04 septembre 2016

9月4日 ガボンに国連の使者 Exclusivité : l'Onu au chevet du Gabon

Le dimanche 4 septembre 2016
7時、快晴、21℃、45%。

今日はレストラン{HOPE}に行かない。しかし、「HOPE」は今日も営業している。明日はやはり行こう。

先月85日(金)に「ウバンギの日本人」としてUNDP職員槌谷さんを紹介した。赤道州活躍する日本の方だ。「なんとかしなきゃ!」というサイトで3回の連載記事を書いている。その3回目、ちょっとRDCコンゴの現状と乖離があるように思うのでコメントする。
コメントは引用文中のカッコ内。

(引用開始)
「「特別連載 来て見てわかる!アフリカ:コンゴ民主共和国編 第3回」

2016年は第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)が開催される年。「世界が見えるトピックス」では、国際協力機構(JICA)が派遣する「青年海外協力隊」が、住んでいるからこそわかる、アフリカの生の情報をお届けしていますが、今回は「青年海外協力隊」が派遣されていない、中部アフリカの大国、『コンゴ民主共和国』からの特別編です!国連開発計画(UNDP)で現地に駐在中の槌谷さんのレポート3回目です。

(「青年海外協力隊」も「シニア」もRDCコンゴには派遣されていません。周辺国ザンビア、タンザニア、マラウィ、ケニア等々には100名前後の「協力隊」が派遣されて、各国の「辺地」までいって農業や教育の現場で地道に活躍している。RDCコンゴは紛争国とみなされているため派遣を躊躇しているものと思われる。外務省の「海外安全HP」のレートが悪すぎる。何しろ広い国なので、州によって派遣を検討してもらいたいものである。)

「コンゴと日本」

寄稿者:国連開発計画(UNDP 槌谷恒孝
コンゴと日本、何か繋がりがあると聞かれて、答えられる人は多くないと思います。しかし意外なところでつながりがあります。

まずコンゴ人にとって日本と言えばマタディ橋と言う橋を思いだす人が多いです。巨大なコンゴ川にかかる唯一のつり橋であるマタディ橋は、日本の援助によって、1982年に完成しました。完成式には当時の皇太子殿下も参列されています。全長1.2kmを誇るこの橋は、日本の技術者とコンゴの技術者の協力よって建てられたものです。そしてこの橋を立てた技術を活かして瀬戸大橋が建設されました。日本によって建てられたのは橋だけでなく、メンテナンス技術や物を大事にする心も技術者に受け継がれ、紛争中もずっと適切な維持管理を続けた結果、30年経っても非常に綺麗な状態で橋が保たれています。貴重な輸送経路となっているだけでなく、観光地としても有名で、新婚カップルがウェディングドレスを着て写真を撮っていることもあります。
マタディ橋
(RDCコンゴ)
(マタディ橋とはWikipediaにも項目がある。ところが、日本の円借で出来たというのに日本語Wikipediaはない。別名「元帥橋」。元帥はモブツ大統領。円借款だったが、払ってくれないので無償になった(2014年)。当時の国鉄(現JR)が技術援助をしたが、この橋はキンシャサとコンゴ河の河口バナナ港を結ぶ鉄道が35年経った今日も出来ておらず道路だけの橋となった。港整備計画も同様、計画だけでバナナ港は外航船の入港に不適で、河を遡ったボマ港および主要港としてマタディ港が使われている。発電のインガダムIIIとあわせ情けないプロジェクトである。吊り橋としてはコンゴ河唯一だが、2800㎞遡ったコンゴロ市(カタンガ州)に横断橋がある(英文Wiki)。メンテナスはそれほどできていたとは思われない。2014年、日本が5億円以上の無償援助を決めた。2009年に通過が有料化されたようだ。)

それからプロレスファンにはおなじみの掛け声「猪木!ボンバイエ!」、実はリンガラ語だってご存知でしたか?伝説となっているボクシング世界ヘビー級王座決定戦モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンが19741030日に行われたのはコンゴの首都キンシャサです。そのため「キンシャサの奇跡」とも言われているこの戦いにおいて、観衆がリンガラ語で「アリ!ボンバイエ(やっちまえ)!」と言っていたのが日本でも使われるようになりました。
なぜこのような伝説的な試合がキンシャサで行われたのでしょう?それは当時のモブツ大統領が国庫から大金を払って呼んで来たのです。アメリカのテレビ放映時間に合わせ、現地の夜中に試合は行われました。

