02 août 2015

7月25日 戦争に行きますか le Japon participera à la guerre ?

Le samedi 25 juillet 2015
6時、快晴、20℃、50%

伊藤整の詩に「母娘」というのがある。その中に「母は急に老い込み くろんぼうか 影みたいになる」という一節がある。「くろんぼう」というのが気になった。いつごろ作られた詩か僕はしらない。多分1945年以前だろう。
岡本綺堂の小説(1935年)に『くろん坊』があると今回ネットで知って読んでみたがこの黒ん坊と伊藤整のくろんぼうとは違うようだ。
ネットの俗語辞典では「黒んぼとは黒い人=黒色人種や日焼けなどで色黒の人に親しみを込めたり、嘲っていう言葉である(人や状況によって捉え方が異なるため、使用には注意が必要)」とある。親しみを込めてこの語を使用することがあるとは知らなかった。この定義なら僕も黒ん坊になるなぁ。
伊藤整が差別語を使ったとして非難しようとは思わない。そうではなくてこの語が出てきた背景を知りたく思ったのである。僕が小学校低学年の頃、『少年ケニア』が仲間によく読まれていた。僕はこの小説のファンではなかった。冒険物よりも『怪人二十面相』のような探偵物が好きだった。当時はアフリカが遠かった。猛獣と「土人」がいるところだったのである。
伊藤整の書いた「くろんぼう」には憐れな姿がある。「くろんぼう」と「影」が等価になっているからだ。実際には多分会ったこともないアフリカ黒人のイメージなのか、小説で読んだアメリカ南部の黒人なのか。それとも夏の強い日差しに日焼けた少年なのか。どう解釈するか、僕はまだ考えている。
RDCコンゴ東部の政府軍(FARDC)
連日日本の国会前で反政府デモ、安保関連法案廃案デモが続いている。法案は衆議院を通過、参議院に送られている。法案が廃案になる可能性は低い。両院とも政権与党が多数を占めている。その議員たちを選んだのは国民である。国民は安倍晋三の危険性を投票前に認識すべきだった。安倍政権は表面上経済運営に成功している。低金利、円安政策だ。労働者は賃上げで潤った。企業は史上最高益を更新している。インフレはない。
安倍晋三は日本を普通の国にしたいのだろう。即ち、戦争の出来る国である。欧米諸国で国外で戦争をしていないのはスイスくらいか。安倍はアメリカやフランスのように諸外国で民主主義の名において戦争をしたいのだ。では、安倍はアフリカ大陸のマリ、中央アフリカ、ソマリア、南スーダン、ナイジェリアそしてRDCコンゴに、また中東イラク、シリアに、ヨーロッパはウクライナに派兵する用意があるのだろうか。
シリア、イラクで戦争をすれば、東京もテロに狙われよう。ロンドン、パリ、マドリッド等は常にテロの標的だ。
安保関連法案は勿論憲法違反だ。それは安倍も承知しているだろう。承知していても憲法を改正せずに成立させようと計る。潔よくない。しかし、多数党の代表だから民意を表面上反映していることになる。これが代表制民主主義だ。この民主主義の欠陥である。
反対派はというと全国的デモ、数百万単位のデモを組織することができない。ネットで呼びかけても数十万単位しか集まらないようだ。これは「数十万しか」なのである。
最近の世論調査でも阿部政権支持率は50%近い。時事通信の調査では40%。ともかく40%もの支持を得ているのだ。
与党自民党を現在の社会党並みに凹ませる力が国民にない。いや国民はそれを望んでいない。二大政党時代などと言っていたが、危険は無思想時代、一億総経済主義だ。
1945年以前は一億総玉砕、敗戦後は一億総懺悔、今や一億総経済効率第一なのである。今度戦争をすれば、勝つためにはなんでもする国になるだろう。それを僕は危惧し、また怖ろしいと思う。
住民は逃げまどう
(RDCコンゴ)
女性はどうだろう。息子や孫が徴兵されたり戦争に駆り出されることを心配しているようだ。時代錯誤ではないか。「銃後の守り」の繰り返しだ。自分が、女性である自分が、あるいは娘が戦争に行くことを考えていない。男女雇用機会均等法の精神も雲散霧消。息子を戦場に送りたくないからという勢力が安保関連法を廃案に追い込むのに成功したとしたら、これまた恐ろしいことだなぁ。
ともかく、戦争が絶えない国コンゴからの、どこかで戦争がある大陸からのメッセージは、何があろうと戦争をしてはいけない、戦争の準備をしてはいけないということである。
安倍政権が瓦解すること、自民党が割れることを望むばかりである。

自衛隊を北キヴ州に送って戦争をさせますか。

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