18 septembre 2006

映画「アフリカの女王 African Queen」

原題はThe African Queen。原作はCecil Scott Forester(1899-1966)
の同名の小説。映画は1951年制作。John Huston監督。主人公は往年の
名優Humphrey bogartとKatharine Hepburnである。


「アフリカの女王」は郵便船の名前である。舞台は1914年のドイツ領
東アフリカ。小説は1935年に書かれたが、映画化されたのは1951年である
ことをremindedしていただきたい。

この冒険映画はとても面白かった。僕はDVDで最近見た。

ドイツ領東アフリカGerman East Africa(l'Afrique de l'est allemande)
は現在のルワンダ、ブルンディ、タンザニアである。しかし、映画では中央
アフリカと科白にに出てくるから、東海岸からは遠いルワンダが設定された
舞台であろう。川と湖と千の丘の国である。



この映画の出来たころ、アフリカに独立国は数少なかった。エジプト(1922年
英国から独立して王国へ)、エチオピア(植民地化されなかった)、リベリア
(1847年独立、但し米国がアフリカに作った特殊な国)等である。その状況
は1914年においても同様である。ドイツがタンザニア、中部アフリカを支配
していたため、英国にとっては東アフリカ制覇が完成していなかった。映画
ではドイツが必要以上に悪辣な国として描かれている。小説が書かれた
時代は、英国が落ちぶれて美国が派遣を握ろうとしていた時代で、
Foresterは英国の優位を書きたかったにちがいない。第二次大戦では、
彼は美国に渡り連合国を支援する宣伝文章を書いた。また映画が制作
された年はまだ大戦から僅か8年後である。ドイツは西側の同盟国では
なかった。英国は、ともかくドイツを追い出すことで、内陸部をベルギー
に譲ったものの、エジプトから南アまでアフリカの東海岸を植民地支配
することができたのである。

映画にアフリカ人は殆ど登場しない。それが独立前のアフリカの姿を
如実に物語っているといえよう。

映画は冒険物語で、中に恋愛がからむ。それはそれでいい。小説は英国軍
の活躍にも焦点があるようで、1927年に書かれたAndré Gideの『Voyage
au Congo』の社会性、正義に対する道徳とは比することが出来ない。
英国人作家で珍しく植民地支配を批判したEdward Morgan Forsterが
『A passage to India /Route des Indes』を著したのが1924年で
あったことを想起するとC.S.Foresterは、この映画にアイデアを提供
しただけで、Hustonの映画ほど興味ある作家では全くない。

BogartもHepburnも、この映画撮影のためにアフリカに行っていない
ようだけれども、アフリカの自然は現地で撮影されたらしい。
とても懐かしく、一刻も早くアフリカに行きたくなる。しかし、
情勢としてはどうもサハラ以南には行けそうにもない。それでもいい。
アフリカ大陸に戻りたいものである。

Google Alerts / Google Alertes

ご存知の方もいらっさhるでしょうが、googleのサーヴィスにニュース
news/acrualitéがある。これに付随して掲題のアラートのサーヴィスが
β版であるが始まっている。

アフリカに関してだけではないが、日本の報道は海外が弱い。ただ単なる
印象ではなく、日本語のgoogleでアラートをアフリカの、それもコンゴ
なりアルジェリア、しかもさらに特定の事項についてかけても、ほとんど
報道がないことがわかる。たまにあると、Reuter等英語圏の通信社の翻訳
でとんでもない誤り記事を平気で流す。翻訳の誤りというよりも、記事その
ものの誤りをverifierできない。東アフリカは知らないが、ことフランス
語圏のニュースはReuterも強くない。

アフリカの半数以上の国々の国語はフランス語である。コンゴ、セネガル、
アルジェリア等々の記事はフランス語で書かれている。したがってgoogle
で見るときもこの言葉に頼らざるをえない。google alertsは国毎、言語
毎に設定できる。

