31 octobre 2010

10月30日 le samedi 30 octobre 2010 芝他 gazon, etc.

Le 30 octobre 2010, samedi
快晴。

庭の芝は、乾季に入って雨が降らなくなると枯れる。しかし。水さえ与えれば生えてくる。引越してきたときに荒果てた庭の枯れた芝をみたときは、もう再生不可能、芝を植えなおさなければいけないのかと思ったが、毎日水を与えると芽が出てきた。これが楽しみで水撒きをしている。植物の生命力もあなどれない。乾季でも水撒きをしていれば、新陳代謝が進んで庭は一年中緑を保てるということだ。でも、断水じゃ仕様がない。(写真の場所は、既にもう少し芝が伸び広がってきている)。

今日は人探しをした。有力筋だと思ったところが、欧州に移住してしまっていてトレース不可能と思われたときには目の前が暗くなった。しかし、幸い尋ねる人の家の位置を覚えていた方がGoogle Mapで道順を教えてくれたのが幸いした。Map自体はネットの調子がわるくみることが出来なかったが、通りの名前から尋ね当てることができた。35年も前に日本の方が親しくしていた家族である。こちが戸惑うほど、やれ懐かしやと感激してくれたお年よりは81歳。若いときの写真がサロンにあったが、映画女優さんのような美人だった。今はきれいなお婆さんになっている。

日テレが放映したコンゴ河を遡る船のルポルタージュが問題になっているそうだ。「週刊文春」に記事が載った。北澤大使の発言が問題視されているという。コンゴの警官が「強盗」を働いているというのだが、「強盗」はいいすぎだろう。なにか発言が曲解されているのではないか。普段慎重な日本の外交官としてはありえない発言だ。在東京のコンゴ大使マルセル・チディンバさんが日本の外務省に抗議するとかしないとか。
コンゴをレポートしてくれるのは有難いが、悪戯にこの国の混乱、無秩序を強調してくれるのは問題である。カタンガ州へのODAは州に対する外務省の評価が変わらないからセロだ。カタンガ州は戦闘地帯とは無縁である。戦闘地帯はタンガニーカ湖の北部、南北キヴ州、オリエンタル州などだし、それらの州にしても州全体が戦闘にまきこまれているわけではない。国連のひとがコンゴの女性は強姦の危機に常に晒されているなどとレポートするのと同じく、コンゴ社会を肌で感じる生活をしていない人々が憶測による極端な評価を下す。困ったものだ。(画像はキンシャサからコンゴ河を遡ってコンゴRDC第3の都市キサンガニに着いた国営交通会社Onatraの船)。

10月29日 le vendredi 29 octobre 2010 フランス国際放送 RFI

Le 29 octobre 2010, vendredi
快晴。

溶接工Ernestが7時前に来てくれて、サロンから庭に直接出られるドアの錠前を切断した。

ドリス君は遅刻か欠勤か。日曜日に来るから勘弁してくれなどと云うのだろう。

フランスの海外放送RFIが放送再開。数ヶ月キンシャサ政府が、都合の悪いニューズを流されるものだから、放送を停止されていた。キプシでもよく聞こえる。アフリカに関するニューズ専門の放送局である。FM98.00。ラジオだから「ながら族」たできる。時々耳を澄ませればいい。TVではそうはいかない。しかし、実はTVも欲しい。映画が見たいから。受像機があればサテライトのチャンネルが欲しくなる。今、その余裕がない。

マドンナは元気を取り戻したようである。食事のときに、小屋から勢いよく飛び出した。今日は鳥肉とご飯。ビスケットは相変わらず手にとって与えないと食べないけれども。今朝は夜中に何を食べたのか緑便だったので心配した。先祖がドイツのマドンナだから、暑さには弱いのかもしれない。

30 octobre 2010

10月28日 le jeudi 28 octobre 2010 ブレーキ他 plaquettes de frein, etc

Le 28 octobre 2010, jeudi
快晴。

ネット不通。8時回復。

車のブレーキを直した。前輪のブレーキ・シューplaquette de frein である。一昨日、タイヤがキーキーいうので夕方ガレージに寄った。ブレーキ・シューが磨り減っていたことがわかった。その日はブレーキを使わないように慎重な運転をして帰宅した。エンジン・ブレーキをつかってキプシまで30キロ、一度しかブレーキ・ペダルを踏まなかった。
初め部品をルブンバシで一番大きな店Auto Lubumbashiで買ったら大きさがあわない。同じMitsubishi L200でも新モデルの場合部品がないことがわかった。部品を求めてケニア地区へ。小さな店構えではるが100軒以上のパーツ専門店が並んでいる地区にガレージのIvan君と行った。なんとぴたりのパーツがあったのである。セコハンではない。1ドル負けてくれて20ドル。オト・ルブンバシのパーツは13500フラン(1350円)で多少安かったがいたしかたない。探せばどんな車種のパーツがあるのだそうだ。なければその場で作ってしまう。DRCのヴァイタリティにまた出遭った感があった。これでブレーキが後輪しかないという恐ろしい状態から開放される。

マドンナ君が、一昨日買った花をサロンの前の花壇に植えたところ、苗を掘り返して遊んでいた。こっぴどく怒ったがどれ程分かってくれたろうか。今は、大人しくしているが夜中に何をしでかしてくれることか。懲りないマドンナだから。

10月25、26、27日 les lundi 25, mardi 26 et mercredi 27 octobre 2010 ベラヤ『プランテイション』 «La Plantation» de Belaya

Le 25 octobre 2010, lundi
快晴。

ネットが不通なのはクレジットが切れた所為のようだ。今月分の60ドルを支払ったが、月契約であることをvalidationしないで使っていたので、通常のネット接続とみなされてどんどんクレジットを消費していたのだ。なるほど、月ぎめは有利なわけだ。しかし先月はvalidationせずに使用していた。誰かがvalidationしたのだろう。Alain君か、Vodacomの係員が。馬鹿なことをしたが、勉強だ。ネット用に使っているUSBモデムのSIMも携帯電話のSIMも同じSIMということだ。
アラン君に建替えてもらい新たにVodacomに今月分を払った。ネットが再接続された。

「日本カタンガ協会」の名刺100枚をやっと作成し終えた。

マドンナは元気を取戻しつつあるようだ。今朝庭に放つと勢いよく駆出した。昨日の昼間暑いときは、車の下でのびていた。ビスケットも多少夜のうちに食べ、今朝は手にとって与えるとむさぼるように食べたのである。おかしな奴。

プレトリア(南ア)に出張の話があったが、キャンセルになった。ちょっと残念。南アは犯罪天国、行政の首都プレトリアも例外ではない。確かに南アに行くのは怖い。とくにパスポートやクレジット・カードを盗られるのは、そのあとの処理を考えると面倒極まりない。命さえあればというけれども、この二つは強盗にも勘弁してほしい。命の次に大事だもの。お金は差し出すけれど。ルブンバシでこんな事件はまずない。パリや東京より安全なルブンバシである。

Le 26 octobre 2010, mardi
快晴。

ルブンバシを車で走っていたら、花の苗を自転車に載せて売っている青年がいた。さっそく止めて、ハイビスカス、アロエ、シャンスの苗を求めた。シャンスは名前がよかったので買ったがどんな花かわからない。シャンスとは英語のチャンスである。まさか花が咲いたらそれは僥倖というわけではないだろうなぁ。

コンデの本を返却し、今度はカメルーンの女性作家カリクスト・ベヤラCalixte Beyala『La Plantation』(2005年)を借りた。舞台はジンバブエ。独立はアフリカの中でもっとも遅く1980年である。それ以前は南ローデシア。大統領は最後の独裁者といわれるムガベだ。2000年に入って年間10万%というインフレが続き、ついに中央銀行はRDCコンゴと同じく発券銀行としての機能を停止し、米ドルが流通するようになっているそうだ。ジンバブウェについては追って詳しく書く。
このベラヤ女史、なかなかスキャンダラスな女性のようである。まだ40代後半だが、既に若くしてアカデミの大賞受賞したものの、いくつかの作品で剽窃、盗作問題を起こし、さらにフランスのマス・メディアの寵児、TVヴァライアティ・ショーのアニメイタであるミシェル・ドリュケルMichel Druckerの愛人宣言、裁判で敗訴等々話題を提供している。
果たして『プランテイション』なる作品はいかなるものか。

道ですれ違った若者にぶつかった。若者が携帯を落として大騒ぎ。諸膚を脱いで「どうしてくれる」と息巻いた。携帯は壊れてなんかいない。どうも昼間からの酔っ払い。周りにいた旧知の若者たちが件の若者を制止している間に車に乗込んだ。ところが、僕の車の荷台に乗ってまだ騒いでいる。仕方ないからそのまま警察につれていった。ところが知っているキャピテンは交通警察。こうした暴力事件には直接手が出せないらしい。それでも、一応保護してくれて酔っ払いの若者を追い払ってくれた。ムズング(白人)から金を取るんだと騒いでいたそうである。
ムズングというのはスワヒリで白人のことだが、欧米人だけを指すわけではない。インド人、アラブ人、中国人、日本人もムズングだ。ムズングは金をもっているというのがここの常識。だから、これ幸いと酔っ払いの若者が騒いだわけだ。

今日は疲れた。ついていることもついていないことも含めて。

Le 27 octobre 2010, mercredi
快晴。

昨日手配した溶接工エルネストが来てくれて門の修理をした。これで夜鍵をかけることもできる。隣の家との垣根も、マドンナが出られないように修理してもらった。持ってきた溶接機は手製? アンペア数もワット数も溶接工はしらなかった。修理代金12500フラン(1250円)。多分、これでマドンナを夜庭に放せる。しかし、頭のいいマドンナのこと、どこか見付けて外にでかねない。家を守るんだ、ほっつき歩くのは任務ではないことを教えなければならない。

