16 avril 2018

3月1日~4月15日 雨季から乾季へ de la saison de pluie à la saison sèche

le jeudi 1er mars 2018
6時、うす曇り、22℃7、70%。

アフリカのニュースと僕の感想・コメントはこのブログではなくFacebookに書いている。Facebookは個人情報流出で叩かれているが、何れのソーシャルメディアも同じだろう。
Facebookのメリットは大きいと僕は思う。

le vendredi 2 mars 2018
6時、曇り、23℃、72.5%。

電力メータのチェックを昨日忘れていた。19250kWh。2月消費量は325kWhで3日1月に比して短いとしてもかなり消費量を抑えることができた。先月は508kWhだったのだから。

昨日今日と朝から断水。昨夜は21時になってやっと水が来たが水圧なし。どこかで工事をしているのか。雨季、乾季を問わず突如断水がある。

le samedi 3 mars 2018
6時、曇り、22℃、72.5%。

le dimanche 4 mars 2018
6時、曇り、22℃、75%。

カスンバレサに行く。ムソシの子供たちがオープンしたレストランの現状を話し合う。シスター・アスンタ佐野さんも一緒に行ける予定だ。大家から、トイレ、キッチン、テラスを建設した場合、家賃から建設費を差し引くという言辞をとり文書化する作業が出来ていないので建設費援助を差し控えている。費用440ドル。経営にあたるキミコさん、カルベ君、シバタ君の間、総括するサイトウ君と纏まり(連帯)が上手くいっていないようなのも問題だ。日本人の子どもたちとはいえ、受けた教育がコンゴだから、メンタリティーはあくまでコンゴ人。

集まったのは子どもたちの会長サイトウ君、レストラン責任者キミコさん、経営委員シバタ君だった。シスターが一緒に来てくれたので修道院から車が出た。雨の中、慎重な運転で助かった。二転三転したが、結局現在地でテラスを先ず直して、軽食とミチョポ(山羊の串焼き肉)をトライすることになった。明日明後日中にテラス改築費用200ドルをキミコさんに送ることにした。

le lundi 5 mars 2018
6時、曇り、22℃、75%。

Orange Moneyでキミコさんに200ドル送金した。有効に使ってくれよ。ニジェールのY氏や京都のIさんに頂いてご寄付が原資なのだから。

le mardi 6 mars 2018
6時、曇り、21℃、75%。寒い。

le mercredi 7 mars 2018
6時、晴れ、22℃、70%。

le jeudi 8 mars 2018
6時、曇り、24℃、70%。世界女性の権利の日。
9時、快晴。カタンガ晴れ。

『ダリダ』(リザ・アズエロス監督、2017年、フランス)をCanal+で見た。ダリダの生涯を描いた作品。
ダリダは70年代、アルジェの下宿で初めて聴いた。「ジジ・アモローゾ」。愛する地中海が全面に出た歌だ。それ以来「ジジ・アモローゾ」が僕の一番好きな歌になった。テレビを持っていなかったからラジオから流れてきた曲を聴いたのだ。下宿はアルジェのテレムリーにあった。テレムリーはアルジェ港が見渡せる高台である。
ダリダの写真を、その後パリでCDを買った時に初めて見た。大変な美人で驚いた。ミス・エジプトだったことを知った。イタリア・アクセントのフランス語がたまらなくいい。

彼女の自殺を知ったのは87年5月カンヌの浜辺だった。街で新聞(『ル・モンド』と地元紙『ニース・マタン』)を買ったときにはニュースに気づかなかった。浜辺plageで新聞を開いて驚いた。54歳。恋多き女性だった。今でも僕のヒロインだ。

オーブンでケーキを焼いた。ゴッフルgaufresと同じように小麦粉を玉子でといて焼いたのだが目が細かすぎた。しかし、見た目は悪くない。干しブドウ入りを作りたかったが、干しブドウを入れるのを忘れてしまった。

le vendredi 9 mars 2018
5時、曇り、24℃、70%。

le samedi 10 mars 2018
6時、曇り、24℃、70%。

初めてジャガイモのグラタン「ドフィノワ」を作った。ポテトを薄く切るべきだった。多少厚めに切ってしまったので90分もオーブンで焼いたのにまだ多少固かった。

le dimanche 11 mars 2018
7時、曇り、23℃、75%。東日本大震災7年。

2月分のブログを更新したが、改行がおかしい。僕がブログを掲載しているBroggerというサイトはGoogleが運営しているのだと思うが、先月も改行がまともになされていなかった。30日以上たつのに修正されないということはBrogger運営者の怠慢だ。

le lundi 12 mars 2018
6時、曇り、24℃、72.5%。

le mardi 13 mars 2018
6時、雨、23℃、75%。

1990年、スイス時代(ルガノ)に肝炎と胃潰瘍を同時に患ったとき、肝炎には薬がなく高蛋白質を摂取し安静にしていればよかったが、胃潰瘍には当時革命的な薬がグラクソから出ていた。Zantacである。胃潰瘍はお陰で全快した。パテントが聞いていたころは高い薬だったが、現在は誰でも作れる。しかし、30年後、ときどき胃酸過多の症状が出るようになった。Zantacをそのたびに飲んだが、Wikipediaによると、1990年代にIPP Inhibiteur de la pompe à protons (プロトンポンプ阻害薬)が開発されていたことを知った。よくぞ考え出したと思える仕組みである。今日薬屋でIPP系の薬を買ってみた。コンゴでもスイスの製薬会社のIPPがあった。当然ながらもうかなりポピュラーな薬になっているのだ。

le mercredi 14 mars 2018
6時、曇り、24℃、72.5%。

le jeudi 15 mars 2015
7時、曇り、26℃、75%。

昨夜21時から停電、現在(8時)も続いている。キプシ全体の模様。電線ケーブル盗難か。と思ったら、またトランスの故障と、電力料金を払いに行ったら云っていた。先月のインヴォイスは結局家に配達されず、Snelの事務所で請求額を訊いて払った。38000フラン(24ドル)。10時に帰宅したら電気が来た。

le vendredi 16 mars 2018
6時、曇り、23℃、75%。

le samedi 17 mars 2018
6時、曇り、23℃、72.5%。

ルブンバシばかりでなく、全国の傾向と思われるが、ガソリンスタンドが滅多矢鱈と増えている。大手シェル、Total(フランス系)やEngen(マレーシアのPetronas系)は既にあったが、名も知らなかった会社群がガソリンスタンドをキノコのごとくあちこちに建てている。ルブンバシのガソリンは南アやタンザニアの港から陸路運ばれてくる。現在の価格は1600フラン(1ドル)/Lである。首都キンシャサよりも10%以上安い。ともかく小金を稼いだルブンバシの金持ち(政治家など)がガソリンスタンドを経営する。余程儲かる商売らしい。