僕は仕事上の関心で、今、コンゴとアルジェリアにアラートをかけている。
ネット上に出た記事をほぼ漏れなく拾ってくれるgoogle alertesは有難い。

04 septembre 2006

アフリカン・フェア Foire Afraicaine

経済産業省とジェトロが主導で推進している開発途上国「一村一品」
キャンペーンの一環として、アフリカン・フェアが9月4日(月)まで
の3日間、東京お台場で開催された。



僕は元M社の友人(セネガル、アルジェリア、インド等に駐在)を
誘って遠いお台場の展示場に行ってきた。

インパクトのない展示、相も変らぬ民芸品志向、これでは
アフリカは近くならない。毎年5月日比谷公園で行われる
外務省主催の「アフリカンフェスタ」が既にある。これは
民芸品が中心でも仕方がない。しかし、Jetroが主催なら
ビジネスを主目的としている筈で、民芸品の輸入だけでは
広がりがない。

ちょっと興味をひいたのが、殆ど場外でセールスしていた
住友化学のポリプロピレンの蚊帳と日本ベーシック(株)の
自転車に乗せた浄水装置だけであった。

浄水装置の労力に人力を使うのは災害時などの限定された
期間なら特に役立つアイデア商品であろう。一台65万円も
するからアフリカの家庭が備えるわけにはいかない。
しかし、応用が利きそうではないか。

マラカイト(孔雀石)の輸入のことでコンゴとザンビア
のスタンド、またアルジェリア高速道路(モロッコ国境
からチュニジア国境までの大プロジェクトで、C.ITOHが
今春受注)のことでアルジェリアのスタンドを訪ねた。
けれども、いずれの国の担当者からも必要な情報、
マラカイトの原産地での価格や産出量、また上記契約の
発行時期について情報を売ることができなかった。

アフリカを僕たちの貿易のパートナーとして正当に紹介
するには、日本政府やJetroの意識を相当に変えなければ
ならないと確信した次第である。

「一村一品」のキャンペーンなのだから、これでいいのだ
というならば、そのもともとの「一村一品」がローカルな
日本の村おこしの思想でしかないのであって、アフリカの
国々を軽んじているとしか云い様がない。

ルワンダのコーヒーは濃くて美味かった。アルジェリアの
赤ワインも良かった。クスクスは閉店間際ということも
手伝って大サーヴィスをしてくれた。

31 août 2006

山椒大夫 L'intendant Sansho

今年は溝口健二(16・5・1898-24・8・1956)没後50年にあたるそうだ。
そこで溝口の映画が再上映される機会が日本でも増えた。
小津安二郎(12・12・1903-12・12・1963)の場合は数年目に生誕100年
を記念して再上映がなされた。

小津の写生は退屈である。溝口の幽玄はesthetiqueである。

掲題の映画『山椒大夫』は僕が最も尊敬する森鴎外の作品が原作。
再三鴎外の日本人とは思えない文章の論理性について僕のHP
『Jardin d'Epicure』で述べた。



1954年Mostra de Venise(Mostra Internazionale d'Arte
Cinematografica)で銀獅子賞(第2位)を受けた。脚本は八尋
不二と依田義賢の二人。

映画と原作を比べてみる。
先ず、原作では厨子王姉弟の母は三十を超えたばかりとあるから、
溝口の三五六歳の設定とは異なる。三十が満年齢ではないとすれば
更に母は若いのである。それでなくば原作にはないけれど遊女には
売れないだろう。何故年齢を上げてしまったのか不可解である。
母親を遊女にしたことに対して、いかにも溝口らしいとコメント
した映画評論家がいるらしい。そうなのですか。僕はそこに現実性
を特にみない。

また姉ではなく妹にしている。
親子を騙すのが山岡大夫ではなく巫女。野宿しようとしたのは応化橋
の下であって山中ではない。越中境の方角の岩陰に人買いたちが待って
いた。波打ち際で別れ別れになったのではない。「安寿は守本尊の
地蔵様を大切におし。厨子王はお父うさまの下さった護り刀を大切
におし」と母親に云われる。厨子王に観音像が渡されたのではない。
姥竹は入水する。船頭に突き飛ばされたのではない。母も入水を試
みるが買った商品をみすみす二人も失う船頭ではなかった。

