30 novembre 2016

11月30日 二つのコンゴ deux Congo

Le mercredi 30 novembre 2016
6時、雨、24℃、70%。

今日を木曜日と早合点して出かけようとするところ、「パパ、水曜日だよ」。

9時、薄日がさしてきた。

コンゴ共和国とコンゴ民主共和国と二つのコンゴがあることをどれだけのひとがご存知だろう。日本だけの話ではない。欧米でもよく混同される。国民の呼称はどちらもコンゴ人congolaisである。
コンゴという名前はコンゴ王国Royaume du Kongoから発する。13世紀には成立したと云われる。この王国の領土は現在のコンゴ民主共和国、コンゴ共和国、アンゴラ共和国、ガボン共和国それぞれのの一部に跨る30万㎢であった。
コンゴ共和国の首都はブラザビルBrazzaville、コンゴ民主共和国のそれはキンシャサだ。キンシャサの方が有名だろうが、ブラザビルはコンゴ河を隔てた対面にある。キンシャサからブラザビルを遠望することができる。
コンゴ民主共和国を僕はRDCコンゴと書いている。RDCとはRepublique Democratique du Congoの略である。英語ならDRC
結局は近代国民国家ができるときに、欧州列国によってアフリカが分割され、フランスがブラザビル側を植民地化、ベルギーがキンシャサ側を「ぶんどった」ということである。
欧州に分割されていなければ、言語地図によって、あるいは民族地図によってバンツーの大コンゴができたか、多数の小国が生まれていたであろうと思う。
カタンガ州はスワヒリ語圏だが、キンシャサで話されているリンガラ語はコンゴ・ブラザビル、アンゴラや中央アフリカ共和国の一部でも話されているのである。

こうした背景を持つ二つのコンゴだが、英国のサッカー連盟のミスで、生まれも育ちもロンドンなのに、両親がRDCコンゴ出身でコンゴ人になりたくてコンゴ・ナショナル・チームの一員としてプレーすることを選択したサッカー選手ベニク・アフォーベBenik Afobe君(23歳)が先のギニアとの試合に出られなかったという話である。
「初歩的過ぎる(ミス)」と記事では非難しているようだが、僕は無理もないと思う。普通の英国人が二つのコンゴがあることを知る由もないのではないか。

ベニク君に一言するなら、英国のナショナル・チームが選んでくれるなら彼を育ててくれた英国のためにプレーするのが順当ではないかと思う。家ではリンガラ語を話し、フォフォを主食にしていたかもしれないが、RDCコンゴまた両親が育ったであろうザイールを彼は全く知らないし、現在のコンゴも知らないのである。
ベニク・アフォーベ選手
(引用開始)
「初歩的過ぎる…元アーセナルFW「コンゴ違い」でW杯予選に出られず!
2016/11/24 11:00 Football Web Magasin Qoly
Written by 編集部K

22日、『Mirror』は「ボーンマスに所属しているFWベニク・アフォービは、イングランドサッカー協会(FA)のミスでワールドカップ予選に出られなかった」と報じた。

かつてアーセナルのユースで育成され、トップチームにも昇格したアフォービ。様々なクラブへのレンタルを経て退団し、昨季半ばからはボーンマスでプレーしている。

彼はイングランドの各年代で選抜されてきた経験を持っているが、先日以前から誘いを受けていたコンゴ民主共和国の代表に入ることを決断した。

両親の出身地へと国籍を切り替えることになった彼はFAにそれを申請し、手続きを行っていた。

ところが、彼がワールドカップ予選にデビューすることはなかった。その理由は、なんとFAの書類送信ミスであったという。

FAの職員は、アフォービが呼ばれたコンゴ民主共和国ではなく、コンゴ共和国に書類を送信していたとのこと。

このエラーを修正するために10日間を要し、FIFAがそれを解決した際には、もうワールドカップ予選ギニア戦が終わっていたとのことだ。

残念ながらアフォービは合流しながら出場できなかったが、コンゴ民主共和国は2-1と勝利を収め、グループ首位を守ることに成功。アフォービも環境に慣れるという価値があったと語った。

