Le 22 octobre 2010, vendredi
快晴。
名刺をPCで作ろうとしたら、前のPCに入っていたソフトが動かない。新たに「名刺メーカー」をダウンロードしたら、圧縮されていて開けない。解凍ソフトをダウンローぞするのにとんでもない時間がかかる。
マリーズ・コンデ『Histoire de la femme cannibale』の中で面白い表現をみつけた。259ページ。以前読んだコート・ディヴォワールの作家クルマAhmadou Kourouma『Quand on refuse on dit non』にあった思考と全く同じだった箇所である。
ケイプ・タウンのブレンダ園という庭をガイドが案内するときの台詞である。このブレンダ園は調べてみると、ケープ・タウンにそんな名前の公園がないので作家の創作かもしれない。
「Regardez, mesdames et messieurs, regardez bien ! …C’est à cet endroit précis qu’au cours d’une des plus violentes révoltes du ghetto dix petits nègres se sont fait abattre. Leur sang a irrigué la terre qui est devenue du terreau pour ces fleurs merveilleuses que Brenda vous offre aujourd’hui.(ご覧くだい。みなさん、とくとご覧ください。まさにここなんです、黒人ゲットーの激しい抵抗があったとき、ここで10人の黒人の子等の血が流されたんです。その血が土地を潤して腐植土となり、今、みなさんが鑑賞されているこの美しい花々を咲かせているのです)
この台詞でブレンダ園を訪れた観光客は大いに感動し満足する。
クルマの小説の方では少年兵が、内戦のために多くの人々が血を流して斃れていくが、それが世界一美味しいコート・ディヴォワールのコーヒーを生む、というものであった。
ケープ・タウン、フランス語ではル・キャップle Cap。行政の首都プレトリアと並んで立法府府がある南アの首都のひとつでもある。有名な喜望峰Cape of Good Hope/Cap de Bonne Espéramce はこの都市の南に位置する。しかし、喜望峰はアフリカの南端でもなければインド洋と大西洋の交わる地点でもない。15世紀のポルトガル人がここまでくればインドは近いと希望を抱いた岬ということになっている。
コンデは云う。「喜望峰とはいうが、東インドやマダガスカル、モザンビークで積まれた船の哀れな船荷(奴隷)にとっては、全ての希望が微塵と砕けた絶望峰であった」(頁105)。
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