溝口は「慈悲を持たぬものは人ではない」と父が厨子王に言ったことに
している。これが溝口のモチーフで、何度も繰り返されるが原作にはない。
名を名乗らぬ子供たちに名をつけるのは、大夫の子(映画では一人しか
いないが、人情ある長兄は焼印を嫌って早くに出奔、二郎、三郎の三人
がいる)ではなく、大夫その人である。

焼き鏝を当てられた安寿と厨子王の傷が地蔵尊の奇跡で治る場面を溝口は
採用しない。焼き鏝も奇跡も夢なのだが、それが鴎外では大事な場面で、
このときを境として姉安寿の様子が変わる。安寿は十四、厨子王が十三の
とき、山椒大夫のところに来てから翌年、そこを抜けだす。大人になるまで
待っていたのではない。地蔵尊は山を抜け出すときに姉から弟に渡される。
厨子王が病気の奴婢を担いで山寺まで駆け走るとした溝口のリアリティー
とは何だろう。無理なことをさせる。

関白に直訴するという筋立てを考えたのは誰か。これでは江戸期の直訴
だ。おかしい。鴎外の関白が守本尊を貸してくれと厨子王に頼む話の方
が自然。溝口のやり方ではまるで四十七士の仇討ちだ。または山椒大夫
を追放することによって、奴婢を解放することによって、厨子王を革命
の志士にしてしまった。奴隷解放で、山椒大夫一家は、その思いとは別に
motivationを与えられた使用人たちのお蔭で一層栄えたとする鴎外と
どちらが想像力があるか明々白々である。

佐渡から山椒大夫のところに売られて来た女という溝口の創作、姉弟の母を
遊女に仕立てしまった溝口、納得がいかない。
母の目も開かない。奇跡を葬り去った溝口は、かえって物語のリアリティーを
失わせてしまったのである。

いい加減嫌になるほど、溝口は鴎外の論理的構成・設定をぶち壊した。それ
が別の論理を生むならまだしも、溝口の脚本は敗戦直後という時代背景に
振り回されたと考えられる。いや、それ以上に僕からみれば鴎外に対する
侮辱である。原作鴎外とせず、「民話『安寿と厨子王』から」とでもして
欲しい。

溝口の審美性、映像の美しさは疑いないが、ではその哲学は何か。
彼の哲学、あるいはその欠如についてもっと議論されても良い。

溝口の他の作品『近松物語』、『雨月物語』等、そのほとんどを
僕は1970年代にパリのシネマテーク(映像博物館)でみている。
フランスは文化に金を使うなぁ、と思った。その状況は今も余り変わって
いない。当時日本国内では映画は一過性の娯楽でしかなかった。
今はvideoやDVDで、はたネットでdownloadできるようになって
ライブラリーを構成できるようになった。

29 août 2006

クリックで救える命がある En cliquant on peut sauver une âme.

このブログのサイド・ボード(右手)にあるリンクに
「クリックで救える命がある」を追加した。
クリックしていただいて、味の素、Chintai、日本製粉
を選ぶと、アフリカの子供たちに寄付がされる。

ChintaiはMSF(国境なき医師団)、日本製粉はUnicef、
味の素はTICOというNPOを通じて貢献している。

こうした活動を通じて、企業のイメージは飛躍的にアップ
されるに違いない。多くの企業が参加してくれることを
切に望む。多額の寄付をして世間の注目を集めるよりも
企業にとって宣伝効果が大きいと信じる。クリックをする
個々人と情報が共有できるからである。

21 août 2006

大統領選挙結果 Résultat de l'Élection Présidentielle

8月20日のOkapi放送によれば、大統領選挙結果は下記の通りである。
第1回投票で過半数を超える候補者がいなかった。したがって
現暫定大統領のカビラと同副大統領ベンバの両者で、来る10月29日、
州議会選挙と同時に争われる。結果が分かるのは11月19日予定。


(写真左がカビラ、右がベンバ)

Joseph Kabila arrive en tête de ce premier tour avec
7.590.485 votes soit 44,81% des suffrages exprimés.
Jean Pierre Bemba arrive second de ce premier tour
avec 3.392.592 votes soit 20,03% des suffrages exprimés.
Un second tour doit donc être organisé pour départager
les deux candidats arrivés en tête au premier tour.