ベニク・アフォービ

「僕はチームや状況に慣れなければならなかったから、旅をする価値はあったし、試合にも勝った。プレーできないことに失望はしたが、重要なのは怪我なしでクラブに戻ることだよ。

いつだって代表チームよりもクラブチームの方が優先されるものだ。僕はボーンマスでできるだけプレーできるようにしておきたい」

(引用終了)

29 novembre 2016

11月29日 キンシャサの中高生がデモ : à Kinshasa, collégiens et lycéens manifestent contre la cession d’un terrain scolaire à la Chine

Le mardi 29 novembre 2016
6時、快晴、24℃、72.5%。カタンガ晴れ。

キンシャサの中学生高校生が28日(月)デモをした。ゴンベ地区の学校と云うから、良家のお坊ちゃんお嬢ちゃんが行く学校だ。私立「アテネ校」。理由は学校の敷地の一部を中国大使館に譲渡することに反対。土地は大統領の実弟の土地のようだ。学校のプールとサッカー場が対象になっている。中国大使館はここにコンピュータ訓練施設を建設する予定とか。
生徒たちは初等中等教育省、外務省、首相官邸前等でデモったらしいが、スローガンの中には政治的なもの、カビラ大統領退陣要求まで含まれていたようだ。
地元警察、軍隊などは出動していない。少なくとも報道されていない。デモがある程度自由にできたのは、エリート校で、生徒の親の中には「お偉いさん」の子がいたためではなかろうか。
国連系オカピ放送によれば、当日キンシャサ市長、教育省大臣などが、早速学校に向かい、生徒たちに事情説明をしたという。なるほど、市長や大臣がね。普通じゃこんなことにならないなぁ。

RD Congo : à Kinshasa, collégiens et lycéens manifestent contre la cession d’un terrain scolaire à la Chine
28 novembre 2016 à 13h49
Par Jeune Afrique avec AFP

Plus de 300 collégiens et lycéens ont manifesté lundi à Kinshasa contre la cession d'un bout du terrain de sport de leur école à l'ambassade de Chine par le gouvernement congolais.

RD Congo : à Kinshasa, la rentrée scolaire rime toujours avec galère
Les salles de classe étaient à peine ouvertes lundi 26 novembre que des élèves de l’Institut de la Gombe, école d’un quartier chic du nord de la capitale de RDC, ont barré la circulation devant le cabinet du ministre de l’Enseignement primaire et secondaire aux cris de « Non aux Chinois ! », « Oui aux droits de l’enfant ».

Privés de leur piscine puis des terrains de foot

Selon les manifestants, la cession du terrain à l’ambassade de Chine a été la goutte d’eau de trop qui a déclenché la colère des élèves (et de certains parents à leurs côtés), après que l’école eut été dépossédée de plusieurs autres installations. L’établissement avait déjà été privé de sa piscine et d’un terrain de foot au profit du Shark Club voisin, propriété de Zoé Kabila, jeune frère du président congolais, ou encore d’une école turque.

« Les Affaires étrangères ont attribué ce terrain à l’ambassade de Chine pour la construction d’un centre de formation en informatique », a déclaré à l’AFP un conseiller du ministre de l’Enseignement sous couvert d’anonymat.

Des slogans hostiles à Kabila

Les élèves se sont rendus en cortège devant le ministère des Affaires étrangères et à proximité des bureaux du Premier ministre, scandant des slogans hostiles au pouvoir à moins d’un mois de la fin du mandat de Joseph Kabila, le 20 décembre.


Le président congolais est au pouvoir depuis 2001 et la Constitution lui interdit de se représenter. En vertu d’une décision contestée de la Cour constitutionnelle et d’un accord passé entre la majorité et certains opposants ayant renvoyé la présidentielle à une date non fixée, il entend se maintenir à son poste au-delà du 20 décembre, ce que dénonce avec véhémence la majorité de l’opposition.

