Le mercredi 27
novembre 2013
6時、晴れ、24℃、65%。
7時半のバスでキプシを出発、南アのビザ申請窓口に3度目になる出頭をした。こんどは手紙の修正と、僕の旅券のコピーを出せといわれ、手紙の修正のために急いで帰宅、20分で修正して、4度目の南アの出先機関伺いとなった。11時半過ぎ、全ての書類が整ったとされ、査証費用128ドルを支払った。支払ってから、受付番号をもらうまでに更に30分待った。コンピュータのシステムダウンがあったからだそうだ。
このビザ申請はしかし特急で僕は全ての書類を用意してしまった。のんびりしていたらいつになるか分からない。ビザ申請窓口のある事務所の壁には費用は125ドルとある。差額は何だと訊いたらSMSの費用だそうだ。3ドルもSMSにかかるはずがない。
いい加減疲れたが、やっと申請を終えたのである。窓口に来ていた人の殆どは旅行エイジェントのひとだった。いくつもの旅券をもっていた。個人で申請する例は余りないのだろう。3か月分の預金明細が要求されるが、これなど普通ここの人は預金口座を持っていないから不可能だ。エイジェントが何とかしてくれるから、個人では書類を揃えずエイジェントに適当に作ってもらうのだ。査証費用を含め300ドルから350ドルかかるときいた。
はやくて10日で査証がおりるそうだ。そのことおりなければ、総領事に面会を申し込んでみよう。
キプシ街道の修理は2011年1月に始まった。街道ルブンバシとキプシを結ぶ30kmである。工事は今日も続いている。3年がかりである。未舗装で残っていた2400mの工事が今年10月再開された。雨季目前である。しかし、その工事も先週の段階では1400mがアスファルト舗装され、1000mが残っていた。愈愈雨季が始まって、この1000mは例年5月以降に持ち越される気配だった。しかし、今日独立50周年記念病院の杮落としがキプシであった。その所為で、一昨日月曜日から残りの半分500mが急遽舗装された。まだ500m残っている。この500は舗装するのだろうか。それとも病院の完成式が終わってしまったから、来年以降になってしまうのだろうか。
14時、家に帰ってみると隣の家から激しい泣き声が聞こえてきた。これは人が亡くなったときの泣き声である。庭師アンドレに訊いてみると、隣人でクリスチャンと同級のエマ君の母親が今朝10時頃に亡くなったというのだ。人が亡くなると女性は大声を出して泣き叫ぶ。本当に悲しいのかどうかは別だと僕には思えるが、ともかく声を張り上げて泣く。それが「文化」らしい。しかし、突然の出来事である。クリスチャンはこの日曜日に元気な姿を見ているという。アンドレは碌な医者がここにはいないから診断を間違って死亡する例が耐えないのだと説明する。そうかもしれない。
隣家であるし、クリスチャンの級友でもあるので、明日見舞いとして炭1俵とトウモロコシの粉1袋を送る予定だ。事情によるので通夜が何日続くか分からないが、雨季の夜は寒いので炭を熾す。また食事を弔問者に出すのでトウモロコシの粉がいる。
夜は夜で大音響で音楽をスピーカーで流す。隣家に五月蝿いと云うわけにも行かない。
遺体を墓地まで送るときは、これまた大騒ぎである。葬送行進などというものではない。僕から見ると乱痴気騒ぎ。しかも、興奮しているから、外国人とみると日ごろの鬱憤を晴らしたいのか暴力的になる可能性がある。
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