午後からネット不通。午前中は快調だったのに。

25 octobre 2010

10月24日 le dimanche 24 octobre 2010 «Histoire de la femme cannibale», etc

Le 24 octobre 2010, dimanche
快晴。

7時半ネットがダウン。日曜日に不通になると普段でもクレームの仕様がないのに余計にフラストレイションだ。

庭に落ちえていた犬の糞(ふん、crotte)を拾ったら袋いっぱいになった。やはり先日書いたようにプラスチックの袋が混じっているのが多くみつかった。小一時間かけて拾い集めた。ドリ君にやってもらう作業だが、ちょっと集めるともう終わり。なかなか庭全体の分が終わらないから僕が自分でやった。ドアの取っ手やビンの王冠などもまだ残っていた。ジャカランダ花やマンゴの木の枯葉はかまわない、いずれ土に返る。しかしプラスチックは駄目だ。

昼はニンジンのサラダ。といっても生ではなく、塩で茹でて、オリーヴ・オイル、ヴィネガー、ガーリック・ソースで和えた。それと昨夜炊いて余ったご飯でチャーハン。ま、上手くいった。ニンジンは南アからの輸入。ニンジンも作れない農業ではRDCも困るなぁ。家の裏庭でさやインゲン、トウモロコシ、カボチャ、サツマイモ、ジャガイモ、唐辛子、トマト、ナス等を作る予定。ドリ君が栽培するといっているが果たして雨季になったら芽がでてくるのかな。

夕方6時15分、雨が降り出した。空の半分は雨雲だが、遠くは夕焼け。でもこれで涼しくなる。ところが家は断水中。雨は15分で止んでしまった。

アボカドのいいのに当たらない。まだシーズンではないとはいえ、出回りはじめて見つけるのに苦労しなくなったが、固かったり、半分腐っていたり、最近全然いいものがない。値段もまだ一個1000フラン(100円)。最盛期の倍だ。家にはアボカドの木がない。今月初めから食べる度に種をとっておいて、芽がでたら植えようと思っているのに芽がでない。アボカドを育てるのは簡単だときいているのだけど、不可思議だ。


Maryse Condé『Histoire de la femme cannibale』を読了。今回はちょっとインチキをして読んだ。というのは、主人公Rosélieが20年連れ添った夫Stephenが殺される。舞台は南アなので、頻繁にある強盗殺人事件かと思われたが、どうもそうではない。そんな風に物語の仕立てがスリラーにもなっている。だが、なかなか原因がわからない。14章まで進んでも夫とのエピソードがめんめんと続く。そこで、最後の20章を読んでしまって、そこから19、18章と戻ることにしたのだ。夫が殺された原因は僕の想像を超えていた。だが、戻りながら読むとよくわかる。なるほど、複線がいろいろとあったのだ。
この小説は、しかし、スリラーというよりも極めて質の高い教養小説である。普通ではローラン・バルトRoland BarthesとかサルトルSartreとかモンテーニュMontaigne、セゼールCésaireなど簡単には出てこない。芸術(文学、映画、演劇、絵画、音楽)の趣味も高く読み飛ばすのは難しい。別の言葉でいえば西欧の中産階級インテリ世界がグアダループ、パリ、NY、ケープ・タウンを背景に描かれているのである。アパルトヘイト廃止後の南ア社会の現実もある。多少東京も出てくる。夫が大学の文学部の先生、主人公は画家という家庭。単なる白人の夫と黒人の妻という人種ミックスではない。
コンデは『セグ』を初め歴史小説を書いているが、この小説は現代、21世紀における彼女の集大成ではなかろうか。自伝的要素も否めない。
各章の書き出しは本当に上手い。コンデが60代後半に入ったときの作品で彼女の人生観がよくでている。かといって老成した嫌らしさはない。回想場面にはプルースト的感性がある。次のノーベル賞作家ではないかと思う。
さて、どうして「Histoire de la femme cannibale」なのか。これを頭にいれてずっと読んできたが、どうもよくわからない。主人公ロゼリーが食人cannibaleということだが、第5章でフィエラという見知らぬ女性が最愛の夫を殺害してその肉を食すという事件を新聞で読み、この女性と自分とを同一視する。フィエラに語りかける文章が何回もでてくる。そして終章で自分の描いたタブロに向かって「Fiéla, est-ce toi ? Est-ce moi ? Nos deux figures se condondent. フィエラ、これは貴女なの、それとも私、私たちは一つになるのね」というのである。さらにそのタブロに「Femme cannibale(人食い女)」とタイトルをつける。極めて哲学的な終焉である。
日本でこの小説は翻訳されえないだろう。小説が子供の作文のような単純な作家、たとえば近年の芥川賞作家たちによって書かれる時代になって、膨大な注釈をつけないとコンデのこの作品はちんぷんかんぷんだろう。辞書や注釈がひつような小説は書くなといったのは石原慎太郎だが、そりゃ、慎太郎の小説ではすらすら読めるに違いない、だが無教養、無知蒙昧で「日本、日本」と叫ばれてはたまらない。日本は文化的に沈没してしまう。高校生で鷗外が読めない教育なら、大学などいらない。
もっとも、ルブンバシのCCF(フランス文化センタ)の貸出し記録をみると、コンデのこの本を借りたのは今年になって僕が初めてだから、多くの読者をコンデがもっているともいえない。「食足りて」の食できゅうきゅうしているのだから、コンゴ人が読書をしないのは致し方ない。でも、中にはコンデを紹介してくれたアラン君のような若者もいる。それが希望だ。

10月23日 le samedi 23 octobre 2010 RDC東部の性暴力 voils dans l'est de la RDC

Le 23 octobre 2010, samedi
薄曇。昼から15時ころまで陽がさしたが一日曇り空。雨雲ではなく殆ど薄紫といってよい雲が天全体を覆っている。夜は満月がよくみえた。22時過ぎなのにやや赤みを帯びた満月であった。

特に今年8月以来、RDCの性犯罪、女性や子供に対する強姦が世界のメディアで盛んに取り扱われている。これは、東部の戦闘地帯での話である。カタンガ州ルブンバシでは強姦事件が一件でもあればスキャンダルになる。しかし、東部(南北キヴ州やオリエンタル州等)では政府軍と反政府軍との戦闘が激しい。国連も軍隊を送っている。
2009年コンゴでは1万5000人以上が性的暴力の犠牲者となったとある。国連や欧州連合は、現在、強姦の首謀者たち(国軍を含めて反乱軍の指揮者たち)を国際犯罪法廷で裁こうとしている。RDCが自ら首謀者を逮捕して法廷で裁く力がないからである。
国連(Monusco)はアフガニスタンよりも広いRDCの市民を現在の体制(人員)守りきることは不可能だと云うが、RDC全体が強姦事件を起こしているわけではない。中部西部南部は無関係である。しかし、「RDCは強姦世界一」などと喧伝する国連発言、言動は問題がある。いくら声高に言ってみたところで、戦闘が続く限り強姦はやまない。市民を巻き添えにしない戦闘をせよ、などというのはどだい無理である。戦闘、戦争そのものを根絶やしにしなければ意味がない。
以下はラジオ・カナダの記事。

République démocratique du Congo
Plus de 15 000 viols dans l'est en 2009
Mise à jour le samedi 16 octobre 2010 à 11 h 49

Buira Lubungu, 27 ans, a été violée devant ses cinq enfants par sept hommes le 30 juillet 2009, lors d'une attaque du village de Luvungi par des rebelles hutus.

Un haut responsable de l'ONU a déclaré vendredi devant le Conseil de sécurité des Nations unies que plus de 15 000 viols avaient été répertoriés dans l'est de la République démocratique du Congo (RDC) en 2009.

Le chef de la Mission de l'ONU pour la stabilisation en RDC (MONUSCO), Roger Meece, a soutenu que les viols collectifs « atroces » perpétrés en juillet et en août par des milices rebelles dans la région minière de Walikale ont mis en évidence l'urgence de protéger les civils.

Il a toutefois affirmé après la rencontre que les problèmes de sécurité de l'est du pays sont énormes et a admis que les forces de maintien de la paix ne sont pas en mesure protéger toute la population menacée par les groupes armés qui se disputent les ressources minières de la région et utilisent le viol comme arme de guerre.

Dans cette vaste région, plus grande que l'Afghanistan, il n'est pas possible pour la MONUSCO de garantir une protection totale à tous les civils. Pour s'approcher de cet objectif, il faudrait des forces et des ressources bien plus élevées.
— Roger Meece, chef de la MONUSCO

M. Meece a présenté son rapport sur la situation en RDC au lendemain de révélations de l'envoyée spéciale pour les violences sexuelles dans les conflits. Selon Margot Wallström, des soldats de la RDC se sont livrés à des agressions sexuelles et à des pillages dans la même zone où des viols en série ont été commis cet été.

Jusqu'à 500 personnes, dont des enfants, ont été violés à la fin juillet et au début d'août dans 13 villages de l'est du pays, selon l'ONU, qui attribue ces crimes aux miliciens Maï-Maï et aux rebelles hutus des Forces démocratiques de la libération du Rwanda (FDLR).

Radio-Canada.ca avec Agence France Presse

10月22日le vendredi 22 octobre 2010 ケープタウン他 le Cap, etc.

