Le
mercredi 15 octobre 2014
5時、快晴、26℃、40%。
「日本カタンガ協会」会長キュングの埋葬日。11時にドン・ボスコ病院へシスター・アスンタ佐野さん、アラン君と行った。金管楽器がなり響いていた。
ミサの前にベンバ人のクラブで儀式が先ずあった。キュング氏はザンビア国境のキニヤマ生まれで、ベンバだった。キュング氏は余り人種、種族を表に出さないひちだったが、ベンバのクラブ・センピアSempyaのメンバーだった。カタンガ州では少数民族といえるベンバ人である。ベンバはザンビアが中心だ。ただ、モイーズ知事も母親がベンバなのでメンバーになっているそうだ。それぞれの民族がクラブ組織を持ち社会文化センターと称してクラブ・ハウスを建てている。日本でいえば県人会だが、それ以上に社会的影響があるという。
カタンガ州副知事ヤヴ・チバル氏 彼もモイーズ知事同様実業界出身のようだ |
今日の葬儀、埋葬は全て州政府が取り仕切っていた。州副知事ヤヴ・チバルGuilbert Paul Yav Tshibal氏が総代として弔辞を読み、終始彼を中心として進行していたように思う。州大臣も内務大臣を始め多くの大臣が出席した。キュング氏が直接「庇護」されたのはモイーズ知事付き無任所大臣で、彼の顧問官をしていたのである。駐日大使館や駐タンザニア大使館に勤めていたが、その後、数年前から顧問官conseillerとして州政府で働いていた。南アでの治療入院費用は全て州政府が出した。
僕が弔問に行った月曜日にはキュング邸にテントが張られていなかったが、翌日州政府が大テントを建てて弔問客を受け付けたそうだ。
棺(ひつぎ)も欧州式の大変豪華なものであった。
喪服を着ていたのは副知事や州大臣たちだけで、多くの出席者は平服であった。
ミサは聖エリザベート(聖エリザベス)教会で行われた。キュング邸から500メートル。瀟洒な教会だ。
ミサを終えて新しく州が建設したカサンギリ霊園で埋葬が行われた。キュング氏の生地キニヤマ(ルブンバシから北東100km)に行く途中の霊園で今年4月の開園。墓地の中の道に名前がつけられており、賢明地区エリゼ小道がキュング氏の場所だった。
切花も用意されていて僕には菊ではなく赤いバラが渡された。
気になったのは、ルブンバシ市中の墓地と違って、家族の場所がないことである。キュング氏の隣に家族が埋葬される場所がない。コンゴにも墓参りの習慣がある。毎年8月1日が死者を弔う日だ。キュングというのは「双子」という意味である。双子の兄弟がいる。奥様、兄弟もキュング氏の隣に入れないというのは寂しいと思う。
また、カナダに留学、そのままカナダ国籍を取得したキュング氏の娘さんが、ナイロビでRDCコンゴ入国ビザ取得がすぐに出来ず、ナイロビで足止めされてしまったのは残念である。
かくキュング氏の葬儀・埋葬は州主導で行われた。立派な葬儀だったわけだが、家族にとってどうだったのかは分からないところである。
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