ルブンバシには薬屋も異常に多い。コンゴ製やインド製の薬を安価で売っている。欧米のオリジナルは高い。薬屋も旨みのある商売と見える。日本のようなチェーン店はない。

床屋も多い。理容学校がコンゴにはない。それにも拘わらず床屋が多い。これは手に職がなく、容易に見様見真似で出来る商売だからだ。場所もとらない。コンゴ人の男は坊主刈りばかり。頭髪が直毛ではない所為と思われるが、変わったヘアスタイルをしているのは芸能人(歌手)かスポーツ選手だけ。

le dimanche 18 mars 2018
7時、晴れ、24℃、75%。

NHK World『猫のしっぽ、カエルの手』、京都大原に住む英国人女性ベニシアさんの番組。ベニシアさん、歳をとりましね。多少アルツハイマーの傾向がでてきたとか。

le lundi 19 mars 2018
6時、晴れ、24℃、70%。

le mardi 20 mars 2018
6時、雷雨、24℃、70%。

コンゴ人に限らず、一般的にアフリカ黒人は音楽が好きだがデリケートな音は分からないのではないか。スピーカーの質も悪い。かつ大音響。音が割れていても気にしない。バスの中では会話が出来ないほど大きな音で音楽を流す。耳が悪いのではないか。教会でも同様だ。厳かな讃美歌とは縁がない。葬式でも結婚式でも近所一帯に音楽が響き渡る。
クラシック音楽は苦手な人々である。レコード店もない。結局コンゴ人の有名歌手も欧州で認められて初めてコンゴでも人気が出るものと考えられる。アフリカのフランス語作家たちと同様なのだが、作家たちの場合は、本国で読まれることも少ない。

le mercredi 21 mars 2018
6時、うす曇り、24℃、70%

le jeudi 22 mars 2018
6時、晴れ、24℃、70%

le vendredi 23 mars 2018
6時、晴れ、24℃、70%。

le samedi 24 mars 2018
6時半、曇り、24℃、70%。

明日から欧州が夏時間になる。ルブンバシと時差がなくなる。パリの6時はルブンバシでも6時。そしてルブンバシは来月4月中旬までに乾季に入る。去年11月から雨季だった。雨季と云っても、朝8時に雨が降っていて傘なしには外に出られなかったのは二日のみ。雨は夕方か、夜中に降っていた。昼間は通常太陽が顔を出す。これは上空の温度変化の所為と思う。

le dimanche 25 mars 2018
7時、晴れ、23℃、70%。枝の主日 dimanche des rameaux イエスがエルサレムに入った日。

le lundi 26 mars 2018
6時、晴れ、24℃、70%。

le mardi 27 mars 2018
6時、晴れ、24℃、65%。

le mercredi 28 mars 2018
6時、晴れ、25℃、65%。

まだ湿度は高いが、乾季の到来を思わせる。今年の復活祭は4月1日。好天になりそうだ。

le jeudi 29 mars 2018
6時、雨、25℃、65%。

朝方まで激しい雨が降っていた。7時には晴れあがった。

セマナサンタsemaine sainteで学校が2週間休み。お陰で五月蠅い子どもたちの声が隣の小学校から聞こえてこない。tant mieux !

le vendredi 30 mars 2018
6時、曇り、24℃、65%。

18時半、巨大な月がのぼってきた。La lune était pleine.

le samedi 31 mars 2018
7時、快晴、23℃、70%。

le dimanche 1er avril 2018
7時、晴れ、24℃、70%。

復活祭La Pâque。9時、カタンガ晴れになった。

電力メータのチェック。19690kWh。先月消費量は420kWhだった。

le lundi 2 avril 2018
7時、曇り、24℃、70%。

復活祭月曜日lundi de Pâques。復活祭は必ず日曜日だから今日は月曜日で復活祭2日目。多くのキリスト教国では休日になる。近時は政教分離で、国家の宗教がなくなり、信教の自由だけが国民の権利として確保されるようになってきている。ガンビアのようなイスラムの国教化がアフリカでは起こっているがこれは逆行といえる。しかし、植民地主義と結びついていたキリスト教に対する反動として理解できるが逆行は逆行である。イスラムはRDCコンゴでも着実に増えている。イスラムと特にカトリックは相反というよりも相似な部分も多く、イスラムがキリスト教のカルトになっているのではないか。イスラムではイエスJesusを予言者として認めている。

le mardi 3 avril 2018
6時、曇り、24℃、70%。

le mercredi 4 avril 2018
6時、曇り、24℃、70%。

le jeudi 5 avril 2018
6時、曇り、24℃、70%。

le vendredi 6 avril 2018
6時、雷雨、23℃、70%。

5時ごろから降り出した雨はなかなか止まず、9時半小降りになったところでルブンバシ行きのバスに乗った。

le samedi 7 avril 2018
6時、快晴、22℃、70%。寒い。

le dimanche 8 avril 2018
7時、快晴、22℃、75%。

カスンバレサに日本人が残した子どもたちに会いに行きたいのだが、滞在ビザ更新のために僕の旅券がキンシャサからかえって来ていないので、カスバレサに行くことをひかえる。カスンバレサの入り口で移民局が旅券チェックをすることがあるからだ。国境の町なので外国人は旅券を持っていないと難癖をつけられる。つまりが賄賂の要求だ。面倒極まりない。
子どもたちの経営するレストランにテラスを設置する費用は先月キミコさんに送った。その後の経過が知りたい。サイトウ君が行ってくれるが、彼だけだとチェックが甘い。次に台所の費用を出すにしても、貴重な寄付をしていただいた方々に無駄遣いをしてしまっては申し訳ない。

le lundi 9 avril 2018
6時、快晴、24℃、70%。

今朝は快晴、しかし、夜中3時ころに大雨で目が覚めた。雨季は終わっていない。

サイトウ君からWhatsAppで、カスンバレサのレストランの3月収支が届いた。3月も収支とんとんであった。テラスは作ったが、台所がないということで食事を出していない。台所を必要としないような軽食を用意すると3月初めに云っていたのに実現されていない。ルブンバシのテキサコにあったレストランから食器類もカスンバレサに運んだはずだが、ミチョポ(山羊の串焼き肉)のコンロ等も一緒に無くなってしまったのか。
キミコさんは養鶏をしていたナナさんから受けとった資金の一部をレストランにつぎ込んでいる。なおレストランが利益を出せななかったとは。実質赤字だなぁ。
レストラン隣のキャバレーにもサテライトTV Canal+が入っているそうだが、客入りを増やすためにCanal+との契約をするか。テキサコではパラボラアンテナを設置していた。そのアンテナもカスンバレサにもっていったはずだがどうしたのだろう。どうせ客はフランスのチャンネルをみないだろうから、スポーツチャンネルだけの契約ならば$20で済むはず。パラボラアンテナとモデムもいるか。

