02 décembre 2010

11月21日 ルサカへ(2) vers Lusaka (2)


Le 21 novembre 2010, dimanche
晴。

コンゴで汚れていた車を、ホテルの守衛が洗わせてくれというので承知した。2万クワチャ(4ドル)。9時15分、Ndolaのロッジを出発。10時半には既にタンザニアに向かう国道との分岐点Kapiriに着いてしまった。その後も順調で13時半にはインタコンチで予約と宿泊代金の確認をしてチェック・イン。このホテルの真向かいにある日本大使館から予約をいれていた。日本からの出張者の方々は未着。部屋に入って休むことにした。

暫くして出張者が到着。ロビーで初顔合わせ。東京からのO氏、Y氏、T氏、それに大使館からNH氏他。明日以降のスケジュールの打ち合わせ。しかし、未知数が多い。準備が悪いのではない。
地上波デジタルの日本方式ISDB-TのSADC会議に於けるプレゼンテイションが政府ミッションの仕事である。僕はその中でいわば黒子。通訳である。
日本方式については事前に戴いた資料とネットからの情報で調べていた。米国式や欧州方式に比べて長所が多い。ロジカルに考えれば、日本方式を採用するのが妥当なのだが、アフリカは欧州との結びつきが強い。政治的な判断を持ち込まれると日本は弱い。

SADCとは「南部アフリカ開発共同体」。加盟国は15カ国。事務局はボツワナのGaboroneにある。RDCコンゴは1997年から参加。言語圏としては、英語が大勢だが、フランス語国としてはRDCコンゴ、セイシェル、マダガスカルがある。ポルトガル語国はアンゴラ、モザンビークである。スワヒリ語も全ての国ではなされているわけではない。言語の違いは文化、考え方の差を生む。英仏を見ればよくわかる。SADCが共同体といえるほどの結束を獲得する道のりは遠い。DRCコンゴはCEEAC(中部アフリカ経済共同体)のメンバーでもある。

夕食は大使館NH氏の案内で中華。ビールが冷えていなかったのはいただけないが、料理は一流。ダル・エス・サラムの「龍騰海鮮酒家」に比肩。数ヶ月前に改装したのだそうだが店の構が中国らしい壮大さである。

NH氏、エチオピアやナイジェリア等アフリカ赴任経験が豊かな方である。よく外交官で赴任地の悪口をいうひとがいる。彼はそんなタイプではない。公使をされているTH氏もきさくな方であった。去年、タンザニア大使館を訪問したときの応対について不満を書いたことがある。当時の岡田外務大臣に大使交代を箴言した。タンザニアに工場進出のために来ていた民間の投資家O氏も日本大使館には不平たらたらだった。ザンビア大使館の方々はとても腰が低く誠意がにじみ出ていた。一緒にいたのが「霞ヶ関」の人々だったからだろうか。 そうでもあるまい。

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