11月28日 カストロとRDCコンゴ La RDC et Cuba, une amitié historique

Le lundi 28 novembre 2016
6時、小雨、23℃、70%。肌寒い。

傘をみつけた。妹さつきが貸してくれた小さな折り畳み傘だ。とても小さいが頭にあたる雨は避けられる。大雨でなければ、これで雨をしのげる。失くさないようにしなければ。

今日は終日雨がふったり止んだり。14時、ちょっと太陽が顔をだした。

カストロが25日(金)死んだ。
1965年カストロがチェ・ゲバラをコンゴに侵入させた。コンゴの共産革命支援のためである。ゲバラは、コンゴ人の反政府軍の規律の無さを見て、コンゴ革命を諦めてしまった。カストロはアンゴラで内戦、東西代理戦争を起こしてある程度の成功をおさめた。軍事的成功である。しかし、今日、アフリカで社会的公平、あるいは経済的平等を手に入れた国は一か国もない。
キューバはアメリカの資金と武器の支援を得てカストロが独裁者バティスタを倒した。バティスタは良家生まれのカストロとは違って、貧しい農家の生まれであった。また早くに両親を亡くして苦労をしている。軍隊がバティスタを育てた。それも20歳以降のことである。キューバ革命は階級闘争とは思えない。『我、人民とともにありEstoy con el Pueblo』(1939年)を著したバティスタの方が労働者階級を良く知っていたろう。いずれにせよ、政権を執ったバティスタもカストロも反対派を大いに弾圧した。
カストロのまたキューバ革命の評価にはもっと時間を要するだろう。
ティトン(Tomás Gutiérrez Alea)監督の映画『Fresa y Chocolate』(1993年)を見る限り、キューバにおける自由(思想・良心、言論・表現、学問等)はかなり制限されていて「住み難い」国だと思う。カストロの死をもって、新しい自由な世界が開けることを願う。

ゲバラが去ってからも、197778年のカタンガ紛争でもキューバの影がある。アンゴラでキューバの軍事顧問に訓練された反モブツのカタンガ兵が帰国して戦闘をくりかえした。モブツはフランスに泣きついてカタンガ兵を追い払った。1997年、現カビラ大統領の父LD カビラはアンゴラにも助けられてモブツを追い出した。キューバとRDCコンゴの関係はだから伝統的に良いといえる。しかし、キューバとの関係は、殆どこの国で話題にならない。スポーツ、医療分野の協力程度と思われる。とくにキューバからRDCコンゴの鉱山などに投資がされているとはきかない。

カストロの葬儀にはカビラ大統領が出席するかもしれない。しかし、国内が不安定な現在キューバに行けるかどうかはさだかではない。
Fidel Castro
La RDC et Cuba, une amitié historique
Par RFI Publié le 27-11-2016 Modifié le 27-11-2016 à 00:02

Cuba et la République démocratique du Congo entretiennent des relations diplomatiques depuis plus de 42 ans. Déjà vers les années soixante, on parlait de la présence des Cubains aux côtés des Simbas, ces révolutionnaires congolais qui, après l’assassinat en 1961 du Premier ministre Patrice Emery Lumumba, avaient décrété un mouvement insurrectionnel à partir de Stanleyville, aujourd’hui Kisangani.

C’est en 1977 qu’avait été dénoncée la présence sur le sol de l’ex-Zaïre des combattants cubains installés en Angola. Ils avaient accompagné les ex-gendarmes katangais dans l’invasion d’une partie de la riche province du Katanga. Ces instructeurs cubains encadraient les anciens militaires de la sécession katangaise qui s’étaient réfugiés en Angola, et qui étaient revenus avec la ferme détermination de défaire le régime Mobutu.

En 1978, les ex-gendarmes katangais récidivent, cette fois en investissant la ville minière de Kolwezi. Toutes les deux fois, le bloc de l’Ouest intervient à travers une coalition des pays pro-occidentaux. Le Maroc, le Tchad, le Sénégal, l’Ouganda pour la première occupation du territoire, avec des parachutistes français lors de la deuxième agression. La crise affecta sérieusement les relations diplomatiques entre l’ex-Zaïre et Cuba. Des diplomates cubains furent également expulsés pour subversion et espionnage.

En 1997, le lumumbiste Laurent-Désiré Kabila devient président de la République. Il n’a pas oublié que des Cubains avec Che Guevara avaient séjourné dans son maquis de Hewa Bora, au Sud-Kivu.