le mardi 10 avril 2018
6時、曇り、24℃、70%。

le mercredi 11 avril 2018
6時、晴れ、23℃、70%。

Canal+ではフランス語圏アフリカ諸国のTVが放送されている。モーリタニア、セネガル、ギニア、マリ、ニジェール、ブルキナ、コートジボワール、トーゴ、ベナン、カメルーン、ガボン、中央アフリカ、コンゴ(ブラザビル)、コンゴ(キンシャサ)等である。中で唯一スペイン語放送があるが、それが赤道ギニアだ。フランスの放送と合わせてスペインやイタリア、ドイツの放送があるといいと思う。
赤道ギニアのTVで話されているスペイン語は南米のスペイン語ではない。イベリア半島のスペイン語発音が踏襲されている。
そういえば、もう一か国(地域)でスペイン語が話されていて不思議がないのが西サハラなのだが、モロッコとアルジェリアをバックにしたサハラウィとの地域になっている。80%を実質支配しているモロッコに併合された地域では、スペイン語が消されて行政もフランス語になったようだ。アルジェリアのティンドゥーフにあるサハラウィ政府の行政およびメディアはスペイン語を使用しているらしい。

le jeudi 12 avril 2018
6時、曇り、22℃、70%。

le vendredi 13 avril 2018
6時、曇り、22℃、75%。寒い、寒い。

マリーズ・コンデの『セグー』第1巻をフランス文化会館図書館で借りた。2010年に読んだ本である。再読になる。

来月11日にアビジャンに入るが、宿泊場所が決まらない。CouchSurfingを活用するつもりだが、ホストからの返事がない。
そこでAirbnbを試すことにした。一般家庭の一室を賃貸することから始まったシステムらしい。サンフランシスコが発祥の地。しかし、今や全世界に広がっている。フランスでは未登録のホテル営業だとして問題になった。
ルブンバシのAirbnbメンバーを見たら、個人が部屋やアパートを貸す例はなく、ホテルが宣伝広告の一つに使っていただけだった。
アビジャンの場合は、フランスと同様で、個人がワンルームマンションなどを短期間貸す場合や、大邸宅を旅行者に開放している例などがある。大邸宅の方を予約してみようと思う。Couchsurfingでもキトウェ(ザンビア)のパオラさん邸やハラレ(ジンバブウェ)のハウス邸などは庭も広大で気持ちがよかった。僕もAirbnbのメンバーになってキプシの家を開放してもいい。Airbnbは無料ではないので、値段をつけなければいけない。ま、$20で結構だ。部屋を貸して儲けるのが目的ではない。

le samedi 14 avril 2018
6時、曇り、22℃、75%。

le dimanche 15 avril 2018
7時、曇り、22℃、75%。




































11 mars 2018

2月1日~28日 『エイ・ユナイテッド・キングダム』 『A United Kingdom』

le jeudi 1er février 2018
6時、晴れ、25℃、70%。

6時20分、停電。7時25分、回復。

先月の電力消費量は508kWhだった。12月の消費よりも60kWh少なくなっている。1週間僕は不在だったが、クリスチャンが留守番をしていた。予想していた600kWhをかなり下回ったのだから良しとしよう。Tant mieux !

le vendredi 2 février 2018
6時、曇り、24℃、70%。

le samedi 3 février 2018
6時、曇り、24℃、70%。

le dimanche 4 février 2018
6時、うす曇り、24℃、70%。

今日はカスンバレサでムソシの子供たちの会議。先月初めからの進展チェック。
18時半、帰宅。疲れた。カスンバレサ街道が疲れる。何しろ危ない街道だ。それにカスンバレサからナナさんの家まで、いつものことだが、バイクタクシーで30分以上かかる。

子どもたちのレストランのトイレは出来上がっていた。思ったよりもましな建築であった。キミコさんがよく仕事を監視していたようだ。これならテラスとキッチンの建設もできそうだ。きちんとした見積もりが出来てきたら仕送りをしよう。

レストランの1月の収支はとんとんで損失もないが利益もあげられなかった。カルベ君、シバタ君とキミコさんの共同運営体制だが、キミコさんをチーフにして男性二人の運営を「スパーバイズ」してもらうことにした。

ナナさんはまだ出産していなかった。4月初めだそうだ。お腹の子の父親は軍人とわかった。尉官。丁度日曜日で家にいたので会うことができた。ナナさんにとって10年ぶりの出産になる。近所の子どもたちにお小遣いを払って養鶏を手伝ってもらっている。その費用が2万フランだそうだ。キミコさんが95羽のうち70羽を7000フランで売ったので、その売り上げ49万フランから2万フランを出す。出産後でも養鶏作業ができるというので、残り25羽を売ったら、ロット4としてまた100羽のヒナをザンビアから調達することになった。

le lundi 5 février 2018
6時、曇り、24℃、70%。

la mardi 6 février 2018
6時、曇り、24℃、70%。

今日は残念なことがあってmoralement落ち込んでいる。鬱dépressionではない。ここに詳細を書きたくない。

『Free Dance』(マイケル・ダミアン監督、2016、米国)。ストーリーを追う映画ではない。筋は初めから見えている。しかし、楽しいフィルムである。ハッピーエンド。モダンダンスが新鮮だった。Canal+Familyで放映。批評家の点数は辛いが、観客、視聴者の評価はかなり高い。
ちょっと気分を持ち直した。

le mercredi 7 février 2018
6時、晴れ、24℃、72.5%

le jeudi 8 février 2018
6時、曇り、24℃、75%。

早朝曇りでも昼間は晴れることが多いので洗濯をした。9時、何と雨が降ってきた。軒の下に物干しラックを移動した。昼過ぎ多少晴れてきた。しかし、乾きが悪い。
『A United Kingdom』(アマ・アサンテ監督、2016、英仏合作)。ボツワナの初代大統領セレツェ・カマの半生を描いた。カマは英国白人女性と結婚した。1940年末から1960年初頭のボツワナ、南ア、英国の間で翻弄されたカマ夫妻。人種差別が当たり前だった時代、白人側だけでなく、黒人側にも激しい人種偏見があった。ボツワナはアフリカ54ヵ国の中で最も民主的であるといわれるが、その背景が良く分かって興味深い映画だった。
僕はボツワナの首都ハブローネしか訪れたことがないけれども、確かに最も安全で犯罪がすくなそうな国だと感じた。大統領府でさえ簡単に入れた。
『A United Kingdom』は日本の劇場で公開されていないようだ。アマゾンでは輸入盤DVDとして売っている。劇場公開では儲からない映画なのだろうか。「ボツワナって何処?」というわけかな。しかし、この映画は、アフリカに関心がなくても、「偏見ségrégation」という普遍的なテーマを持っているのだがなぁ。

le vendredi 9 février 2018
6時、曇り、23℃、75%。

夜中2時に目が覚めたら停電だった。6時も同様。6時10分、回復。Tant mieux !

