Le 26 septembre 2010, dimanche
快晴。
マドンナに首輪をした。首輪をつけても外れないほどに首が太くなっている。鎖をザンビアで買ったので、首輪に鎖をつけてマドンナと散歩してみたかったのである。家の周りを一周したが様になる。鉄の鎖なので、引っ張られるとこちらの手が痛い。作業用の手袋をすればいいか。一緒に走るほど僕に体力があるかな。
でも彼女、それにしても大きくなった。ザンビアでTさんに勧められてマドンナ用に骨の形をした玩具を買った。彼女はそれを一晩でずたずたに切り裂いてしまった。すごい顎の力である。彼女に噛み付かれたら骨まで砕かれるだろう。優しい性格に育てたので誰にでも人懐っこく飛びつくが噛付くことはない。でも不審者が敷地に忍び込んできたら、吠えるだけでなく噛付くだろう。被害者が現れないことを祈る。
先週の日曜日はザンビアの温泉でくつろいでいたが、翌日から1000kmを走るのかと思うと精神的にはあまり休めなかった。今日はゆっくりした。
サロンや部屋をモップで掃除。チーコちゃんが、床にひっくり返って媚びをうるので、彼女が埃だらけにならないためだ。新しいモップを使った。バケツの一部に遠心分離機がついていてモップの水を切るのである。中国製。簡単なものだが、どうせ直ぐに壊れるにしても面白いことを考えたものだ。
14時半ころ、仕事を探しているという青年が自転車で尋ねて来た。ドミニク君。Boyérie(使用人小屋)の青年はどこにいったのかいないし、アンドレさんは来ないので、庭の手入れが出来るかというと「うん、出来る」というから明日の朝7時から来てもらうことにした。初めは雑巾がけさせてくれと言ってきたんだ。若い男がそういうのは勇気がいることだ。素性のわからない人を雇っても大丈夫かともいえるが、仕事を探して回っているという健気な姿だけで僕には十分だ。しかし、時間通りに来るかな。コンゴ時間はいかんぞ。
先まで停電していたが、電気が来たと思ったら断水。16時半に水が出始めたので行水。また打ち水。
Le 27 septembre 2010, lundi
快晴。
7時5分にドミニク君が来てくれて植木の手入れが始まった。そうしたら、いかにも手作りの、枯葉を集めるための扇形のスチール製箒を行商人が売りに来た。ドミニク君がこれは便利だから是非買ってくれという。400円。たまたま売りに来たにしては、いいタイミングだ。
昼で仕事を止め、午後17時に水を撒きに来いといって帰宅させたが、夕方ドミニク君は来なかった。甘えている。
今日は停電、断水が断続的にあった。ところが、調理が終わったところで停電、食器洗いを済ませたところで断水と、僕の受けた被害は最小であった。
ネットは朝はOK、午後不通、夜はまぁまぁ。
Le 28 septembre 2010, mardi
快晴。
ネット、全く不通。Mobile Partnerというプログラムで接続するのだが、携帯電話の画面にでてくるようなアンテナ表示が一本しかたたない。つまり電波がないということだ。
ドミニク、身分証明書を見るとカレレ・ドリKalele Doliとなっていた。今朝は7時半にやってきた。時間の観念がない。なにも彼にはじまったことではない。コンゴ時間、アフリカ時間とはいう。しかし、それは太陽の高さで生活していたときのアバウトな時間の話だ。フランス人は多少の遅刻は勘弁して欲しいということでフランス時間だからなどという。時間に厳しいのは日本、台湾、ドイツかな。
ルブンバシで庭の水撒きのためのホース40M、ドリ君の仕事用のツナギと長靴を買った。ドリ君は新調のツナギを着て鼻歌まじりで喜んでいる。もう25歳だというのに子供みたいだな。
シャワーのノズルも買った。中国製の安物だが(1500円)家でつけてみると、ちゃんとシャワーが出た。水しか今のところないが、これでホテル以外で初めてシャワーがつかえることになった。電気の温水ユニットをDar es SalaamにいるTさんに頼んだので、来月中にはお湯のシャワーが浴びられるかもしれない。そうしたら文明生活だ。
Le 29 septembre 2010, mercredi
快晴。風あり。
ドリ君はやはり7時半にやってきて、「7時でしょ。家を7時に出たよ」、「馬鹿いっているんじゃない。就業開始が7時なんだぞ」。時計を彼はもっていない。ルブンバシの街でよく売りに来るマガイもののスイス製と称する時計を買って与えるか。でも時計の問題じゃないだろう。
マドンナが箒を食い散らしてしまった。そこで、ドリ君は「箒がない、箒がない」と大騒ぎ。キプシのマーケットで箒を買うことになった。
箒を買うついでに、街のVodashopに寄ってネット接続のクレームをした。ネットワーク・アンテナが不具合で、今、技師を呼んでいるところだ、今週中にはなんとかなどという。もう、既に呆れた会社だとわかっているから、そうか、なるたけ早くしてくれよ、といいおいただけ。19時過ぎ、ネット回復。メイルが読める。ところが、なかなか読めない。どないなっとんじゃ。もう1時間以上トライしている。20時40分、停電ときた。
箒を買いにいったのは、キプシのマーケット。ジェカミンGecamines地区である。ジェカミンはおそらくアフリカ最大の国営鉱山会社だった。Kipushiも鉱山の町である。今でも銅の精錬工場もあるし、採掘も行われている。Gecaminesでもっていた町に違いない。マーケットのある地区は労働者の住宅街であった。Gecaminesが機能していた時代を偲ばせるインフラである。しかし、Gecaminesが衰退してから、道路、橋、下水はメンテされず放置されたまま崩壊の一途をたどっている。労働者住宅も退職金代わりに払い下げられた。この地区を探索しようと中に入ったが、途中で道が分断されていて引き返さざるをえなかった。僕の四駆でも通れない。廃墟に人がわんさと住んでいる。そしてなんと小さな子供たちが多いことか。貧民街としかいいようがなくなった。
世銀からGecaminesに退職金にたいする融資が今年もついたことは既に書いた。しかし、こういう融資は後向きで、Gecaminesの再生には役立たない。労働者の切捨てに結びつくだけである。切り捨てられた労働者は、次の仕事がなく貧困化する。
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