Les relations diplomatiques se renforcent. Et c’est en étant à Cuba que Laurent-Désiré Kabila apprend que ses alliés étrangers dans l’AFDL préparent un coup d’Etat contre lui. Il interrompt son séjour, revient au pays et demande aux soldats rwandais, ougandais et autres de quitter le territoire de la RDC.

28 novembre 2016

11月27日 RDCコンゴ:フツ人村が襲撃されて犠牲者37名 RDC : 37 morts dans l'attaque d'un village hutu

Le dimanche 27 novembre 2016
6時、曇り、24℃、70%。湿度が高くなった。

クリスチャンが初めて稼いだ。タクシーを運転した。午前中サスペンションを修理して午後営業した。途中まで僕は助手席に乗っていたが、14時半に任せて帰宅した。
初めて稼いだお金は11000フラン(1100円)だ。
通常タクシーは1日働いて、オーナーに20ドルを差し出す。ガソリン代、有料道路料金などは運転手もちだ。なかなかキツイ仕事であるが、スペアタイアを売り飛ばしたり、ジャッキーを盗んだり、走行キロ数をごまかして売上のうち客がいなかったと10ドルしか払わない等々、油断のならない連中である。
クリスチャンは今のところ警察官がいない日曜日だけ仕事にする。売上金をとっておいて、失くした携帯でも買いなさいと云ったが、「パパがとっておいて」と。
ともかく仕事をしてくれたことが嬉しい。仕事は彼からの提案だった。
彼の就職口はまだみつからない。

RDCコンゴ東部の北キヴ州(州都ゴマ市)の北部ルアンガ村が、マイマイ「マゼンベ」ナンデを名乗る武装集団に今日未明襲われて37名が殺されたという。
ルアンガ村はフツ人の村で、ナンデ人たちとフツ系コボ人と土地争いを繰り返していた。国軍が介入しなければ、もっと多くの犠牲者がでたろうと記事には書かれているが、37名もの村民犠牲者が出てしまっているのだ。
未明に村を襲ったということは、極めて計画的で、いざこざが暴動になったというような突発的事故ではない。RDCコンゴ東部は、ベニ市といい、ブルザ村といい、ナンデ人、フツ人だけでなく、少数民族が入り乱れて争っている。それにFDLR(ルワンダ解放民主軍、何が「民主」軍なのだろう、要は略奪を繰り返す武装強盗集団である)なども加わって、一見政治的軍事行動にみえるが、殺し合いをしている。「戦争」という普通大義のありそうな武力紛争にもあたらない。
全く無法地帯化している。国家権力が及ばないのである。
マイマイの兵士
(RDCコンゴ東部)
RDC : 37 morts dans l'attaque d'un village hutu
Les maï-maï Mazembe sont un groupe d'"autodéfense" nande, un des assaillants a été tué.
Cette zone est le théâtre d'affrontements récurrents entre ces deux communautés. Il s'agit du massacre le plus meurtrier depuis un an environ que des heurts interethniques, liés surtout à des querelles foncières, agitent le centre-est de la province du Nord-Kivu, déchirée par la violence des conflits depuis plus de vingt ans.
"Le village de Luhanga a été attaqué vers 5h00 du matin par des maï-maï Mazembe", a déclaré M. Bokele, joint par téléphone de Goma, la capitale du Nord-Kivu.
Les maï-maï Mazembe sont un groupe d'"autodéfense" nande. Un des assaillants a été tué, a encore déclaré M. Bokele. Selon une source à la 34e Région militaire basée à Goma, "si l'armée n'était pas intervenue, il y aurait eu beaucoup plus de morts".
Le Centre d'étude pour la promotion de la paix, la démocratie et les droits de l'Homme (Cepadho), ONG basée dans le nord du Nord-Kivu, affirme de son côté que "les assaillants ont opéré pendant plus d'une heure".
Le Cepadho affirme par ailleurs disposer d'informations selon lesquelles "les maï-maï Mazembe auraient proféré maintes fois des menaces contre les Hutu au cours de la semaine, leur demandant de vider le Sud-Lubero (ou) de s'exposer à l'épuration".

Les violences entre Nande et Kobo d'un côté et Hutu de l'autre côté ensanglantent le sud du territoire de Lubero et les confins nord du territoire de Walikale depuis environ un an.