ピョンチャン五輪が始まっている。オリンピックは夏も冬も興味がわかない。国威高揚に使われているのが嫌いなのだ。今回の関心は北朝鮮と韓国。戦争状態が続いている北朝鮮と韓国が如何に一緒に競技に参加するのか。政治的パフォーマンスに終始するとしても少しはお互いを知る機会があるのではないかと思うからだ。

海苔をルブンバシでみつけた。豆腐を買う中国人の店で見つかった。筆談で「海苔」と書いて訊いたら「あるよ」。中国製だが、日本の会社のライセンスで作った海苔だと説明書きにある。。キガリで買った海苔よりも海苔らしい色をしていた。家で早速試食してみたら、何と味付け海苔だった。これはこれは。de la chance !

le samedi 10 février 2018
6時、小雨、22℃、75%。

le dimanche 11 février 2018
6時半、曇り、22℃、75%。

le lundi 12 février 2018
6時、曇り、23℃、70%。

le mardi 13 février 2018
6時、曇り、22℃、70%。

le mercredi 14 février 2018
6時、晴れ、22℃、70%。

le jeudi 15 février 2018
7時、晴れ、24℃、70%。

昨夜21時から停電。電力会社Snelのムトンボ所長に問い合わせたら、ルブンバシからの供給が滞っているという。ルブンバシといえばここキプシの所為ではないからなんとも云い返せない。今日昼頃まで続くらしい。
12時45分、やっと電気がきた。ところが、洗濯機を回して、外で濯いでいる最中にまた停電した。

le vendredi 16 février 2018
6時、晴れ、25℃、70%。

le samedi 17 février 2018
6時半、曇り、25℃、70%。

le dimanche 18 février 2018
6時半、小雨、24℃、70%。

このところ毎日7時に停電が始まる。昨日は17時まで停電していた。定期停電ではなく工事をしているらしい。とはいえ、アナウンスは勿論ないし、問い合わせをしても申し訳ないの一言もない。電力会社Snelとはそういうところだ。ま、Snelに限らないが。

最近facebookの「親しい友達」が投稿してもメイルで報せが来なくなった。何か設定を僕がいらってしまったのだろうか。

le lundi 19 février 2018
ルブンバシ、5時、小雨、
キンシャサ、9時、雨。

le mardi 20 février 2018
キンシャサ、6時、曇り。
ルブンバシ、14時半、晴れ

ルブンバシへのフライトがキンシャサを30分早く出発した。満員だったから乗り遅れがないと判断されたのだろう。それにしてもいい加減には違いない。チュニジアの民間航空会社Nouvelairからのチャーター機のようだ。乗組員込みで借りた飛行機。コンゴエアが運航。キンシャサは地理的位置からハブになれる。アフリカの航空会社、国際空港はJicaアビジャン所長のI氏によれば相当の競争をしている。

le mercredi 21 février 2018
6時、晴れ、25℃、65%。

le jeudi 22 février 2018
6時、晴れ、25℃、65%。

le vendredi 23 février 2018
6時、小雨、24℃、65%。

クリスチャンから怪我をしたと電話が入った。14時。バカンジャ校でサッカーをしていて転んだのだそうだ。学校に行ってみると左の眉のところを切っていて縫う必要があると。学校では応急手当で消毒と絆創膏を貼ってくれたのみ。
17時、学校での授業(自動車運転免許準備)が終わってから、近くの大学病院に行った。これが間違いだった。旧知の病院長は親切に外科の救急医を紹介してくれたが、診断後病院内の薬局で手術用品を手当てする段階になって、手術用の糸と麻酔薬がないので外で買って来いという。麻酔薬は2件目の薬屋で手に入った。「日本カタンガ協会」メンバーでもあるドクター・フランクランに連絡すると、糸は身体の部位によって異なるから指定の太さの糸でないといけないらしい。薬局を9件探したが糸がない。運転手が外科手術をしている私立病院ならあるかもしれないと、近くを通ったアドバンティストの病院にあたったら糸が見つかった。なるほど。しかし、大学病院に糸がなかったとは。普段どういう手術体制なのだろう。サレジオ会の病院に行っていたら15分で終わっていた手術騒ぎだと思う。

僕は同じところ、左眉のところに怪我をしたことがある。アルジェ時代のことだ。70年代央。大使館のコートでテニスをしていた。自分のラケットでしたたか左眉を打った。ラコステの軽合金フレームのラケットだった。大使夫人が応急手当をしてくれたが、縫った方がよさそうだということで、アルジェで一番大きなムスタファ病院に行って4針縫ってもらった。当時既にムスタファ病院の評判は良くなかった。日本人の間でこの病院を利用した人はいなかった。しかし、結果は良好だった。手術というほどのこともなかった。
ムスタファ病院は大学付属病院で、ネットによると、1854年に創立とある。フランスがアルジェリアを植民地化して間もなく出来た病院だ。70年代だから、ブームディエンヌの社会主義政策のため医療は無料だった。現在もムスタファ病院はある。他に新しい病院が出来ているようだが、中心的存在とみえる。しかし、ブートフリカ現大統領など要人はフランスに病気療養にでているから、アルジェリアの医療事情は決して好転していないと考えられる。


le samedi 24 février 2018
6時、小雨、23℃、70% 。

豆腐を金曜日2丁買っている。
油揚げを作ってみようとネットを検索した。簡単に出来そうである。ところが、どうも油揚げ「もどき」しかできない。きつね色に揚がらないのだ。致し方ない。豆腐が違うのかもしれない。揚げた豆腐を醤油、砂糖、白ワインで煮込んだ。まぁまぁである。

le dimanche 25 février 2018
7時、曇り、24℃、70%。

キプシでもカトリック系反政府デモがささやかにあった。勿論ここでは発砲事件などなかった。ルブンバシやキンシャサではどうだったろうか。ネットは今のところ切られていない。

10時からやはりネットが通じなくなった。

le lundi 26 février 2018
6時、曇り、24℃、67.5%。

ネットが早朝から回復していた。昨日のデモの犠牲者はキンシャサで、今のところ1名と報道されている。

le mardi 27 février 2018
6時、うす曇り、24℃、70%。

le mercredi 28 février 2018
6時、曇り、24℃、70%。

2月最終日。ひと月を何故30日とし、12か月をすべて30日にしてしまわなかったのだろう。歴史的に西欧が決めたから仕方がないと云えばそれまでだが、要は時間の長さ、1秒の長さを規定すれば済むことだ。1年を365日とすることもない。