Le 22 octobre 2010, vendredi
快晴。

名刺をPCで作ろうとしたら、前のPCに入っていたソフトが動かない。新たに「名刺メーカー」をダウンロードしたら、圧縮されていて開けない。解凍ソフトをダウンローぞするのにとんでもない時間がかかる。

マリーズ・コンデ『Histoire de la femme cannibale』の中で面白い表現をみつけた。259ページ。以前読んだコート・ディヴォワールの作家クルマAhmadou Kourouma『Quand on refuse on dit non』にあった思考と全く同じだった箇所である。
ケイプ・タウンのブレンダ園という庭をガイドが案内するときの台詞である。このブレンダ園は調べてみると、ケープ・タウンにそんな名前の公園がないので作家の創作かもしれない。
「Regardez, mesdames et messieurs, regardez bien ! …C’est à cet endroit précis qu’au cours d’une des plus violentes révoltes du ghetto dix petits nègres se sont fait abattre. Leur sang a irrigué la terre qui est devenue du terreau pour ces fleurs merveilleuses que Brenda vous offre aujourd’hui.(ご覧くだい。みなさん、とくとご覧ください。まさにここなんです、黒人ゲットーの激しい抵抗があったとき、ここで10人の黒人の子等の血が流されたんです。その血が土地を潤して腐植土となり、今、みなさんが鑑賞されているこの美しい花々を咲かせているのです)
この台詞でブレンダ園を訪れた観光客は大いに感動し満足する。
クルマの小説の方では少年兵が、内戦のために多くの人々が血を流して斃れていくが、それが世界一美味しいコート・ディヴォワールのコーヒーを生む、というものであった。

ケープ・タウン、フランス語ではル・キャップle Cap。行政の首都プレトリアと並んで立法府府がある南アの首都のひとつでもある。有名な喜望峰Cape of Good Hope/Cap de Bonne Espéramce はこの都市の南に位置する。しかし、喜望峰はアフリカの南端でもなければインド洋と大西洋の交わる地点でもない。15世紀のポルトガル人がここまでくればインドは近いと希望を抱いた岬ということになっている。
コンデは云う。「喜望峰とはいうが、東インドやマダガスカル、モザンビークで積まれた船の哀れな船荷(奴隷)にとっては、全ての希望が微塵と砕けた絶望峰であった」(頁105)。

23 octobre 2010

10月21日 le jeudi 21 octobre 2010 プラスチック公害他 pollution des sachets plastiques, etc

Le 21 octobre 2010, jeudi
快晴。

3月にとった出国+再入国ビザをDGMでとりなおさないといけない。3月の日誌をみると、マルチ7ヶ月有効で250ドルかかっている。たまらないなぁ、こうした出費。出国査証なんて誰が考え出したんだろう。

マドンナはビスケットを食べなくなった。手にとって与えると喜んで食べる。どういうことなのだろう。気まぐれCaprice? 昨夜はパスタまで残した。おいおい痩せちゃうぞ。

庭にプラスチックの袋が捩れて相当数落ちていた。拾って捨てていたが、今日マドンナの便からもそうしたプラスチックが発見された。ということは前にいた犬たちが袋を食べてしまって排泄したものもそこいらじゅうにあったということだ。それがマドンナの元気のなさの一因かもしれない。プラスチックの袋を食べてしまうなんてみっともない。地中海の亀や魚たちがプラスチックを食べて排泄できず死にいたることもあると聞いたことがある。イタリア南部やアルジェリアの海はゴミだらけ。プラスチックの袋は公害というより人災だ。紙袋をこの国でみたことがない。紙がたかいのだろうなぁ。困ったことだ。

10月20日 le mercredi 20 octobre 2010 アルジェリア人ジャーナリストが見たルブンバシ他 Lubumbashi vue par un journaliste algérien, etc

Le 20 octobre 2010, mercredi
快晴。

朝から断水。ドリ君によると今日から3日間断水するとラジオでアナウンスがあったそうである。えっ、3日間も! 汲置きの水は豊富にあるが不便だなぁ。なんか汚い、水を節約することを考えなくてはいけない。ところが、10時に水が出始めてその後断水していない。ガサネタか同じキプシでも地域によるのか。いずれにせよ、水が出るのはありがたい。

今日か明日ネットが切れる。先月21日に1ヶ月の支払いをしている。どれが切れる。先月は珍しく継続に問題がなかったが、これは初めてのことで、いつもトラブルがあった。20時現在まだ通じている。

いつの間にか停電している。断水に停電。ついていない日だ。電気も19時15分回復。

ドリ君、庭師のお兄ちゃん、26歳だが既に結婚している。18のとき15歳の奥さんをもらった。処女であることを病院でチェックしたという。結婚相手が処女か否かが未だに重大な条件とは。彼も童貞だったそうだ。しかし早婚である。子供は既に3人。これでは人口が増えるばかりだ。人口は国の力には違いないけれども、子供を養い、教育しなければ将来はない。父親としてドリ君がどれほど責任を感じ、果たしているのか甚だ疑問だ。奥さん以外に婚外の女性が3人いるのだという。クリスチャンとしてはいけないことだろうというと笑って誤魔化した。本当かどうかはわからない。期待、希望と現実が一緒になる人たちだから。

電気がきたところで風呂のシャワーを修理。シャワーの支えを取り付けた。ドリル(Black & Decker)は1ヶ月以上前からシスター・アスンタさんに借りたままである。ドリルの歯mèchesを1本壊したので、ついでに日本製マキタの歯のキットがあったので買った。30ドル。コンクリ、木、メタル用が各3本づつ。これをつけていつか返却しよう。

マドンナ君、相変わらず食欲がない。暑気あたりではないだろうか。水ばかり飲んでいる。

僕はアルジェリアの高速道路プロジェクトで去年秋まで調達の責任者だった。70年代とは違って自由化したアルジェリアではあったがものがない。調達に非常な苦労をした。ルブンバシで同じ仕事をしたらもっと楽かもしれない。ザンビアやタンザニアから調達しなければならない事態もあるかもしれないが、アルジェリアよりも柔軟に対応できるだろう。

アルジェリア人ジャーナリストが見たルブンバシの記事があった。しきりとコンゴの後進性を強調している。アルジェリア人に云われたくないな。アルジェリアこそ対岸がヨーロッパなのに欧州との格差は犯罪的である。産油国(天然ガスと原油)で膨大な収入があるけれど、その分配が公平に行われていない。急進イスラム勢力によるテロも未だに絶えない。山地、カビリー(中心はチジウズ)やコンスタンティーヌ(アルジェリア第3の都市)の冬は厳しく雪が降る。その冬を越すのにまともな暖房も庶民の家にはない。
アルジェリア人ジャーナリスト(特派員)は、ルブンバシで行われたサッカーの試合のために来た。アフリカ・リーグ・チャンピオンの準決勝戦が10月16日(土)に開催されたからだ。試合は0-0だった。しかしアウェイでルブンバシのチーム「TPマゼンベ」がアルジェリアの「JSカビリー」を3-1で下しているから、マゼンベが決勝進出を決めた。このマゼンベは1939年創設の伝統あるチームだ。去年のアフリカチャンピオンでもある。オーナーはカタンガ州の知事モイーズ。ビジネスマンである。富豪モイーズ兄弟については既述している。

Le pays tente d’effacer les affres des crises et des conflits
Lubumbashi, locomotive poussive du développement de la RDC
19-10-2010
notre envoyé spécial à Lubumbashi (RD Congo)
Abdelghani Aïchoun
このタイトルからして気に食わない。「紛争・危機の苦悩を消し去ろうとしている国、DRC発展の牽引車、だが青息吐息の牽引車ルブンバシ」というのである。なにが「青息吐息」だ! いちいちコメントしていると超長文になるので、ここでは割愛する。ブログ『日本カタンガ協会』の方に全文を乗せコメントする。


La République démocratique du Congo (RDC), plus connue par le commun des Algériens sous le nom de «Zaïre», l’ancienne appellation, ou encore de Congo Kinshasa, histoire de faire la différence avec le Congo Brazzaville, son voisin, est l’un des pays les plus vastes du continent africain. L’éloignement de ce pays de la région nord-africaine fait qu’il est quasiment inconnu par bon nombre d’Algériens. La RDC est pratiquement à deux heures de vol de l’Afrique du Sud. Si certains entendent quand même parler de sa capitale Kinshasa, il en est tout autrement de Lubumbashi, considérée pourtant comme l’une des plus grandes villes du Congo. C’est grâce au match de football des demi-finales de la Ligue africaine des champions, ayant opposé la JS Kabylie au TP Mazembe, le club phare de cette «commune», que Lubumbashi est désormais connue des Algériens. La ville est située dans le sud du pays –à près de
1 500 kilomètres de la capitale– dans la province de Katanga, l’une des onze provinces du Congo Kinshasa, dont le gouverneur n’est autre que Moïse Katumbi, le président du TP Mazembe. Une province connue pour ses exploitations minières. D’ailleurs, Lubumbashi est également appelée par certains «capitale du cuivre», en référence aux gisements de ce matériau dans son sous-sol.
(以下省略)

20 octobre 2010

10月19日 le mardi 19 octobre 2010「杜の都ルブンバシ」 Lubumbashi, ville forestière

Le 19 octobre 2010, mardi
快晴。

昨夜21時40分に停電。丁度マドンナ食事を用意していたところ。直ぐ回復したからいいようなものの、そうでなければマドンナは最近食べないビスケットだけになるところだった。

ルブンバシの通りにはジャカランダの方が多いが、この写真の通り、サレジア会イマラ校(小中学校)に通じる道は鳳凰木flamboyant(ほうおうぼく)の並木になっている。綺麗でしょう!ルブンバシは「杜の都」というに相応しい。仙台市と姉妹都市をと考えているのに誰も応援してくれない。
鳳凰木はマダガスカル原産。日本では沖縄に多いと聞く。台湾にも並木があるそうだ。

カスンバレサ(国境の町)に用事ででかけたら、カスンバレサの手前のチェック・ポイントでDGMにつかまった。旅券を持っていないというのが理由。身分証明書として運転免許証を出したが通じない。なんのかんのと屁理屈をいって逮捕だなどとおどかす。結局は金をくれということ。20ドルとられた。アホらしい。カスンバレサ地域に入るのに旅券がいるとは知らなかった。

(10月20日記 ネット契約更新日。また暫くトラブルでネットが不通になるかも。今日は停電と断水。さらにネットも?)