11月26日 モロッコ:回教寺院が地球温暖化対策に貢献 Surprise, les mosquées marocaines s'engagent contre le changement climatique

Le samedi 26 novembre 2016
6時、曇り、24℃、65%。

15時ちょっと前に帰宅。15時に豪雨。危なかった。

チーコちゃんに抗生物質Clamoxylをミルクに混ぜて与えた。500gのカプセルなので、与える量を計るのが難しいが、体重に応じて25㎎。多分効き目があるだろう。外に出てしまった時に隣の猫から移されたのか、妙なオリモノがあったのだ。

家のマンゴーが食べごろになってきた。今年は豊作。近所の若者が泥棒に庭に侵入する季節になった。クリスチャンは熟れるまえにとって、塩をつけてたべてしまう。甘いものが好きなのに、熟れるとあますぎるのだそうだ。家にはマンゴーの木が6本ある。

モロッコのマラケシで今月7日から18日までCOP22が開かれていた。この環境会議はパリ合意に具体的スケジュールを示したとして評価が高い。次回はドイツでCOP23が開催される。日本はパリ合意国に入った。トランプ政権下で米国が離脱するかもしれない。
モロッコのモスケ(回教寺院)、600モスケが気候変動阻止に積極行動をとることになった。モロッコにはモスケが15000寺院もあるそうで、おいおいもっと多くの寺院で、太陽光発電利用、風力利用、太陽光温水などを実施していくという。
日本にも社寺仏閣が多い。既に太陽光発電などを行っているところもあるのだろうが、一つの運動としてモロッコの例を模倣してはいかかがかと思う。
モロッコのフェズFèsのメジナmédina(フランスの建設した都市部ではなく、城壁に囲まれた旧市街)には数多の寺院があるが、観光とうよりは、フェズ市民の生活の一部としてのモスケで観光客が見学する対象ではない。僕も中に入れなかった。あのモスケ群のどこに太陽光発電パネルをおくのだろうか。下手をすると景観が壊れる。ちょっと気になるところである。
フェズの旧市街メディナ
(モロッコ)
Surprise, les mosquées marocaines s'engagent contre le changement climatique
25 novembre 2016  Slate Afrique

Plus de 600 mosquées vont être converties au développement durable. Le gouvernement marocain espère changer les mentalités.

Est-ce l'effet de la COP22, le sommet mondial sur le climat qui se tenait à Marrakech du 7 au 18 novembre? Le gouvernement marocain a annoncé que 600 mosquées allaient faire l'objet de travaux pour y développer des énergies renouvelables avec des panneaux solaires, des éclairages à basse consommation ou du chauffage à eau solaire.

Ce plan initial sera complété d'ici 2019 avec la rénovation de l'ensemble des mosquées du pays, soit environ 15.000 édifices, rapporte le média américain CNN. L'ambition du Maroc, au-delà de produire une énergie verte, est de convaincre la population du bien-fondé des énergies renouvelables.

Changer les mentalités

«Les mosquées ne représentent pas une grande consommation d'électricité, il y a seulement de l'éclairage et de l'eau chaude. Mais notre objectif est d'informer les gens», a confié Said Mouline, le directeur de l'Agence nationale pour le développement de l'énergie durable à CNN.

Le projet est mené avec la coopération du ministère allemand de la Coopération et du développement. L'aide financière versée par l'Etat allemand s'élève à 5 millions d'euros. Des travailleurs marocains et des entreprises locales seront formés à la production d'énergies renouvelables.

«Comme un prérequis, il sera nécessaire de former les entreprises marocaines et leurs employés. En effet, la demande pour ces services dans la région reste faible, et peu d'entreprises locales ont des compétences dans ce domaine, souvent à cause d'un manque de formation de la main d'oeuvre (...) Le projet visera aussi à changer les mentalités sur l'énergie renouvelable et durable parmi les décideurs marocains, tels que les imams et professeurs dans les mosquées, et également parmi le grand public», souligne le ministère allemand de la Coopération et du développement sur son site web.