15 février 2018

1月8日~31日 ルワンダ Rwanda

le lundi 8 janvier 2018
6時、晴れ、23℃、70%。


熱は引いたが、鼻水が出る。
薬局で咳を抑えるStrepsilsと鼻水écouolement nasalを抑えるActifedを買った。いずれもフランス製。
効果は覿面だった。あまり効果があり過ぎると副作用があるのではないかと心配になる。
急降下する飛行機の中のように耳がおかしくなった。


le mardi 9 janvier 2018
6時、晴れ、24℃、65%。


電力会社Snel支払い。36150フラン(23ドル)。来月は4万フラン以上になるかもしれないが、
ドル換算ではメーター設置前よりも少ないだろう。tant mieux !


le mercredi 10 janvier 2018
6時、雨、23℃、65%。


le jeudi 11 janvier 2017
6時、曇り、24℃、70%。


8時、ルワンダに向けて出発した。休暇。今回は一人旅である。クリスチャンの旅券が今年3月に切れる
。ザンビアもルワンダも有効期間が6か月以上ないと入国ビザを発行しない。6か月前に実質的に失効し
ていまうも同然なのである。新しいパスポートを得るには申請後3か月待たねばならないし300ドルもか
かる。クリスチャンには旅行を諦めてもらった。


当初は昨年9月に行ったザンジバールの北の島、ペンバ島にタンザニアとケニアの国境の町タンガから
フェリーで渡る予定だった。島の浜辺でゆっくりしたいと思ったのだ。しかし、いつものようにバスで
行くとなるとともかく日数がかかる。


計画を立てているうち、ダルエスサラムまで行くなら、念願のルワンダに行きたくなった。ところが
調べてみるとダルエスサラムからキガリ(ルワンダの首都)までは意外と距離がある。1425km。ビク
トリア湖畔のムワンザや、キリマンジェロの麓アルーシャからならキガリ行きのバスが出ていた。ダル
エスサラムからだと場合によって3日かかるようだ。
ネットでダルエスサラムからのバスを調べたら評判が悪い。直通だというのに実は3回も乗り換えが
あったり、時間が矢鱈とかかる。ロンリープラネットの情報では飛行機が安いとあった。なるほど、
バスでも150ドルかかるところが、飛行機でも165ドルとわかった。


ルワンデールRwandairのホームページをみたら、ルサカ(隣国ザンビアの首都)から2時間半で200ドル
だ。ならば、ダルエスサラムまで行かず、ルサカからキガリに飛ぶのがよさそうだ。


RDCコンゴは国内線料金が高い。国際線もヨハネスバーグ往復で1000ドル以上かかる。ナイロビまで
ケニア航空の直行便があるが1200ドル以上だ。
ンドラ(ルブンバシから一番近いザンビアのカッパーベルト州の州都)からルサカまでは往復264ドル
。ルサカまでバスを利用すると15ドル。ルサカには11日中に着く。


ルサカに21時に着いた。ルサカに泊まったのだが、ルワンデールは夜中の1時過ぎに出るフライトが
実はあった。それに乗った方が良かったが、翌日12日19時のフライトにしてしまった。これは失敗
だったと思う。


ルサカのホテルはミカ・ロッジ。今回もすべての宿泊をBooking.comで予約した。悪くないホテル
だったが、夕食のビーフが硬かった。ザンビアは酪農国で良質のビーフがある筈なのに、ヒレ肉とは
云い難い肉だった。


le vendredi 12 janvier 2018
ルサカ、晴れ、キガリ、小雨。


空港に11時に着いた。8時間も過ごせる空港ではなかった。首都の空港にしては貧しい建築だ。今、
中国がすぐ隣にターミナルビルを建築中で、ほゞ完成している。今年中にオープンするだろう。
そうなると首都の玄関として相応しいと思われる。


Rwandairは定刻に到着、出発した。食事内容も良く、乗務員もフレンドリーであった。ルワンダ入国
ビザはインターネットでとれる。僕もネットでビザ申請、OKをもらっていた。査証料金30ドルも
ネットで支払えるが、到着後空港で払う選択をした。入国手続きは非常にスムーズで賄賂請求など
全くなかった。
空港もこじんまりとしているが機能的である。ATMも空港ビルと出たところにあった。


夜なのでホテルに至る街の様子はよく分からなかったけれども、道は極めて良く整備されていた。


「2000ホテル」は中国人経営だった。従業員はルワンダ人。ビルの7階以上がホテルで、2階にスーパー
や薬屋がある。キガリの商業区に建っている。部屋も広く、バスタブがあった。ツイン・ベッド。
スリッパもバスロブも備わっていた。空調がない。ほぼ赤道直下だがむしろ肌寒いのだからエアコンが
いらない。


問題は僕の健康だった。今週初めにルブンバシで直した筈の風邪がぶり返した。呼吸困難で眠れなかった
。「キガリで死す」、それも致し方ないと思った。しかし苦しい。死んじゃうなら矢張りアルジェで
の友人のりちゃん(上田忠彦、通称うえちゅうさんの奥さん)のように心臓cardiaqueがいいなぁ。


le samedi 13 janvier 2018
キガリ、曇りのち晴れ


ルワンダに来たかったのは、ジェノサイドの現場、フツ人とツチ人の現状を知りたかったからである。
それにカガメという国際的には悪評の高い独裁者の国をこの目で見たかったからである。
もう一つ理由がある。それは隣国RDコンゴのゴマ市に行きたいのだ。ルブンバシから飛行機で行け
ないことはない。しかし高額。キガリから北キヴ州は近い。ルワンダ側の国境の町はジセニGisenyi
だ。キヴ湖に面している。


キガリにジェノサイド・メモリアル・センターがある。バイクタクシーで早速訪問した。ホテルの
向かいの丘の中腹の建物はなかなか瀟洒である。音声ガイドをかりてじっくりと館内を回った。
ルワンダの現代史と世界のジェノサイドを案内してくれる。ジェノサイドを如何に避けるかの示唆
もあった。ただ殺伐なジェノサイドを語るだけでなく、客観的にジェノサイドを語っているように
みえる。しかし、現政権(ツチ人)の宣伝であることも確かだ。