18 octobre 2010

10月18日 le lundi 18 octobre 2010 濾過器他 filtage d'eau, etc

Le 18 octobre 2010, lundi
快晴。

Maryse Condé『Histoire de la femme cannibale』から、やや「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理ながら、アフリカには世論がないという主人公の夫Stephanのカメルーン人の友人Raymondの主張を引用する。Raymondは「Afri-bin」というゴミ箱を世界中に売ってまわている男である。
「Le problème majeur de l’Afrique, c’est qu’il n’y a pas d’opinion publique…、アフリカには世論というやつがないんだ、それがこの大陸の問題さ。何故世論がないかといえば、みんな無力なんだな。何で無力?そりゃ、ゴミの所為なんだ。みんなゴミをちらかす。ヤウンデ(カメルーンの首都)の下町やマダガスカルなんか、例えばの話が、ゴミの中を泳いでるようなもんだぜ。歩道、道路のコーナー、横の溝、いたるところゴミだらけ。陽にさらされて悪臭が漂うんだ。黴菌の塊だ。そいつを野良犬どもが町の端から端まで撒き散らす。そいで赤ん坊が弱っちまう。子供たちの傷口が化膿する。病気という病気に大人が感染する。彼らは金がないから治療が出来ない。病気で弱ってしまう。こうして独裁者がはびこるんだ。Afri-binさえあれば、こんなことにはならない!」
これを読みながら笑ってしまったが、「何処も同じゴミの山」、しかし、笑ってはいられないのが現状。本当にゴミがルブンバシにもキプシにも多いのである。キンシャサもゴミの首都だ。だからこの国には世論がないのだろうか。

ルブンバシには新聞がない。なくなったのだ。キンシャサから送られてくる新聞はあるが、あまり読者がいない。日本のような大新聞社は当然ながらない。TV局は全国ネットを含め地方局が数局ある。しかし、その影響力はどうだろう。僕も何回かここのTVに出演している。でも反応は弱い。キプシ街道が悪路だとは有名であるが、それが世論を形成して当局を動かすにはいたらない。みんな羊のようである。諦めなのか無関心なのか。サテライトTV放送を受信している家庭もある。アラブ人の間での噂のネットワーク、口コミをフランスでは「アラブ電話 téléphone arabe」という。ここはさしづめ「コンゴ電話 téléphone congolais」とでもいっておこう。携帯電話の普及が手伝って噂の伝達度は高い。しかし、この電話のソースは怪しいことが多い。信頼性が乏しい。やはり、プロの記者が記事を書く新聞社が再建されなければならない。

配管工のイルンガさんがきて、水のフィルターの蛇口取り付けをしている。濾過器はインド製だが、プラスチックの蛇口が壊れている。そこをテープで貼って使っていたが不便である。過日中国人の店で丈夫そうな蛇口を見つけたので買ってきたが、穴の大きさがあわない。そこでイルンガさんに修繕を頼んだのだ。なんとヤスリで穴を大きくしている。原始的だが直ればそれでよい。
しかし、蛇口が付いた。買ったときの蛇口が壊れてから半年、蛇口のところの水位まで濾された水がたまると、テープで塞いだ穴から水が漏れる。それを合図にペットボトルに水を溜めていた。この煩わしい作業から開放されるのだ。また一つ生活改善。やれば出来るじゃないか。沸かした湯をさましてフィルターにかけるか、水道水をフィルターにかけておいて沸かすか、いずれにせよ水道水は飲料としては直接使えないのはルブンバシでもキプシでもキンシャサでも同じである。(写真はインド製濾過器、中にセラミックのフィルター棒が2本入っている)。

16時から19時まで停電。これはちょっと計画的停電だな。

10月17日 le dimanche 17 octobre 2010 旅人の樹他 arbre du voyageur, etc

Le 17 octobre 2010, dimanche
快晴。

ブログ『アフリカの星』を4日分更新。

マドンナの食が細い。昨夜パスタを全部食べたと思ったら、今朝見たら多少残していた。ビスケットには手をつけていない。食欲が旺盛でも、食欲がなくても心配。
ところが、食事後庭でトイレをさせたら、僕が門から出ないように警戒しているのを尻目に、さっと踵を返して隣家との垣根の隙間を抜けてしまった。騙された。呼んでも帰ってこない。やっと何か粗大ごみを拾ってきたところを捕まえて監禁。元気がなさそうに見せて裏をかくとは、油断のならぬ奴め。

アラン君は結局Kitweで一泊してから昨夜遅くにルブンバシに戻ったようだ。電話の声はよほど疲れていた。

コンデ『Histoire de la femme cannibale』から。
Arbre du voyageur。「旅人の樹」。夢のある名前である。小説の舞台は南アであるが、回想として主人公の生地であるカリブ海の島グアダループ(フランス領)も頻りにでてくる。どちらの国にもこの「旅人の樹」がある。僕のいるコンゴにも勿論ある。暑い太陽のもとを歩く旅人が、その木陰で休めるほど大樹なのでその名が冠せられたと思ったが、さにあらず、この樹の葉が多くの水分を含んでいて旅人が葉を食むことで渇きを癒せることからこの名があるのだそうだ。マダガスカル原産。こんな樹が庭にあってもいいなぁ。大きな木になる前は、地上から扇型に枝葉が出て特異である。

17 octobre 2010

10月16日ちーちゃん metis nippo-congolais Tshichan

Le 16 octobre 2010, samedi
快晴。

1982年までカタンガ州ムソシ鉱山に日本の方が多く働いていた。Sodimiza社である。日本は隣国アンゴラ内戦のため輸出港を失って採算に乗らなくなりここから引揚げた。このことは既に書いた。当時、日本人の父親が帰国したとき、チチャンTshichanは母親のお腹のなかにいた。タカシ君は彼の兄である。このチチャンに会った。彼から僕の「日本カタンガっ協会」の存在を知って連絡してきたのである。可愛い坊やだったが、もう28歳、3年前に結婚して一児の父親である。父親探しをしてくれという訳ではなかった。しかし、少なくとも日本人であることを認知してもらいたいようだ。日本人の子であることを極めて誇りに思っている。ただ、生活が苦しいので援助してくれというものだったが、それは僕の力では及ばない。では、もし日本企業が再びカタンガ州に来てくれたら働かせてくれという。これも全く未知であるし、僕が採用するのではないから、約束はなにもできない。ともかく、希望をもってくれと話しただけである。日本人の父親が子として認知しない限り大使館に訴えても日本人として認められることは難しいだろう。それでもこれまで偏見の中で育ってきたことを考えるとなんとか日本政府も彼らに救済の手を差伸べてもいいのではないか。31名の子らがいる。
(写真はキプシの僕の家に来た「ちーちゃん」、ニックネームではなく「ちーちゃん」と名付けられた。少年のような笑顔である)。

マドンナ、食欲なし。ビスケットを食べない。オムレツとパスタだけなんとか食べた。

10月15日 le vendredi 15 octobre 2010 アラン君ザンビアへ他 départ d'Alain pour la Zambie, etc.

Le 15 octobre 2010, vendredi
快晴。

配管工のイルンガさんが来て風呂に水が溜まるように栓の調整、水漏れするトイレのタンクの調整をしている。昨日も家に来たそうだ。電話すれば在不在がわかるだろうに前もって連絡しない。電話代がもったいないからだろう。

アラン君がザンビアのTitweに行く。パスポートはやっと3ヶ月待って先々月手に入った。コンゴ国籍の場合、査証なしでザンビアでも国境に近いKitweやNdolaなどカッパベルト州なら行けるとの話もあったが、結局入国査証を取得した。料金は僕と同じ50ドル。バスで行くことも考えたが、バスの出発が12時。カスンバレサ国境で数時間待たされるというからKitweに着くのが夕方以降になり日帰りできないことがわかった。バス料金は20ドル。そこで、早朝ルブンバシを出て、国境通過、ザンビア側のバスを利用することにした。アラン君の始めての外国である。この経験を生かして次はダル・エス・サラムを目指す(80ドル)。ダル・エス・サラムまでもバスがある。同じく昼に出て翌日夜には目的地に着いてしまうという。2つの国境での待ち時間が5時間とすると、とんでもなく早い。ダル・エス・サラムからナイロビに行くことも出来る。僕もザンビアの国道で長距離バスに何回も遭遇したが、彼らは猛スピードで走る。悪路もなんのそのである。 (画像はザンビア共和国。Kitweの北、ザンビアに食い込んだところにルブンバシ市がある。銅の鉱脈はRDCのカタンガ州とザンビアのカッパベルト州とに跨っている)。

夕方から風が吹き始め黒い雲が立ち込めてきた。夕立かと思わせたが、雨は降ってこなかった。しかし、乾季は終わりに近づいている。

マドンナの出血は3日前あたりから止まったようだ。出血で慌てたけれど、今が一番危険なときだ。ロジカルに考えればそうなる。トイレ以外に彼女を家から外にださないそ。マドンナ、暫しの我慢だ。がんばれ。次回は王子さまを用意するからね。でも、食欲がないなぁ。いつもの君とは思えない。

雷が鳴っている。22時。雨はいいけど、停電するのはまずい。停電せず、雷は遠のき雨はざっと降ってやんだ。

10月14日 le jeudi 14 octobre 2010 断水他 coupure d'eau, etc.

Le 14 octobre 2010, jeudi
快晴。早朝は日本の秋のようにうろこ雲がたなびいていた。

ドリ君が後輪右のタイヤがパンクしているのを発見。タイヤ交換。僕のガラジスト、イワン君が携帯電話を僕の車に忘れていったので、それを返すついでもあり、彼のガレージに行くことにした。しかし、よくパンクする。道が悪いのはたしかだが、車を勝手から6ヶ月以上パンクにあったことがなかった。これは乾季と関係があるのかもしれない。乾季は道が乾燥していてボルトや釘がタイヤに刺さりやすいということか。わからない。

昨日携帯電話をガレージのIvan君が僕の車の中に落として忘れてしまった。それをドリ君がみつけた。電話を届けに行くついでにパンクも修理することにした。
ドリ君、正直じゃないか。アルジェリアだったら先ずみつけてもネコババする。Ivan君はみつかって喜んでいた。

断水が続いている。

実は昨日買った電気蚊取り器Vaponaが全く機能していないことが分かったので、タイヤ修理のついでにスーパー・リバティーに寄ってクレーム。取替えてくれた。若いムンバイ(インド)出身の青年だった。店で機能テストしたので、今度壊れたらクレームの仕様がない。僕の家で機能しなかった原因はキプシ市の電圧の変化かもしれない。しかし、ルブンバシの電気事情はキプシよりも悪い。パレット式の電気蚊取りは機能しているのだからVaponaも正常に作動してもらわないと困る。

ついでに机を買った店に寄ってダンスを買った。ここの建具屋のおじさんの棚は幅が狭すぎてシャツや背広が収納できない。マレーシア製のプレファブだ。お兄さんがきて組み立てをしている。既に組み立てられたものを持って帰ろうとしたら、キプシ街道は道が悪いから途中でバラバラになる可能性があるというからだ。机のときは組み立ても出来ない素人が来た。今回は店の主人(レバノン人)がプロを派遣してくれた。道具類もちゃんともっている。

この家は築40年くらいと思われる。国営鉱山会社Gecaminesの黄金時代に会社幹部の家として建てられた。当時はヨーロッパから沢山のエンジニアが出稼ぎにきていた。彼らの宿舎にもあてられた。サロンには暖炉がる。暖炉にくべる薪もGecaminesが支給していたという。90年代、この家には組合委員長が住んでいたそうだ。そのため固定電話の線も引かれている。携帯電話時代になって今は全く通じない。電話機もない。しかし、室内の電話線だけがある。外には電話線がない。電話線は既に盗難にあっているのだろう。しかし、この地区には街灯があり、夜になると点灯される。

水は電気のトランスが壊れたので今ルブンバシに代わりのトランスを取りにいっているところだそうだ。だから今夜遅くか明日の午前中には回復するだろうと、先日車のタイヤを家で交換してくれた元Gecaminesのメカのおじさんが教えてくれた。このおじさんJean-Pierre、家の門をたまたま開けっ放しにしておいたので、のこのこ入ってきたのである。挨拶しに来たのだという。

疲れた。21時半ころ水が出始めたのだ。Jean-Pierreの情報が正確だったわけだ。彼の株がぐっと上がった。水がでたから、食器洗いと貯水に忙しかった。やはり水は大切だなぁ。
祝杯にビールを飲む。美味い!
でも、まだ濾過水を作らなきゃ。濾過水は僕のコーヒーや調理用、さらにマドンナとチーコの飲み水である。水道の水は飲めないと思っている。
(写真は我家の台所の蛇口。えらいクラシックで気に入っている。フィルター装置などつけられない)。

10月13日 le mercredi 13 octobre 2010 事務所兼サロン他 mon bureau dans le coin du salon, etc.