Slate Afrique

11月25日 タンザニア:ネズミが結核患者発見に活躍 Tanzanie : des rats détectent la tuberculose

Le vendredi 25 novembre 2016
6時、晴れ、24℃、65%。

17時、ネット不通。18時、回復。

タンザニアのラボで、ネズミを利用して結核の早期発見をする実験が行われている。ベルギーのNPOApopo」というところが共同しているようだ。
結核患者のまえで「チュウチュウ」となくのかと思ったら、さにあらず、ヒトの痰に含まれる結核菌に反応して、患者か否かを知らせるのだそうだ。
『ル・モンド』紙電子版によれば、結核だけでなく、地雷発見などにも訓練されたネズミが使えると云う。ネズミも生体解剖にされるよりも、よほど大切にされるだろう。将来はガン患者発見にもネズミが活躍することが期待されているらしい。
ネズミといえばペストを運ぶ悪い奴と思っていたが、嗅覚が発達しているのだろう、それにしても興味ある利用法を考えたものだ。タンザニアだけでなく、成果を世界に広めて欲しい。
結核で息子クリスチャンの兄は今年死んだ。RDCコンゴでは結核はペニシリンがあっても「死に至る病」である。
かなり大型のネズミだ
(タンザニア)
Tanzanie : des rats détectent la tuberculose
25 novembre 2016  BBC Afrique

Un rat renifleur sur les échantillons pour détecter ceux qui sont affectés par la tuberculose.
Le gouvernement tanzanien vient d'inaugurer le premier laboratoire de ce type en Afrique de l'Est, dans lequel d'immenses rats sont utilisés pour tester et détecter la tuberculose.
Les rats sont utilisés comme cobayes. L'expérience s'inscrit dans un vaste programme de recherche consacré à la lutte contre cette maladie très contagieuse, qui cause des ravages sur le continent.
Selon les responsables tanzaniens de la santé, un rat peut diagnostiquer la tuberculose en reniflant 100 patients et donner le résultat dans les 10 à 20 minutes qui suivent.
Un chercheur a indiqué qu'un peu plus de 20 rats ont été utilisés dans un laboratoire.
Les rongeurs reniflent alternativement les échantillons de crachats des personnes malades.
Un rat renifleur efficace
Un des chercheurs a indiqué que cette nouvelle technologie a été développée par une organisation belge et a aidé à détecter de nombreux cas de malades, précédemment diagnostiqués négatifs.
Les statistiques montrent que plus de 10 000 échantillons de patients, qui ont été précédemment diagnostiqués négatifs avec d'autres méthodes, ont ensuite été l'objet d'un diagnostic "positif", avec cette nouvelle technologie de rats renifleurs.
D'après les chiffres officiels de l'Organisation mondiale de la santé, 13 millions de personnes souffrent de la tuberculose, qui est l'une des 10 principales causes de décès dans le monde.

Le ministère tanzanien de la Santé indique que ce laboratoire dépiste actuellement plus de 200 échantillons par jour dans les cliniques de la ville de Dar es Salaam et peut fournir des résultats aux cliniques dans les 24 heures.

11月24日 エジプト:7000年前の古代都市新発見 Egypte : découverte d'une ville antique


Le jeudi 24 novembre 2016
6時、雨、24℃、65%。

体感温度は20℃以下。肌寒い。この時期、風邪をひくコンゴ人が多い。雨で蚊が発生するのでマラリアも多くなる。

エジプトではまだまだ古代の発見がある。
5000年前の都市と思われるサイトを発見したのは海外の発掘チームではなく、エジプトの考古学チームだそうだ。同じところでNY大学が発掘調査をしているはずだが。ナイル流域のアビドスAbydos近くの遺跡発掘になる。ファラオであるセティ1世の神殿発掘の延長らしい。
セティ1世は紀元前1300年近くのファラオンだから、5000年前と云うのは随分と古代の都市になる。
エジプトは観光が落ち込んでいる。新発見された都市の名前はまだ付けられていないようだが、観光資源として政府は期待している。確かに7000年前の都市とは魅力があるだろう。しかし、イスラム・テロが続く限り、観光客はもどらない。殆ど軍事政権のエジプトだからこそ治安回復に成功するのだろうか。
新発見は、それんしても古代エジプトに関心のある諸氏には垂涎の的には違いない。発掘の詳細が待ち遠しいことと思う。
アビドスAbydos
Egypte : découverte d'une ville antique
24 novembre 2016

