31 décembre 2010

12月31日 le vendredi 31 décembre 2010 大晦日 fin d'année

Le 31 décembre 2010, vendredi
晴れたり曇ったり。
大晦日。

8時半、停電に気がついた。
マドンナちゃんの朝食が作れない。ま、ビスケットだけで我慢してくれ。電気が来たらパスタをつくろう。9時半、電気は来たのにネットが不調。ネットも10時回復。
マドンナのパスタを火にかけたまま忘れてしまった。Pasta al dente(お蕎麦と同じで煮すぎては駄目)なんてもんじゃなくなった。ごめんね。でも遅くなったのは、停電だったから、僕の所為じゃないよ。

天気が比較的いいので、毛布を干している。昼間は汗がでるほどではないが、ランニング・シャツでも上半身裸でも寒さを感じない。けれども朝はかなり寒いことがある。ルブンバシは南緯11度40分。南回帰線(23度26分)よりずっと赤道に近いけれども高原(高度1230m)なのだから当たり前ではある。春分、秋分、夏至、冬至の差をあまり感じない。昼夜の時間、日の出、日の入りの時間が年間を通して殆ど変わらない。雨季でも太陽さえ出れば日差しは強い。

昨日に引き続いてDVDをみている。シスター・アスンタ・佐野さんから随分前に貸してくれたDVDである。シスターが誰からかもらったものだが、彼女も殆ど見ていないという。『ロード・オブ・ザ・リング』、『少林サッカー』、『タキシード』、『シャンハイ・ナイト』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』、『007 The Another Day』、『Spider-Man』。『英雄』等である。
Yimou Zhangの『英雄』、Steven Spielbergの『Catch me…』がなかでも面白かった。Sam Raimiの『Spider-Man』も定型だが悪くはなかった。みんな2002年頃の映画らしい。

昼間は快晴。15時半、水シャワーを浴びることができて、年内の垢を洗い流すことができた。さっぱり。

Motorolaの携帯に2個のSIMを入れることに成功。裏豚がいままで上手く外れなかったのである。壊すわけにはいかないから無理ができなかった。爪が伸びてきたので隙間を這わせて上手くいった。

2010年の日誌は今年のうちに全部uploadすることにした。24時までには今日の分のブログも更新する。

読者の諸姉諸兄、この一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。皆様のご健勝を祈ります。そしてルブンバシで会いましょう !

12月30日 le jeudi 30 décembre 2010 マングローヴ Mangurove

Le 30 décembre 2010, jeudi
快晴。久々である。

洗濯日和。少し溜まっていた洗濯物を全部洗ってしまった。

ネット不調。繋がっているが細い。

Maryse Condé «Traversée de la Mangrove»を読了した。途中でラブ・タンシの短い戯曲を読み出してしまったこともあるが、11月のルサカ出張、悪質な風邪に悩まされ265ページほどの本だが読書が進まなかった。この作品は再読する。20人の証人(村人)と一人の外国人が登場するが、それぞれの証人の性格があり、人生が語られる。各人の言葉が各々異なって表現できるコンデの力量はさすがである。グアダループの小さな村という閉鎖された社会の中で、しかし、各人が決して村人として一体ではない。読み流すにはちょっと難しい人間関係の複雑さがある。証人たちの関係図を書き出して再構築しないと全体が見えない気がする。コンデの意図を探るためにもそうしたい。
主人公Francis Sancherは死ぬためにあるいは殺されるために問題の村Rivière au Selにやって来るのである。彼は全てを認識している。しかし、「何故に」というのが僕にはまだわからない。マングローブという奇怪な場所。謎に満ちた小説のように思う。小説のタイトルはSancherが書いているという小説の題でもある。解明は来年に持ち越そう。

フランス文化センタでサンベーヌ・ウスマンSembène Ousman(セネガル)の『le docker noir』(黒い沖仲仕、1973年)を借りた。年末年始の読書のためである。彼の小説は『Le Mandat』(郵便為替)を今年読んでいる。このブログでも紹介している。

12月29日 le mercredi 29 décembre 2010 Whiskas

Le 29 décembre 2010, mercredi
曇。

午前3時過ぎに目が覚めたときには停電していた。8時半回復。

チーコは、スーパーの自社ブランドのビスケットをよほど空腹にならないと食べない。たしかに見た目もちょっと悪いが安い。ブランドのWiskasの場合は直ぐに食べてしまうというのに。贅沢だなぁ。贅沢に慣れるとよくないよ。何時までも僕が世話をできればいいけれど、君より僕の方が先に逝くんだからね。そうしたら、コンゴ人の家で拾ってくれたとしても、もっと自由が得られるかもしれないけれど、食事は自分で探さなければいけないかもしれないんだよ。マドンナはアラン君がひきとってくれることになっているけど、君の行き先はねぇ。シスタ・アスンタさんに頼んでおこうかな。ま、贅沢いうなよ、チーコちゃん。

12月28日 le mardi 28 décembre 2010 改善 amélioration

Le 28 décembre 2010, mardi
雨のち晴。

携帯電話をPsaroで買った。Nokiaが欲しかったが高い。しかも売り切れだった。MotorolaXL115、ダブルSIMカメラ付にした。190ドル。インド製。この出費は致し方ない。SIMに住所録をおいていなかったので、再構築しなければいけない。これを盗られるとVodacomとAirtel両方のアドレスがなくなる。余程気をつけなければならない。しかし、2台持ち歩かなくて済む。

車の2010年納税ラベルを購入。43ドル。州税。システムが去年と変わっていた。去年の日誌をみるとナンバ・プレートをあわせて現金で200ドル払っている。今年は、支払いが銀行で振り込みになった。税務署のとなりにROW銀行の支店ができていた。納入金額が明確であることと金を係員に渡さないので確実な徴収ができる。州当局も僕も助かる。普通の国では当たり前のことになったのだが、改革である。もう2011年になろうとするのに、やっと2010年の納税が可能になった。これもおいおい改革されるだろう。

車の保険もシステムが変わった。保険料が窓口に貼ってあったのである。年間267ドル。無事故の特典はなく車齢に従って、5年までの個人所有乗用車は267ドルだ。保険会社のリスクから考えると不合理だが、それは致し方ない。公明正大、誰でも分かるようにまた誰でも(外国人でもコンゴ人でも)同一タリフが適用されるのはよいことだ。。去年はカスンバレサでの短期付保とあわせて400ドル以上払っている。今回は麗々しい領収書も発行された。これも普通の国並みになったわけで改善・改革である。

そういえば、こちらがコンゴの運転に慣れた所為もあるが、黄シャツ(交通警官)の「タカリ」が年末年始だというのにめっきり減った。給与がまともに払われ始めたのかもしれない。いいことだ。

上記の改革は、来年にむかってコンゴに希望をいだかせる。泥棒の被害は別の話だ。車の納税のときに、バスの中に携帯を忘れて慌てていた人がいた。彼の携帯はバスの運転手が保管していることがまもなく分かった。う~む、正直な人もいるのだなぁ。アルジェリアではありえない。周りにいたコンゴ人曰く、コンゴ人の90%は正直だと。僕は、では残りの10%に出会ったのだと思いたい。

29 décembre 2010

12月27日 le 27 lundi 27 décembre 2010 «La Parenthèse de sang» de Sony Labou Tansi

Le 27 décembre 2010, lundi
晴。

庭師アンドレさんが来ていない。どうしたのだろう。どうも25日の翌日も一般的に休みのようだ。日曜日と重なったので3連休。

9時45分停電。マドンナ用のパスタも茹で終わっていたので助かった。16時半回復。僕の昼食の用意ができなかった。

電気屋ペリカンさんが11時過ぎに来たが、まだシャワーの湯沸かしユニットのカヴァの外し方がわからない。今一度ダル・エス・サラムに問い合わせることになった。昼に雨が降ったので雨宿りの意味もあったが、15時まで話し込んでやっと帰った。

両コンゴの作家ソニ・ラブ・タンシSony Labou Tansiの戯曲『血の余談 La Parenthèse de sang』を読了。この作者の戯曲は初めて読んだ。彼の小説は戯曲的である。ト書きはごくノーマルなフランス語だが、会話のフランス語は破格。物語は芝居では直接登場しない独裁者と解放者リベルタショの戦いである。作者の考えの中には具体的にモブツとルムンバがいるかもしれない。不条理な独裁者。自分が殺した男を英雄にしてしまう。しかし、血塗られたエピソードは不条理に括弧(カッコ、parenthèse)が閉じられてしまう。ソニらしい容赦ない終末を用意している。後味は悪いが、それが現実に近い両コンゴ(ブラザヴィルとキンシャサ)の実態であったし、多くのアフリカの国々の現実であったといえよう。

ネットが19時20分に切れてしまった。丁度1ヶ月の契約が終わったということのようだ。クレジットがゼロだというメッセージが入った。明日の朝までもつかと思っていたが致し方ない。

12月26日 le dimanche 26 décembre 2010 カド・ムラド Kad Merad

Le 26 décembre 2010, dimanche
晴たり曇ったり。

ショックなことがあった。むしろがっかりしたことかな。反省することしきりである。携帯電話を盗まれたのである。VodacomのSIMが入っているSamsunである。すきがあったということに尽きる。先月はカメラを盗られているし、ついていない。

夕方微熱。パナドールで抑えた。

昨日アラン君に借りたDVDを見た。『イタリアンL’Italien』(バルOlivier Baroux監督、2010年)と『スターと僕Mes Stars et moi』(コロンバーニLaetitia Colombani監督、2008年)である。どちらもカド・ムラドKad Merad主演。
ムラドの名前を全く知らなかった。彼の出演した映画を一本もみたことがなかった。1964年生まれの俳優だが、2001年以降になって映画出演を果たしている。名前からも判るようにアルジェリア移民の子である。しかし、母はフランス人。生まれはアルジェリアのシディ・ベル・アベス(オランの南85km)だが育ちはフランス。顔つきは地中海人、フランス人ともみえるし、イタリア人ともみえる。

イタリアン』の監督バルはラジオ放送界出身。1964年生まれ。映画の初監督は2007年。『イタリアン』は3作目。映画に挿入された音楽も既存の流行歌(ポピュラー・ソングというのかな)で軽いタッチのコメディーである。
アルジェリア移民の子である主人公ムラドMouradには就職先がなかった。一計を案じてイタリア人ディノDinoと偽って就職、持ち前の明るいキャラクタから自動車のトップ・セールスになる。ニースの仕事場ではイタリア人、彼女にもイタリア人で通し、マルセイユ実家ではアルジェリア移民だ。人種偏見問題、イスラム宗教問題など深刻なフランスの現実を扱うにも拘らず、あくまでコメディ・タッチ。ハッピ・エンドでもある。興行として成功したようだ。フランスの映画によくある一つのエピソードが終わったのかどうか分からない、観客に問題を投げて考えさせるという風はない。こういう単純な映画が今のフランス人にもてるようになったのかなぁ、と思わせる。

『スターと僕』の監督コロンバーニはボルド出身の女性監督、女優、シナリオ・ライタ。76年生まれと極めて若い。この映画にも出演している。ネコの精神分析医役。僕は出演作品も監督作品もみたことがなかった。『スターと僕』は6作品目。
三人の女優につきまとうストーカ男の役がカド・ムラド。夢を実現したと同時に現実の関係(仕事と妻)を失うというコメディ。しかし、この映画もハッピ・エンド。小太りしたカトリーヌ・ドヌーヴが出演している。
この最近の2作品だけでフランス映画の傾向を云々できないのは勿論だが、フランス人もハリウッドやボリウッドのハッピ・エンドが好きになってきたのだろうか。それともアラン君の趣味なのだろうか。
なお、DVDは海賊版。フランスで今年11月24日に発売された『イタリアン』が、既にルブンバシに入ってきているということだ。早い。著作権は勿論クリアしていないだろう。先進国にとっては重大な問題だろうが、貧しい国には特例を設けて欲しい、
ところで、『スターと僕』の原題『Mes Stars…』のstarは勿論英語から来ている。スターは本来そのフランスではvedetteまたは文字通り星étoileである。英語単語の乱用はやめようという法律があったと思うが実効性がないようだ。

12月25日 le samedi 25 décembre 2010 クリスマス Noel

Le 25 décembre 2010, samedi
曇のち晴。
Joyeux Noel/Feliz Navidad/Merry Christmas !