- Antoine GIZENGA arrive 3ème avec 13,06%
- Nzanga MOBUTU est 4ème avec 4,77%
- Oscar KASHALA ,5ème avec 3,46%
- Azarias RUBERWA 6ème avec 1,69%
- Pierre PAY PAY est 7ème avec 1,58%
et Lunda BULULU est 8ème avec 1,40%

Les autres candidats obtiennent chacun moins de 1% des voix.

一方、キンシャサではカビラ派とベンバ派が武力衝突、特にベンバの
TV局が大統領側の軍警察に襲われた模様である。市中で銃声も聞こえ、
日本人が流れ弾にあたり殺害されたとの噂。これは友人Etienneから
のメイルによると誤報。しかし外国人としては中国人、インド人、
レバノン人等の負傷者が出ている。事態は予断を許さない。

追記 25 septembre 2006 今日のAngolaPressによれば、
選挙をボイコットしたが、古くからの反モブツ派で有名なチセケディ
Etienne Tshisekediがベンバ側に回ったそうである。
大統領選挙に出て敗れたその他15名もベンバ支持を表明。一方、
この大統領選にも出た故モブツの息子(選挙結果は4位)が
カビラ支持を先日表明しているから、10月末に第二回投票が
あれば、意外とカビラとベンバが拮抗するかもしれない。

アフリカ リミックス Remix d'Afrique

森美術館(六本木ヒルズ 森タワー53階)で「アフリカ 
リミックス - 多様化するアフリカ現代美術」展が8月末
まで開催されている。



日本では極めて貴重な機会であると思い、21日昼この展覧会を
見てきた。チケットはあるアフリカの大使館(コンゴではない)
の方に所望して招待券をいただいた。

今日はコメントを控える。読者の方々にあっては、時間を作って
是非見てきていただきたい。アフリカ美術特に現代美術の常設館
を持たない日本ではなかなか見出せないチャンスである。

リミックスの意味については:
http://fr.wikipedia.org/wiki/Remix フランス語
日本語のWikipediaは不備なので参照できない。

なお、現在僕が用意しているblogのテーマは、
1.なだいなだ Nada y nada
2.Laurent Nkunda 戦争犯罪とは
3.子供兵 少年兵

11 août 2006

ノー・モア・ウォー Plus jamais la guerre



8月9日から10日にかけてのNHKラジオ深夜便(01h00)で
『いま戦争を考える~平和な明日を築くために』
という番組があった。そこで、ルアンダRwanda出身の
カベンガMarie Louise Kabemgaさんが「もう誰にも戦争
体験なんてさせない」と題して45分ほど僕たちに語りかけた。

カベンガさんのプロファイルは次のとおりである。
1965年: ルワンダに生まれ。
1993年: 青年海外協力隊カウンターパートナー(現地協力者)
として福島県文化学園にて洋裁の研修を受ける。帰国後すぐに
内戦が勃発、必死の逃亡を経て隣国旧ザイール(現RDC、コンゴ
民主共和国)のゴマ市へ。難民キャンプで偶然出会ったAmdaの
日本人医師の通訳になる。
1994年: 研修生時代の友人らの尽力で家族そろって再来日。
1995年: 桜の聖母短期大学家政科に聴講生として学ぶ。
2000年: 「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、
キガリに学校を建設。
2001年: 同会がNPO法人格を取得  同会副理事長に就任
福島県福島市在住、夫と4人の子供の6人家族。自宅で英語や
フランス語を教えながら、命の尊さ、教育の大切さを訴える
講演活動で全国を駆け回る。

