Le 25 novembre 2010, jeudi
晴。
日本からの出張者の方々は早朝ホテルを大使館からの迎えの車で空港に発っている。
ルサカのホテルを9時に出発。南下。カフエを過ぎたところで警察のチェック。「道路使用料がカスンバレサからルサカまでしか支払われていないではないか」、「なるほど、入国査証を取得するときにLivingstoneまで行くと申請したんだけどね」、「ともかく27万クワチャ(54ドル)払え」、「現金がない」とポケットの現地通貨を見せたのがいけなかった。50や1000などの細かい札を除いて5万クワチャ札を3枚むしり取られてしまった。Livingstoneの入り口のゲートに支払い所があるから、そこで改めて27万払えということだった。ザンビアはATMが発達している。次の町のATMで50万クワチャおろして準備した。しかしそんな支払い所はみつからなかったのである。
リビングストンはザンビアが北ローデシアと呼ばれたときに首都だった。ルサカに首都が移ってからはヴィクトリア瀑布のある観光地だ。街は5分で通過してしまう。まっすぐに進むとジンバブウェとの国境に行き着く。その数十メートル手前がヴィクトリア瀑布公園の入り口だ。途中迷った、というのは「Victoria Falls」という大きな看板があったので、おかしいなと思いながらも看板の矢印側に左折して走ったからである。看板には「Power Station」とも小さく書いてあったが、滝のあるところだから発電所も近くにあるだろうとも解釈したのだ。下手な考え休むに似たり。国道に戻って数キロ走ると国境だった。16時になってしまったので瀑布見物には時間が少なかろうと、宿をとることにした。
リビングストーンは、この日誌で書いた「コンゴの歴史」のスタンレーの項で触れた。英国の伝道師、探検家、医者である。ヴィクトリア瀑布は彼の発見。スタンレーの名を冠した町の名前をRDCコンゴは消してしまってキサンガニにしてしまったが、ザンビアはリビングストーンの名を残している。
宿はヴィクトリア瀑布とリビングストンの中間にみつけたMaramba River Lodgeにした。95ドル。2泊しようと思ったら、明日からfully booked。今日は閑散としているが週末は客が殺到するのだろう。シャレが点在する静かなところだ。しかし1泊で結果としては十分であった。、
今夜も栄養をつけないといけないとおもった。ホテルのバーのボーイにきいたら街中にイタリア料理店があるという。その店に7時過ぎに行った。行く前に何を注文するか決めていた。ニョッキで始めて、エスカロプ・ミラネーゼ、デザートはプロフィテロル。店の構はいいとして、中に入って注文しようとすると、「メニューに書いてあるものしかできませ~ん」。
英語圏は飯が不味い。フランス、スペイン、イタリアならどんな田舎に行っても飯が美味い。90年代以降の日本もそうだ。しかし、日本の場合、薀蓄を述べる亭主かいたりして五月蝿い。
そこでロッジに引き返す途中にあったちょっとまともそうなホテルのレストランに入った、イタリア系の料理がメニューに散見されたので、それらを注文。なんとかacceptableだった。
帰り道が暗く、宿の入り口を越して、またまたZimbabwe国境まで走ってしまったが、なんとかみつけて、今日も早めの就寝。蚊帳はまともだったが、冷蔵庫も冷房もない。チーコちゃんは駆けずり回っていた。元気だね。風邪なんかひかにようにしようね。
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