ブンバシの大聖堂でクリスマスのミサに参加した。朝一番は7時からだが、10時半のミサである。怠け者だなぁ、。僕は。聖堂内はクリスマスらしいデコレーションがされていたが派手ではない。去年は24日夜にルブンバシ大学に近いサン・ポール教会でのミサだった。スワヒリ語のミサで困惑したことを思い出す。今日はフランス語である。大司教が執り行った。馬小屋の御子は祭壇の横に飾ってあったので、聖堂の最後列にいた僕はミサが終わってから人の流れに逆らって前まで進んで嬰児(みどりご)が飾られているクレシュcrèche(託児所のことも言うが、イエスが生まれた馬小屋の風景)を見に行った。真っ白な石像だった。モダンな石像。僕はスペインやイタリアの教会にあるような丸々と太った可愛い伝統的な御子の像の方が好きである。

ルブンバシの店の大部分は閉まっていた。郊外の街の店は全て開いていた。

思えば去年の12月22日、ダル・エス・サラム(タンザニア)を出てから6日目の12月22日にRDCコンゴはカタンガ州の国境の町カスンバレサに入ったのであった。あれから12ヶ月の月日が流れた。

クリスマスのディナー・メニューはヴィネガーとマスタードソースのアボカド、フィレ・ミニョンのフレンチ・ポテト添え、デザートはバナナ・スプリット。
フィレ・ミニョンを焼きすぎたのが失敗だが、バタとニンニクのソースは出色。

12月24日 le vendredi 24 décembre 2010 妹さつきの仙台講演 pièce théâtrale de ma soeur Satsuki

Le 24 décembre 2010, vendredi
晴。
クリスマス・イヴ。

マドンナの耳の傷が乾いてきた。両腿の傷跡に毛が生えてきている。頭の傷も全快がちかそうだ。やれやれ。

鉛管工イルンガさんが来て、僕が昨日ルブンバシで買ったフレクシブルを湯沸しに取り付けた。

庭師アンドレさんは今日はイヴで半日。昼間での仕事。前借をを頼まれた。小さな札がなにので火曜日に伸ばした。

セミ・ダブル・ベッドの組み立てを助っ人に来てくれたクリスチャン君に手伝ってもらってしている。フレームはメタルだが、マットレスを敷くための横木が固い割にはもろくも折れることがわかった。こりゃ、さらに面倒な問題が持ち上がった。これでは使い物にならないではないか。床にマットを敷いて寝る。

台の新聞『河北新報』に妹さつきの公演評が載った。好意的な評。16,17日の仙台公演は無事済んだが、観客動員にはあと一歩だったようだ。夫君がパナマ駐在で不在の中、一人で頑張った。講演はいつもながら難しいものだなぁ。しかし、さつきが芝居を通じて伝えたいことは観客に十分に伝わった。「売れない歌手と認知賞高齢者との音楽を通じての交流」。テーマは現在の日本の問題を扱っている。日本各地で公演できることを祈っている。


イヴのディナーは、アスパラガスとオイル・サージンで初め、骨付き豚肉のディジョン・マスタード焼きに筍ごはん添え、デザートはアイス・クリーム。ワインは赤、南アのメルロ。
筍ごはんが上手く炊けたので嬉しかった。

24 décembre 2010

12月23日携帯電話会社Airtel

Le 23 décembre 2010, jeudi
晴。

電気代を払いにSNEL社へ。今月請求書が来なかったことを説明したが、いずれにせよ定額一括払いなので、未払いを確認後9890フラン(900円)を支払った。

家賃を支払いに家主の家(ルブンバシ)にいった。3か月分前払い。3月20日までこれで安心。

セミダブル(140 x 190)のベッドを在庫一掃をしている店で買った。150ドル。4脚の椅子月食卓も買ったのだが、キプシ街道の悪路でバラバラに壊れてどこかに飛んでいってしまった。椅子だけが残った。気をつけて運転した積もりだったのだがなぁ。400ドル。高い買い物になってしまった。TV受像機はもっと考えてから買うことにした。

RDCコンゴの携帯電話ZainがAirtelに買収された。既に僕の携帯のスクリーンにはAirtelと表示されるようになった。アラブ(クエート)系からインド系の会社が運営することになったのだ。Zainのタンザニア、ザンビアも同様Airtelとなった。アフリカ16カ国、アジア19カ国でAirtelは携帯電話会社を運営している。世界で契約数2億をAirtelは数えるそうだ。ドコモの4倍ほどの数字である。

Téléphonie mobile-RD Congo: Zain devient 'airtel'
AFRIQUE CENTRALE - RD CONGO

RD Congo - Enfin « airtel » est là ! Une nouvelle société de téléphonie mobile appelée à remplacer Celtel qui opérait depuis quelques années sous la marque Zain en République Démocratique du Congo. Après maints reports dus au remplissage des formalités administratives, la nouvelle société « airtel » a finalement vu le jour.

La cérémonie de son lancement officiel est intervenue, hier jeudi 9 décembre, à l'hôtel Memling. On renseigne que cette marque connecte la Rdc avec 15 autres pays africains. Et pour améliorer la qualité du réseau et l'étendre aux zones les plus reculées de la république, 400 millions de dollars sont disponibles pour ce faire.

Par ailleurs, on indique que ce changement n'affectera pas les clients. Au contraire, hormis le service habituel qu'on leur rendait et qui ne connaitra point de modification, ils auront accès à un autre service de très grande qualité, fiable, innovant et abordable dans leurs pays respectifs, sur leurs lieux de travail et lors de leurs déplacements.

Présent dans 19 pays d'Asie et 16 d'Afrique

Faisant partie du puissant Groupe Barti, airtel est un opérateur de télécommunications bien connu à travers le monde, leader dans 19 pays en Asie et 16 en Afrique qui sont : Burkina Faso, Tchad, République Démocratique du Congo, République du Congo, Gabon, Ghana, Kenya, Malawi, Madagascar, Niger, Nigeria, Seychelles, Sierra Leone, Tanzanie, Ouganda et Zambie.

La marque couvre, à ce jour, 200 millions de clients à travers le monde.
(以下略)

23 décembre 2010

12月22日Agoa (Africa Growth and Opportunity Act)適用除外 RDC délistée du programme Agoa

Le 22 décembre 2010, mercredi

曇。

Faire le dos rond(背を丸める)の意味はぴたり「馬耳東風」。コート・ジボワールの前大統領バグボのことである。何をいわれようと大統領の椅子にしがみつく姿を表現している。新聞の見出しで出てきた表現だがWiktionaryで確認した。このネット辞書、便利である。辞書としてかなり高度であり、既存の有名なRobertなどをDVDで買う必要がなくなる。本屋にとって脅威であろう。Wikipeiaも同様だ。精度が問題だが、多くのネット利用者の目に晒されているだけ、改良改善修正されていく。

19時半、停電。1時間後に回復。

国がRDCコンゴを輸入特恵待遇国リストから外すことにしたという。Agoa (Africa Growth and Opportunity Act)の対象から除かれたのである。民主化と貿易を結びつけたアメリカらしい法律だ。コンゴの民主化が進んでいないというわけだ。

高名な人権運動活動家チェベヤがRDC警察に今年6月初めに殺された。「チェベヤ事件」である。この事件へのRDC政府の対応が尾を引いているのではないか。一応責任者を逮捕し裁判が現在開かれているが、警察の最高責任者ヌンビ将軍は蟄居をカビラ大統領から命じられただけで裁判の対象になっていない。

CIAファクト・ブックで輸出実績をみると、中国向けが圧倒的でほぼ半分、米国向けが15%で第2位を占めている。オバマ大統領の決定が、どういう具体的影響をRDCにもたらすかは定かでないが、欧州も同じような圧力をRDCに対してかけてくるに違いない。中国は人権や民主化について何もいわないけれども(言えるわけもないが)、悪影響が出てくることが心配される。

RDC: plus partenaire commercial des US

Le président Barack Obama a supprimé la République démocratique du Congo (RDC) de la liste des pays africains éligibles à un statut de partenaire commercial privilégié avec les Etats-Unis, a annoncé hier la Maison Blanche.

M. Obama a pris cette décision à l'occasion de la révision annuelle du programme Agoa (Africa Growth and Opportunity Act), imposée par la loi et qui prend en considération les avancées ou les reculs démocratiques des pays concernés.

"J'ai déterminé que la RDC n'effectuait pas les progrès nécessaires pour répondre aux critères" de l'Agoa, a indiqué M. Obama dans un décret. "J'ai donc décidé de mettre fin à la désignation de la RDC comme pays bénéficiaire" de ce dispositif, a-t-il ajouté, précisant que cette mesure prenait effet le 1er janvier 2011.

La version actuelle de l'Agoa a été instaurée par le Congrès américain en 2000. Il établit jusqu'en 2015 une coopération économique et commerciale avec le continent africain. Il facilite les exportations africaines vers les Etats-Unis pour soutenir le développement économique, mais aussi les réformes en Afrique subsaharienne.

22 décembre 2010

12月21日 le mardi 21 décembre 2010 カナダ系エル・ニノ・ヴェンチャー社他 canadienne El Nino Ventures Inc, etc

Le 21 décembre 2010, mardi
小雨のち曇。15時、晴れ間が覗く。

昨日来るはずの鉛管工イルンガさんが今日になってやってきた。風呂場の配管工事である。お湯のユニットに繋ぐフレクシブル・チューブがないということで工事は壁に穴をあけて外から水道管を引いてくるところまでで終了。このチューブは木曜日に僕が買ってくることになった。あとは電気屋ペリカン。クリスマス後、年末にはお湯が出ることになるだろうか。

Mozillaのメイラーに問題があることがわかった。大きなファイルを添付したメイルがあるとそれが他のメイルのdownloadも妨げてしまう。メイルのサイズに拘らず、タイトルだけ先ず取得できるように設定を変更して解決した。

カナダ系の鉱山会社El Nino Venturesが2008年からの税不払いと追徴金、合計300万ドルをカタンガ州の税務当局から請求されている。ルブンバシ裁判所にも提訴された。しかもカナダの会社が贈賄罪に問われている。クリーンなRDCコンゴを以下の記事は強調している。エル・ニノ・ヴェンチャーズはヴァンクーヴァ本社の銅鉱山開発会社。カナダ、RDC、アイルランドで鉱山を持つ。トロント及びフランクフルトで上場。エル・ニノのホーム・ぺージを見ると、RDC当局との争いは、記事にあるほど単純ではないようである。最終的にはテンケ同様、RDC政府との話し合いで解決されること思われる。
なお、会社の名前をエル・ニノとしたが、NがNティルドなので、スペイン語として読めばエル・ニーニョ(幼子イエス・キリストの意)である。

RD Congo: Fraude fiscale et tentative de corruption au Katanga
Afrique centrale - RD Congo .Encadrement des recettes Mines - La DGI/Katanga vient de frapper. El Nino ventures est poursuivie pour fraude fiscale. Le Trésor public attend le versement de près de 3 millions USD. Pour n'avoir pas versé les taxes dues au Trésor public depuis 2008, la firme canadienne a fait l'objet d'un redressement de la part des services de la DGI/Katanga. Les conclusions des agents commis à la tache est sans appel : la société ne serait pas en règle avec le fisc.

D'où le redressement qui s'en était suivi. 2.315.272,75 USD, c'est le montant arrêté par le taxateur Séraphin Oyumbu Otepa de la DGI/Katanga.

Il s'agit non seulement du principal, mais aussi des pénalités pour n'avoir pas observé la législation en matière fiscale en RDC. De plus, Harmony Resources, filiale de la même El Nino Ventures doit de son côté 345.850 USD au Trésor public.

Alors que l'affaire fait grand bruit au niveau des services provinciaux du fisc du Katanga, il est fait état d'une plainte déposée auprès du parquet à Lubumbashi mettant en cause les responsables de El Nino Ventures pour tentatives de corruption et harcèlement des agents de la DGI/Katanga. Une situation qui est loin de conforter la position de cette société cotée à la bourse de Toronto au Canada et dont les nombreuses malversations furent précédemment révélées.

LE BUDGET 2011 ET LE SECTEUR MINIER

Le gouvernement attend beaucoup du secteur minier pour le budget de l'exercice 2011. La maturation de nombreux projets permettrait de financer adéquatement le budget de l'exercice 2011. Il est donc temps que les opérateurs œuvrant dans le secteur s'interdisent de pratiquer la fraude. Devoir près de 3 millions USD à un Etat comme la RDC équivaudrait à l'asphyxie des finances publiques. Il va de soi que des mesures courageuses prises par les services fiscaux du Katanga sont de nature à décourager tous ceux qui tirent des ressources financières auprès des institutions boursières étrangères, sans se soucier de respecter la législation fiscale locale. Heureusement qu'à la DGI/Katanga, personne n'est disposée à desservir les intérêts de la Nation pour les siens propres et que les tentatives de corruptions de El Nino Ventures furent toutes repoussées.

21 décembre 2010

12月20日 le lundi 21 décembre 2010 ソミキヴ社ニオブ鉱脈略奪未遂 tentatives de spoliation

Le 20 décembre 2010, lundi
曇。涼しいというよりも寒いくらい。

メイラーにMozillaのThunderbirdを使い始めた。MS ExplorerのWEB mailだと、いちちメイルをみてから前のページに戻らないといけない。ネット接続の悪いここでは時間がかかるし、メイルを見るだけで数時間を要することがある。さらに返事を書くとなると一作業になる。同時にExplorerもGoogleのChromeに換えた。いずれのソフトにも慣れないといけないが、それは時間の問題。より便利なソフトlogicielを使いこなさなければいけないだろう。ブログの更新にも当然ながらChromeを使う。

16時、停電。19時35分やっと回復。

「ソミキヴ社のニオブ鉱脈略奪未遂」と穏やかでない見出しがネット新聞に載った。Krall Metal Congo社が画策したというのだ。Krall Metalはコンゴの現地法人だが、オーストリア資本。コンゴ人のパートナーとして関係しているのが、元反政府軍指導者でドイツに亡命した人物というから、要は怪しい人物を盾にした横領事件というところ。ソミキヴSomikivu社は70%をドイツ政府が所有する会社。残りの20%がRDC政府、10%がSominki社(RDC政府28%、残りはベルギーのEmpain社)。ドイツ政府は持分をRDC政府に売って手を引きたいようだ。ニオブはレア・メタル。

RD Congo: Tentatives de spoliation des gisements de niobium de Somikivu

Gisements de niobium de Somikivu - Les intérêts de l'État sont, une fois de plus, au centre des enjeux importants dans le Kivu. La société minière du Kivu, Somikivu, fait l'objet d'une tentative de spoliation de la part de la société. Krall Metal Congo, qui tente de récupérer des gisements dans la concession de Somikivu, ne désarme pas.

Le chargé de mission de Somikivu, joint au téléphone, accuse cette société «d'occuper illégalement les gisements de Lueshe dans le territoire de Rutshuru». Dans un message, l'autorité provinciale a instruit l'administrateur du territoire de Rutshuru à installer Krall Metal Congo dans la concession appartenant à Somikivu. Et pourtant, le gouvernement central s'est clairement prononcé quant à ce depuis le mois de mars 2010. Pour Olivier Muhima, il n'est pas question de laisser cette société opérer sur les concessions de Somikivu qui regorge d'un important potentiel en niobium, un minerai rare qui peut apporter des ressources financières au Trésor public.

Quant à la ministre du Portefeuille, dans une correspondance adressée à son collègue des Mines, Jeannine Mabunda a écrit : «Le conflit Krall Metal Congo et Somikivu a déjà été tranché définitivement et que les lois et règlements de la RDC doivent être respectés par tous». Mais, à observer l'obstination tendant à installer Krall Metal Congo sur la concession de Somikivu, il apparaît clairement qu'il existerait une volonté de faire main basse sur le niobium au détriment du Trésor public.