僕の『コンゴ日誌』で、1994年のルワンダ内戦(大量虐殺)を
扱った映画『Hôtel Rwanda』(2004年、Terry George監督、
Don Cheadle主演)について書いた。ルブンバシの街中の
スタンドでVCDを買った。海賊版édition pirateである。
日本の配給会社は目がない。英国、南ア、イタリアの合作とは
いえハリウッド映画である。主題は重いがハッピーエンドで
ある。商業映画として充分商売になることは自明であったのに
配給会社の偏見は責められてよい。SNS Mixiから有志により
「日本公開を応援する会」ができて2006年1月東京渋谷から
全国で上映され始めた。


ルワンダ内戦を映画では民族間の戦争として描いた。フツ族Hutu
とツチ族Tutsiである。暗殺された大統領Juvénal Habyarimana
側がHutuで、反対派がTutiと色分けされていた。紛争は両民族間の
怨念の爆発だというわけだ。しかし、この二つの民族は独立前の
宗主国であったドイツやベルギーの統治のために作り出された
民族である。

Kabemgaさんは、フツ族にもツチ族にも一言も触れなかった。
意図的に彼らの名前を出さなかったことは明白である。何故ならば
民族というよりも部族間の前近代的な争いとしてルワンダ内戦を
解釈する西欧メディア(それを無反省にコピーする日本)に対して
抵抗しなければならないと考えたからであろう。

しかし、ルワンダ内戦を僕たちに理解させるためには、実は
内戦だけでなく隣国の干渉、また国際社会の無関心が紛争を
助長させたことも言わなければならなかった。そうしないこと
によってKabemgaさんは、「無害な」平和主義者になって
しまった。

難民を受け入れない日本への批判も弱い。コンゴはゴマ市の
難民キャンプから日本に留学生として脱出させてもらった
立場上、なかなか日本批判は難しい。それは分かる。

従って、Kabemgaさんの戦争体験を聞いて、その奥の奥を
忖度しなければならないのは、僕たちである。Kabemgaさん
の本当の気持ちを推し量ることが出来なければ戦争と平和と
を考えたことにならない。

残念ながら、ルワンダ内戦、いや中央アフリカ紛争は、近い
将来、キガリ(Rwanda)で、ブジュンブラ(Burundi)で、
カンパラ(Ouganda)で、ゴマやブカブ(RDC)で再燃する。
そのとき僕たちは何ができるだろうか。

écrit et posté le 14 août 2006

女子サッカー Football féminin, Léopards dames

今夏「なでしこジャパン」はオーストラリア、北朝鮮に敗退したが、
そのU-20版は今年4月マレーシアで行われたオーストラリア戦に
敗れていた。

8月17日から9月3日にかけてロシアでFootball Féminin U-20
de la FIFA, Russie 2006が開催される。

RDC(コンゴ民主共和国、首都キンシャサ)はナイジェリアと共に
アフリカ大陸を代表して出場する。1974年ザイール時代、男子が
ドイツ大会して以来、初めてRDCがFIFA開催の大会に出る。女子の
快挙である。

アジアからは中国、北朝鮮、オーストラリアが、欧州からはドイツ、
フランス、フィンランド、スイスそして開催国ロシアが出場する。

なでしこ、学名はDianthus superbus var. longicalycinus。
「ジュピター神の花」がその意。フランス語ではOeillet superbe
が属名と思われる。万葉にある「朝ごとに我が見る宿のなでしこの、
花にも君は、ありこせぬかも」と笠女郎(かさのいらつめ)が歌った
「なでしこ」は大伴家持のことで男性をあらわした。その家持が
坂上大嬢に贈った歌「我がやどに蒔(ま)きしなでしこ、いつしかも
花に咲きなむなそへつつ見む」では勿論相手の女性だ。とすれば
なでしこは何も日本女性を指すばかりではなく、日本男児のことも
言ったことになる。