Le 13 octobre 2010, mercredi
快晴。

今朝、マドンナをトイレのために庭に出した、トイレ後すぐに自ら自分の家に入ってしまった。いやに静かだ。飛びついても来ない。昨夜の食欲はいつものように旺盛で、鶏肉とパスタをペロリと食べてしまった。益々心配だね、この態度。
さらに夜の食事を半分残した。いつもならガツガツと直ぐに大きな皿を平らげてしまうのに。不可解。ところが、ちょっと目を離した隙にどこかに消えてしまった。外に出た?どうやって。通り道は塞いだはずなのだが。門を開けようとしたら、庭の奥の方から現れた。どこで何をしていたのか。早速監禁してしまった。

フランシスコ会のコーヒーのサンプルが名古屋の会社に届いたようだ。今、アスンタさんは日本滞在中。連絡がとれて、話が進むといいが。

昼、ニュー・プロジェクトのためのアポイントがあるのでルブンバシに出る。ついでにされ

背もたれのある椅子を購入。今まで背もたれがない椅子を使っていた。理由は背もたれなんか怠け者用の椅子と断じたわけだ。しかし、長いこと腰掛けているととても疲れる。そこで背もたれのあるものにした。82300フラン(7500円)。やっぱり楽チンだなぁ。それとTV用テーブル。15400フラン(1400円)。TVはもっていないから、コピー機を載せるためである。なにかサロンの一角が事務所らしくなってきた。
サレジア会の職業訓練学校Cite des Jeunesに立寄って家具をみた。僕のベッドやサロンの小テーブルはここの制作。質がいい。しかし、タンスや棚が800ドルもする。高級な木材を使用していることは確かだ。仕上げも悪くない。しかし、ちょっと手がでなかった。

今日は朝から断水。19時現在一滴も出てこない。昨日は水圧が高かった。

蚊帳が役にたたない。新しい蚊帳を買うたびにチーコちゃんが爪で引っかいて穴をあけてくれる。そこで、電気蚊取り(今回は液体を蒸発させて蚊を追いやる、Vapona)を買って僕の寝室のコンセントにつけることにした。パレット方式と2台で蚊を退散させることができるのか。問題は停電したらこの解決方法は意味がないということだ。

13 octobre 2010

10月12日 le mardi 12 octobre 2010 バクア帽他 chapeau Bakoua, etc


Le 12 octobre 2010, mardi
快晴。

Maryse Conde『Histoire de la femme cannibale』から。
主人公Rosélieの老いた母親について書いている場面でbakouaというのが出てくる。Elle s’habillait en toile à sac, se coiffait d’un bakoua…。最初髪型かと思ったが違う。Bakouaは植物で、その葉を編んで帽子をつくる。「バクア帽をかぶっていた」ということだ。カリフ海の島々での伝統的帽子のようだ。今はカラーで染めたりしてファッション性をもたせている。

コンゴ・フラン。以下の文章はコンゴRDCの通貨に関するものである。筆者はしきりと国の通貨を大切にせよ、と力説する。通貨は国旗や国歌と同様に国の象徴だというのである。その通りに違いない。BCC(コンゴ中央銀行)は発券銀行であるが信用力がない。現在コンゴ・フランが通用しているのは米ドルとの兌換性があるからである。ATMからコンゴ・フランではなく米ドルが出てくることは既に述べた。こんなことは独立国として恥である。タンザニアではタンザニア・シリング(Tsh)が、ザンビアではクワチャ(Kwacha)がATMで引き出せる。いずれも弱い通貨で、1500Tsh=1$、5000Kwacha=1$である。これら隣国では街中で米ドルやユーロ札で買い物は基本的に出来ない。ルブンバシではどこでも米ドルで支払い可能である。場合によっては米ドル建てで請求される。建設費や家賃、ホテル宿泊代金は米ドルである。そうすればインフレがあっても受け取り金額が変わらないからだ。インフレは今年に入ってからも静かに進行している。しかし、それは隣国でも同じ事情だ。
記事はRDCの経済実態に踏み込まない精神論である。租税システムが機能しておらず、関税は予定の10%もあるだろうか、外貨準備金がなく、腐敗(増収賄)が闇経済で制度化している現状を知りながら精神論をぶち上げても意味がない。BCCはコンゴ・フランの信用の欠如を戦争の所為に帰しているが、それだけが原因ではない。諸悪の根源を絶やさずしてコンゴ・フランの独立はありえない。

Franc congolais : La BCC s’attaque aux blessés de guerre
Publié par Jean-Marie Nkambua le 19 septembre 2010 dans la catégorie RDC 0 Commentaire
Le Franc Congolais, en tant que l’un des attributs de la souveraineté du pays, mérite par conséquent qu’on lui témoigne le même respect que celui dû au drapeau ou à l’hymne national. C’est le Franc Congolais lui-même qui réclame ce respect lui arraché indument, et auquel pourtant, il a pleinement droit. *Ceci parce qu’au lancement, tout était presque parfait. Mais au fil du temps, la période de la guerre d’agression s’en mêlant, celle de la Transition apportant son lot d’irrespect aux attributs du pouvoir, la période de l’installation de nouvelles Institutions de la République, trouve des billets de banque très éprouvés avec un nom évocateur : « blessés de guerre ». Jean-Marie Nkambua, l’Avenir
(記事はさらに延々と続くが、あまり内容がないので割愛した。全文はブログ『日本カタンガ協会』の方に載せた)。
http://associationkatanga-japon.blogspot.com/2010/10/franc-congolais.html


マドンナが自主的に自分の家に入った。食事後トイレもあるだろうと30分庭に放した。食事の前に植木に悪戯したので酷く叱りつけたのは確かだけれど、自分で家に入るとは。大人しすぎる。敷地の外にでようともしなかった。怪しい。もうヒートは終わったのかなぁ。お腹が大きくなったらどうしよう。おろおろするばかりである。

12 octobre 2010

10月11日ライオン現る他 garçon de 15 ans tué par un lion sauvage

Le 11 octobre 2010, lundi
快晴。

快晴とはいうものの、昨日あたりから雲が時々太陽を隠すようになった。雨季への前兆だろうか。これまで全く雲がなかった。探してもなかったのである。

日本ではサルが街中にでてきて悪さをするというニュースを読んだ。熊も時々話題になる。さて、コンゴはキンシャサの東隣の州Bandunduで15歳の少年と家畜が野生ライオンの被害にあった。数年に一度ライオンが出没するそうだ。昔は15歳ともなると男子はライオン狩りに出かけていた。一種の「肝試し」、大人へのイニシエイションだったろう。今はそんな時代ではない。ルブンバシ郊外でも20世紀初頭までライオンが出没したらしい。「ライオン坂」という地名が残っている。ライオンもカバも人間に追いやられて遠くに行ってしまった。

"Il y a une semaine, un lion a tué un enfant de 15 ans qui était avec son ami...
<> Le mammifère carnivore, caché dans la forêt, a aussi "tué beaucoup de chèvres, de moutons et de vaches. Les gens ne peuvent plus se rendre dans la forêt ni à la source pour puiser de l'eau", a ajouté l'abbé Jean-Marie Ntesa, coordonnateur de l'ONG Caritas à Inongo, chef-lieu du district de Mai-Ndombe.

"On avait déployé des militaires dans la forêt pour le capturer mais on n'a pas pu le voir", a regretté l'autorité locale, assurant que tout était fait pour neutraliser l'animal.

Selon un responsable de l'Institut congolais pour la conservation de la nature (ICCN), Cosma Wilungula, il s'agit d'un phénomène "récurrent".

"Chaque deux ou trois ans, des lions surgissent et sont attirés par des vaches se trouvant dans cette zone", a-t-il expliqué à l'AFP, précisant que des équipes de l'Institut étaient régulièrement dépêchés sur les lieux pour refouler le félin hors de zones habitées.