ツチ人、フツ人の区別をして植民地統治の道具としたのはベルギーである。もともとフツ、ツチの
区別がルワンダにあったとは思えない。身体的特徴をもって二つの人種に分けた。ツチ人の典型は
現大統領カガメである。ツチは上背があり、小鼻が大きく開いていないなどバントゥ系のフツ人と
違うというわけだ。しかし、これは相対的ではっきりと区別できるものではない。それを無理やり
区別して、身分証明書に人種欄をもうけて統計としてツチ人を少数民族だが優秀だと決めつけた。
ツチ15%、フツ85%とした。


センターの土産物売り場の責任者と話をした。日本に行ったことがあるという彼の身分証明書を見せ
てもらった。今の身分証明書にはフツ、ツチの区別欄がない。国籍としてルワンダ人とあるのみで
ある。国内の人種差別をなくすためには当然の措置だ。ただ、出生地、苗字などから人種を特定でき
るのかもしれない。RDCコンゴの選挙人カードには部族名が記入されている。日本人との混血児たち
の場合、母方の部族名が記されている。その意味でルワンダのカードは前進といえる。部族で就職
活動も制限されるコンゴでも部族名記載を止めるべきだ。


ジェノサイドはナミビア、ドイツのナチ、アルメニア、バルカン半島、カンボジア等であった歴史的
事実である。何時また世界の何処かでジェノサイドが起こるかもしれない。コンゴでは内戦で300万が
殺されたという。バントゥーによるピグミー攻撃も絶えない。人類とは驕った情けない動物である。


le dimanche 14 janvier 2018
キガリ、小雨のち曇り。


呼吸困難の原因の一つに便秘もあると思われた。朝食後ホテルの2階にある薬屋でDucolaxの座薬を
求めた。


ホテルの2階のスーパーは中国からの物産が多いが、そこでルワンダのコーヒーを買った。Gollira’s CoffeeとKivu Bourbonである。ザンビア、タンザニア、コンゴ、ルワンダは良質のコーヒーを産するにも拘わらずホテルに泊まると朝のコーヒーがネスカフェであることが多い。国民にコーヒーを飲む習慣がないのは不思議だ。2000ホテルは紅茶が主流だったがコーヒーもあったのは幸いだった。
このスーパーに中国製の海苔があった。コンゴでは売っていない。海苔の色が緑であったが2袋買い
求めた。寿司の絵が描いてある。


肩で息をしながらホテルのある商業地区を散歩した。高層ビルがいくつもあるが低層も多い。
ホテルで観光地図をもらった。観光地図があるようなアフリカの都市は珍しい。街中でフランス人
夫妻から声をかけられた。通りで地図を開いていたのを認めて、「地図をどこで手に入れたの」と
きいてきたのだ。
フランス人は僕に「フランス語を話すか」と初めにきいた。


ルワンダはドイツが大戦で負けたあとベルギーの植民地になった。ベルギーはフランス語とフラマン
(オランダ語)の国だが統治した国ではフランス語を導入した。1980年代までフランス語が主流だ
った。1984年のジェノサイド後政権をとったカガメ大統領が国語の英語化をはかった。現在の
ルワンダは英語を第二言語にしている。学校ではフランス語授業が義務ではあるが、数学、理科、
歴史等々は英語で教えられている。たしかに通りで、店で、フランス語は通じにくくなっている。
ルワンダは2009年英連邦に入った。フランス語は完全に追いやられた感がする。これにはジェノ
サイドの最中(1984年4月)も、フランスがフツ政権を軍事的に援助した事実が大きく影響している
と思う。フランスはジェノサイドに加担したと判断されたのだ。カガメはアメリカのアフリカ政策の
優等生である。


ルワンダでもRDCコンゴでは街中での移動にはバイクタクシーに乗った。ルワンダでは運転手が
ヘルメットをかぶっている。客は1人しか乗せず、客用のヘルメットを必ず用意していた。安全運転
で事故は1件もみなかった。コンゴでは前に子どもを乗せ、後ろに二人ということも稀ではない。
ヘルメットをかぶった運転手も殆どいない。


le lundi 15 janvier 2018
キガリ、ジセニ、曇り。


9時、バスターミナルに行きジセニGiwenyi行きのバスに乗った。
ジセニはRDCコンゴとの国境の町である。キヴ湖畔。
ネットでは2時間半で着くとあったが、4時間かかるのが普通のようだ。バスは大型もあるが、大半は
トヨタ・コースター。コンゴで使われているハイエースより大きい。座席数しか乗客を乗せない。
コンゴではハイエースに20人乗せてしまう。
道路は極めて整備されていて、排水溝もきちんと出来上がっていた。センターラインも引いてあるし、
左右のラインも引いてあった。高速道路こそないようだが、道路は完璧にメンテナンスされている。
これだけ整った道はザンビア、タンザニア、ケニア、セネガルにも北アフリカ(モロッコ、アルジェ
リア、チュニジア)にもない。


道すがら多くの自転車選手の練習風景に出会った。丘また丘、山また山のルワンダである。これは優秀
な選手が排出しそうだ。いや輩出しているだろう既に。


ホテルは「ビーチガーデン」。新しい建物だがBooking.comに乗った写真が良すぎた。ビーチはホテル
の目の前だ。プライヴェートではない。ビーチに沿ってバーやレストランが並んでいる。部屋は簡素
というよりもプアだった。ベルギーにいたというオーナー、ジャンピエールは親切。しかし、Wifiに
も部屋の調度にも金をかけられない。


キヴ湖は湖水の透明度がなかった。体調が良くても泳ぐ気がしない。砂のビーチにデッキがなくサン
バシングsunbathingが出来ない。天気も優れず太陽が隠れていた。雨季だがルブンバシのように昼間
太陽が顔を出してくれなかった。
キヴ湖の地下から天然ガスが採掘されている。いまのところルワンダ側だけで採掘。コンゴ側は未着手
だ。
マラウィ湖にいるバタフィッシュはキヴにはいず、鯛のようなティラピアと雑魚が漁業の対象。大湖
帯でも魚の種類が違う。タンガニーカ湖には熱帯魚が豊富にいる。
ティラピアはよくルブンバシで養殖している。昼、湖岸のレストランでティラピアを焼いてもらった。
悪くはなかったが特に感激はなかった。


le mardi 16 janvier 2018
ジセニ、曇り。


午前、ジセニからRDCコンゴのゴマに渡った。国境の手続きは簡単だったが、ルワンダへの再入国に
$30がかかる。ルワンダは、僕の準備が悪くマルチビザをくれなかった。
国境の出入国管理事務所の建物がルワンダ、コンゴともに新しいビル、しかも同一建築様式、双子に
なっている。ザンビアとコンゴの国境、カスンバレサも2006年と2010年では様変わりして立派に
なっていたが、ゴマ・ジセニ国境はもっとモダンだ。調べてみるとこれらの建物建設に米国のNPO
がファイナンスしたとあった。


