信仰心が厚いのかかなり疑わしい。しかし、刑務所のコンディションがコンディションだから、どんな罪を犯したにせよ、劣悪な環境に押し込められているといえる。単に自由を奪われているということではなく、空腹と病気と暴力。生きて出られたら神に感謝しなければなるまい。
シスター・ルーシーさんは、幾人かの受刑者の話をノートしてあとで所長に話をしていた。刑務所にに受刑者だけでなく、未決囚がたくさんいる。また、どうも無罪でただ誣告で捕まっているという人もかなりいるようだ。
キプシの刑務所だが地元の人は少なく、大部分がカタンガ州東部や東部の州から送られてきた人たちだという。
刑務所での生活は金次第でどうにでもなる。金持ちは使用人さえ使えるのである。家族が面倒をみなければいけないと刑務所の役人はいうが、遠くからどうやって家族がこのキプシまで来れるというのだろうか。よほどの金銭的余裕がある家庭でなければキプシまで見舞いにこれない。東部とルブンバシを結ぶインフラも悪い。
今日の食事は、白菜の煮込みとブカリ(トウモロコシの粉を湯で溶いたコンゴの主食)だけ。これでも口に運べればいいほうで、何も食せない日が何日もある。多分ナチの強制収容所の方がドイツ的計算がきちんとされていてまだましだったろうと想像される。
カトリックやキリスト教団体の人々がボランティアでこの刑務所に来ている。彼らが手を差伸べなければ、塀の中の人々は完全に忘れられる。

僕個人として、また「日本カタンガ協会」としてこの非人間的隔離施設に囚われている人々に対して何ができるか考えていきたい。

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