ブログ『日本カタンガ協会』の更新をしている。ダル・エス・サラム往復ドライヴのこともあり、また新規のプロジェクトのこともあり更新がおろそかになていた。
http://associationkatanga-japon.blogspot.com/

10月10日 le dimanche 10 octobre 2010 ゴミの山他 ferraille dans mon jardin, etc

Le 10 octobre 2010, dimanche
快晴。

朝、スプリンクラーを組み立ててテストしてみた。水圧がないから半径1mくらいしか水が飛ばない。ホースで水を撒いた方が早いし行き届く。ないしは何10個もスプリンクラーを設置してホースをつないでいくしかない。ドリ君が欲しいというから買ったけど、安物にしても僕はスプリンクラーなどいらないと思う。

朝方、マドンナが敷地の外に出ていた。汚らしいオス犬が横にいた。家の門が少し開いていたのだ。昨夜チェックすればよかった。あんなオス犬とマドンナちゃんがと想像するだけでもそらおぞましい。マドンナ!いかんぞ。既に時遅しかもしれない。後悔先に立たずか。
来年、彼女に相応しいお婿さんと子供ができたら、男の子だけ残してあとは人に進呈して、その後マドンナの手術をしようかな。ともかく虫がついては困る。

教育だ。風が吹くとゴミが飛んでくる。隣の小学校の生徒がゴミを投げ込む。公共の道路は勿論、自分の家の庭にゴミが落ちていても皆平気である。プラスチックのゴミが土に返らないことは、ルブンバシの国立ミュージアムの展示にもあった。しかし、意識が足りなさ過ぎる。
家の庭に捨ててあった金属類のゴミを一ヶ所に集めた。酷い。よくもこんな家に住めたものだ。この国で廃品回収業をしたら、きっと採算にのると思われる。ペットボトルの回収をNPOがするプランは既に紹介した。だが、金属類も粗大ゴミとして至る所に捨てられている。もったいない話だ。

しかし、この屋敷、グランド・ピアノでも置きたくなるような家なんだけどなぁ。僕は弾けないけど。PCファイルにあるショパンのFantaisie Impromptu(幻想即興曲)を聞きながらそう思う。そういえば、Villaには良く名前がついている。僕はこの家を「Villa Jacaranda」(ヴィラ・ジャカランダ)と呼ぶことにしたい。気障かなぁ。でも入居したときは汚くて荒れ果てていた。

10 octobre 2010

10月9日 le samedi 9 octobre 2010 ユーザン・パルシィ他 Euzhan Palcy, etc.

Le 9 octobre 2010, samedi
快晴。

ルブンバシでスプリンクラー、8段の脚立や植木用の鋏、ねこ(ねこ車、一輪の手押し車)、コンクリートコテ、セメント、石灰等々を買い込んだ。

Maryse Condé『Histoire de la femme cannibale』から。
ユーザン・パルシィEuzhan Palcy。主人公Rosélieが何回も見たという映画『Rue Cases-Nègres』(『黒んぼ小屋通り』、邦題『マルティニークの少年』)の監督だということは文脈からわかるが、どんな監督なのだろう。題名の「ネグロ」をいう差別度に強い意味が込められているから改題してはいけない。
パルシィはカリブ海のフランス領の島マルティニク出身。少女の頃、Joseph Zobelの小説『Rue Cases-Nègres』を読んで感銘を受け、この座右の銘を映画化しようと決心する。これは大した意思である。そのため、映画の勉強を実施する。パリ大を卒業。
小説は1930年代のマルティニクの黒人のステイタスについて書いている。ハリウッド映画が大好きだったパルシィは、しかし、映画に出てくる黒人は愚かしい役ばかりだと考えていた。本当の黒人を描きたい。それが彼女のleitmotivである。

運命は彼女に味方する。なんとフランソワ・トリュフォFrançois Truffaut監督が助けてくれたのである。映画を撮影し終わった時(1983年)、彼女は24歳であった。偉いなぁ!
そうしてパルシィ、今度はマーロン・ブランドの助けも得てハリウッド進出を果たすのである。『une saison blanche et sèche. A dry white season』(1989年)。原作は南アの作家André Brink。まるでシンデレラだ。しかし、その才能と努力、強い意思が運命を切り拓いたに違いない。
Maryse Condéの『Ségou』を映画化してくれないかなぁ。制作費が数億ドル必要かもしれない超大作になってしまうだろうけれども。

全文引用すると長いので以下にURLを付す。
Euzhan Palcyのインタヴュー記事である。ネグリチュードの旗手エメ・セゼールも彼女の応援者であったことなどがわかる。益々シンデレラである。
http://www.grioo.com/info3564.html

09 octobre 2010

10月8日 le vendredi 8 octobre 2010 レンガ他 briques, etc

Le 8 ocotobre 2010, vendredi
快晴。

ネットついに不通。このところ調子がよかったのに。10時、回復。

電気代の請求が来た。前の家の半分。電気の使用量はこちらの方が多いはず。ペリカンさんにきくと、請負契約でメータは調べていないという話。以前も今もメータを調べに来た気配は全くない。この家の前の住民はGecaminesの社員。ということはこの辺りの家はどうも一括9890FC(920円)なのだろう。料金設定にコスト意識がない。支払い能力や住宅の大きさ、利用者の地位などで決めている様子。

レンガを366個買いに国境へ。1個120FC(11円20銭)。マドンナの昼間の運動場を作るため。カタンガではレンガをアリ塚の土から作る。焼くと普通の粘土よりも固いレンガができるのだそうだ。

写真は若者がそのアリ塚を切り崩しているところ。取った土を水と混ぜ型にいれて天日で干す。またレンガは仮の炉をレンガを積んで作って焼く。次の写真は、僕が366個(50ドル分)買うというので炉を上から取り壊しているところ。レンガはまだ熱かった。

レンガの帰りにパンク。前輪左。よくパンクする。タイヤを外そうとしてスパナclé de roueが曲がってしまった。車と一緒についていたスパナはザンビアのKitweでタイヤを交換したときにそのガレージに忘れてきた。ルブンバシで新たに買ったスパナが粗悪品。4500フランでは仕方ないとも思うが使い物にならないものを売るというのが問題だ。
新しいスパナを買ってくると、14時半に50ドルもって出かけたドリ君が16時半になっても帰って来ない。どうなっているの。タイヤはパンクしたままだし、レンガをとりに16時には現場にいかなければいけないというのに。
17時半になってドリ君は、溶接されたスパナをもってきて10ドルかかったという。しかし、そのスパナが役立たず。「疲れた、疲れた」を連発。そりゃ疲れたろうが。今度は知っているメカの人からスパナを借りてきてタイヤを外そうとするが2個のボルトが固すぎて外れない。
結局、近くでGecaminesの車の修理をしている隠れたガレージのオヤジ、Jean-Pierreが来てくれて全て解決。19時半を過ぎていた。

10月7日 le jeudi 7 octobre 2010 ジェローム・ボシュ他 Jéôme Bosch, etc

Le 7 octobre 2010, jeudi
快晴。風やや強し。

配管工Ilungaさん、時間通り8時に来宅。水周りの問題みた。早速今日にも工事を開始するという。

7時45分。断水。

コンデ『Histoire de la femme cannibale』の自らも画家である主人公Rosélieが好きな画家の一人としてJérôme Boschが出てくる。
ジェローム・ボシュは15世紀後半のオランダの画家である。僕は寡聞にしてこの画家を知らなかったが、ブリューゲルBruegelに影響を与えた画家だそうである。僕は最初ボシュの絵を見て、ブリューゲル的だなと思ったが、それは浅はかな僕の感想で、影響はまさに逆であった。
同じ箇所にErzulie Dantorも出てくる。ErzulieとはハイチのヴォドゥVaudou教の守護神である。ハイチではキリスト教と混合したようである。Vaudou教はダホメイ(現ベナン)に発した宗教で、カリブ海やブラジル、合衆国またマグレブ(北アフリカ)に奴隷貿易を通じて伝わった。北アフリカではイスラムの影響も受けているそうだ。

日本のGoogleニュースを読んでいたら、NTT東でネット障害ときた。昼間8時間ほど一部でネットが不通。日本ならニュースになるんだ、やはり。ここではニュースにもならない。断水、停電、ネット不通。

今日の断水は長い。19時半現在一滴の水も出てこない。汲置きの水があるけれど料理する気力がなくなってしまった。チーズと昨日作った牛カツをビールのつまみにして不貞寝してしまうか。でもマドンナの食事は作らないと。
マドンナには最近パスタを作る。ご飯を混ぜるのは僕が米を炊いたときだけ。パスタはal denteより柔らかめにする。でも彼女イタリア娘になっちまうな。毎日パスタ。Ma donna mia, bella ragazza, ti amo ! Buon appetito ! ここの人はフフ(ブカリとも云う、トウモロコシの粉で作ったカタンガの主食)を与えるそうだが、僕は断然パスタにする。もっとも、スイスのイタリア語カントン、ティチーノTicinoではトウモロコシの粉でポレンタを作る。北アフリカのクスクスに来ているが、小麦粉ではない。
20時、水が出てきた!
それからが大忙し。

07 octobre 2010

10月6日 le mercredi 6 ocotobre 2010 電気工事他 travaux éloctriques, etc

Le 6 octobre 2010, mercredi
快晴。風あり。

家具が出来たから取りにきてくれと建具屋Sébastianから電話。本棚などをつくるのにひと月以上かかっている。倉庫の棚なんて板を切るだけじゃないか。さて、出来はどうであろうか。マドンナの家はよく出来ていたが。
棚は幅が狭く出来ていた。ニス仕上げなのだが、日本の中学生が工作の時間にでも作った本棚の方がまだまだましな出来だろう。どうしようもない。だが、使うしかない。倉庫の棚は板を渡すだけだが、これも幅が狭い。要は板の幅を狭くして節約したに違いない。やはりサレジア会の職業訓練学校の作品はしっかりしている。ベルギー人神父の指導のおかげなのかなぁ。しかし高い。Sébastianに物置の戸の作成を頼んだ。10000FC(1000円)。彼のものは安いには違いない。

電気屋ペリカンも金曜ではなく今日来ることにしたらしい。物置に電気をつけた。台所に灯りを追加した。暗い台所は嫌だ。僕の部屋の灯りのスイッチを改善。ガレージに蛍光灯を設置。奥の部屋のランプ、コンセントを修理。8時に来る約束が9時。終わったのは15時半であった。

明日、配管工Ilungaが来ることにやっとなった。彼にしてもらいたい仕事もたくさんある。

ドリ君は9時半のご出勤。出勤簿に毎日サインさせているのだが、時間を守る気はさらさらないようだ。へらへらを笑って「今朝はお腹が痛かったの」と笑顔でのたまう。12時半に探し回ったら、ガレージで昼寝。おいおい。

夜は牛ヒレカツを作ることにした。ポークでいつもしていたが、ヒレ肉が余った。昼間解凍しておいたもの。台所が明るくなったので、俄然、料理にやる気が出てくる。明るくなったお陰で蚊がどこかに移動した。有難い。

