Le jeudi 17 juillet
2014
7時、快晴、18℃、47.5%。
ミニ・バスの運転手を探している。今日来た候補者Jeannot君はここの郵便局局長(といっても一人郵便局)の従兄弟らしい。10時に来いというのに9時15分に局長と一緒に来た。別に時間を遵守するためでないことはわかっている。暇だから早く来たに過ぎない。若い。フランス語がっ書けない。自分の名前も間違えた。クリスチャンのいるマペンド校に3年通ったというがよく3年まで進級できたものだ。局長も正しい綴りが出来ないのには呆れた。
『昼が夜に負うもの』(ヤスミナ・カドラ)(3)
米国映画に『Un été 42』(Summer of 42、ロバート・マリガン監督、邦題『おもいでの夏』、制作1971年)がある。僕の好きな青春映画の一つである。
ヤスミナ・カドラ(ムハマド・ムルセフル、Mohammed Moulessehoul)はこの映画を強く意識しているのはないかと思う。主人公ユーネス(ジョナス)17歳の1944年夏の場面である(第10章、166ページ)。微笑ましく読んだ。よく少年の心理が書けている。少年より遥かに年上の女性とのたった一回の関係である。
この関係がしかし重大な結果を齎す。件の女性の娘に恋をしてしまうからだ。
昨日この小説を読み終わって不思議に思うのは、主人公はイスラムのユーネスとなっているが、イスラムさしさ、イスラムの習慣が全く無視されていることである。割礼の儀式場面もないし、ユーネスがモスケに行く場面もない。ラマダンも書かれていない。毎日の礼拝もしているようには見えない。六七歳でフランス人と結婚している伯父のところに養子に出されたという事情を考えてもイスラムを捨てているわけでもないのに合点がいかない。
ユーネスはフランス人の伯母に育てられたに違いないが、恋愛に対する考え方も全くヨーロッパ人である。学校で宿題を忘れたアラブ系生徒が「アラブ人は怠け者だから」とクラスメートに断じられたことに憤慨するところや、学校で好きになった女の子にアラブ系であることだけで毛嫌いされるところなどでアラブ系であることを自覚させられるが、ユーネスの思考はフランス人と変わらない。その矛盾に悩むこともない。
偶然性が高いのも気にかかる。読者の期待に応えるような偶然性である。長編小説にありがちではある。ユーゴもそうだ。しかし、種が初めから分かってしまうような偶然は面白くない。
人によると、この小説は第一次世界大戦、アルジェリア戦争という大きな歴史が一本あり、その歴史とは別に一本ユーネスの人生がある構造になっているという。そしてフランスのアルジェリアに対するノスタルジーが貫いている。そのとおりだが、ベレポックbelle époqueを破壊したアラブ系アルジェリア人たちが築いた独立アルジェリアについて批判がないのは、最終節が1964年から2008年に飛んでいるのに回顧で終わってしまっているのは残念である。
総体的な『昼が夜に負うもの』の印象はメロドラマだなぁ、ということだ。僕の解釈では昼とは今日のアルジェリア、夜は独立前のアルジェリアなのだが、依然としてアルジェリアは「夜明け前」なのではなかろうか。タイトルが綺麗過ぎる。
アルジェリアは1962年7月5日独立した。大学時代『アルジェの戦い』(日本公開1967年)という映画を見た。イタリア人の監督だった。その後アルジェで、ジュネーブで何回も繰返して見ることになった。しかし、この映画はあくまでアルジェリア側に立った歴史解釈だ。
独立10年後にアルジェで生活し始めた僕はあの戦い、あのアルジェリア戦争は何だったのだろうかと自問し続けた。アルジェの街は戦いの傷を残してはいなかった。ただ、フランスが都市計画をして建てた「白亜のアルジェ」は薄汚れた街と化していただけである。通りの名前はアラブ風に変わった。それだけである。動かなくなったエレベーター、ゴミだらけの路地、日常のちょっとしたものがなくなるマルシェ(マーケット)、今日は玉子、明日はジャガイモがマルシェから消えた。車の中に置いたものは、数分車から離れただけで盗まれた。僕の小さなアパートは入り口のドアを壊されて進入された。ブームディエンヌ大統領の社会主義政策は行き詰っていた。年々生活が悪くなる。人々は政治化していって、政府の宣伝を繰返すオウムになっていった。80年代にはイスラム化が押し寄せてきた。いたるところにモスケが建設され、政治が宗教(イスラム)を利用するようなったのである。
アルジェリアはアルジェリア人の手に渡ったが、そのアルジェリア人とは独立戦争を担ったFLNの独裁だったのだ。確かにアルジェリアでフランスはモロッコやチュニジアと違ってアラブの文化を破壊した。アルジェにもオランにもメディナがない。アルジェにカスバが残り、バブ・エル・ウエドなどの名前が残ったが、アラブの作った城壁がない。アラブ人が培った文化がなくなっていたから、アラブ人はフランスの街を占領しただけで、そのメンテナンスが出来ないから街がゴミ溜になったのだ。
多くの血を流したアルジェリア戦争は新しいものを生まなかった。ド・ゴールが言った「民族自治」はFLNの独裁を意味するようになった。実際、アルジェリア人たちはフランスに移民することを夢見ていた。折角勝利した戦争、手にした独立はなんだったのだろうか。
