Le 25 octobre 2010, lundi
快晴。
ネットが不通なのはクレジットが切れた所為のようだ。今月分の60ドルを支払ったが、月契約であることをvalidationしないで使っていたので、通常のネット接続とみなされてどんどんクレジットを消費していたのだ。なるほど、月ぎめは有利なわけだ。しかし先月はvalidationせずに使用していた。誰かがvalidationしたのだろう。Alain君か、Vodacomの係員が。馬鹿なことをしたが、勉強だ。ネット用に使っているUSBモデムのSIMも携帯電話のSIMも同じSIMということだ。
アラン君に建替えてもらい新たにVodacomに今月分を払った。ネットが再接続された。
「日本カタンガ協会」の名刺100枚をやっと作成し終えた。
マドンナは元気を取戻しつつあるようだ。今朝庭に放つと勢いよく駆出した。昨日の昼間暑いときは、車の下でのびていた。ビスケットも多少夜のうちに食べ、今朝は手にとって与えるとむさぼるように食べたのである。おかしな奴。
プレトリア(南ア)に出張の話があったが、キャンセルになった。ちょっと残念。南アは犯罪天国、行政の首都プレトリアも例外ではない。確かに南アに行くのは怖い。とくにパスポートやクレジット・カードを盗られるのは、そのあとの処理を考えると面倒極まりない。命さえあればというけれども、この二つは強盗にも勘弁してほしい。命の次に大事だもの。お金は差し出すけれど。ルブンバシでこんな事件はまずない。パリや東京より安全なルブンバシである。
Le 26 octobre 2010, mardi
快晴。
ルブンバシを車で走っていたら、花の苗を自転車に載せて売っている青年がいた。さっそく止めて、ハイビスカス、アロエ、シャンスの苗を求めた。シャンスは名前がよかったので買ったがどんな花かわからない。シャンスとは英語のチャンスである。まさか花が咲いたらそれは僥倖というわけではないだろうなぁ。
コンデの本を返却し、今度はカメルーンの女性作家カリクスト・ベヤラCalixte Beyala『La Plantation』(2005年)を借りた。舞台はジンバブエ。独立はアフリカの中でもっとも遅く1980年である。それ以前は南ローデシア。大統領は最後の独裁者といわれるムガベだ。2000年に入って年間10万%というインフレが続き、ついに中央銀行はRDCコンゴと同じく発券銀行としての機能を停止し、米ドルが流通するようになっているそうだ。ジンバブウェについては追って詳しく書く。
このベラヤ女史、なかなかスキャンダラスな女性のようである。まだ40代後半だが、既に若くしてアカデミの大賞受賞したものの、いくつかの作品で剽窃、盗作問題を起こし、さらにフランスのマス・メディアの寵児、TVヴァライアティ・ショーのアニメイタであるミシェル・ドリュケルMichel Druckerの愛人宣言、裁判で敗訴等々話題を提供している。
果たして『プランテイション』なる作品はいかなるものか。
道ですれ違った若者にぶつかった。若者が携帯を落として大騒ぎ。諸膚を脱いで「どうしてくれる」と息巻いた。携帯は壊れてなんかいない。どうも昼間からの酔っ払い。周りにいた旧知の若者たちが件の若者を制止している間に車に乗込んだ。ところが、僕の車の荷台に乗ってまだ騒いでいる。仕方ないからそのまま警察につれていった。ところが知っているキャピテンは交通警察。こうした暴力事件には直接手が出せないらしい。それでも、一応保護してくれて酔っ払いの若者を追い払ってくれた。ムズング(白人)から金を取るんだと騒いでいたそうである。
ムズングというのはスワヒリで白人のことだが、欧米人だけを指すわけではない。インド人、アラブ人、中国人、日本人もムズングだ。ムズングは金をもっているというのがここの常識。だから、これ幸いと酔っ払いの若者が騒いだわけだ。
今日は疲れた。ついていることもついていないことも含めて。
Le 27 octobre 2010, mercredi
快晴。
昨日手配した溶接工エルネストが来てくれて門の修理をした。これで夜鍵をかけることもできる。隣の家との垣根も、マドンナが出られないように修理してもらった。持ってきた溶接機は手製? アンペア数もワット数も溶接工はしらなかった。修理代金12500フラン(1250円)。多分、これでマドンナを夜庭に放せる。しかし、頭のいいマドンナのこと、どこか見付けて外にでかねない。家を守るんだ、ほっつき歩くのは任務ではないことを教えなければならない。
午後からネット不通。午前中は快調だったのに。
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