マドンナについて東京のKさんからアドヴァイズをいただいた。10月13日から17日までは夜も庭に放さないことにした。昼間、監視下で運動させる。棍棒を用意して断固不良は排除だ。僕の箱入り娘なんだから、不良にdraguerされる、誘われるのが一番困る。引越ししたときにいた駄犬が最近姿をみせなくなったのは幸いである。

10月5日 le mardi 5 octobre 1010 «Histoire de la femme cannibale», etc

Le 5 octobre 2010, mardi
快晴。

シャワー・カーテンをLibertyというキンシャサ本店のインド系スーパーでみつけた。ところが、これを吊る棒がない。それを探し回ってキン・カフQuin Kafで探し当てた。これでシャワーの水がバスタブの外にでない。探せばあるものだ。帰宅後、ヒマワリがデザインしてあるカーテンをとりつけた。バス・ルームがパッと明るくなった。
キン・カフにはシャワーの湯沸しユニットもあった。478ドル。英国製。ダル・エス・サラムのTさんに今度ルブンバシに来るときにHot water unitを買ってきて欲しいと頼んだが、ルブンバシでも売っていた。しかし、多分この店だけだろう。

アイス・コーヒーを作った。空いたワインのビンにいれて冷蔵庫に置いておくだけのことだが、夏のアイス・コーヒーは美味しい。もっともここルブンバシの夏はいつなのだろう。暑いということでは9月10月のようだが、熱帯夜なんてない。

CCFルブンバシでマリーズ・コンデ『Histoire de la femme cannibale』(2003年)を借りてきた。今度は時代が現代、舞台は南ア、フランス、グアダループらしい。先ずは偏見を持たずに読み進めよう。『Segou』第3巻刊行から18年後の作品である。本のタイトルを訳せない。読んでいないから小説の内容がわからない。直訳すれば『食人女の話』ということだが、どうも誤解を生みそうなタイトルで躊躇される。

ちょっと娘を持った父親の心境である。マドンナが大人になった。近所の悪ガキ犬の犠牲にならないかと心配だ。彼女は予防注射をしているが、ここのワンちゃんでは例外中の例外だ。落着かない。お婿さんはルブンバシの生地から迎える予定ではいた。だから今回なんとか無事に過ごして欲しい。そしたら来年はしかるべき素性の逞しい美青年を用意するからね。

ゴミの処理ができない。庭の一角に深い穴を掘ってゴミを燃やすことにした。行政はなきに等しいから、ゴミ収集などない。以前はアンドレさんに頼むと闇に捨てていたようだ。燃えないゴミ、ガラスと金属は別に保管場所を用意した。プラスチックはNPO Umoja再生プラントが半年以上遅れていて持ち込めないから償却処分してしまう。幸いにして隣家との距離があるから毒ガスも大気中で稀釈されるだろう。ドラム缶で焼却炉をつくろうとしたが、ドラム缶がない。レンガで炉を作ることをかんがえなければいけないかもしれない。
ho

05 octobre 2010

10月4日 le lundi 4 octobre 2010『 辺獄コンゴ』他 «Congo in Limbo», etc

Le 4 octobre 2010, lundi
快晴。

8時に来るといった電気屋ペリカンが9時に来た。来るだけいいということかなぁ。家の外壁の照明を修理した。6ヶ所の照明のうち4ヵ所が壊れていたのだ。食糧倉庫の照明も直した。チーコちゃんの部屋にも電気が点る。僕の寝室に2個目のコンセントがついた。梯子を元Gecaminesのアトリエから借りてきて天井裏まで潜りこんでの修理だった。15時に今日の分は終了。今度は金曜日だそうだ。またまだ修理箇所がある。

コンゴ河の写真集(写真家はベルギーのCédric Gerbehaye)の案内を『日本カタンガ協会』のブログの方に掲載した。
http://associationkatanga-japon.blogspot.com/
本のタイトル『Congo in Limbo』のLimboはリンボ・ダンスのリンボかもしれないが、むしろ本来のラテン語の意味「地獄の縁」(中世神学でいう「辺獄」)であろう。

04 octobre 2010

10月2日~3日 les 2 et 3 ocotobre 2010

Le 2 octobre 2010, samedi
快晴。微風。

ドリ君には振回される。今日は朝5時に来ていたそうである。お陰で、boyérieにいる青年が夜遅く帰ってきて朝早く出かけていることが分かったのだが。新しい仕事を見付けたのだろう。前の家のboyérieの連中と違って特に目立たないし静かに生活している様子だから追出すのは可哀相だろう。

チーコちゃんとマドンナちゃんの写真を、ネットが切れないかと冷や冷やしながらアップした。

ドリ君がルブンバシに行くなら連れて行ってくれと頼むので車に乗せた。ルブンバシの郊外の街、ンジャンジャNjaNjaで干した小魚を買いたいのだそうだ。湖の魚でメザシのようである。5日前にも買ったのに。本当に家で食べているのか再販しているのかは不明だ。

ダル・エス・サラム行きで遅くなった家の契約をアガータさんと交わし、彼女の懇請通り3ヶ月分の家賃を前払いした。12月20日までの分である。

チーコちゃんのミルクが直ぐに腐ってヨーグルト状態になる。彼女の部屋が暑いのだろう。チーコに作るミルクの濃さがいつも問題。濃すぎても薄すぎても飲まない。デリケートなのか我が儘なのか。

帰宅が遅くなった。23時。ちょっと酔った。慎重な運転。日本の企業さんと食事だった。もしかしたらリエゾン・オフィスか支店を開いてくれるかもしれない。大いに期待しよう。

Le 3 octobre 2010, dimanche
快晴。

日曜日だというのに電気屋がやってきた。しかし、明日据え付ける材料をもってきただけ。梯子がないかというから、あるわけないだろと答えた。明日教会から借りてきて仕事をするという。そうかね。低いところでやることはいっぱいあるんだけどね。友達が死んだと話す。よくこのところ亡くなる人がいる。コンゴ人の寿命は短い。ある日、突然風邪かなにかをこじらせて死んでしまう。アルジェリアもその傾向があった。

実に多くの鳥たちが庭に来ることがわかった。ツバメは上空を飛びまわっているが、ブーゲンビリアや木の実がなっている木には鳥が啄(つい)ばみに来る。中に王冠を戴き長い尾羽をつけた鳥もいた。僕はバード・ウォッチャーではないけれど、彼らにとっては羨ましい環境だろう。大きなマンゴの木が3本、ゴヤーブgoyaveもパパイアもあるが、アボカドがない。そこで、種をとっておいて鉢にいれて芽が出たら植え替えることにした。アボカドの生長は早い。鳥たちの写真がとりたいが、望遠のあるようなカメラでないと無理だろう。小型のデジタル・カメラの望遠ではぼやけてしまう。

陽が弱くなった夕方に水撒きarrosageをするのがベストかと思ったら、朝方早くがベストだとネットに書いてあった。フランスでことだが、ここの気候は高原なので、赤道近くの乾季とはいえ、欧州の夏と大差ない。そう、朝なのか。じゃ、ドリ君に先ず朝一番することは水撒きだといおう。
ところが、カナダのサイトでは真夜中がいいという。それぞれに理由がある。勝手にしやがれ。夕方、庭全部に水を撒いたら1時間半かかってしまった。毎日こんな重労働できないよ。やはり、早朝の水撒きにする。

02 octobre 2010

10月1日 le vendredi 1er octobre 2010 署名依頼 pétition

Le 1er octobre 2010, vendredi
快晴。

ドリ君、昼になってやっとやってきた。頭痛がしたんだとさ。ま、嘘だろうとはいえないから、直ぐに仕事にとりかかってもらった。

家の門に「猛犬注意」の看板をとりつけた。マドンナがまだ数ヶ月の子供のときに買った看板だが、前の家では付けなかった。マドンナ君、まだまだ頻繁に吠えないが、吠えると迫力がある。

サロンの窓にガラスをいれた。1枚が割れていて、それがテープで貼ってあった。ガラスを買ってきて、パテでとりつけた。もう1枚はパテがとれて風が吹くとカタカタ音がし、隙間が開いているから蚊が入ってきていた。これも修正。あと1枚、奥の部屋の窓ガラスが割れている。カラスは買ってあるが、今、使っていない部屋なので暫く修理しない。
この家の窓ガラスのサイズは全て統一されていて25.5cm x 30.5cmになっている。これだけは感心した。

途切れ途切れのネットの合間をぬって、それでもNさんのメイルを読み、Global Week of Actionの署名要請に応えることができた。50万の署名を集めようというのに未だ遠い。残念だなぁ。アフリカへの関心が薄いのだろう。MS Explorerで署名に失敗したのでGoogle Chromeでの署名になった。このブラウザーがまだよく使えないが、Explorerより頼りになるかもしれない。
http://www.globalfundreplenishment.org/

春のアイスランドの火山爆発で欧州から飛行機が飛ばず、延期になった南アでの「コバルト国際会議」は9月末に終わったはずなのに、カタンガに寄ってくれる予定の日本の企業の方から連絡がないなぁ、と思っていたら、電話連絡がやっとあって明日会うことになった。熱烈歓迎である。
 

マドンナ、満9ヶ月 Madonna, ses 9 mois accomplis

マドンナは僕の旅行中、アラン君のところに預けられた。そこでも夜中、他の仲間たちと大活躍。ついに幽閉されていた。アラン君の犬たちは大人しく朝になると小屋に入ったのに、マドンナは全く従順さを欠いたようだ。新しい引越し先でも植木を倒したり、長靴をどこかからかとってきてズタズタにしたり、箒をバラバラにしたりと活躍。でも、隣の小学校の生徒たちに噛付くどころか仲良くしている。恐ろしい番犬になるよりも、僕はいいと思っている。大人は彼女の姿を見るだけで家に侵入してこようとはしない。ない尻尾を実はすぐに振ってしまうのだけれど。

チーコ、満6ヶ月 Chiko, ses 6 mois accomplis

チーコちゃんは、先月僕とダル・エス・サラムへの旅行をともにした。どこのホテルでも人気者だった。悪戯がバレないでよかったね。

01 octobre 2010

9月30日 le jeudi 30 septembre 2010 『泣叫べ、愛しの祖国よ』 «Cry, the beloved country»