Au niveau du ministère des Mines, «le conflit Krall Metal Congo sarl -Somikivu sarl a été déjà tranché définitivement par l'application de l'article 337 du Code minier», note le ministre Martin Kabwelulu. Plus clair, le ministre des Mines insiste sur le fait que : «les avis cadastraux émis en son temps par le Cadastre minier et sur lesquels s'appuie Krall Metal Congo pour réclamer des notes de débits sont dépourvus de base juridique et ne peuvent en conséquence donner lieu à des droits miniers, car la convention conclue par cette société et la République démocratique du Congo en 1999 est aujourd'hui caduque par l'effet de l'article 337». Et le ministre Kabwelulu de trancher : «S'agissant du périmètre minier de Lueshe, il y a lieu de noter qu'il est couvert par un permis de recherche délivré à la société Somikivu sarl qui a accompli les formalités prescrites à l'article 337 du Code minier».

Somikivu est détenu à 70% par le gouvernement allemand, 20% par la RDC et 10% par Sominki. Déjà des partenaires s'intéressent à cette société mixte. Des opérateurs russes ont acquis des parts stratégiques de Sominki, entrevoyant la possibilité d'accroitre leur participation dans l'avenir. Le gouvernement allemand en ce qui le concerne se propose, selon des sources, à transférer ses parts à la RDC.

12月19日 le dimanche 19 décembre 2010 遊牧民ムボロロ国外退去か他 rapatriment des nomades Mbororo

Le 19 décembre 2010, dimanche
快晴。ただし、昨夜は20時、午前3時に大雨。

朝から断水。油断ができない。10時45分回復。12時、再び断水。

マドンナの耳の傷がなかなか癒えない。今日もヨードをつけた。ハエがたかるのが気になる。酷いことをされたものだ。使用人小屋のガキどもに吠えているところをみると、黒山羊の角ではなく、彼らに石を投げられたのが原因かもしれない。食欲は旺盛。

カビラ大統領がRDCコンゴに滞在しているサヘル起源の遊牧民ムボロロMbororoに対して国外退去を命じた。約4000人、6万の家畜が対象。彼らは中央アフリカ共和国からRDC内戦に乗じて2000年頃にオリエンタル州(北東部の州)に進入してきた。80年代のモブツ時代には赤道州に侵入してきたが、モブツの軍隊に追い出された。Mbororo人にしてみれば、国境など昔からなかったのだろう。
サヘルはサハラ砂漠の南とサバンナにはさまれたセネガルからチャドを通り東海岸にいたる地域を指す。ムボロロはカメルーン、中央アフリカ、チャド等々で問題を起こしているが、彼らをただ追い払えば済むことなのか。どの国も彼らに極めて敵対的である。近代国民国家の枠組みとは違う世界に住んでいるムボロロ問題は歴史とともに根が深い問題である。日本にはない問題であるが、世界的にみると動物とともに移動する民族はかなりある。北アフリカにも、欧州にも、中央アジアにも、、、。

Le président Kabila ordonne le rapatriement des éleveurs nomades installés en RDC
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Le président de la République démocratique du Congo (RDC), Joseph Kabila, a ordonné la mise en application des mesures prises par le gouvernement en vue de rapatriement des Mbororo, éleveurs nomades des pays du Sahel, installés en RDC, au cours d'une réunion du Conseil supérieur de la défense qu'il a présidée samedi à Kinshasa.

Le communiqué du Conseil supérieur de la défense remis, dimanche à la presse, n'a pas révélé ces mesures. Il a cependant indiqué que cette décision est motivée dans le souci de la stabilisation de la région pour son développement.
Evalués à plus de 4.000 personnes avec plus de 60.000 bêtes dans le nord de la RDC à la frontière avec la République centrafricaine (RCA), les éleveurs Mbororo sont souvent en conflit avec la population locale sédentaires, leurs cheptels détruisant les produits de leurs champs.
(以下略)

20 décembre 2010

12月18日 le samedi 18 décembre 2010 フォレスト・グループの多角化他 diversification du Groupe Forrest, etc

Le 18 décembre 2010, samedi
快晴。

アンドレさんのおかげで庭の整備がすすんでいる。マイースの粉が上がったそうで、賃金も上げてくれと申し込まれた。5ドルねぇ。考えましょう。来週はクリスマス。金曜日で仕事はお仕舞。25日は祭日である。

コート・ジボワールの情勢は、結局前大統領バグボが降参しなければならないようだ。軍隊も今のところバグボについている。しかし、コート・ジボワールはCFA通貨圏である。以前はフランス・フラン、現在はユーロが価値を保障している。西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO、本店ダカール、セネガル)が発券銀行。とすれば、欧州を敵に回したバグボはやがて金がなくなる。12月の軍人を含めて役人の給与は誰が払うのか。バグボは払えない。これは彼にとって致命的であろう。はやく投降して、野に下るか、ウアタラ新大統領にとりいって、副大統領におさまるかせざるをえないだろう。しかし、それは既に時遅しかもしれない。

「マゼンベ」敗退。決勝戦で「インテル・ミラン」に3-0で敗れた。「インテル」は流石としかいいようがない。世界トップの貫禄であった。欧州には「レアル・マドリ」や「マンチェスタ」、「サン・ジェルマン」等々、世界中からスターを集めたクラブがひしめいている。5-0なんてことにならなかっただけ名誉の戦いだったかもしれない。「ご苦労様、マゼンベ」。しかし、「マゼンベ」に向上心を植えつけたのは、オーナーにしてカタンガ州知事、大資産家のモイーズの功績である。モイーズなくして今日の「マゼンベ」はない。彼の経営手腕の確かさである。

フォレスト・グループというのがある。ルブンバシの国立博物館の側にオーナー、ジョルジュ・フォレストの広大な家がある。RDCコンゴでも最大規模のグループである。土木会社が中心だったが、多角化を始めている。海外企業との提携もしている。韓国とエネルギー部門、ドイツとセメント部門、ベルギーと航空部門といった具合である。
韓国とは、カタンガ州の2つのダムの再建である。1億ドルのプロジェクト。発電能力10万メガワット。ダム建設にはセメントが必要だ。今年9月ドイツのハイデルベルヒ・セメントと提携した(本誌既報)。セメントは自国生産していたが、現在は主としてザンビアのカッパ・ベルト州から輸入している。フォレストはキンシャサの東のば・コンゴおよびカタンガ州でセメント生産をする。これも再建である。航空部門はコロンゴ航空Korongo Airlinesの設立である。ベルギーと間接的にドイツのルフトハンザと提携。来年2月には第一便が就航。ルブンバシと地方都市を結び、南ア線にも進出予定。
多角化の背景には、鉱山部門での収入源がある。カタンガ・マイニング社に資本参加しているが、フォレストは増資に応じなかった。
カタンガ州の道路工事をほぼ独占していたフォレスト社であるが、中国その他の企業との競争に晒されるようになり、鉱山部門(精錬を含む)に参入したが、さらに豊富な資本を利用して多角化を図るようになってきた。(画像はオーナー、ジョルジュ・フォレスト、70歳)。
僕は日本企業のパートナーとして考えたこともあったが、今はモイーズの方が相応しいと考えている。

Forrest prospecte d'autres filons

Après avoir réduit ses ambitions dans l’extraction de minerais, le géant congolais George Forrest International revoit sa stratégie. Énergie, ciment, aérien… Il multiplie les partenariats pour diversifier ses activités.

Des Coréens sur l’énergie, des Allemands dans le ciment et des Belges pour l’aérien. À 70 ans, George Forrest se risque au jeu des alliances internationales. « Après avoir pris des coups dans le secteur minier du fait de la crise, j’ai décidé de diversifier mes activités. Mais comme nous ne sommes pas en Bourse, je dois solliciter les banques et nouer des partenariats pour réunir les moyens financiers et l’expertise nécessaires », explique le tout-puissant président du premier groupe privé en RDC, qui emploie 15 000 personnes principalement dans le génie civil et le BTP (Entreprise générale Malta Forrest) et les cimenteries (Cilu, Interlacs et Cimenkat).

Ainsi, grâce à l’appui du groupe hydroélectrique coréen K-Water, 100 millions de dollars (environ 77 millions d’euros) vont être mobilisés pour réhabiliter deux barrages dans le Katanga, à Koni et Mwadingusha. Dans un pays devenu le champion toutes catégories du délestage – mais dont le potentiel est estimé à 100 000 mégawatts (MW) pour une puissance installée évaluée à 2 500 MW –, cet axe de développement est frappé au coin du bon sens. Il offre également de belles perspectives, pour peu que le projet hydroélectrique du Grand Inga, dans le Bas-Congo, finisse par aboutir.

Et pour construire des barrages, il est préférable d’avoir du ciment ! En septembre, Forrest et le troisième producteur mondial, l’allemand Heidelberg Cement, ont conclu un accord de partenariat. Dans le Bas-Congo, la Cimenterie de Lukala (Cilu, détenue à 55 % par Heidelberg Cement, à 30 % par George Forrest International et à 15 % par l’État) doit multiplier par trois sa production. Il est également prévu de relancer les deux cimenteries d’Interlacs (dans le Katanga et le Sud-Kivu) et la Cimenterie du Katanga (Cimenkat), détenue par l’entreprise publique Gécamines.

Quant à la nouvelle compagnie aérienne, Korongo Airlines (49,5 % pour George Forrest International, 50,5 % pour Brussels Airlines-­Lufthansa), les premiers vols sont annoncés pour février 2011. Trois appareils en leasing (le robuste Boeing 737 et deux BAE 146) sont prêts à décoller, le personnel congolais suit actuellement des formations et un hangar est en cours de construction à Lubumbashi. Montant de l’investissement initial : 10 millions d’euros. Objectifs : relier les principales villes du pays, pousser jusqu’à Johannesburg et assurer le hub à Kinshasa avec les deux partenaires européens.

Katanga Mining lui échappe

En ce qui concerne les mines, les ambitions ont été en revanche singulièrement revues à la baisse. Le groupe détenait 24,5 % de Katanga Mining, mais la fusion des deux « pactoles » géologiques de Kamoto et de Kov, près de Kolwezi, aura été fatale à Forrest. Le mariage avec le groupe Nikanor puis le rachat par Glencore, le géant suisse du négoce, ont conduit à sa dilution progressive dans le capital. Aujourd’hui, le « vice-roi du Congo » ne détient plus que 3 % de l’ensemble, dont le potentiel de production annuelle est de 400 000 tonnes de cuivre et 40 000 t de cobalt. Une belle machine à cash qui échappe à l’homme d’affaires, ramené avec ses grosses pelleteuses au rang de sous-traitant pour la « découverture » de la mine. « Avec la crise financière et la chute des cours, les levées de fonds ont été rendues difficiles, justifie George Forrest. J’ai donc préféré ne pas participer aux augmentations de capital. »

C’est une explication. Forrest est tombé sur plus costaud que lui et a préféré botter en touche. « Il a aussi été confronté à un autre opérateur devenu plus puissant, l’Israélien Dan Gertler, qui dispose de ses entrées à Kinshasa », analyse un spécialiste des questions minières. « La revisitation des contrats miniers [processus engagé en 2007 par Kinshasa, qui a conduit à 26 renégociations et à la résiliation de l’accord avec le groupe canadien First Quantum, NDLR] a refroidi bon nombre d’organismes financiers », admet Forrest, qui déplore, non sans une dose de courage, « les interférences », dans les affaires privées, d’individus qui gravitent autour de l’appareil d’État. Aujourd’hui, le groupe belgo-congolais (dirigé depuis janvier à Lubumbashi par le fils aîné, Malta Forrest, 38 ans) n’exploite plus que la mine de cobalt de Luiswishi (plus de 10 % de la production mondiale) et la Société pour le traitement du terril de Lubumbashi (STL).

Quelques couacs

Autre déconvenue dans le secteur bancaire, avec le rachat (68 % des parts), en décembre 2009, de la Banque commerciale du Congo (BCDC, qui était détenue par BNP Paribas) via la Belgolaise (filiale de Fortis). « Nous voulons en faire une banque régionale et industrielle », assure George Forrest. Problème : l’État reste actionnaire et les discussions sur l’agrément nécessaire pour une augmentation de capital sont laborieuses.

Malgré ces couacs, le patriarche organise la suite, depuis la Belgique, en travaillant à la création d’un holding pour réunir l’ensemble des actifs avant une éventuelle entrée en ­Bourse. À Bruxelles, l’angle de vue est plus large. Cette distance permet aussi de prendre du champ et d’élaborer un plaidoyer pour l’Afrique (voir interview). Une nouvelle carrière pour le professeur Forrest ?

18 décembre 2010

12月17日 le vendredi 17 décembre 2010 キンシャサ Kinshasa

Le 17 décembre 2010, vendredi
晴。

一番奥の部屋を掃除している。床が凹んできている。虫の死骸や綿埃でいっぱいだった。チーコちゃんの部屋にしようという魂胆である。電気系統は既に修理済み。今、チーコが入っている部屋、真ん中の部屋にシングル・ベッドを移動して、部屋の壁をぬりかえれば、客用の寝室ができる。僕は安いダブル・ベッドを在庫一掃していた店でみつけたので、それに寝る。小さなベッドだと落ちそうになることがある。

国連の調査によれば、10年後のキンシャサはアフリカで一番人口の多い都市になるそうである。1200万人。2010年現在、RDCコンゴの全人口の13%、850万の人口を抱える。増え続ける人口にインフラ(電気、上下水道)が追いつかないのはルブンバシと同じこと。貧困層がただ厚くなる人口増加は社会・政治問題を深刻化するのではないか。犯罪も心配される。経済成長の中で人口が集中するのとは異なっている。ひとつの警告と受け止めなければならない。 (画像は肥大化するキンシャサの郊外、ネットから)。

RDC : Kinshasa, plus grande ville d'Afrique en 2020
Les Nations-Unies estiment que la capitale de République démocratique du Congo (RDC) accueillera 4 millions de nouveaux habitants dans les 10 prochaines années. En 2020, Kinshasa pourrait donc , avec plus de 12 millions d'habitants devenir la ville la plus peuplée d'Afrique. Pour l'ONU, ces chiffres sont une source d'inquiétude pour les les conditions de vie des futurs habitants de la mégapole congolaise.