閑話休題。
コンゴ女性サッカー選手はレオパール(豹)と呼ばれる。
これは強そうだ。僕がルブンバシに滞在中、このレオパール軍団と
隣国ザンビアの女性サッカー・チームの試合があった。1-0で勝利したと
きいたが、友人A君も応援にかけつけ、サッカー場は立錐の余地も
なかったという。しかも、後の新聞記事によれば、
旅費が足らず試合2日前まで代表選手が事前に一堂に会して練習する
こともままならず、当日は国家を歌う楽団の準備ができなかった。
また試合中に飲むミネラル・ウォーターを用意してくれたのは
応援してくれた観客たちで、チームにはその金もなかった。
そんな状況下でレオパールたちは闘ったのである。



ロシアでの試合予定は、18日米国、21日フランス、24日アルゼンチン。
いずれも強豪ぞろい。そのなかで一勝でもすれば、これは快挙中の快挙である。
彼女たちに声援を送ろう。

追記(2 sept.2006):RDCはGroupe Dで全敗。米国とフランスが
トーナメントに勝ち進んだ。明日9月3日の決勝戦は、意外にも
アジアの国同士の戦いになった。中国と北朝鮮である。

対米国、対フランスとも一点差のゲームであったし、アルゼンチンとは
点差は4点と開いたがシュート数やボールの占有率では互角であった。
初出場のRDCはよく戦ったというべきであろう。

追記(5 sept.2006):9月3日(日)の決勝戦は、北朝鮮の大勝利に
終わった。5対0で中国が敗退した。


Kim Song Hui, de la RDP Corée, célèbre l'un de ses buts
inscrits en finale de Russie 2006 face à la RP Chine.
Les Nord-Coréennes se sont imposées 5:0 le 3 septembre
2006 au stade du Lokomotiv de Moscou.

08 août 2006

幸福度世界ランキング Carte mondiale du bonheur

前回、掲題について言及した。多少詳しくみてみよう。

実は、映画監督を目指す若い友人Y君からメイルをもらった。
いわく「Davidytさんは、スイスにもコンゴにも住んでいたんですね」
どういうことかと思ったが、要は世界178ヵ国中の第2位の国と
第176位の国にいたんですね、といものだ。彼は僕の著した
『コンゴ日誌』を熱心に読んでくれた一人である。

彼がくれたURLは携帯からのみアクセスができるものだった。
そこで、Googleで調べてみた。
当初はフランス語サイトで一つのニュースとして読んだ。
しかし、次にReuterが取材した先であるソース、
Leicester大学のURLをみつけた。ここでは、
ランキングを作成したホワイトAdrian White教授が自ら
コメントしている。
http://www.le.ac.uk/pc/aw57/world/sample.html


様々な国のメディアがこのマップを報道した。
モロッコの新聞は、「わが国の現状をみると、114位というのは
悪くないだろう」、イスラエルは「今回の戦争前の資料に基づいて
いるが、フランス(62位)に比べて58位は善戦している」

90位にランクされた日本はというと、多くの場合、「それ見ろ、
俺たちは不幸なんだ、目覚めよ」。そして、この国の歴史的
上昇志向を倣って「目指そうtop10入り」という相変わらずのもの。

僕はこのマップそのものを疑う。人騒がせなホワイト教授だな、と思う。
何故なら幸福度happiness/bonheurとは、極めて個人的な価値観による
ものだからである。更にまた、とりわけランキングの下位にある国々の
ことを考えて欲しい。21世紀の今日、最下位グループにランクされた
原因はなお歴史的に、たとえば、ホワイト教授のいる英国にあるのだ。

機会があったので、このことを駐日コンゴ民主共和国大使Marcel
Mulumba Tshidimbaさんと話し合った(8月3日)。大使は、こうした
ランキングに慣らされてしまっているのか怒りもしなかったが、
ランキング作成の効果を笑った。つまり「この地図を見たアフリカ人は
それなら幸福な国に移住しようじゃないかと考えるよ。移民問題が
騒がれ、移民を制限しようとする「幸福な国々」は矛盾した行動を
とるものだね」。