Le 30 septembre 2010, jeudi
快晴。

朝から断水。
ネットの調子は最悪。アンテナは4本線を示すことがあっても不安定。MS Live Mailのタイトルまで読めても、その内容を読むまで接続が続かない。Nさんからのメイルが読めない。AJFからの署名依頼に応えられない。ま、いらいらが募る。
ブログも更新できない。

ドリ君はついに7時丁度にやってきた。

午後から断水。今日はタイミングがよくない。19時半、水が出始めた。水にせよ、電気にせよ、ライフラインの事情はこの家の方が前よりいい。しかし、このキプシで水がもう何ヶ月も出ない、数週間電気が来ていない地区もあるのだ。

南アフリカの作家Alan Paton『Cry, the beloved Country』を読み終えた。このタイトルのフランス語訳は『Pleure, ô pays bien-aimé』だが、この訳の方が日本語の初訳タイトル『光を我等に』(1951年)や『叫べ、愛する国よ』(1962年)よりもより正しく作者の意図を伝えている。Cry, the beloved countryという文章が本文の中に2度出てくる。

息子を探しに大都会ヨハネスブルグに出てきた牧師クマロKumaloが聞かされた新聞記事に続く文章である。黒人社会との融和を目指していた若いインテリ、運動家Arthur Jarvisが自宅で強盗に殺された。
There is not much talking now. A silence falls upon them all. This is no time to talk of hedges and fields, or the beauties of any country. Sadness and fear and hate, how they well up in the heart and mind, whenever one opens the pages of these messengers of doom. Cry for the broken tribe, for the law and the custom that is gone. Ayem and cry aloud for the man who is dead, for the woman and children bereaved. Cry, the beloved country, these things are not yet at an end. The sun pours down on the earth, on the lovely land that man cannot enjoy. He knows only the fear of his heart. (page 66-67)

さらに南アの増大する黒人による犯罪に言及したあとで、
Cry, the beloved country, for the unborn child that is the inheritor of our fear. Let him not love the earth too deeply. Let him not laugh gladly when the water runs through his fingers, nor stand too silent when the setting sun makes red the veld with fire. Let him not to be too moved when the birds of his land are singing, nor give too much of his heart to a mountain or a valley. For fear will rob him of all if he gives too much. (page 72)
文章中のveldとはオランダ語系の南アの言葉で、草原ないし草そのものを指す。英語化していると作者の解説にあるが、PCの辞書にはなかった。発音はfelt。

小説の時代は1946年である。作者の姿勢は有名な差別アバルトヘイトにしても、大声で糾弾するのではなく、事実を淡々と述べているように僕には感ぜられた。2010年の南アの社会状況と比べて。むしろ悪化しているといえるかもしれない。犯罪天国南ア。
作者はいう。
I have one great fear in my heart, that one day when they turn to loving they will find we are turned to hating. (page 235)
文章では目的語が欠けている。Theyは白人、欠けた目的語は黒人である。今、南アの白人は政治的にマイナリティーになった。経済は白人が握っている。アパルトヘイトは法律上表面的には廃止された。しかし、、、。

この小説の主要な登場人物はヨーロッパ系も黒人系も善意の、信じられないほど善良な人々ばかりである。そして極めてプロテスタント的宗教色が強い。物語は、僕の期待したハッピー・エンドにはならず、主人公Kumaloの息子の絞首刑という悲劇で終わるのであるが、それを宗教的に受容する。息子Arthur Jarvisを殺された父親の寛容が、Kumaloの息子の減刑嘆願にまではいかす、Arthur Jarvisが生前意図していた黒人社会の生活向上に向かってしまうのは納得がいかない。白人裁判官による不当な判決がさした抵抗なしに加害者の親そして被害者の親に受け入れられてしまうのである。
しかし、この小説が南アのみならず、同じように黒人差別のあったアメリカ社会に及ぼした大きな影響は、2度の映画化とあいまって、むしろ過激な告発小説ではなく、寛容さ、受容と将来への期待にあるであろう。それはキリスト教的受難の精神である。
(写真はネットで拾ったのだが、映画からと思われる。二人の父親が2度目に会話する場面か)

9月26日~29日 du 26 au 29 septembre 2010

Le 26 septembre 2010, dimanche
快晴。

マドンナに首輪をした。首輪をつけても外れないほどに首が太くなっている。鎖をザンビアで買ったので、首輪に鎖をつけてマドンナと散歩してみたかったのである。家の周りを一周したが様になる。鉄の鎖なので、引っ張られるとこちらの手が痛い。作業用の手袋をすればいいか。一緒に走るほど僕に体力があるかな。
でも彼女、それにしても大きくなった。ザンビアでTさんに勧められてマドンナ用に骨の形をした玩具を買った。彼女はそれを一晩でずたずたに切り裂いてしまった。すごい顎の力である。彼女に噛み付かれたら骨まで砕かれるだろう。優しい性格に育てたので誰にでも人懐っこく飛びつくが噛付くことはない。でも不審者が敷地に忍び込んできたら、吠えるだけでなく噛付くだろう。被害者が現れないことを祈る。

先週の日曜日はザンビアの温泉でくつろいでいたが、翌日から1000kmを走るのかと思うと精神的にはあまり休めなかった。今日はゆっくりした。

サロンや部屋をモップで掃除。チーコちゃんが、床にひっくり返って媚びをうるので、彼女が埃だらけにならないためだ。新しいモップを使った。バケツの一部に遠心分離機がついていてモップの水を切るのである。中国製。簡単なものだが、どうせ直ぐに壊れるにしても面白いことを考えたものだ。

14時半ころ、仕事を探しているという青年が自転車で尋ねて来た。ドミニク君。Boyérie(使用人小屋)の青年はどこにいったのかいないし、アンドレさんは来ないので、庭の手入れが出来るかというと「うん、出来る」というから明日の朝7時から来てもらうことにした。初めは雑巾がけさせてくれと言ってきたんだ。若い男がそういうのは勇気がいることだ。素性のわからない人を雇っても大丈夫かともいえるが、仕事を探して回っているという健気な姿だけで僕には十分だ。しかし、時間通りに来るかな。コンゴ時間はいかんぞ。

先まで停電していたが、電気が来たと思ったら断水。16時半に水が出始めたので行水。また打ち水。

Le 27 septembre 2010, lundi
快晴。

7時5分にドミニク君が来てくれて植木の手入れが始まった。そうしたら、いかにも手作りの、枯葉を集めるための扇形のスチール製箒を行商人が売りに来た。ドミニク君がこれは便利だから是非買ってくれという。400円。たまたま売りに来たにしては、いいタイミングだ。
昼で仕事を止め、午後17時に水を撒きに来いといって帰宅させたが、夕方ドミニク君は来なかった。甘えている。

今日は停電、断水が断続的にあった。ところが、調理が終わったところで停電、食器洗いを済ませたところで断水と、僕の受けた被害は最小であった。

ネットは朝はOK、午後不通、夜はまぁまぁ。

Le 28 septembre 2010, mardi
快晴。

ネット、全く不通。Mobile Partnerというプログラムで接続するのだが、携帯電話の画面にでてくるようなアンテナ表示が一本しかたたない。つまり電波がないということだ。

ドミニク、身分証明書を見るとカレレ・ドリKalele Doliとなっていた。今朝は7時半にやってきた。時間の観念がない。なにも彼にはじまったことではない。コンゴ時間、アフリカ時間とはいう。しかし、それは太陽の高さで生活していたときのアバウトな時間の話だ。フランス人は多少の遅刻は勘弁して欲しいということでフランス時間だからなどという。時間に厳しいのは日本、台湾、ドイツかな。

ルブンバシで庭の水撒きのためのホース40M、ドリ君の仕事用のツナギと長靴を買った。ドリ君は新調のツナギを着て鼻歌まじりで喜んでいる。もう25歳だというのに子供みたいだな。

シャワーのノズルも買った。中国製の安物だが(1500円)家でつけてみると、ちゃんとシャワーが出た。水しか今のところないが、これでホテル以外で初めてシャワーがつかえることになった。電気の温水ユニットをDar es SalaamにいるTさんに頼んだので、来月中にはお湯のシャワーが浴びられるかもしれない。そうしたら文明生活だ。

Le 29 septembre 2010, mercredi
快晴。風あり。

ドリ君はやはり7時半にやってきて、「7時でしょ。家を7時に出たよ」、「馬鹿いっているんじゃない。就業開始が7時なんだぞ」。時計を彼はもっていない。ルブンバシの街でよく売りに来るマガイもののスイス製と称する時計を買って与えるか。でも時計の問題じゃないだろう。

マドンナが箒を食い散らしてしまった。そこで、ドリ君は「箒がない、箒がない」と大騒ぎ。キプシのマーケットで箒を買うことになった。

箒を買うついでに、街のVodashopに寄ってネット接続のクレームをした。ネットワーク・アンテナが不具合で、今、技師を呼んでいるところだ、今週中にはなんとかなどという。もう、既に呆れた会社だとわかっているから、そうか、なるたけ早くしてくれよ、といいおいただけ。19時過ぎ、ネット回復。メイルが読める。ところが、なかなか読めない。どないなっとんじゃ。もう1時間以上トライしている。20時40分、停電ときた。

箒を買いにいったのは、キプシのマーケット。ジェカミンGecamines地区である。ジェカミンはおそらくアフリカ最大の国営鉱山会社だった。Kipushiも鉱山の町である。今でも銅の精錬工場もあるし、採掘も行われている。Gecaminesでもっていた町に違いない。マーケットのある地区は労働者の住宅街であった。Gecaminesが機能していた時代を偲ばせるインフラである。しかし、Gecaminesが衰退してから、道路、橋、下水はメンテされず放置されたまま崩壊の一途をたどっている。労働者住宅も退職金代わりに払い下げられた。この地区を探索しようと中に入ったが、途中で道が分断されていて引き返さざるをえなかった。僕の四駆でも通れない。廃墟に人がわんさと住んでいる。そしてなんと小さな子供たちが多いことか。貧民街としかいいようがなくなった。
世銀からGecaminesに退職金にたいする融資が今年もついたことは既に書いた。しかし、こういう融資は後向きで、Gecaminesの再生には役立たない。労働者の切捨てに結びつくだけである。切り捨てられた労働者は、次の仕事がなく貧困化する。