ゴマにはフランシスコ会の孤児施設ツリゼニTulizeniがある。そこのジョルジェット・シスターSoeur
Georgetteに会った。子どもたちは90名、乳児から18歳まで。施設に来た理由は様々だが、コンゴ
東部の今も続く長期戦争(30年以上)が原因だ。乳児のひとりはプラスチックの袋に入て捨てられて
いたそうだ。
フランシスコ会だからローマ教会から豊富な資金を頂いて慈善活動をしているかと思う人があるかも
しれない。しかし、それは間違いである。中世の伝道とは違う。それぞれの宗派、フランシスコ会、
サレジオ会、イエズス会等々、みな独立採算なのである。だからここでは特に学校など教育施設を
運営して資金を作り出す。フランシスコ会の本部ローマからもお金は来ない。ゴマの「ツリゼニ」も
例外ではなく、ゴマの篤志家からジョルジェットさんが寄付を仰いでいる。施設の家賃が700ドルも
する。子どもたちの頭数90人で割れば高くないというが本当は大変な負担だと思う。一つのベッドに
6人以上が寝る。孤児施設というと貸してくれる大家も少ない。自前の施設を建てるために土地を手
に入れたが、建設費がまだ集まらない。長期計画にならざるを得ない。何時できるか見通しがたたない
。追立てを感じながらの毎日という。
独立採算のために10歳以上の子どもたちが、学業の傍ら農園で働いたり、端切れでバッグを作ったり、
木の板を彫ったりして土産物として販売し始めた。なかなか良くできた可愛い品物なので僕も20ドル
分買ったけれど、それでどれだけ生活の足しになるか、これも長い道のりである。
母親が性暴力にあって生まれた子も多い。そういう子を家族は受け入れない。母も子も悪くはない
のに。
子どもたちは出生の経緯を知らない。
僕が「ツリゼニ」に着いたとき、2歳以上の子どもたちがタムタムに合わせてダンスをしていた。
子どもたちの顔は明るい。
賄いや洗濯、掃除のおばさんたちもいた。ジョルジェットさんは彼女たちの給与も払う。ボラン
ティアの人たちだけに頼ってはいられない。ときどきボランティアのひとが来てくれる。事務所の
後ろにボランティアの人のためのベッドルームがあった。僕もボランティアで来たいがこの老体では
かえって足手まといかもしれない。ルブンバシのシスター・アスンタ佐野浩子さんは、実は僕より
3つ年上だが、3か月「ツリゼニ」にボランティアで活動した。
「ツリゼニ」は、ルブンバシのサレジオ会施設「バカンジャ」と違って、乳児から18歳までの男女を
受け入れている。「バカンジャ」は男子だけである。男子のストリートチルドレンが対象だ。去年
今年とルブンバシにはストリートチルドレンがあふれている。カタンガ州の北隣のカサイ州で戦闘が
ありカタンガ州に逃れてきたのだ。サレジオ会は彼らを説得して「バカンジャ」につれてくる。実は
うちのクリスチャンも「バカンジャ」出身者である。10歳の時に母親を亡くしてストリートで寝て
いたのだ。父親は彼が生まれた時に亡くしていた。もう15年も前のことだ。モイーズが知事だった
ころルブンバシではストリートチルドレンを殆どみかけなかった。サレジオ会だけに任せず彼が
ルブンバシの郊外カサパ地区に施設を作ったからだ。首都キンシャサでは少年窃盗強盗団が今も
暴れている。ところが、せっかく「バカンジャ」に入れてもらっても逃げ出す子どもたちも多い。
路上で寝ていてもそこには「なにもしない」という自由があるかららしい。「バカンジャ」では
朝起きればベッドメイキングをし、自分で使った食器を洗ったり、学齢なら授業にでたり、ある程度
規律を守らねばならない。難しい。
ゴマにもサレジオ会が孤児たちの施設を持っている。広大な土地になんと4000人、誇大ではなく
4000人もの孤児の面倒をみている。東部の戦争はもう20年以上続いており、全く無政府状態なので
ある。
サレジオ会は、ルブンバシでも教育に熱心で、多少裕福な家庭の子が行く小中高一貫校「イマラ」、
工業高校「サラマ」、職業訓練校「青年村」等々多数の学校経営をしている。ルブンバシで一番の
病院「ドンボスコ」もサレジオ会に属する。ドンボスコはサレジオ会の創始者である。農園「ジャカ
ランダ」もある。アスンタ佐野シスターのいるフランシスコ女子修道会はルイシャで女子寄宿学校を
経営、ルブンバシの貧しいタバコンゴ地区には施療院や小さな職業訓練所を開いている。ルブンバシ
のゴルフ地区で小学校も始めた。
世界のメディアに載らないからアスンタ佐野シスターのことも誰も知らない。教会のシスターだから、
アスンタさん、ジョルジェットさんの活動は当たり前なのだろうか。アスンタさんはこの世界の果て
コンゴにザイール時代からもう35年も「前線」で奉仕しているのだ。ノーベル賞をいただいたマザー
テレーザに勝るとも劣らないと僕は大いに尊敬している。僕が尊敬しても一銭にもならない。
たまたまルブンバシに来ていただいた日本のA紙のM記者がアスンタさんのことを書いてくれた。小さ
な記事だが心がこもっていたいた。彼はブカブで毎年ノーベル賞候補になるムクウェゲ医師に会って
いる。いつかまたコンゴにいらしたら、ゴマのジョルジェット・シスターも取材して欲しいものだと
思う。センセイショナルな事件じゃないから記事にできないのだろうか。「小さな親切」などと官僚
養成所大学の総長が云えば大きな記事になる。「そうじゃないだろう」と僕は叫びたい。
アスンタさんはコンゴに置き去りにされた日本人を父親とする子どもたちや孫たちに「小さな」手を
毎日差し伸べてもいるのである。
ゴマの話から脱線してきたかもしれない。この項は撮った写真とともにまた改めて書くことにしたい。


le mercredi 17 janvier 2018
ジセニ、曇り。


24日(水)にルサカに帰る予定を19日(金)に早めることにした。体調が優れないことと、ジセニで
のんびりと日光浴を毎日楽しもうと思っていたが、天気があまり良くないしキヴ湖に惹かれる点が
ないことからそう決めた。ネットでRwandairのフライト変更手続きをしたが、ネットの具合が悪く
かなりの時間を要した。変更料金50ドルもネットで支払った。


キガリ一泊のホテルを「ミル・コリーヌ(千の丘)」にした。ネットで予約。映画『ルワンダ・ホテル
』の舞台となったところだ。135ドルと高いが、滞在日程を短くしたので、思い切って散財したのだ。
このホテルの責任者がジェノサイドのとき1000人以上を匿って命を助けたそうだ。