(「キンシャサの奇跡」は有名だが、モブツ大統領のザイール「大国主義」の結果と思う。ちなみにザイールの在日本大使館も当時は東京世田谷の広大な敷地にあった。今は台東区浅草橋。偉大なザイールの宣伝効果は十分にあったのではないか。
Boma ye」を猪木が「ボンバイエ」と云ったとすれば、猪木の誤解か発明でしょう。
「キンシャサの奇跡」は英語圏では「The Rumble in the Jungle」と呼べれているようだが、これもキンシャサがジャングルの中にあるようで米国人受けのタイトルだ。試合は美国東部時間に合わせてキンシャサ時間未明4時だったそうだ。)

そして悲しいつながりもあります。実は広島で落とされた原子爆弾の原料であるウラニウムはコンゴで採掘されたものでした。これを知っているコンゴ人はさすがにほとんどいないですが、毎年8月になると、現地のニュースでも平和記念式典などは必ずニュースになり、広島は東京についで有名な都市となっています(最近は福島も加わってしまいましたが)。この話をコンゴ人にすると、ごめんね、なんて言ってくれる人もいます。

RDCコンゴのウラン鉱山はカタンガ州にある。シンコロブウェ鉱山だ。リカシ市から25kmだというので訪問を試みたことがあるが、25kmとはいえ、悪路で2時間以上かかるというのであきらめた。それに大統領府直轄で入山は無理だと分かった。広島の原爆に使われたことは確かだが、当時はベルギーの鉱山会社Union Miniereの管轄下。今のコンゴ人の所為ではない。だが、盗掘されていて、時々、「ウラニウム、買わないか、売り先はないか」などと怪しい連中が僕にまで誘いをかける。冗談じゃない。)

最後に意外なつながりといえば、よど号があげられます。よど号ハイジャック事件で有名になったよど号はその後いくつかの国に転売され、最終的にコンゴでその寿命を全うしたようです。VIP用飛行機として使用されていたらしいですが、買い取ったコンゴの航空会社が倒産したためそのまま放置されているとのこと。少し前までは空港に機体が置いてあったとのことですが、今はどうなったのか分かりません。

(この国では飛行機事故がよくある。飛行機の整備も悪いが滑走路が短かったり、滑走路の整備がわるかったり、原因はさまざまだ。飛行機事故が起こるたびに、飛行機会社がつぶれる。つぶれるのではなくつぶすのかもしれない。よど号の最終オーナーはCo-Za Airwaysだそうだが、2007年に解散している。CoCongoZaは南アとすれば、南ア空路を飛んでいたことになるが、詳細がわからない。機体がおいてある空港がルブンバシである可能性もあるなぁ。)

こんな小さくても意外なつながりはまだまだ他にもあるのですが、やはりコンゴでも日本と言えばトヨタやヤマハをはじめとする、自動車、バイク、船外機のエンジンなどが有名です。コンゴ川を要するコンゴでは船外機の需要も多く、私が見るエンジンの多くはヤマハです。自動車も日本からの中古輸入車がたくさん入ってきていて、懐かしい日本車のオンパレードです。幼稚園の送迎バスに大人が座っているのを見るとほほえましい気持ちになります。一度日本の霊柩車も見たことがあり、びっくりしました。聞いてみると、やはり用途は同じようです。

コンゴの新技術・信号ロボット

コンゴが誇る信号ロボットはソーラー電池で動いている
日本の技術力を高く評価してくれるコンゴ人ですが、コンゴでもハイテクの波は押し寄せています。それが「信号ロボット」。首都キンシャサと第二の都市ルブンバシに合計8台程度設置されています。ソーラー電池で動くこのロボットはコンゴ産で、信号を守らない市民、市民にお金を要求する交通警察に代わって導入され、好評を博しています。いつか日本でもこの信号ロボットが設置される日が来るかも知れません。
交通信号ロボット made in DRC
(キンシャサ)
(新規の技術はなにもない。何故こんなロボットもどきの信号機を作ったのか全く理解できない。ルブンバシでは中央郵便局の前および630日通りとキレラバランダ通りの交差点に置いてあるが、しょっちゅう壊れている。夜半は動いていない。ロボットの両眼にはカメラがあってビデオをとっているというが、ロボット信号無視は日常茶飯で、ビデオを本当に撮っているとは思えない。賄賂をとる警官よりましだというが、警官の賄賂はロボットがいても同じだ。8月は特に酷い。9月初めに学校が始まるから、警官たちは必死で交通違反を「取締って」は「たかって」いた。子どもの学費を稼ぐためである。しかし、それは口実。学費は毎月納めねばならないのだ。
ロボットは115000ドル。日本なら、同じロボットでも交通量に応じて赤信号の長さを調整するだろうし、違反車は次の信号で捕まる工夫をするだろう。第一もっとカッコいいロボットを作るに違いない。中国の寄付で太陽電池で動く信号が街のあちこちにできたが、これもよく壊れている。)