Selon ce rapport de l'ONU Habitat, la croissance démographique la plus forte dans la décennie sera celle de Kinshasa qui regroupe déjà 13 % de la population du pays . Une ville qui a déjà du mal a gérer l'afflux de nombreux migrants en 2010.
Kinshasa abrite désormais de nombreux "quartiers informels", bidonvilles, taudis, toujours plus loin du centre-ville et des services minimums (routes, eau, école, électricité, santé… ). "L'urbanisation de la pauvreté est un développement dramatique sur le continent africain, car elle est génératrice de contrastes alarmants entre la richesse des quartiers d'affaires ou des zones résidentielles pour les couches sociales à revenus élevés, d'une part, et la masse des misérables croupissant dans de vastes taudis", rapporte le document.

"Totalement laissés pour compte, les Kinois vivent ainsi à 95 % de la débrouille et la majorité en dessous du seuil de pauvreté", selon l'ONU. L'afflux de nouvelles populations pauvres et rurales ne devrait malheureusement pas améliorer la vie quotidienne des Kinois dans les années à venir.

17 décembre 2010

12月16日 le jeudi 16 décembre 2010 大湖地域国際会議 CIRGL

Le 16 décembre 2010, jeudi
快晴。一片の雲もない。

チーコちゃんが、部屋のドアを開ける方法を覚えてしまった。取っ手に飛びついて下に押せばドアが開く。サロンと寝室に通じる廊下の間にあるドアである。猫ちゃんは頭がいいなぁ。鍵を紛失されてしまっているから、鍵がない。彼女の部屋に閉じ込めるか、僕の寝室に閉じ込めるかしないと出入り自由。

昨日、カレーにしたのはいいが、カレー粉を焦がしてしまった。カレー粉は多少炒らないと粉っぽい。しかし、炒りすぎて、黒いカレーができてしまった。味は悪くないけれど、見た目が悪い。救いようがない。イカ墨のパスタを作ろうとしたのじゃないのだから。

大湖地域国際会議CIRGLがルサカ(ザンビア)で開かれている。アフリカの大湖grands lac/great lakesとはモエロ湖、タンガニーカ湖、アルベール湖、エドワール湖、ビクトリア湖等である。関連国は11ヶ国、ザンビア、コンゴ(キンシャサ)、コンゴ(ブラザヴィル)、アンゴラ、タンザニア、ルワンダ、ブルンディ、ウガンダ、ケニア、中央アフリカ、スーダン。スーダンが入っているのは、ビクトリア湖、アルベール湖、エドワール湖がナイル河の源流だから、またアンゴラが入っているのは、コンゴ河の源流がタンガニーカ湖なので、アンゴラからコンゴ河の支流があるからだろうか。それともモブツ政権打倒にアンゴラが関与したという歴史的背景からかもしれない。国際刑事裁判所に訴追されているスーダンの大統領を除いて10カ国の元首が出席した。
会議の席上、RDCコンゴのカビラ大統領が、コルタン、カシテライト(錫石)、金等の不法採掘防止のための特別トップ会談を提案した。この不法採掘がRDCコンゴにおける内戦の資金源になっているからだ。RDC一国では解決できない。周辺国の協力が必至の問題である。ザンビア、タンザニアの大統領の賛同を得た。
Sommet des Grands Lacs: Kabila appelle à encadrer le commerce des minerais
(AFP) – Il y a 15 heures

LUSAKA — Le président congolais Joseph Kabila a estimé mercredi à Lusaka qu'un "plan d'action" devait être adopté "pour mettre fin à l'exploitation illégale des minerais" qui finance les groupes armés, lors d'un sommet des pays de la région des Grands Lacs d'Afrique centrale (CIRGL).

Nous "devons adopter un plan d'action pour mettre fin à l'exploitation illégale des minerais qui a lieu dans ces pays", a appelé le président de la République démocratique du Congo (RDC) durant ce "sommet spécial" dans la capitale zambienne visant à la mise en place d'un mécanisme de certification des minerais.

Ce système, destiné à rendre la filière plus transparente, devrait permettre de combattre le commerce illicite qui sert à financer les groupes armés, notamment dans l'est de la RDC.

"Les leaders doivent s'engager", a déclaré Laurent Kabila devant 200 délégués.

"L'exploitation illégale a contribué à financer des groupes mafieux. C'est pourquoi la République démocratique du Congo a suspendu les activités minières dans le Nord et le Sud-Kivu" (Est) pour "éliminer" ces groupes, a-t-il affirmé.

Ces provinces, contrôlées par des rebelles et des militaires, regorgent de minerais, principalement la cassitérite (minerai d'étain, utilisé dans la soudure), et le coltan -abréviation de colombo-tantalite (utilisé dans les téléphones et ordinateurs portables, consoles de jeux, etc.). On y trouve également des gisements d'or.

Le chef de l'Etat zambien Rupiah Banda, qui préside la Conférence internationale sur la région des Grands Lacs (CIRGL) regroupant 11 pays, a également appelé à "trouver une solution durable à ce problème d'exploitation illégale des ressources naturelles à l'origine de conflits dans de nombreux pays".

Les présidents tanzanien Jakaya Kikwete et burundais Pierre Nkurunziza participaient également à ce sommet mais leur homologue soudanais Omar el-Béchir, invité par la Zambie, n'était pas présent. Il fait l'objet d'un mandat d'arrêt de la Cour pénale internationale (CPI) pour crimes de guerre au Darfour.

Copyright © 2010 AFP

16 décembre 2010

12月14、15日 les 14 et 15 décembre 2010 大統領候補カメレ他 candidat présidentiel Kamerhe, etc

Le 14 décembre 2010, mardi
快晴。

昨日から毎日来るはずのアンドレさんが来ないと思ったら何時の間に来て仕事を始めていた。僕が食器洗いをしていたときに来たのかな。僕が引っ越す前に、ゴミを焼いたり、ゴミの捨て場所になっていた場所から整備し始めた。例の「きんたまマンゴ」の木のある場所だ。いいだろう。ここもゴミだらけで気になっていた場所だ。ところで、ここのスワヒリ語で「きんたま」を「カンブロ」というらしい。しかしスワヒリ語辞典には載っていない。コンゴのスワヒリかもしれない。

久しぶりにシャワーを利用した。まだ水。でも今日は快晴のおかげで水も冷たくない。風邪の引き始めから身体を濡れタオルで拭くだけにとどめていた。シャワーは気持ちがいい。健康を取り戻した証左でもある。

Le 15 décembre 2010, mercredi
晴。

元下院議長のビタル・カメレVital Kamerheが来年の大統領選挙に立候補宣言をした。1959年ブカヴ(南キヴ州)生まれ。経済学専攻。キンシャサ大学で教えていたこともあるようだ。ずっと現大統領カビラの側近として通信大臣等を歴任。旗揚げに際して、カビラは腐敗していると批判。クリーンな独自路線を強調しているが、真意がどこにあるのかわからない人物である。今年カナダの大学でコンゴの和平について講演したときは、カナダの警察に助けられたが、在カナダのコンゴ人から殴られている。ルワンダのカガメ大統領一派とみなされたのだ。カビラとの関係が旗幟鮮明とはいかない。
RDC : Kamerhe candidat en 2011
Il a tout plaqué : la présidence de l'assemblée nationale, le PPRD (le parti qu'il a fondé avec Joseph Kabila) et enfin son poste de député… Vital Kamerhe a démissionné de toutes ses fonctions officielles pour se lancer dans la bataille le présidentielle de 2011 en République démocratique du Congo (RDC). Il est désormais à la tête de son propre parti politique, l'Union pour la nation congolaise (UNC)… sa nouvelle machine de guerre électorale. Mais avec qui fera-t-il alliance ?

Le voici maintenant candidat déclaré. Vital Kamerhe est officiellement candidat à la présidence de la République démocratique du Congo (RDC) pour 2011. Après avoir consulté pendant plus d'un an et fait le tour des capitales occidentales, Vital Kamerhe vient d'annoncer qu'il se lancera dans la course à la présidence de la république en 2011.

Candidat de l'opposition ?

Après avoir annoncé sa démission du PPRD de Joseph Kabila et de son mandat de député, Vital Kamerhe, 51 ans, se présentera donc sous la bannière de son nouveau parti, l'Union pour la nation congolaise (UNC) créé en juin dernier. Kamerhe se définie clairement comme un opposant à Joseph Kabila et a annoncé que son parti conclurait des "alliances avec d'autres forces de changement", sans les citer, pour obtenir "l'alternance en 2011". Il a proposé à l'opposition "un programme préélectoral commun" visant "à lutter pour des élections libres et démocratiques", notamment pour "préserver" la Constitution et le mode de scrutin présidentiel et législatif", et "accélérer" la mise en place de la Cour constitutionnelle et de la Commission électorale nationale indépendante (CENI). Un dernier signe qui ne trompe pas, Vital Kamerhe assistait en personne au 1er congrès de l'UDPS où Etienne Tshisekedi se propose d'être le rassembleur de toute l'opposition au prochain scrutin.

Christophe Rigaud

昨日、FIFAクラブ・ワールド・カップ(開催国アブダビ)で「マゼンベ」がブラジルのチーム「インタナショナル・ポルト・アレグレ」を2-0で破った。「マゼンベ」はアフリカ・チャンピオン。「ポルト・アレグレ」はラテン・アメリカ・チャンピオンである。アジアは韓国のクラブ、ヨーロッパは「インテル・ミラン」だ。このワールド・カップは以前トヨタ・カップと呼ばれていて、日本での開催が多かった。来年は日本開催予定。優勝はヨーロッパと南米のチームが独占してきた。今度「マゼンベ」が決勝戦にでることで、アフリカが優勝または準優勝。既に快挙中の快挙である。「インテル・ミラン」が韓国に3-0で勝ったので、決勝戦は今週土曜日「マゼンベ」と」インテル・ミラン」が対戦することになった。まさか、世界のトップ「インテル・ミラン」に「マゼンベ」が勝利することもあるまいが、どんな奇跡が起こらないとも限らない 。日本でもこの試合をTV中継してくれるのだろうか。もし中継されたら、ルブンバシが日本に紹介される。是非とも彼らの活躍を見て欲しい。

14 décembre 2010

12月13日 le lundi 13 décembre 2010 カビラ大統領演説に反論 discours présidentiel critiqué

Le 13 décembre 2010, lundi
薄曇。しかし今日は晴れそうだ。案の定昼には晴れてくれて数時間日光浴と読書を楽しんだ。

朝5時停電。朝のコーヒーを初めて石油コンロで沸かした。16時、やっと回復。
昨夜の羽蟻の大群は羽を残して消えている。

先週火曜日、床屋に行っている。2006年の床屋は、入ってみると美容院になっていた。床屋は直ぐ近くに引っ越したのだそうだ。訪ねてみると真新しい施設だった。4年前に髪を買ってくれたアンゴラ人の理髪師はキンシャサに出てもういなかった。料金を聞いてみると10ドルだとういうので、それならもとのRafaelの方が安いし、同じ理髪師なら説明が不要なので、結局Rafaelに行くことにしたのである。

初めて家の庭のマンゴを食べた。木が2種類ある。大きな実のなる木と比較的小さな実でスワヒリ語で「きんたまマンゴ」と云われる実の木とある。「きんたまマンゴ」の方を食べた。きんたまといったってそんなに小さいわけではない。十数センチはあるのだが、果肉が少なく繊維ばかりだった。ジューシーではある。聞いてみるとジュースにするのが普通だそうだ。こんどは別の木の方の実を採ってもらおう。マンゴの季節なのだから、堪能しなければ。それにしても、アボカドの木がないのが本当に残念だ。種をとって芽をださせようとしたが失敗しているのである。
(画像は庭の「きんたまマンゴ」。まだ青い。食べごろには橙色になる)。


電圧スタビライザが火を噴いて止まってしまった。これまでポットをつけても何ともなかったのに、負荷がかかり過ぎとは信じられない。とんでもない製品だ。また修理に何十ドルもかかるなら、別の安いスタビライザに買換えよう。

カビラの演説に反論が新聞に載った。
反論は国連UNDPが今年10月まとめたRDCコンゴの経済状況を引き合いにして、カビラの国会演説が楽観的で自画自賛であると批判する。しかし、この批判は正しくない。なぜなら、カビラが自画自賛したのはここ4年の彼の実績であって、国連が1970年当時の経済水準からみてまだ後退していると結論付けた比較とは根本が違うからである。1970年といえば、独裁者モブツのまだ初期の段階で、モブツの政策も経済拡大の波に乗っていたころである。コンゴ最大の国営鉱山会社Gecaminesが羽振りをきかせていた時代である。インフラもそれなりに整備されてきていて、まだ悪政「ザイール化」(1973年)が始まる以前である。確かに当時の方が現在のRDCコンゴよりも経済的に豊かだったろう。しかしカビラが政権を引き継いだ当時は全てが壊滅状態だったのである。Gecaminesは破産状態だった。カビラは1970年に政権を引き継いだのではない。どん底のコンゴで大統領になったのである。とすれば、今、一歩一歩這い上がろうとしているカビラを嘲笑するのは当たらない。批判するとしても、もっと建設的な前向きの助言、提案こそが望まれるところである。
RDC : L'étrange bilan de Joseph Kabila
Dans un discours sur l'état de la nation, le président de la République démocratique du Congo (RDC), Joseph Kabila vient d'affirmer devant les députés et sénateurs que son pays "se porte mieux qu'avant". Un drôle de satisfecit quand on connaît l'état de la situation sécuritaire à l'Est et le niveau de développement du pays, qui selon le PNUD est en recul par rapport à 1970. Drôle de bilan.

