Le 16 octobre 2010, samedi
快晴。
1982年までカタンガ州ムソシ鉱山に日本の方が多く働いていた。Sodimiza社である。日本は隣国アンゴラ内戦のため輸出港を失って採算に乗らなくなりここから引揚げた。このことは既に書いた。当時、日本人の父親が帰国したとき、チチャンTshichanは母親のお腹のなかにいた。タカシ君は彼の兄である。このチチャンに会った。彼から僕の「日本カタンガっ協会」の存在を知って連絡してきたのである。可愛い坊やだったが、もう28歳、3年前に結婚して一児の父親である。父親探しをしてくれという訳ではなかった。しかし、少なくとも日本人であることを認知してもらいたいようだ。日本人の子であることを極めて誇りに思っている。ただ、生活が苦しいので援助してくれというものだったが、それは僕の力では及ばない。では、もし日本企業が再びカタンガ州に来てくれたら働かせてくれという。これも全く未知であるし、僕が採用するのではないから、約束はなにもできない。ともかく、希望をもってくれと話しただけである。日本人の父親が子として認知しない限り大使館に訴えても日本人として認められることは難しいだろう。それでもこれまで偏見の中で育ってきたことを考えるとなんとか日本政府も彼らに救済の手を差伸べてもいいのではないか。31名の子らがいる。
(写真はキプシの僕の家に来た「ちーちゃん」、ニックネームではなく「ちーちゃん」と名付けられた。少年のような笑顔である)。
マドンナ、食欲なし。ビスケットを食べない。オムレツとパスタだけなんとか食べた。
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