『ザンジバル、ビクトリア湖、タンガニーカ湖紀行』(5)
長距離移動はバス(autocar)を利用した。
f) 高速バスほか
① ルブンバシ=ダル・エス・サラム 80ドル 実際の所要時間:38時間
② ダル・エス・サラム=ムワンザ 50000シリング($31.25) 16時間
③ ムワンザ=キゴマ 31000シリング($19) 12時間
④ キゴマ=タボーラ 25000シリング($16) 10時間
⑤ タボーラ=ムベヤ 35000シリング($22) 20時間
⑥ ムベヤ=トゥンドゥマ ミニバス 4000シリング($2.5) 2時間半
⑦ ナコンデ=キトウェ 170クワチャ($31) 17時間
⑧ キトウェ=チンゴラ ミニバス 17クワチャ($3) 1時間
⑨ チンゴラ=カスンバレサ タクシ 25クワチャ($4.5) 1時間
⑩ カスンバレサ=ルブンバシ タクシ 5000フラン($5.55)
① ルブンバシ=ダル・エス・サラム
昼にルブンバシを出発して翌日22時にダル到着予定のバスである。運営はRDCコンゴのTaqwa社だが、バスのナンバ・プレートはタンザニアだった。
日産ディーゼルの車だったが、今回タンザニアやザンビアで乗ったバスで日産ディーゼルは2路線のみ。他は全てスウェーデンのスカニア社のものばかりだ。なお、今回調べてみると、日産ディーゼル社はUDトラックス社(ボルボ社傘下)、スカニアはフォルクスワーゲン社傘下へと寡占化が進んでいることが分かった。
荷物は車内に持ってはいる。網棚に入らなければ座席の下におく。貨物室はコンゴからの
道路はザンビアのムピカ以北タンザニア国境まではところどころ舗装が傷んで凸凹した区間があった。これは2010年に比べれば補修されていたが、それでもザンビアが幹線道路でさえ数年かけてもメンテナンス出来ない、即ち政府(サタ大統領)にやる気がないのか金がないのかだ。
バスは快適とは云い難かった。座席が不潔だったり、リクライニング・シートだが壊れていて突如背が倒れ後ろに迷惑をかけたりとまともなバスとは思えない。暖房が利かなかったので、ザンビアからタンザニアに抜ける山中の寒かったことといったらなかった。足が冷たくなるし、窓がしっかり閉まらないから冷たい隙間風が吹き込んできた。バスタオルで隙間を埋めてもタオルがすぐ落ちてしまう。コンゴ=ザンビアの国境を出たのが夕方17時半、キトウェが19時、カピリ・ムポシは既に22時ころ、ここからが寒かった。寒いことは予測していたので長袖を着ていた。それでも凍えたのである。
ダル・エス・サラムが近づくにつれて温度が上昇したのは、夜中にダルについたが、幸いだった。
国境でバス会社のアシストは全くない。バスを降りて検疫やイミグレイション手続きを各自する。バスは国境前で人を降ろし、運転手及びバスの通過手続きをして国境を過ぎたところで乗客が手続きを済ませるのを待っている。ザンビアもタンザニアもコンゴも国境係官はのんびりしている。
僕はユーゴスラビアが解体する前、パリからアテネまで列車に乗ったことがある。オリエント急行である。その当時でさえ、列車から降ろされてイミグレイション手続きをしなければならないなどということはなかった。
RDCコンゴ、ザンビア、タンザニアはSADCの一員である。一日もはやく国境手続きをもっと簡単にすべきではないか。
バスの運転手と客席との間に大画面のスクリーンがあって、映画や歌手のビデオを流す。音の感覚がコンゴ人もアフリカ人一般にない。割れた音でもかまわず大音量で流す。騒音としか僕には思えないが、その騒音が流れないとアフリカ人は不満なようである。
ルブンバシ発ダル・エス・サラム行の国際バス タンザニア側の国境の町トゥンドゥマにて |
ビデオ画面に映るのはインド、ナイジェリアの娯楽映画か タンザニアやRDCコンゴの歌手 騒音としかいいようがない |
バスが停まると何処でも物売りが わっと集まる、バナナ、蜂蜜、弁当、飲み物、 雑貨、携帯電話のプリペイド・ユニットなんでもござれ |
朝4時半、バス・ターミナルに行くと予約したバスが故障で出ないという。代わりに他のバス会社の席をくれた。中国製の真新しいバスだった。道路の舗装は完璧。それはいい。
しかし、こちらの健康状態が良くなかった。腹痛。また前立腺肥大の所為で小用が近い。バスは運転手の都合で4時間以上も止まらないことがあった。苦痛であった。今回利用したバスで車内にトイレがあるバスは一台もなかった。南アヨハネスバーグに行くバスにはトイレがある。
たとえバスが止まって皆が下りて林のようなところで用を足しても、僕は時間がかかった。そこで思い出したのが、ルブンバシを出てからルイボス茶を飲んでいないことだった。ルイボス茶は持ってきていたが朝はコーヒーを飲んでいた。
それ以降ムワンザでもキゴマでも朝ルイボス茶を飲んだ。その所為かかなり普通に小用を足すことができるようになった。ルイボス茶の効能か、単に気の所為かどうかはわからない。
タンザニアのトイレはトルコ式、それはいいがペーパーがない。アラブと同じで水道が各室にある。幸いなことにタンザニアではその水道から水が出た。有料トイレの場合でもペーパーがないことが多い。僕はバスに乗るときはペーパーを常に持っていた。ホテルだけが洋式トイレであった。
トイレの話を始めるときりがない。
景色はサバンナ、どこからライオンが飛び出してきても不思議はない。でも動物の姿は全く見えなかった。モロゴロからドドマ(憲法上の首都、でも国会しかないようだ)、タボーラを過ぎて夜に入り、シニャンガ、ムワンザとがむしゃらに走り続けた。22時過ぎにムワンザについたものの、ビクトリア湖がどこなのかもわからなかった。宿はジョゼフ君に頼んで前日ダルから電話で「ホテル・ケンビスKembice」を予約していた。もっともチェックインするまではKembisと書くのかと思っていた。
ダルから乗ったムワンザ行バスの切符 Master City社 車内で発行された バス会社は当日変更された フレキシブルといえばそれまでだが、、、。 |
(続く)
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