A un an des élections présidentielles en RD Congo, le président Kabila effectuait son premier bilan après 4 années à la tête de l'état congolais : "la nation congolaise se porte mieux qu’il y a un an ou mieux qu’il y a 15 ans et son état s’améliore chaque jour davantage".

Devant députés et sénateurs congolais, réunis en congrès, Joseph Kabila s'est distribué des bons points : "le pacte conclu avec le peuple congolais à l’occasion des dernières élections présidentielles nous imposait cinq objectifs majeurs à savoir, le rétablissement et la consolidation de la paix, la réhabilitation de l’Etat dans ses prérogatives régaliennes ; l’amélioration de la gouvernance politique, économique et social, la relance économique et la reconstruction du pays".

Pour lui, la situation s’est sensiblement améliorée, malgré quelques foyers résiduels persistent encore ça et là du fait de la présence de groupes armés étrangers, notamment des rebelles rwandais des Forces Démocratiques pour la libération du Rwanda ( FDLR ) et rebelles ougandais de Allied Democratic Forces/ National Army for Liberation of Uganda (ADF/NALU) .

Sur le plan économique, le Chef de l’Etat a indiqué "qu'en dépit des signes de reprises perceptibles depuis la fin de l’année dernière, l’activité économique s’est déroulée dans un environnement international plutôt préoccupant. La situation macro-économique du pays a été bonne, avec un taux de croissance de 6 % en 2010 contre 2 % en 2009".

Le bon bilan de Joseph Kabila reste à tempérer selon les dernières études du PNUD de novembre 2010. Selon l'agence onusienne, le niveau de développement en République Démocratique du Congo est en recul en 2010 par rapport à celui de 1970, selon le classement annuel du développement humain.

La RDC partage avec la Zambie et le Zimbabwe le niveau inférieur de ce classement où trône, en première position, la Norvège, suivie de l’Australie et de la Nouvelle-Zélande. Ce classement mondial, qui se base sur le bien-être de la population de la planète depuis vingt ans, prend en ligne de compte le degré de prospérité économique, le niveau d'éducation ou encore l'espérance de vie dans les cinq continents.

Stabilité militaire, politique et économique ne sont donc pas encore au rendez-vous en République démocratique du Congo (RDC)... sans parler de la situation des droits de l'homme (affaires Chebeya, Tungulu... ) et des assassinats de journalistes.

Au crédit de Joseph Kabila, le pays sort à peine d'une quinzaine d'années de guerre et de massacres à répétition. Sans revenus et avec une économie d'une extrême faiblesse, il est difficile de faire des miracles en 4 petites années. Le budget de l'état congolais est toujours aussi mince : 6,7 milliards de dollars... peut-être 100 fois moins que ce qui serait nécessaire ! On peut donc avoir quelques indulgences pour Joseph Kabila, au moins sur le plan économique... quand à se satisfaire de ces maigres résultats... il y a malheureusement un pas que Joseph Kabila a allègrement franchi dans son discours sur la l'état de la nation.

Christophe Rigaud

12月12日 le dimanche 12 décembre 2010 ワニに襲われた観光ガイド guide attaqué par un corocodile

Le 12 décembre 2010, dimanche
薄曇。殆ど一日陽がささなかった。これも珍しい。

前の家で庭の整備をしてくれたアンドレさんが朝8時過ぎに来てくれた。明日から仕事すると段取りを調査にきたのだ。給与の交渉ではなかった。使用人小屋に住んでいるジャン・クロードは日曜だけしかできないし、仕事も雑と分かったから雇用しない。道具を返してもらった。やはりアンドレさんが一番仕事を知っている。溶接工エルネストが近所なので連絡がつけやすい。マドンナが敷地の外に出ないように隣家との境界を補強することにする。

今日はハエが多い。新聞紙を丸めて叩き殺す。そのためにルサカから新聞紙をもって帰ってきたのだ。ルブンバシには新聞がない。通信社ある。たまにキンシャサの新聞を少年が売りに来る。ともかく20匹以上退治したのにまだいる。ハエが手を擦る足を擦るなんて悠長なことは言っていられない。奴らは病原菌の運び屋。蚊の次に嫌いな虫である。僕の敵だ。『蝿になった男』という映画があったなぁ。荒唐無稽。カフカの小説とはちがう。

南アの観光ガイド(35歳)がカタンが州の東北部、タンガニーカ湖に注ぎ込む河口で、ワニに襲われて行方不明になった。ガイドはアメリカ人観光客2人をつれて当地に来たベテランである。当局は危険だから止めるようにと注意したそうだが、カヌーでキサンガニまでコンゴ河をわたるところだった。ワニに襲われなくても大冒険に違いない行程である。19世紀に有名な探検家スタンレーがコンゴ河を下った同じ行程だが、スタンレーは金にあかせて大チームを編成している。キサンガニはモブツが改名するまでスタンレーヴィルと呼ばれていた。この地方で46番目のワニの犠牲者ということである。2人のアメリカ人は無事だった。
以前Bandundu州(キンシャサの南に隣接する州)でライオンに襲われたコンゴ人市民のことをこのブログに書いた。野生動物はヒトにとって危険な存在である。だから撲滅せよ、保護区を作って閉じ込めろ、というのではない。十分な警戒が必要だということである。

RDC: un guide attaqué par un crocodile
AFP
10/12/2010 Mise à jour : 20:23 Réagir Un guide sud-africain expérimenté qui accompagnait deux touristes américains, est porté disparu depuis mardi après avoir été attaqué par un crocodile dans une rivière du sud-est de la République démocratique du Congo, a-t-on appris aujourd'hui auprès d'une autorité locale. Johness Hendik, âgé de 35 ans, n'est plus réapparu après avoir happé par un reptile sur la rivière Lukuga, à Nyunzu, à plus 1000 km de Lubumbashi, capitale de la province du Katanga (sud-est), a précisé à l'AFP l'administrateur de territoire de Nyunzu, Jean Bula-Bula.

Le guide naviguait avec deux Américains, chacun était dans un canoë, lors d'une mission d'exploration qui devait longer cette rivière, à l'entrée du lac Tanganyika, jusqu'à Kisangani (nord-est), capitale de la Province orientale (nord-est), lorsque que le crocodile l'a arraché à son embarcation, a-t-il ajouté. Le corps de la victime n'avait pas été retrouvé. Les deux Américains, qui n'ont pas été attaqués, sont sains et saufs. Des autorités locales avaient interdit au guide de tenter cette "aventure", selon la même source.

"Johness Hendik était un expert. Il avait déjà fait l'exploration de Kindu (capitale de la province de Maniema, est) jusqu'à Matadi (Bas-Congo, ouest)", a ajouté M. Bula-Bula. Il est la 46e victime de crocodile recensée dans cette région. Hier, dans la province du Bandundu (ouest), sur une autre rivière, un homme d'une trentaine d'années a survécu à l'attaque d'un crocodile qui lui a mordu le bras gauche, selon l'ONG Caritas. Il y a deux semaines au même endroit, une femme enceinte a disparu après avoir été attaquée par un reptile alors qu'elle puisait de l'eau dans la rivière, selon l'ONG.

12月11日 le samedi 11 décembre 2010 カビラ大統領の国会報告 discours parlementaire du président Kabila

Le 11 décembre 2010, samedi
雨。

カビラ大統領が12月8日国会(両院)で2010年を振り返った。「私の言葉を信じてくれなくても、私の実績を信じて欲しい」と自信をみせた。丁度その日、キンシャサ空港に野党の大物党首チセケディが欧州での療養から帰国した。3年振りのキンシャサ入りであった。

いろいろ批判もあろうが、カビラ大統領の言うことにも一理ある。
為替は米ドルに対して年初来900フランでほぼ安定している。即ちインフレが進行していない。今年の成長率は6%と悪くない数字である。また反乱軍などとの戦闘も東部でまだ完全に火が消えたわけではないが、全国11州145県のうち5県だけが戦闘地帯に過ぎず、大幅に安全な地域が増えている。東部でもキサンガニ、ゴマなど都市部は既に安全地帯である。対外債務は政治的努力で大幅帳消しを実現し、外貨準備高は20年来の高い水準にある。自画自賛のきらいはあるが、カビラ大統領が自信をもって来年の選挙にたちむかう姿勢は理解できる。カビラはまだまだ若い(71年6月4日生まれ。僕と誕生日は同じ)。一方ナショナリストであるチセケディは78歳。既に歴史上の人物である。彼の反骨精神は立派だが、これから国の舵取りをするにはどうだろう。僕はカビラの若さに期待したい。米国を味方にしたけれども、ルワンダのカガメ大統領のような恐怖政治はまっぴらだ。
平和を完全にとりもどせば、ブラジルやインドのような成長も夢ではない。それだけの潜在力をもったRDCコンゴなのである。
Joseph Kabila: « Si vous ne croyez pas à mes paroles, croyez au moins à mes œuvres »
L'Avenir - 9 décembre 2010

A l’occasion de quatre années de la première législature de la 3ème République, le Chef de l’Etat, Joseph Kabila, conformément à l’article 119 de la Constitution, a fait son discours sur l’état de la nation devant les deux chambres du parlement réunies en Congrès. Pour la circonstance, les membres de deux chambres ont fait le plein. Au niveau de l’Assemblée nationale, 450 députés étaient présents, 25 excusés et 21 en retard. Sur 108 sénateurs, 91 étaient présents, 10 excusés et 7 en retard. L’ordre du jour portait trois points, à savoir, l’adoption de l’ordre du jour, le mot du président du Congrès, et le discours du Chef de l’État.

Joseph Kabila a commencé par rendre grâce à Dieu qui a permis que se réalisent de grandes choses dans ce pays. Citant quelques faits, il a relevé que cette année du cinquantenaire a été marquée par la réussite de l’année jubilaire. Au cours de cette année, le pays s’est vu débarrassé du poids de la dette extérieure après l’atteinte du point d’achèvement. Il a relevé le fait qu’au cours de cette année, l’équipe TP Mazembe a été sacrée championne d’Afrique de la ligue des champions. Enfin, pour la troisième fois, la Rdc a vu un des ses fils créé cardinal par le Pape Benoît XVI. Le Chef de l’Etat a demandé d’observer une minute de silence en mémoire de tous les Congolais qui, en diverses circonstances, maladie, action des hors-la loi, accidents et autres, ont trouvé la mort. Revenant sur le vif du sujet de son discours, le Chef de l’Etat a mis en exergue la certitude de gagner. Le sénateur Yerodia Abdoulaye Ndombasi parlerait de la certitude anticipée qui situe toute action dans le temps logique.

Une tâche de longue haleine

Joseph Kabila a fait remarquer que l’action de reconstruction est une tâche de longue haleine. Elle exige des temps d’évaluation. Situant son discours, Joseph Kabila a estimé que c’est un moment de dire la vérité sur la marche de l’Etat, de faire voir si le pays avance, stagne ou recule. Revenant sur la conclusion de son discours sur l’état de la nation fait en 2007. En effet, faisait-il remarquer, grâce à l’engagement du peuple congolais, on constate que la réalité rattrape le rêve et que la Nation congolaise se porte mieux qu’il y a quinze ans et son état s’améliore au jour le jour. C’est ici que le Chef de l’Etat, paraphrasant Jésus-Christ, soulèvera le public en disant que : « Si vous ne croyez pas à ma parole, croyez au moins à mes œuvres ». Applaudissements nourris ponctués de « bis, bis ». Et le Chef de l’Etat d’ajouter qu’il n’est pas question de tomber dans l’autosatisfaction, mais plutôt d’avoir l’honnêteté de dire la vérité. Il a cité quelques objectifs que le gouvernement s’était fixés au début de la législature. Il s’agit de la consolidation de la paix, de la réhabilitation de l’Etat, de l’amélioration de la gouvernance économique, politique, et sociale, la relance économique, la reconstruction à travers les cinq chantiers de la République. Tous ces objectifs sont atteints.

5 territoires seulement en insécurité

En ce qui concerne la sécurité, le Chef de l’Etat a reconnu l’existence de certains foyers d’insécurité entretenus essentiellement par des groupes armés étrangers. Mais, dans l’ensemble, cinq territoires seulement sur 145 connaissent cette situation d’insécurité et où se passent des opérations militaires. Joseph Kabila a expliqué que la lutte contre ces groupes armés relève d’une politique qui consiste à utiliser des pressions militaires alternées avec le dialogue pour un désarmement et un rapatriement volontaires. Il a rendu hommage aux soldats congolais qui, en dépit des insuffisances, réalisent de hauts faits d’armes. Pour lui, la qualité de l’armée congolaise est croissante.

Pour preuve, le bon comportement des soldats congolais lors de l’opération Kwanza. Un officier congolais commande la force de l’Afrique centrale. C’était pour le Chef de l’Etat congolais l’occasion de rendre hommage à tous les pays qui participent à la création d’une armée professionnelle en Rdc. Il a cité l’Angola, la Belgique, les Usa, la France, la Chine, …sans oublier la Monusco. La réforme du secteur sécuritaire est en marche et Joseph Kabila a estimé qu’il faut l’accélérer. La redynamisation de la coopération avec les pays voisins, a fait remarquer le Chef de l’Etat, c’est aussi un impératif sécuritaire. Il en est de même de la lutte contre l’exploitation minière artisanale. L’effectivité de STARC permettra entre autre de désintéresser les jeunes du métier des armes comme gagne-pain. La récolte des armes aux mains des civils, a dit Joseph Kabila, participe à la sécurité du pays. A ce jour, a-t-il annoncé, plus de 32.000 armes ont déjà été récoltées.