昼食はホテルの向かいにある湖畔のレストラン「タムタム」でとった。砂浜でサッカーを楽しんで
いた若者たちと同じレストランでとなり合わせになった。スワヒリ語を話していたことからコンゴ
から来たと思い話しかけた。30人以上の団体で来ていた。ゴマの携帯電話会社Airtelの社員たちだった。
今日は1961年ルムンバが暗殺された日でRDCコンゴでは旗日になっている。ちょっと国境をこえて
リクリエイションに来ていたのだ。皆明るい顔をしていた。ゴマ市は国連軍、世界中のNPOが集ま
っている。一応平和である。しかし、ゴマ市から100キロも離れれば、北キヴ州はウガンダやルワンダ
の反政府軍、規律のないコンゴ政府軍、マイマイ(武装強盗集団)等が跋扈する無政府無秩序戦闘
地帯である。


le jeudi 18 janvier 2018
ジセニ、キガリ、曇り。


9時、パスでキガリに帰った。


ホテル「ミル・コリーヌ」のプールサイドでランチ。クロック・ムシィユ。


ホテルのサービスは流石良く、レセプションの女性もよく訓練されている。このホテルで呆れたのは、
空港シャトルバスがなく、ホテル駐車場にいるタクシーで空港に行くと$45ということだ。ホテルの
前でタクシーを拾えば15000フラン($17)だ。何を考えているのだろう。予約したBooking.comに
投稿しておいた。


午後、バイクタクシーでキガリを散策した。コンベンションホール、日本大使館、大使公邸、高級
日本料理店、大統領官邸、米国大使館、カテドラル等々。


ルワンダの印象。
キガリは街全体が公園のようだ。いや、見ることのできたルワンダのどこも公園のようだった。
ルブンバシで綺麗に整備されているのは動物園だけ。ルワンダの道端ではペットボトルが落ちている
こともない。警官の姿があちこちで見られたということもない。ルブンバシの方が警官が目立つ。
交差点で警官が金銭を「たかって」いる。
ルワンダは丘また丘、山また山の国。国の北西、ウガンダとの国境、ジセニの北方には富士よりも
遥かに高い山カリシンビがあるけれども、そちらには足をのばせなかった。
丘また丘の、丘の上まで耕作されている。豆、バナナ、マイース、、、。植林もされていている。
農業には厳しい環境にも拘わらず荒れた土地、山肌をさらしているところを見なかった。ルワンダ人
は勤勉なのだろう。そうでなければあんな急斜面まで耕せない。
ルガノ(スイス)でイタリア語を教えてくれたダーリオ先生は毎年夏休みにルワンダに来てボラン
ティア活動をしていた。90年代のことである。先生はルワンダは貧しいけれども「いい国だよ」と
云っていた。当時はフランス語圏だった。
ルワンダの大統領は、憲法を改正して長期政権。僕の会ったルワンダ人のカガメ大統領の評判はとても
良かった。人気がある。独裁には違いない。反対派を抑圧しているのも確かだ。言論の自由が制限
されていると「国境なき記者団RSF」はルワンダをRDCコンゴよりも低く評価している。ジャーナ
リスムが腐っているコンゴの方がましだとは驚きである。
しかし、カガメの政治はある意味で「哲人王」政治ではなかろうか。アフリカに珍しく腐敗
corruptionが少なく、官吏の腐敗は厳しく処分されている。
ルワンダのインフラは素晴らしかった。コンゴのインフラは、独裁者モブツ時代の方がずっと
よかったと云われる。鉄道、舗装道路、郵便、電気、水道が機能していたのだ。
ルワンダは貧困を隠しているともシスター・ジョルジェットからきいた。国境を越えてルワンダ人が
毎日何千人もコンゴにわたり、小さな商売をしたり、コンゴで働いているというのである。コンゴで
は米ドルで支払われるからルワンダ人は「得をする」というのだ。一方、コンゴ人はルワンダでは
働けない、商売(行商)ができないらしい。そうかもしれない。しかし、ルワンダではコンゴ人に
ビザを要求しない。自由に出入国できるはずだ。ゴマには数多の国際NGOや国際機関がひしめいて
いる。コンゴ人にとってそうしたNGOや国際機関で働くことが夢である。給与がコンゴの公務員や
民間と段違いにいいからだ。これらの外国勢がゴマの物価を引き上げている。NGO景気のゴマが隣国
の労働者を惹きつけるのは当然だろう。


ともかくルワンダは庭園だというのが僕が受けた印象だ。


le vendredi 19 janvier 2018
キガリ、ルサカ、キトウェ、 曇り。


キガリ空港はこじんまりとしているが清潔で機能的であった。出国手続きも欧州並みのスムーズさ。
Rwandairは、ブラッセルにも乗り入れている。ということは機体整備が出来ているということだ。
Congo Airはまだ欧州に行けない。Air Franceが機体整備をしているから何れブラッセルかパリに
行けるだろうが。


ルサカについてからパスターミナルまでタクシーでむかい、そのままバスでキトウェに行くことに
した。ルサカに泊まることもない。キトウェで友人パオラさんのところに一泊する。娘さんのタミカ
ちゃん(中学3年生)にはキガリでゴリラの置物をお土産に買って持参。マドンナの娘エリーは獣医
さんのところでお婿さんとお見合いに出かけて不在だった。ところが、エリーは気が強くお婿さんを
ふってしまったそうだ。エリーはロートバイラーとシェパードのハーフだ。
パオラさんの夫はザンビア黒人だ。イタリアも人種偏見が強い。パオラさんは大変な才女だが心が
広い。力強く生きている。
丁度、彼女が用意してくれた食事の最中、RDCコンゴでクーデタが起こったとニュースが入った。
「かもね」と思ったが、明日国境を渡れなかったら困るなと一瞬考えた。ソースはザイール時代の
独裁者モブツの親戚筋らしかった。
結局、フェイクで翌日何事もなく国境を通過することができた。





le dimanche 28 janvier 2018
7時、曇り、24℃、70%。9時には快晴。


オーストラリア・オープン決勝を10時20分からC8チャンネルで中継。フェデレル(スイス)と
チリッチ(クロアチア)。クロアチアもジョコビッチのセルビアも旧ユーゴスラビア。バルカン半島
から優秀なテニス選手が出ているんだなぁ。
試合はフェデレルが5セットフルに戦って優勝した。いい試合だった。


le lundi 29 janvier 2018
6時、曇り、24℃、70%。


le mardi 30 janvier 2018
6時、小雨、24℃、70%。


le mercredi 31 janvier 2018
6時、曇り、24℃、70%。

朝起きたら停電していた。8時、回復。ほっとした。