07 août 2006

大統領選挙 Election pésidentielle

NHKでも報道していたので、ご存知の方も多いと思うが、RDC(コンゴ民主
共和国)大統領選挙が 7月30日(日)実施された。
当初大統領候補は70名を超えたが、最終的には40名。それにしても候補
者数が多い。 全国的ネットワークをもつ政党が少ない所為だが、我も我もと
名乗りを上げた。供託金が高い (5万ドル)と不評を買ったけれど、
もし供託金制度を採用しなかったら、何千人が 立候補したか知れない。
被選挙権は33歳である。33歳と決まったのは、現在の暫定政権 大統領
ジョゼフ・カビラが、法律が出来たとき丁度33歳だったという恣意的な
事情がありそうだ。

複数の候補者が立候補する民主的な大統領選挙は、1965年以来のことで
ある。このときの 選挙で当選したのが例のモブツ。彼はその後30年余、
独裁者として君臨した。

日曜日の選挙は、大きな事件もなく無事終了したようである。もっとも
投票所にして40ヶ所程度が 焼かれたり、破壊されたりした事件が発生
している。国連やUE(EU)、そして米国、アフリカ連合等の 監視の
もとでどうにか実施できた選挙といってもいい。南アも監視団を送った
し、先般「世界幸福度ランキング」で名誉ある(!)最下位となった
隣国ブルンディBurundiも、去年自国で使用した 投票所施設を寄付する
など協力した。

選挙結果を纏めるのは一大作業である。とても即日開票し翌日には大勢が
わかるといった代物ではない。 8月20日ごろになってやっと結果がでる
そうだ。 しかし、ほぼ結果は見えている。すなわち上記のJoseph Kabila
が当選するのは間違いがない。 彼が過半数を取れず決選投票になることは
ありうる。 最も有力な対立候補であるチセケディEtienne Tshisekediが
6月初め立候補を断念したから、 ジョゼフ・カビラにとっては圧倒的に有利な
選挙戦であった。チセケディは1932年生まれと高齢だが、伝説的反骨精神
の持ち主でモブツ独裁時代に殆んどたった一人でモブツに反抗した人物である。

ジョゼフ・カビラは、父カビラ(ロラン=デジィレ・カビラLaurent Désiré
Kabilaが2001年1月16日 暗殺されてから指名されて暫定政権のトップに
立った。しかし、よくある独裁者の世襲とはいえない。 むしろ挙国一致政権
の性格上、反対派を副大統領として政権に組み込まざるをえず、どれほど
実権があるのか不明なところがある。なかなかの美男子で、失礼ながら
獰猛な顔つきの父とは似ていない。


多民族、多言語国家RDCを統一していくことは容易なことではない。国民
国家état-nationが、1960年の 独立と同時に成立していたとは、たとえ
翌年暗殺されてしまったルムンバPatrice Emilie Lumumba がカタンガ
州の分離独立に反対して拡張高く独立国家コンゴを宣言したとしても考え
られない。 独裁者モブツの手の中ですこしづつ国民国家を意識し始めたに
違いないのである。

これから起こるかも知れないチセケディの反乱、また副大統領であった
ベンバの私兵の反乱、 それらがあらたな全国をばらばらにする内戦を
生み出さないとも限らない。選挙後の国内和平は、 選挙よりも重要な
今後の鍵だ。

コンゴが、原油があることで不幸になった国々の轍を踏んではいけ
ない。あまりにも豊かな地下資源が 不幸の種になってはいけない。

選挙後の情勢に注目したい。

ルブンバシ滞在日誌は、別途僕のHPにpdfファイルとして載せた。
ここではその補足、また関心のあるアフリカ諸国についてブログとして書いて
行くこととしたい。

27 juillet 2006

bonjour à tous, 皆さん こんにちわ


このブログに僕のコンゴ(RDC, République Démocratique du Congo)滞在日誌を
載せたいと思います。極めて個人的恣意によって出来た日誌ですが、コンゴという国が
少しでも皆様にとって近い存在になれば幸いです。
ご意見、ご質問を是非きかせてください。
davidyt@saturn.dti.ne.jp

尚、このブログは僕のホーム・ページ『Jardin d'Epicure』の姉妹編になります。