2007年、25年振りにアルジェリアに戻ったときに見た状況も前にいた頃と人々の顔つきは変わらなかった。社会主義体制から自由経済になり消費物資は溢れていた。だか、貧しい人たちは相変わらず貧しかった。イスラムのテロが荒れた90年代は、21世紀に入って亡霊のように現れたブートフリカが政権を握っても、今でも時折テロ爆弾があちこちで爆発している。
こうした現実のアルジェリアからヤスミナ・カドラは少なくとも本書では逃げているとしか思えない。日本語Wikipediaでは2005年にフランス国籍をとったとある。真偽のほどは調べたがわからなかった。しかし、今年のアルジェリア大統領選挙に一時出馬すると宣言していたのだから、アルジェリア国籍を失ったわけではないと思う。仏語Wikipediaでは「アルジェリア人作家」となっており、「アルジェリア出身の作家」とはなっていない。
アルジェリアについて書き出すととまらないので、続きは他の機会に譲る。
RDCコンゴは広い。11州あるが、1州カタンガ州だけで日本よりも面積がある。農業に適
した土地は8000万ヘクタールもある。しかし、食料輸入国である。農業生産は1960年の独立前よりも低い。
そこで農業だ、農業だと掛け声ばかりが喧しかった。やっと、東部各州の戦争が遠のく気配で、農業プロジェクトが始まろうとしている。
キンシャサの西隣バンドンドBandundu州ケンゲ県のブカンガ・ロンゾに7万5000ヘクタールの農地開発をする。「農業パーク」のパイロット・プラントだ。南アフリカが経営する。投資総額8300万ドルを予定している。こんなパークを全国に20箇所作る計画らしい。
ブカンガ・ロンゾはキンシャサから220km。大消費地に近く、コンゴ河に注ぐワンバ側添で灌漑もやり易い。立地はいい。南アが梃入れするのだから実現可能性が高いと思われる。
ただ、大農法で大量に機械を導入する結果、地元の農村が受ける恩恵は少ないようだ。それでも僕はいいニュースだと考える。この国は食料の自給どころか輸出が出来る国である。鉱業と同じで、潜在能力だけでは致し方ない。一歩でも前に進んで、農業振興をして欲しい。
RDC : à l’heure des
parcs agricoles
Dernière mise à jour:
15 juillet, 2014 - 16:37 GMT BBC Afrique
Mettre en valeur
l'énorme potentiel de terres arables dont elle dispose, tel est l’objectif du
programme de parcs agro-industriels que vient mettre en place la République
démocratique du Congo.
C’est le chef de
l'Etat, Joseph Kabila, qui a inauguré le site pilote de Bunkanga Lonzo, à
environ 220 km à l'est de Kinshasa, rapporte l’AFP.
Ce parc de Bukanga
Lonzo, qui s'étend sur 75.000 hectares a été choisi pour son "potentiel de
production à très haute valeur ajoutée : terre arable à fort rendement,
disponibilité en eau et facilité d'irrigation, proximité avec la ville de Kinshasa
qui constitue un marché et un débouché commercial de plus de 10 millions de
personnes".
A terme, l'Etat
prévoit le lancement de 20 parcs agro-industriels.
L’enjeu est d’autant
plus important que la RDC est aujourd'hui un importateur net de denrées alimentaires
alors qu'elle dispose, selon les autorités, de 80 millions d'hectares de terres
arables.
Le gouvernement du
Premier ministre Augustin Matata Ponyo, en fonction depuis avril 2012, a fait
du secteur agricole l’une des priorités de son plan de développement national.
Certains paysans
producteurs seraient critiques vis-à-vis de ce programme auquel ils ne seraient
pas associés en amont.
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