以上、3回にわたってお送りしたコンゴの紹介ですが、やはりここでは書ききれない多くの魅力があります。大きなポテンシャルと悲しい歴史を持つコンゴ。このコラムをきっかけに皆さんがコンゴに関心を持ってもらえれば幸いです。」

(槌谷氏はRDCコンゴを愛していらっしゃるようだ。とても好意的な記事になっている。それは嬉しいことである。「ここでは書ききれなかった魅力」をまた書いていただきたい。)

ガボンの大統領選後の混乱は続いている。国連が乗り出した。しかし、国連安保理から派遣されたセネガルの大学人バティリAboudelaye Bathily氏がBBCのインタヴュに応えているものの、内容は皆無といっていい。平静にもどれというばかり。言えないことがありすぎるのではないか。たとえば、対抗馬ジャン・ピンとも話したというが、何処で話したのか云わない。どうもフランスで会ったらしいのだが、それも極秘なのだろうか。
投票結果を検証するしかないだが、それは云わない。独占インタヴューとBBCは華々しく書いているが、意味のないインタヴュである。
バティリ氏は大学人とはいえ、セネガルの大統領選にも出たことがあるし(得票は3%(未満)、マッキー・サル大統領下で大臣も経験している。その政治的手腕を拝見したい。アリ・ボンゴに敗北を認めさせるのは、しかし、至難にちがいない。
国連安保理からガボンに派遣されたバティリ氏(セネガル)
写真で見ると学者肌だなぁ
Exclusivité : l'Onu au chevet du Gabon
3 septembre 2016 BBC Afrique

Le Représentant spécial du Secrétaire général de l'Onu, Abdoulaye Bathily appelle les deux parties à l'apaisement

Joint à Libreville par la rédaction de la BBC, le Représentant spécial du Secrétaire général de l'Onu pour l'Afrique Centrale (Unoca) à Libreville, Abdoulaye Bathily a affirmé avoir rencontré le président Ali Bongo et l'opposant Jean Ping en vue du dénouement de la crise post-électorale dans laquelle, le Gabon est plongé depuis la publication mercredi des résultats provisoires de la présidentielle du 27 août 2016.
Nous vous publions in extenso l'intégralité de cette interview exclusive.
BBCAfrique : Abdoulaye Bathily merci d'accepter cette interview avec notre rédaction. Vous avez entamé une médiation entre le président Ali Bongo et l'opposant Jean Ping en vue du dénouement de la crise post-électorale au Gabon. Où en est votre médiation ?
Abdoulaye Bathily : je voudrais vous dire que le président Ali Bongo a accepté de me recevoir et j'ai également rencontré M. Ping à plusieurs reprises. Grâce à ces rencontres nous avons pu obtenir la libération des membres de l'opposition qui étaient retenus au quartier général de campagne de Jean Ping. Nous estimons que cela ne suffit pas car ce qui est important aujourd'hui pour le Gabon c'est que nous parvenions à l'apaisement du climat politique. Il est également absolument nécessaire que les activités économiques et sociales reprennent parce que le pays risque de plonger dans le chaos dont les conséquences sont déjà visibles. Il est essentiel que tous les acteurs politiques de l'opposition et leurs alliés ainsi que le parti au pouvoir appellent à l'apaisement.
BBCAfrique : qu'avez-vous dit à Ali Bongo et à Jean Ping?
Abdoulaye Bathily : le message que j'ai transmis à chacun est celui de la communauté internationale à commencer par les Nations Unies, qui demandent l'arrêt des violences. Il faut que les voies de droit soient empruntées pour régler le conflit post électoral et que cela se fasse dans un climat d'apaisement.
BBCAfrique : quelle est la position des deux parties ?
Abdoulaye Bathily : sur le principe tout le monde est d'accord qu'il faut un apaisement. Mais il est urgent que cela soit dit de manière très claire pour que les populations dans les quartiers, les villages et dans toutes les villes du pays soit rassurées.
BBCAfrique : quelle est la situation actuelle ?
Abdoulaye Bathily : Je ne souhaite pas entrer dans les détails, tout le monde est unanime sur un point c'est qu'il faut un retour au calme. Il y a quelques signes d'encouragement depuis le début de notre médiation mais c'est encore insignifiant. Il faut maintenant que le président Ali Bongo et l'opposant Jean Ping, chacun de son côté œuvre pour que le calme revienne dans le pays. Si rien n'est fait, nous assisterons à des pénuries qui entraineront des conséquences dramatiques.
BBCAfrique : peut-on espérer à un retour au calme dans les prochains jours ?

Abdoulaye Bathily : je le souhaite vivement mais cela ne dépend pas de moi. Je pense que vu le sens de responsabilité de chacun, il serait judicieux qu'ils aillent dans ce sens.

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