Situation inacceptable dans la magistrature

Et Joseph Kabila de s’écrier, « nous venons de loin, de très loin ». C’était l’occasion pour aborder le secteur de la Justice. Les efforts du gouvernement ont consisté à promouvoir l’indépendance de la justice à travers des réformes menées grâce au travail parlementaire. Citant quelques actions menées en vue d’assainir ce secteur, il a cité la mise à la retraite, la révocation des magistrats sans oublier le recrutement et l’affectation de nouveaux magistrats. Il s’agit, a dit le chef de l’Etat, de rapprocher le juge du justiciable. En dépit de ces efforts, Joseph Kabila constate que les résultats obtenus dans le domaine de la justice sont en deçà des attentes. Pour le Chef de l’Etat, cette situation est inacceptable. Car, a-t-il poursuivi, la justice est un droit, un préalable au bon climat des affaires. Et Joseph Kabila de faire comprendre que l’heure n’est pas à la moralisation mais aux résultats. Et, a continué le Chef de l’Etat, la magistrature ne doit pas se disqualifier. Il a recommandé au parlement d’accélérer le vote de la loi sur la prise à parti des magistrats. Si la place de délinquants et en prison, a dit le Chef de l’Etat, il y a lieu d’améliorer les conditions de détention. C’est pourquoi, à court terme, il faudra réhabiliter toutes les prisons qui existent et à long terme, construire de nouvelles prisons.

Reprise économique

Abordant le secteur économique, Joseph Kabila a fait remarquer que l’économie de ce pays est en pleine reprise. Donnant quelques indicateurs, il a souligné la croissance qui a atteint 6%. Le taux de change est à ce jour de 910 fc le dollar alors que les prévisions étaient de 950 fc. Les réserves en devises sont de l’ordre d’un milliard deux cents millions de dollars Us, soit huit semaines d’importations. C’est le niveau des réserves le plus élevé atteint par ce pays depuis 20 ans. Grâce à la discipline budgétaire, le pays a atteint le point d’achèvement de l’initiative PPTE et a vu allégée une grande partie de sa dette extérieure. La Rdc a également résolu un vieux litige avec les victimes de la zaïrianisation. Un montant de cinq millions de dollars a été disponibilisé à cette fin. L’entrée à l’Ohada, le code sur les marchés publics, la décentralisation financière, l’introduction de la TVA en 2012, sont autant d’efforts dans le sens de l’amélioration de la situation économique. La production minière est en hausse à tel point que le pays est en passe de retrouver sa place de premier producteur de cuivre et de cobalt. Il y a aussi une amélioration dans la production agricole. Le Chef de l’Etat a épinglé essentiellement la production du maïs au Katanga et au Kasaï. Ces efforts sont à poursuivre en vue d’aboutir à la loi de l’offre et de la demande en augmentant l’offre afin que les prix des produits alimentaires diminuent.

Infrastructures, priorité des priorités

Parlant des infrastructures, Joseph Kabila a fait savoir qu’il s’agit de la priorité des priorités. Car, a-t-il poursuivi, le développement repose sur la réhabilitation des infrastructures. Plusieurs routes sont en réhabilitation. Joseph Kabila a cité la nationale N°1 entre Muanda, Boma, Matadi, Kinshasa, Kikwit, Kananga, Mbuji-Mayi, Lubumbashi jusqu’à Kasumbalesa. Sur cette route, Joseph Kabila a signalé la construction des ouvrages comme le pont sur la rivière Mpozo et le pont sur la rivière Loange qui relie le Bandundu au Kasaï Occidental. C’est aussi le cas de la route Kisangani-Goma en passant par Bunia, Beni, Butembo, … Dans ce domaine, en plus des travaux sur la voirie aussi bien à Kinshasa que dans d’autres villes du pays, le Chef de l’Etat a annoncé la bonne nouvelle pour les provinces du Maniema, du Katanga, Kasaï et autres. Il s’agit du financement désormais disponible pour la réhabilitation de la voie ferrée de la SNCC.

Sur le chantier Santé, Joseph Kabila a fait une déclaration de guerre contre le paludisme et le Sida avant de citer des actions concrètes menées dans ce domaine. En ce qui concerne le secteur eau et électricité, le chef de l’Etat a reconnu que le bilan est mitigé. Une situation qu’il a jugée inacceptable. Il a dénoncé le délestage à Kinshasa et le manque d’eau potable. Des efforts fournis à ce sujet aboutiront bientôt. Il a cité la construction d’une deuxième ligne de transport de courant entre Inga et Kinshasa, construction du barrage de Kakobola, du barrage de Katende. Des efforts sont perceptibles notamment dans l’éclairage public à Kinshasa et dans d’autres villes.

Les autres chantiers

En matière d’eau potable, en plus du renforcement de la capacité de la Regideso à travers son usine de captage de Masina, le Chef de l’Etat a signalé le matériel de forage acquis par le gouvernement pour l’alimentation des milieux ruraux en eau potable. Dans ce domaine, Joseph Kabila a expliqué la grande dégradation par 40 ans d’inertie qui a fait qu’il y ait un grand retard à rattraper. Sur le chantier emploi, il y a eu des emplois à signaler notamment dans la fonction publique, dans le domaine minier, dans la magistrature et surtout dans le cadre des cinq chantiers.

En ce qui concerne le logement, Joseph Kabila a fait remarquer que les efforts fournis dans ce domaine n’ont pas permis de mettre des logements à la disposition de gagne-petits. Cela explique le projet des logements bon marché sur le terrain pépinière à Bandal. Le grand dossier de cette fin de la législature, c’est sans aucun doute l’organisation des élections. Le Chef de l’Etat a rassuré que le gouvernement financera ces élections à 60%. Parlant du calendrier électoral, Joseph Kabila a estimé qu’il doit tenir compte du cadre juridique et des contingences matérielles.

En résumé, le Chef de l’Etat fait remarquer que le développement de la Rdc est fonction de la maîtrise et du contrôle des ressources naturelles. C’est pourquoi, après la revisitation, il faut marquer un temps d’arrêt. Il ne faut plus distribuer des carrés miniers en répétant les erreurs du passé. Il faut réformer les entreprises, penser à la valeur ajoutée des produits miniers, le contrôle des frontières. En cette matière, a dit Joseph Kabila, si la Rdc n’a pas des revendications territoriales, elle n’entend pas céder un seul centimètre du territoire congolais à qui que ce soit. L’intégralité du discours du Chef de l’Etat dans nos prochaines éditions

12 décembre 2010

12月10日 le vendredi 10 décembre 2010 鉱山開発の現状 actualité de l'exploitation minière en RDC

Le 10 décembre 2010, vendredi
曇ときどき雨。

RDCコンゴの鉱山開発の実態。
コンゴの鉱山開発をしている世界的巨大企業の影に200万人の手掘り労働者exploitants miniers artisanauxがいる。個人で露天や竪穴・横穴を掘って採掘しているのである。必ずしも不法採掘ではない。国から認められている手掘り鉱区もある。一種の失業対策でもある。
調査は欧州連合が行った。人口の15%にあたる1000万人が鉱業セクターにかかわってる。そのうち200万人が手掘り労働者と算出した。この200万人のうち90万人が直接に採掘に携わり、110万人がその他の作業(選鉱、精製、ディーリング等)に従事していると考えられる。
カサイ州、キヴ州、カタンガ州における手掘り採掘は、国内ダイアモンド採掘の95%、8300トンの錫石cassiterite(世界の3%)、8000kgの金(国内採掘全量の65%)にあたる。またカタンガ州の銅・コバルト輸出の80%を担っているというから無視できない数値である。
RDCコンゴには世界のコバルトの50%、ダイヤモンドの30%、銅の10%が埋蔵されているといわれる。しかし、投資環境が劣悪で、海外の大企業が参入し難い。国連(UNDP)のランクで182カ国中176位、世銀のランクでは183カ国中182位という不名誉な評価をされている。原因は各行政段階でみられる腐敗corruptionなどもあるが、鉱山法の不徹底、即ち鉱山開発の制度化、透明化が遅れているからである。勿論RDCコンゴ東部のタンガニーカ湖北部地方(キヴ州、オリエンタル州の一部)における外国軍や反政府軍と政府軍の戦闘も影響している。
これらの困難の解決の道は?
記事では、関係各省、団体、企業が参集して話し合おう必要があるというが、要は2002年の鉱山法の遵守、正確な実施に尽きるのではないか。投資環境を整えるための、役人の腐敗防止は一朝一夕にできるものではない。投資側が、いかに役人の不当な要求を避けるか工夫していくことも大切である。(画像は子供たちが泥水に浸かって働いている姿。下の仏文記事では大きく扱われていないが、手掘り労働者の数が200万とは極めて少ないと思われる。廃坑であったが、子供たちしか入れない竪穴・横穴が沢山ある鉱山も見たことがあるし、手掘り労働者問題の根は深い)。


Mines-RD Congo: Renforcement des capacités des extracteurs de mines
L'Union européenne identifie 2 millions d'exploitants miniers artisanaux au pays –

L'Union européenne vient d'établir, au terme d'une étude menée en RDC, un répertoire d'exploitants miniers artisanaux sur l'ensemble du territoire nationale. Une banque de données dont le ministère des Mines devait se servir pour un meilleur encadrement de la petite mine (small scale mining).

L'Union européenne a identifié 2 millions d'exploitants miniers artisanaux, 900.000 creuseurs dont 600.000 en règle et 10 millions d'individus (soit 15% de la population totale dépendante de l'activité minière) en République démocratique du Congo.

« L'exploitation artisanale dans les provinces du Kasaï, du Kivu et du Katanga est de 92% de la production officiellement enregistrée des diamants, 8.300 tonnes de cassitérite (soit 3% de la production mondiale) 8.000 kg d'or (soit 65% de la production totale de la RDC) et 80% du cuivre et du cobalt officiellement exporté du Katanga », renseigne le projet Proeinvest Caz (un programme de partenariat UE-ACP) qu'elle a financé.

« Jusqu'à 80 à 90% de la production minière de certains minéraux proviennent de l'exploitation artisanale », précise cette étude qui porte sur le « renforcement des capacités des organisations intermédiaires des extracteurs et des exploitants du secteur minier en RDC » et dont la restitution a été faite mercredi à l'hôtel Memling de Kinshasa aux opérateurs congolais, rwandais et zambiens, sous la direction du représentant de la Commission européenne en RDC, M. Willems.

« L'objectif global du projet est de permettre la rationalisation et une meilleure organisation du rôle du secteur privé dans la mise en valeur des richesses minières. L'objectif particulier est l'incitation au groupement des opérateurs du secteur et le renforcement de capacité des organisations intermédiaires des extracteurs et des exploitants du secteur minier », a expliqué le professeur Norbert Ferron, chef de mission.

FREINS AU DÉVELOPPEMENT DU SECTEUR MINIER

Le sous-sol de la RDC regorge respectivement de 50%, 30% et 10% des ressources mondiales de cobalt, de diamant et de cuivre.

Quatre types d'opérateurs peuvent être identifiés dans le secteur minier congolais, parmi lesquelles les entreprises publiques, les entreprises en partenariat public/privé, les entreprises privées et les coopératives.

Mais, relève l'étude, « la production minière n'a cessé de décroître et les grandes sociétés de disparaître conduisant au constat suivant pour la RDC : en matière d'indicateur de développement humain (PNUD), un classement égal à 176 sur 182 pays ; en matière de climat des affaires, Doing Business (Banque mondiale), un classement égal à 182 sur 183 pays ».

Neuf « freins au développement du secteur » ont été identifiés. Il s'agit de l'occupation illicite par les creuseurs des terrains laissés à l'abandon par les entreprises publiques, l'expropriation des terres des paysans au profit de nouvelles concessions minières, la disparité des statuts des exploitants creuseurs, coopératives, petites mines, sociétés internationales), les conflits entre les différents types d'exploitation (artisanal, industriel).

Il y a également la non vulgarisation et l'interprétation locale des textes du Code minier, la fraude et la corruption généralisée dans tout le secteur, le climat insécuritaire de certaines zones minières, la « revisitation » des contrats de concession signés avec les multinationale et l'inorganisation des opérateurs miniers.

En outre, certaines « contradictions » nuisent à l'organisation du secteur, notamment le problème d'identification de véritables structures associatives et l'absence de statuts juridiques formels pour les associations minières qui ne leur donne aucune personnalité juridique pour ester en justice et, en particulier, pour user de droit de préemption dans les zones d'exploitation artisanale en cas de contestation.

« En 2008-2009, le ministre des Mines a institué par Arrêté en zones d'exploitation artisanale 71 sites miniers dans 7 provinces à fort potentiel. La durée d'une ZEA est, contrairement à la Zambie où sa durée est de 25 ans, illimitée à condition que les gîtes de substances minérales qui se trouvent à l'intérieur d'une ZEA correspondent toujours bien aux caractéristiques décrites à l'article 109 du Code minier », a indiqué le professeur Norbert Ferron.

PISTES DE SOLUTIONS

L'étude de l'Union européenne préconise l'instauration d'un « environnement légal, réglementaire, politique et institutionnel incitatif à l'émergence d'un secteur structuré et au dialogue public-privé », à travers la réalisation de 29 activités.

Outre la promulgation d'un texte réglementaire ou à défaut d'une charte de partenariat ministère des Mines/secteur privé, elle propose l'organisation d'une « conférence nationale » (regroupant toutes les associations, coopératives, sociétés et tous les groupements du secteur) ainsi que l'élaboration des statuts ou l'adaptation des anciens statuts de la Fédération des explorateurs et extracteurs.

« La FEE, créée le 30 avril 2005 à Kinshasa au terme de nombreuses démarches menées en 2004, rassemble les entreprises opérant au Congo dans le domaine extractif et sera l'interface entre ce secteur et les pouvoirs publics. Elle est pleinement indépendante et autonome », a expliqué à l'assistance son président, Samy Badibanga.

« Elle assume la défense des intérêts de ses membres, contribue à régler les litiges pouvant naître entre ses membres par l'intermédiaire notamment de son centre d'arbitrage, coopère à l'élaboration et à la mise en œuvre du programme de développement économique et social du pays, œuvre en faveur de la bonne gouvernance, de bonnes pratiques d'hygiène, de l'accès au financement, la formation technique sur les outils de travail adaptés aux creuseurs, du management et du lobbying sans confrontation brutale. Elle lutte contre la corruption l'utilisation des enfants dans les mines », a-t-il souligné.

