03 novembre 2013

11月3日 ルブンバシで火薬庫襲撃事件、真相は如何 RDC: les violences au Katanga provoquent la colère de la population

Le dimanche 3 novembre 2013
7時、うす曇、25℃、62,5%。

7時、ネット不通。8時、回復。

夜はペッパーステーキにする。キプシのKTBで冷凍フィレ(インド製で回教徒も食せるハラルと包み紙に記されていた)が意外と一本で買えばステーキにできると分かったのである。ルブンバシのメガストアで買っても解凍してあるが、生肉ではなく冷凍で輸入されたものだと判明した。メガストアはキロ18000フラン(1800円)だが、ここはKTBはキロ6600フランと割安。なおKTBが州知事モイーズ系の会社である。どうすればペッパーステーキができるかネットを調査した。

高倉健が文化勲章受賞ということだが、君は高倉健に似ているといわれ、本人もその気でいたときがあった。でも高倉健的硬派のイメージではなく、学生のダンス・パーティにも出かけて「ハマ・ジルバ」(横浜のジルバ)を踊った。軟派を気取るには金がなかった。家庭教師などのアルバイトはしていたようだけれども。横浜の寮は金沢八景。戦後の面影を残す木造平屋のあばら屋だったなぁ。八景に行くために乗った京浜急行の急行電車は激しく揺れながら突進した。八景には海岸があった。夏の夜には夜光虫が光った。飲んだ酒はもっぱらサントリー・ビールだった。サントリーは若者のビールだ。50年後、君が思い出したのは八景ではなく、一緒に行った唐桑と三陸海岸だった。就職先は東芝原子力。その会社の仕事で数年後には東海村に住んだのだと思う。今、思うにそこで被爆してはいないだろうか。40代で転職した。ビルのメンテナンスの会社に移ってから働きに働いたようだ。そして社長になっちゃって重責も祟ったのではないか。
高倉健は80歳。君もそれぐらい長生きして欲しかった。ST、君は僕の青春だったからね。『チボー家の人々』の
僕はその後アルジェで、ルガノで、カナリアで、そして今ルブンバシで青春を謳歌している。

このブログでも引用することがあるフランスの国際放送RFIRadio France Internationaleの記者二人がマリ北部キダルで拉致され、その後まもなく殺されてしまった。ニジェールで誘拐されて3年後に無事帰ってきたフランス人3人がいたというのに。

国連の一般要請(オランダを名指しでは要請していない)に答えて、オランダがマリ安定化ミッションMINUSMA380名の兵を送ることにした。オランダとマリでは直接利害関係が殆どない。さて、日本はどうするのあろうか。南スーダンには自衛隊を派遣している。「マリは知らん」というのだろうか。

南アで17歳の少女を暴行、強姦した21歳の青年に無期懲役の判決が下った。青年の叔父は「冗談だろう」というが、事件が起きた南西部の小都市ブレダスドープの市民はショッキングな犯罪の惨さからみて当然と受け止めている。NPO「国境なき医師団」(南ア支部)はこの国では26秒に一人が強姦されているという。この数字でいくと南アでは年間120万の女性が犠牲になっている勘定になり、これは聊か誇張されているとは思うが、いずれにせよ戦争状態ではない国で極めて多くの強姦事件があるのは既に社会問題である。重刑にしたからといって解決する問題ではなかろう。事件の多くが黒人スラム街で発生し、犯人がやはり黒人であることを考えると、アパルトヘイトは終わっていないとしかいいようがない。
南ア:21歳のムバカジ・カナ被告は無期
重い刑だと考えるのは強姦が普通の犯罪と
考えられているからだ
しかし、婦女暴行・強姦が南アでこんなにも多いのは
普通ではない、南アの社旗問題である

物騒なことだが、先週1028日(月)から29日(火)にかけての夜、ルブンバシの工場地帯、知人ADさんの家の近くにある国軍の火薬庫がマイ・マイに襲われた。国軍兵が勿論常駐している施設であるが、双方で銃の打合いがあり、死傷者が出た模様である。国軍側が4人、マイ・マイ側が3人と報道されている。マイ・マイの正体は、カタンガ州独立を標榜するバカタ・カタンガだという。この事件で数十人が逮捕された。
しかし、この「バカタ・カタンガ」なる集団が本当にカタンガ州独立運動の一派なのかどうか極めて疑わしい。はっきりとした首領もいないし、団体としてのまとまりもない。標榜する主張も漠然としすぎている。一説によると、動きは単に現知事モイーズを揺さぶり、彼に治安不安定の責任をなすりつける「モイーズ降ろし」ではないかとみられる。僕もその可能性が強いと考える。
カタンガ州知事モイーズ
市民の支持に問題はないが
嫉妬渦巻くコンゴである
どうやって生き延びるのか、それも市民の支持が頼りだが、、、。

RDC: les violences au Katanga provoquent la colère de la population


Par RFI

En République démocratique du Congo, la tension est toujours vive à Lubumbashi, dans la province du Katanga, après l'attaque dans la nuit de mardi à mercredi d'un dépôt de munitions et de la résidence du chef de la police militaire. Le dernier bilan officiel fait état de quatre morts du côté des forces de l'ordre et de trois chez les assaillants. Ce sont à nouveau les Bakata Katanga, un groupe de milices sécessionniste, qui sont pointés du doigt. Plusieurs dizaines d'arrestations ont eu lieu depuis et la population semble de plus en plus excédée.

Manifestation, échanges de tirs, altercation... C'est aux forces de l'ordre que la population de Lubumbashi s'en est pris ces derniers jours. « Ils continuent leurs tracasseries au lieu d'arrêter les responsables de ces violences », explique un habitant, affirmant que ces derniers étaient connus de tous.

Si officiellement, le chef des Bakata Katanga serait Ferdinand Kasali Ntanda Iméné, un chef de milice qui se serait évadé du cachot de l'Agence nationale de renseignements au mois de mars, d'autres noms de figures politiques et militaires de la province circulent. Une piste que n'exclut pas le porte-parole du gouvernement.

En mars dernier, plusieurs centaines de miliciens qui se faisaient appeler Bakata Katanga - littéralement « diviser le Katanga » - avaient attaqué la ville de Lubumbashi, faisant une vingtaine de morts. Deux cents d'entre eux s'étaient rendus à la Monusco et ont été transférés depuis à Kinshasa.

Sans chef, ni revendications précises

« La situation est mauvaise », reconnaît un militant des droits de l'homme. « La population est excédée, parce que même quand ces gens sont arrêtés et détenus ici, ils ne restent jamais longtemps en prison. » Du côté des humanitaires, on confirme qu'il ne s'agit pas d'un groupe armé comme un autre. « Les Bakata Katanga n'ont pas de chef connu avec lequel on peut interagir, ni de revendications précises », explique l'un d'eux, ajoutant qu'il s'agissait d'une question à la fois politique et sensible.


Ce que craignent les observateurs, c'est que ces violences n'aient d'autres buts que de déstabiliser le gouverneur de la province, Moïse Katumbi, au profit d'autres barons du Katanga. La résurgence de ces groupes de milices a fait passer le nombre de déplacés internes de 55 000 en janvier 2012 à plus de 360 000 aujourd'hui.

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