L'architecture des tombes laisse croire que les habitants de la ville avaient un rang social élevé.
Des archéologues ont découvert en Egypte ce qu'ils considèrent comme une ville vieille de 5 000 ans, avec des maisons, des outils, de la poterie et des tombes géantes.
Le site se trouve près du temple funéraire de Séthi I, près du Nil, à Abydos, une importante ville de l'Egypte antique.
Selon les archéologues, la taille des 15 tombes laisse croire que les personnes enterrées dedans avaient un rang social élevé.
Ils espèrent que ces vestiges pourraient donner un coup de pouce au tourisme local, qui est en crise depuis 2011.

Selon un journal local, les autorités d'Egypte ont tenu à préciser que cette découverte a été faite par une mission archéologique du ministère égyptien des Antiquités, et non pas un groupe étranger.

11月23日 南ア:悪魔祓いに殺虫スプレー De l'insecticide ''pour chasser les démons''

Le mercredi 23 novembre 2016
6時半、雨、26℃、65%。完全に雨季に入った。激しい雨である。雷も時々鳴っている。

ブログ18日(金)号に書いたマラウィの「ハイエナ」エリック被告が2年の懲役兵判決をうけた。

9時半には晴れたのでルブンバシに出た。用事をたして13時半には帰宅。なんと15時から大雨。
1715分、停電。この停電、雷の所為じゃないと思う。雷は16時位からなっていない。食事の用意をしている最中だったので、ちょっと参った。停電が長引けば、断水にもなる。
1730分、電気回復。

こんなことをするから南アフリカ共和国はまだアフリカの中(うち)と僕はいうのだ。The RSA is still un african coutrtry.
とはいえ、こうした迷信または不合理な「儀式」を有り難がる信者が日本にもいないとはいえない。だが、バイブルをもちだすことはないだろう。
南アで問題視され当局も動いたのは、「悪魔祓い」のために殺虫剤スプレーを信者の顔にふきかけていたラバラゴ牧師の行為だ。自称預言者だというから呆れる。他にヘビを食べさせたり、ガソリンを飲ませたりした牧師もいるそうだ。少女に重いスピーカーを乗せてその上に乗って少女を殺害してしまった牧師もいるという。何故か少女を殺した牧師は訴追されていない。
ヘビは食用にならないことはないだろうが、殺虫剤やガソリンとなると犯罪だ。
「先進国」南アがこれでは困る。これは教育の問題だと思う。どんな教育を南アではしているのか。義務教育は9年、就学率は90%近い数字がでている。アフリカでは圧倒的に良い数字だ。
殺虫スプレーは僕も良く買うドバイのDoom製
「Doom」が「不幸な運命」という意味だからという
Doomを製造している会社からも抗議されている
De l'insecticide ''pour chasser les démons''
21 novembre 2016

Le pasteur Lethebo Rabalago fait polémique en Afrique du Sud.
L'objet de toute cette controverse s'appelle le ''Doom'' (qui signifie ''le destin malheureux''). Il n'a pas hésité à asperger cet insecticide sur ses fidèles dans le cadre d'un rituel de guérison.
Le pasteur Lethebo Rabalago, qui dirige une église charismatique à Polokwane, dans le nord, a été photographié en train d'asperger le visage d'une femme dans le but de ''chasser les démons''.
Sur la page Facebook de son église, il assure que Doom permet de soigner le cancer et le sida.
Le fabriquant de l'insecticide Doom, la marque Tiger Brands, a condamné une telle pratique dans un communiqué et a réitére que pulveriser le produit sur le corps et en particulier sur le visage est dangereux pour la santé.
Le gouvernement a mis en place une commission pour enquêter sur les motivations des pasteurs à pratiquer de tels rituels.

En août, le soi-disant prophète a été accusé d'avoir tué une adolescente dans son église en plaçant un lourd haut-parleur sur elle pendant qu'elle était couchée. Il s'est assis dessus pendant cinq minutes. Le pasteur n'a jamais été poursuivi.

Cette polémique intervient quelques mois après celle provoquée par un autre pasteur sud-africain qui demandait a ses fidèles de manger des serpents et de l'herbe ou encore de boire de l'essence pour se purifier.