Angelo Mobateli

12月9日 le jeudi 9 décembre 2010 死刑存続他 maintenir la peine de mort, etc

Le 9 décembre 2010, jeudi
薄曇。

2005年に国民投票で成立したRDCコンゴ憲法では死刑が廃止されているはずである。12月15日まで開かれている国会に死刑廃止法案が提出され否決されている。憲法学者ケルゼンの古典的憲法理論では、最高法規が憲法である。しかし、この国では憲法は理想を語っただけなのだろうか。目標にすぎないのだろうか。現在11州に分かれているRDCも本来憲法上は26州に分割される予定であった。違憲立法審査も機能していないようだ。 (画像は首都キンシャサの国会議事堂、ネットから)。

RD Congo: L'Assemblée nationale maintient la peine de mort
Afrique centrale - RD Congo .Justice-RD Congo - L'Assemblée nationale de la RD Congo (RDC) a rejeté jeudi une proposition de la loi sur l'abolition de la peine de mort, annonce un communiqué publié vendredi à Kinshasa. L'Assemblé s'était réunie en séance plénière présidée par le président de l'institution, Evariste Boshab.

Certains Congolais préconisent l'organisation d'un référendum sur l'abolition de la peine de mort.

Kinshasa - Pana 27/11/2010

RDCコンゴの対外借款総額が29億ドルに減った。借金の棒引きを世銀、IMF、債務国から棒引きしてもらって、130億ドルあった借金が11月末現在29億ドルまで軽減したというのである。目出度いことに違いない。これで教育、医療等の改善に本格的に取り組めるといっているが、本当にそうして欲しいものである。

dimanche 28 novembre 2010

RDC : le stock total de la dette extérieure évaluée à 2,931 M USD

Le stock de la dette extérieure publique de la République démocratique du Congo (RDC) est désormais évalué à 2,931 milliards USD après sa réduction à la suite de l’atteinte par le pays du point d’achèvement de l’Initiative Pays pauvres très endettés (I-PPTE), ainsi que par la confirmation du Club de Paris d’annuler 7,3 milliards USD.

Le directeur du cabinet adjoint du Premier ministre congolais chargé du suivi et de l’évaluation des programmes, Jean-Claude Machega, qui l’a indiqué vendredi lors d’un point de presse, a fait savoir que le satisfecit des bailleurs matérialisé par la réduction et l’annulation de la dette est la conséquence des politiques économiques et financières initiées par le Chef de l’Etat qui s’est fixé comme objectif pendant son mandat de stabiliser le cadrage macroéconomique, de réunifier le pays et d’y restaurer la paix.

Pour atteindre cet objectif, a-t-il souligné, le Premier ministre congolais a mis en place une politique basée sur la mise en oeuvre des réformes, l’investissement en capital humain, l’amélioration du climat des affaires et la signature des contrats avec des partenaires dont les Chinois, pour relancer le secteur des infrastructures.

Il a par ailleurs révélé que les ressources budgétaires dégagées à la suite de l’effacement de la dette serviront à capitaliser le secteur du social, en priorité l’éducation et la santé sans oublier les besoins sociaux de base.

Il a rassuré que la RDC, débarrassée désormais du lourd fardeau de la dette peut penser à booster son économie en s’appuyant sur la politique de la maximisation des recettes soutendues par le civisme fiscal avant d’évoquer les précautions à prendre par le gouvernement pour éviter de tomber dans le cycle "infernal" de la dette dans lequel le pays a été plongé pendant plusieurs décennies.

Le stock de 2,931 milliards de la dette, 76% sont mis sur le dos des institutions multinationales (36% Banque mondiale, 20% BAD, 20% FMI). Le solde, à savoir 24% pour le compte des autres partenaires notamment le Club de Paris, 3% (151 millions USD) et la Chine 10% (539 millions USD).

La dette publique de la RDC était au total de 13 milliards USD.(Xinhua)

12月8日 le mercredi 8 décembre 2010 COP16 à Cancun

le mercredi Le 8 décembre 2010, mercredi
曇時々晴。

マドンナがまた怪我をした。こんどは右耳の付け根。黒山羊が家の庭にどこからか侵入してきていて、それを追いかけて角で疲れたのか、それともまた悪ガキに意思をぶつけられたのか不明だが、傷だらけのマドンナちゃんになてしまった。ヨウドで消毒したけれどハエが集まってくる。名誉の戦傷ともいえないなぁ。

19時ころからネット不調。

メキシコのカンクンで地球温暖化環境会議COP16が開催されいているが、RDCコンゴも参加している。去年のコペンハーゲン以来の大会合である。CO2を大量発生させている先進国が、削減目標に達しない分を、森林があってCO2を消化している国に金を払って相殺するという仕組みが上手く機能していないようだ。RDCコンゴは請求書をつきつけるという。これでコンゴの森林伐採が避けられるというのだが、真意はどこにあるのだろう。誰がコンゴに払い、コンゴの何処が受け取り、どう金を使うのかはっきり見えてこない。金の監視がどうなされるのか。誰かのポケットに入ってしまうなら馬鹿な話である。コンゴの国土の75%が森林。世界第4位の広大な森林なのだそうだ。ただ、それだけで「お金、ちょうだい」と手をだすのはいかがなものか。森林保存にどれほどRDCが努力をしてきたのか、これからどう保存していくのか、具体的なプラン提示なしでは、タナボタにすぎない。

Climat: la RDC va présenter sa facture à Cancun

Cancun accueille, du 29 novembre au 10 décembre, la première grande réunion sur le changement climatique après le sommet de Copenhague 2009, considéré comme un échec. La RDC figure parmi les 193 nations qui vont fixer une nouvelle feuille de route à l’expiration, en 2012, du protocole de Kyoto. L’enjeu : réduire les émissions de gaz à effet de serre.
Avec ses 145 millions d’hectares de forêt (75 % de son territoire), la RDC est un poumon essentiel pour combattre le réchauffement climatique. Et elle entend le faire valoir à Cancun.

« La RDC doit demander à la communauté internationale de compenser à ses écosystèmes, car ses forêts stockent plus de 8% de carbone mondial, ce qui en fait le quatrième plus grand réservoir de carbone forestier du monde», a déclaré José Endundo, le ministre congolais de l’Environnement dans un entretien à Radio Okapi.

Le Brésil, autre poumon mondial, perd 100 millions d’hectares de forêt par an et gagne en contrepartie plus de 12 milliards de dollars de compensation. Ce qui fait dire au ministre Endundo que la RDC est en retard. José Endundo estime la déforestation du bassin forestier du Congo à 4 millions d’hectares, et regrette que la communauté internationale ne prévoie presque rien, en terme de compensation.

Les enjeux du changement climatique étant majeurs, la RDC veut capitaliser l’événement de Cancun pour tirer des bénéfices. Déjà, un groupe d’experts congolais va quitter Kinshasa pour Cancun, Mexique, ce lundi 29 novembre.

12月7日 le mardi 7 décembre 2010 キプシ市フォステム小学校他 ècole Fostem à Kipoushi, etc

Le 7 décembre 2010, mardi
小雨。風なし。

キュング夫人から電話があって、キプシのフォステム小学校に一緒にいった。彼女の家族が創設した学校である。僕がこの学校を訪問するのは、4月に東京から来たママさんバレーチームの方々と訪問して以来だ。拡張工事が進んでいた。レンガはキュングさんの実家の自家製。蟻塚の粘土を焼いて家の裏庭で作った。教室3室と事務所の増設。完成までにはまだまだ時間がかかりそうだが、乾季しか造れないレンガは既に全量確保した。セメントがルブンバシで13500フラン(1350円、50kg)、キプシでは18000フランである。砂は同量で4500フラン程度。トタンの波板(屋根用)は一枚12500フラン。工事は雨季も続けるという。一歩一歩着実に毎年教室数を増やし、生徒数も250名になった。近所の子供たちには羨ましい学校なのだろう。いつも裸足の小さな子供たちが回りに集まってくる。生徒たちは制服を着ているし、賑やかだし、仲間にどれほど入りたいことか。

マリ・ジャン・キュング婦人と一緒にアンドレさんがいたので、また家に来て庭の手入れをしてくれと頼んだ。次の日曜日に来て話し合いをしようという。「話し合い」って何だろう。給与を上げてくれとでもいうのだろうか。

体重計を買った。エレクトロニクスではなくメカの体重計だった。21500FC (2150円)。家に帰って体重を量ってみて愕然とした。60キロなかったのである。高校・大学のときの体重に戻ってしまった。第一回のアルジェ時代に一ヶ月厳しいラマダンを実行した。一日に一回しか食事を摂らず、いわば修行生活をしたときに62キロから56キロになってしまったことがあった。その後60キロ台前半に戻してそれですっと推移いた。理想体重を64から68に設定していた。一時スイス時代に72キロになってしまったけれども健康体だった。日本では近くに祖師谷温泉というお風呂屋さんがあってよく行って体重を量った。お風呂屋さんのお湯は熱くて嫌いだが、家の狭い湯船と違ってゆったりとお湯につかれる。泳いでもいい。その頃も60台を割ったことがない。今度の風邪で痩せたとしても痩せすぎだ。ルブンバシに来てから外では昼食がとれていないからだろうか。間食をしたことがないけれど、バナナとかビスケットをつまむことにしようか。運動もしないで間食をしてもお腹がでるだけかもしれない。

丁度先々週ルサカにいたとき、ホテルの部屋に配られた新聞のトップページ広告に『Lubumbashi now welcomes you』とあった。僕は車でルサカに来たのだが、ルサカ-ルブンバシの空路がZambezi航空によって開設された。ルブンバシがまた直接海外と結ばれたのである。ルブンバシは既にこれまで既にナイロビ(ケニア)、ヨハネスブルグ(南ア)、ハラレ(ジンバブウェ)、アジスアベバ(エチオピア)、ブラッセル(ベルギー)、ンドラ(ザンビア)等と直行便がある。
Une compagnie aérienne zambienne lance des vols vers Lubumbashi
Xinhua - 30 novembre 2010

Une compagnie aérienne zambienne a lancé vendredi des vols aériens vers la République démocratique du Congo (RDC) dans le cadre de ses efforts pour consolider ses opérations dans la région d'Afrique australe, a rapporté lundi le journal local Zambia Daily Mail.

La compagnie Zambezi Airlines a annoncé qu'elle assurerait trois vols par semaine vers la ville congolaise de Lubumbashi, dans le sud de la RDC.

Wilfred Amstelveen, responsable opérationnel de la compagnie, a affirmé que le nouveau service a été ouvert sous la pression des clients qui réclamaient l'ouverture de liaisons vers le marché congolais, maintenant considéré comme l'un des plus importants à l'échelle régionale.

L'ouverture de la nouvelle ligne aérienne correspond également au souhait de Zambezi Airlines de consolider ses opérations dans la région, selon lui.

Lubumbashi sera desservi trois fois par semaine, les dimanche, lundi et vendredi, et la fréquence des liaisons devrait par la suite être augmentée à quatre vols par semaine. Zambezi Airlines assure actuellement des vols vers Johannesburg (Afrique du Sud), Harare (Zimbabwe) et Dar es-Salaam (Tanzanie), selon le Zambia Daily Mail.

12月5、6日 les 5 et 6 décembre 2010 回復期 convalescence

Le 5 décembre 2010, dimanche
快晴。

朝、家事をこなしている。

庭は今日からジャン・クロードJean-Claude君に世話をしてもらっている。僕が借りている家の一角の使用人小屋に住んで知る。週の間は元の賃貸人のところで働いているので、当面は日曜日のみの仕事だ。IDカードをもらってスキャンした。35歳にみえない。20代後半に見える。両親を亡くしているとは電気屋ペリカンの弁。ドリ君は不真面目だったし、窃盗の容疑もあるので辞めてもらった。僕のカメラのことである。最後にカメラを使用した11月8日からカメラがないことに気付いた11月19日の間に僕の家に入ることができたのは彼しかいない。しかし、証拠がない。ところで、ジャン・クロードの小屋に昨夜泥棒が入ったそうだ。マドンナが騒がなかったところをみると、マドンナが知っている人物ではないかと思われる。とんでもない奴だ。小屋も僕の賃貸契約の範囲。鍵を買うなど対策を考える。

14時、怪しい黒雲がたちこめ始めた。遠くで雷。
ネット不通。16時回復。

Le 6 décembre 2010, lundi
曇。風あり。かなり寒い。昼間、多少の晴れ間あり。

昨日、Jean-Claude君が庭木を刈ってくれたが1/3もしないで終わり且つ刈った枝を全部は集めずに終えてしまっていた。この男も無責任、プロじゃないなぁ。アンドレを探してまたやってもらおうか。

05 décembre 2010

12月4日 le samedi 4 décembre 2010 妹さつき公演 ma soeur Satsuki sur la scène

Le 4 décembre 2010, samedi
快晴。久しぶりの快晴ですがすがしい。

ネット不通。昨日の雷の所為か。

昨日来なかった建具屋Sebastienが8時半にやってきた。「昨日じゃなかったにか」というと「今日だよ」、悪びれもない。必要な工具や釘は僕からサプライ。なんとかサロンに壁掛けが設置された。ザンビアのKitweの市場でアフリカの椅子やタムタムと一緒にTさんと買った品物だ。長い値段交渉をした結果、ルブンバシの北のみやげ物市場ルアシRouashiよりは妥当な値段とおもえるところで買うことができた。これでまた少しアフリカらしさが家の中で増えた。

髪を洗い、身体を拭いた。髪はそろそろ切らないといけない。2006年に行ったところで切ってみよう。今度はどうなるか。 当時は、コンゴ人の同僚が、ルブンバシで一番の床屋をみつけたと大言したのでいってみたのだ。洗髪が店の中ではできなくて、隣の家の庭の水道で、バケツに水を汲んで髪を洗ったことを覚えている。職人はアンゴラ人だった。

小さな花壇を手入れした。雑草を抜き去り、新しく買ったハイビスカスと白いランタンの位置を考えて鉢から植え替えた。背中に日を受けた1時間ほどの作業だったが発熱なし。マドンナに悪戯されることなく育って欲しい。

コート・ジボワールは泥沼に陥る可能性があるなぁ。事情が違うが、マダカスカルも大統領選挙後、もめたことがあった。 未だにもめている。
コンゴRDCが2006年大統領選挙をしたときには、選挙後の混乱がなかった。圧倒的に現大統領ジョセフ・カビラが勝利したからではない。カビラが反対派を副大統領に迎えて挙国一致態勢を築いたからである。チセケディは選挙に出馬拒否したので副大統領にならなかったが、第2回投票で争ったベンバは副大統領になった。その後、ベンバを国外に出し、海外で逮捕させ、国際刑事裁判所で審理に付すことに成功している。ベンバは来年の選挙に立候補できないであろう。チセケディは来年立候補すると声明したが、カビラに対抗することは至難である。独裁者モブツとプラグマチストのカビラでは戦い方が違う。しかし、万が一、チセケディが勝利したときカビラはどうでるだろうか。父親ほど軍隊の支持は得られない。彼の頼みは、国際機関(国連やIMF、WB)と思われるから、彼らの意見にしたがうしかない。国際社会はチセケディを歓迎しないだろうが、建前として選挙結果を翻すこともできない。コンゴの民主化成熟度がとわれることになる。

妹さつきの仙台公演がまもなくである。
http://www.satsukiss.com/

一人舞台『星星の扉』。
12月16日、17日
仙台市戦争復興記念館記念ホール。
仙台の方、近郊の方、せひ公演にいらっしてください。

12月3日 le vendredi 3 décembre 2010 コート・ジボワール Côte d'Ivoire

Le 3 décembre 2010, vendredi
曇、多少の晴れ間あり。17時、雷とともに雨。

8時に建具屋セバスチャンが来る。ザンビアで9月に買った染色織物をサロンに掛けるためだ。9時になっても10時になってもセバスチャンは来なかった。僕が迎えに行くのをあてにしていたのだろうか。物置の戸のときは、迎えにいったけれど、桟くらい担いで来て欲しい。

マドンナの食事が10時になってしまった。ごめんね、お腹が空いたろう。

ブログの更新を12月2日分まで終えた。

15時、37度2分。Panadol 1錠。

11月、ギニア(首都コナクリー)とコート・ジボワール(経済的首都アビジャン)で大統領選挙があった。何れも決選投票が行われた。負けた陣営がなかなか敗退をみとめない。不正があったとごねる。選挙慣れしていないこともあるが、選挙の透明性が疑われるのである。国際監視団を受け入れても、負けると納得しない側が暴力に訴える。これでは民主主義が育たない。次の選挙で起死回生などとは考えないのだ。

ギニアではアルファ・コンデが大統領として正式に認められそうだ。
コンデもディアロもギニアでは、日本の鈴木、高橋のように多い名前である。
アルファ・コンデはセク・トゥレから死刑宣告もされた反骨の闘士。72歳。パリ大で政治学博士号を取得している。元首相のセル・ダラン・ディアロを相手にして勝利したのだから、たいしたものである。ギニア独立(RDCコンゴより2年はやく1958年)以来初めての民主的な選挙のようだ。

コート・ジボワールは現役のバグボGbagboと野党ウアタラの方はもっと複雑なようだ。選管はウアタラの勝利を発狂、憲法裁判所がバグボが勝利したといっているからだ。しかも、選挙監視団を送っていた国連を初め国謝意社会は選管の発表結果が正しいとウアタラ氏を支持している。ウアタラは米国で経済学を学び、IMFの副総裁までなった人物。西欧の受けがいい。バグボの支持者はアビジャンを含む南部、ウアタラは北部と分かれる。しかし、政策面だけでみれば、IMFのいうことをきいて経済復興した国は少ない。アルゼンチンのような大失敗もある、ウアタラが大統領になっても国民統一内閣を作りバグボ派もとりこんでいかないと先々内戦ということになりかねない。来年RDCコンゴは大統領選挙がある。対岸の火事ではない、(画像はウアタラ氏}

久しぶりにカレーを作っている。日本式。

03 décembre 2010

11月27日~12月2日 du 27 novembre au 2 décembre 2010 パナドル panadol

12月2日まで、検温のことしか書いていないのでまとめてしまった。

Le 27 novembre 2010. Samedi
晴、北に向かうほど天気がよくなった。

カスンバレサ国境に13時45分に到着。トラックが長蛇の列。ザンビア側にNgongo君が来てくていて、ザンビア出国手続きはスムーズに終わった。コンゴ側を含めて14時45分にはコンゴに入ってしまった。ありがたい。ザンビア側20万Kwacha(40ドル)とコンゴ側40ドル。

ネット契約の延長払い込みをアラン君にカスンバレサから頼んだ。土曜日だったが、本社は16時まで営業していたのか、更新支払いができた。

16時半にルブンバシに入った。途中スピード違反取締りの悪徳警官がいたが、僕の作戦勝ちで、警官の前を素通りした。作戦は、スピードを出している地元の車の後ろにつくこと。僕のガイドになる。この前の車が警官の停止を無視して疾走した。しかし、この頃から熱が出始めた。咳も鼻水も出る。早くマドンナを受け取って家に帰りたい。

アラン君の家でマドンナを引き取った。そのとき、「大丈夫か、やつれたね」、「大丈夫じゃないよ、半死だ」
家に帰って鏡でみると、頬がこけていた。

18時、やっとの思いで家に到着してみると、門の閂を誰かが針金で補強していて入れない。一体誰がこんな余計なことをしたのか。近所の子供たちが集まってきて、中でも大きい方の子供が針金を解いてくれた。なんでも直ぐに野次馬がたかってくる。

Le 28 novembre 2010, dimanche
快晴。

いつものように熱は5時ごろから発汗とともに下がり始めて8時には36度。

昨夜は、とても身体がしんどかったので、マドンナの食事を用意できず床に入ってしまった。今朝の彼女の食欲は旺盛。
昨日Kitweで買った植物をまた破壊してくれなければよいが。

12時、断水。13時半回復。はやく回復してくれたので、白物の洗濯を終えることができた。

14時半、PC前の椅子に座ろうとして失敗。床に尻餅をついてしまった。尾骶骨をしこたま打った。「痛い!」。こんなヘマも近年にないことだ。泣きっ面に蜂。

熱は16時ごろから徐々にではあるが出始めた。やっかいだなぁ。

Le 29 novembre 2010, lundi
小雨。のち曇、時々晴。

6時、38度から発汗、7時45分現在平熱、シャツ2枚をとりかえた。

ネットが遅い。メイルを出すのに繰り返しトライしないといけない。

太陽が出たところを狙って日光浴してみた。身体も日光消毒と思ったが、急激に熱がでた。

夕方からやはり発熱。
食欲がないわけではないが、海苔入りのオジヤをつくってみた。本当に病人の気分。

Le 30 novembre 2010, mardi
快晴。

発汗とともに平熱へ。昨日と同じパターン。

14時30分、熱の具合をみながらルブンバシに買い物に行くことにした。マドンナ用のパスタが底をついたことと、僕のタバコ等の購入である。コーラ等飲料はキプシの店に空き瓶をもちこんだ。

駅の近くの薬屋でアラン君がPanadolを買ってくれた(600円)。スイスで胃潰瘍の治療をして以来非ピリン系のパナドルしかのまないことにしている。ここでも売っているとは思ったが調べなかった。ザンビア大使館で戴いた薬は一昨日で全て飲み終えていた。

帰りの時間が悪かった。17時にGecamines地区の通りにかかってしまったのだ。普段5分で通貨してしまうところを70分かかった。15時半に通ったときは洪水であったが車は流れていた。トレーラが2台、エンコしていた。譲り合いの精神なんてないんだから、警察が飛んできたって渋滞はおいそれと解消しない。いつものことだ。しかし、こちらは、発熱がはじまって喘いでいたのだ。

19時過ぎから雨。よく降る。
夕食は生クリームとパリ・ハムjambon de Parisをあえた。僕の大好きなメニュー。パスタにはリンギーネをつかった。

20時、パナドル1錠服用。38度5分。

Le 1er décembre 2010, mercredi
小雨のち曇。晴れ間は午後遅くなってから。

平熱。結果論だが、事前治癒を待つよりも、「風邪かなと思ったら、パナドル」だったのである。若いときは、風邪のはじまりに、熱い湯につかり汗を流し、直ぐ就寝したり、厚着をして就寝、発汗を促して風邪を飛ばしてしまった。体力があったからだろうか。
運動をして無理をするのが嫌いだから、僕はスポーツマンではない。けれどジュネーヴやルガノのクラブのジムによく通った。15年間。ルブンバシにいくつかジムができたけれど、設備がととのっていない。カラビア・ホテルのジム建設中にみているが完成したろうか。家の一室をジムにしようかな。

13時、検温37度4分。追加のPanadolを1錠。

やっとまともな料理をする気力がでてきた。牛ヒレ肉のトマト煮。ヒレ肉ではもったいない煮込みだが、ヒレでないと肉が固すぎる。Megastoreで買うのだが、ザンビア牛かもしれない。かつてカタンガは牧畜が盛んだった。カタンガ東部モエロ湖の方の牛が有名だったようだ。シスター・アスタさんによれば、牛が湖を渡る姿がみられたそうだ。キプシ街道にポルトガル人の農場がある。ときどき牛たちが街道を集団で横切る。カタンガ州のどこでも牧場に相応しい土地である。サヴァンナとはそういうところだ。 しかも高原は。ところが、農業、牧畜をしていて、その土地を掘ってみると、銅やコバルト、金、マンガン等が出てきてしまうことだ。これがカタンガ州だ。

Le 2 décembre 2010, jeudi
晴。

1時、37度2分。Panadolを1錠。
7時、37度2分、発汗、7時45分、36度6分。
15時、37度8分。Panadol 1錠。
ネット不調。

正午から断水。20時半、回復。
17時05分、停電。17時15分回復。
17時、雷。
23時、37度1分。Panadol1錠。

ブログ『アフリカの星』を更新。11月20日から25日まで。

11月26日 le 26 novembre 2010 ヴィクトリア瀑布 Chutes Victoria

Le 26 novembre 2010, vendredi
雨のち曇。
4時ごろ目が覚めたときにはかなり激しい雨であった。こんな雨の中を合羽を着て滝の見物をするのかと思うと諦めたくなった。熱は朝方急激に引いて平熱になった。

8時、朝食をとりに食堂に行ったときは霧雨。朝食のコーヒーはインスタント。パンはトーストしてあった。他に客がいなかった。みんなもう出てしまったのだろうか。従業員たちは無愛想。昨夜、このレストランで食事をしなかったのは正解にちがいない。

8時50分、ヴィクトリア瀑布にむかった。入り口手前で、警察が取締り中だっだ。そこで再びルサカからの通行料(道路使用料)の未支払いを指摘された。罰金27万Kwacha(54ドル)。昨日追加通行料を払っておきたかったが、リビングストン入り口にあるという事務所がわからなかったのだ。
瀑布入場料20ドル(外国人)。駐車料金5ドル。公園になっているのだ。通り道は舗装され、そこここに立ち見台が作られている。11月から雨季だが、まだ雨季ははじまったばかり。絵葉書でみるような滝の連続はなく、ところどころ滝になって水が落ちている程度だが、ザンビア側のとっついまでいくと、向こう側、ジンバブウェ側の滝がみえる。国道から見えた水煙はこの滝から立っていたのだ。ダムを放流しているように激しい勢いで怒涛のように水が落ちている。雨季が終わる4月ころには、ザンビア側の屏風のような岩全体が滝となり壮大な景観を呈すだろう。今のところ晴天の日に合羽はいらないので貸し出しもなかった。
はるか足下に見える滝つぼで泳げるということで水着を用意していたが、体調が体調でその元気がでないし、アクセスは公園からではないので諦めた。

リビングストンを11時に出発。燃料を100km北上したカロモKalomoで補給。この村にもバークレイズのATMがあった。ガソリン・スタンドで少年からバナナを6本買った。1本700 Kwacha(10円)。「6本でいくらになるの」とは。坊や、情けないぞ。
このバナナが昼食になった。

ルサカに着いたのが17時だった。帰宅ラッシュにひっかかり、ダウン・タウンを抜けるのに75分もかかってしまった。もう少し早くルサカに着く予定だったが、途中追い越し禁止区間で警官につかまってしまったのだ。27万クワチャの罰金というところ、10万(20ドル)に負けてもらった。勿論チケットを切ったのではなく、この警官のポケットに入ったわけでである。勿論追い越し禁止とはわかっていた。ただ、前を走っていた乗用車の運転手が、右ハンドルだが、足を左側の窓にかけて、ちんたら運転していたのである。呆れた運転態度だがこの車は注意を受けていない。見通しのいいところにさしかかったので一気に追い越したのであった。

カッパベルト州のKitwe市まで一気に走るのは無理とルサカの交通渋滞から抜け出した時点で判断、9月初めにTさんと寄り道したKabweで泊まることにした。

Kabweに入る手前でベスト・ロッジは何処だと聞くとタスカスだろうという。探し当てるのに苦労はなかったが、Tuskersと書くとは意外だった。

食堂に下りる気力も出てこなかったのでルーム・サーヴィスを頼んだ。悪寒がするので熱いスープとステーキ。ステーキは固かった。とても「ルサカ・クラブ」とステーキとは比べられない。ベッドに横になっていても体温がどんどん上昇していくのが分かる。熱の所為で左手の指が硬直して動かなくなった。「こりゃ、一大事」とSkynewsを見ながら1本1本右手を使ってほぐしていった。その右手も震えている。 さらに部屋の中に蚊がいる。電気蚊取りをコンセントに差し込んだら、コンセントが欧州大陸方式ではなく、きついところを無理に差し込んだら電気蚊取りのプラグが壊れてしまった。蚊帳がない。今、マラリア蚊にやられれば、弱った体力のところだ、たちどころにマラリアに感染してしまう。悪夢の夜だった。