08 juillet 2017

6月16日~30日 独立記念日 jour d'indépendance

Le vendredi 16 juin 2017
7時、晴れ、2057.5。多少雲あり。

起きた時には既に停電中。通りの向かいには電気が来ているというのに。
20時、やっと回復。長かった。

コンゴ河インガIIIダムといえば、本ブログでも何回も登場している夢のダムである。夢というのは、何時できるか分からないダムだからだ。1983年から俎上には載せられている。
13日(火)のキンシャサ発表では、プロジェクトに応札したスペイン系コンソーシアムと中国系コンソーシアムをコンゴ側が選択したものの、この両コンソーシアムに合同するように要請したという。
アフリカ大陸全体の電気需要まで担うことができる巨大なダム発電所計画だ。これからどうなるか全く見えない。ファイナンスは世銀をはじめ日本政府も約束している。
スペインも中国もお互い協力してプロジェクトにあたるのだろうか。

Mégabarrage d'Inga: la RDC veut une alliance sino-espagnole

Publié le mer, 14/06/2017 オカピ放送(RDCコンゴ国連放送)
Mégabarrage d'Inga projet Grand Inga Économie Actualité National
    
Kinshasa a annoncé mardi avoir demandé au consortium chinois et à son concurrent espagnol en lice pour le contrat de construction du mégabarrage hydroélectrique d'Inga III de se regrouper pour soumettre une offre unique.

Cette décision retarde ce projet pharaonique, en gestation depuis une trentaine d'année, alors que le gouvernement de la République démocratique du Congo avait annoncé précédemment son intention de désigner le "concessionnaire avant la fin de l'année 2016" pour un lancement des travaux en 2017.
Les deux groupements d'entreprises en compétition sont un consortium chinois emmené par Three Gorges Corporation (gestionnaire du gigantesque barrage des Trois-Gorges en Chine) et un autre autour du groupe de BTP espagnol ACS.

"Les deux groupements concernés ont [...] été invités, en considération de leurs dossiers de réponse, des enjeux du projet et des développements pertinents du marché et de la demande, à prendre toutes dispositions utiles afin de constituer un groupement unique devant présenter une offre optimisée", écrit l'Agence pour le développement et la promotion du projet Grand Inga (ADPI) dans un communiqué.

Le bref texte de cet organisme rattaché au cabinet du président Joseph Kabila ne donne aucune indication sur la date attendue de livraison des premiers mégawatts que pourrait produire ce barrage. En septembre 2016, le directeur de l'ADPI avait avancé l'échéance de 2021. Inga III doit venir compléter les deux centrales vieillissantes entrées en service entre 1972 et 1982 aux chutes d'Inga sur le fleuve Congo, à 260 km en aval de Kinshasa.

Le futur barrage doit produire 4.800 MW (l'équivalent d'environ trois réacteurs nucléaires EPR de troisième génération) dans un pays où moins de 10% des habitants ont accès à l'électricité. Si le projet se concrétise enfin, la population congolaise ne devrait cependant pas bénéficier beaucoup de la lumière produite par Inga III. L'Afrique du Sud a en effet signé une option préférentielle pour récupérer 2.500 MW et la majeure partie du reste de la production est censé aller vers les groupes miniers du Katanga (sud-est), handicapés dans leur activité par une pénurie chronique d'énergie.

A la mi-2016, la Banque mondiale avait brutalement suspendu sa participation au projet (sous forme d'un don de plusieurs dizaines de millions de dollars), reprochant aux autorités d'avoir donné "au projet une orientation stratégique différente" de ce qui avait été convenu initialement.

Depuis lors, l'incertitude politique provoquée par le maintien au pouvoir de M. Kabila au-delà de son mandat (échu en décembre) combinée à l'absence de perspective d'élection à court terme pèse lourdement sur le climat des affaires.
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Le samedi 17 juin 2017
5時半、快晴、2055

5時半起きしたが、6時半になっても停電なし。

Petit pays』ページ28
baba cool」(ババ クール)、ヒッピーと同義語だそうだ。
1960年代、70年代に「流行」したヒッピーとは何だったのだろうか。エコロジストのハシリなのか、自由人たちだったのか。スペインのイビサやカナリアでそれらしき人々に会ったことがある。アフリカの大湖地帯にも来ていたのだ。
中国古典文化圏の日本では晴耕雨読の自由人が昔からいた。

Le dimanche 18 juin 2017
6時、快晴、20℃、60%。

お風呂のヒーターが作動しない。お湯が使えない。電気屋ペリカンさんの電話が通じない。
ペリカンさんは午前中教会に行っていたそうで、昼近くに家にきてくれた。故障はヒーターではなく、ヒーターへのケーブルが外れていただけだった。

アフリカ大陸のコットンといえば、エジプトが先ず念頭に浮かぶ。しかし、大陸の綿花はマリ、ブルキナ、コート・ジボワール、ベナンをはじめとしサハラ以南の諸国も盛んである。気候の所為もあって落ち込んでいたコットン生産が2017年は記録的に伸びているという。鉱物資源のあまりない国、例えばベナンでは朗報である。

ここカタンガ州も綿花に適した気候地帯に入るようで、ムソシ鉱山で残された日本人ハーフの事業の一つとして、国境カスンバレサで提供された土地で綿花を栽培してはどうかという話が昨日あった。シスター7・アスンタさんがあるNPOと協力して綿花栽培ができないかと検討してくれている。

Le lundi 19 juin 2017
545分、快晴、2050

Le mardi 20 juin 20017
5時半、快晴、2055

山岳ゴリラの生息地として知られるヴィルンガVirunga国立公園(RDCコンゴ、北キヴ州)の南にカフジ・ビエガKahuzi-Biega国立公園がある。南キヴ州の州都ブカブの西に位置する。こちらは低地ゴリラの生息地だ。
Petit pays』を読みながら位置関係を誤解していた。ブジュンブラ(ブルンディ首都)はタンガニーカ湖の北端にある。コンゴ側のブカブ市はブジュンブラから140km北に行ったところでキヴ湖に面している。ブジュンブラの西ではなかった。ブカブから北キヴのゴマへはさらに220kmのエドワール湖まで北上する。
RDCコンゴ東部も2000年代初頭よりは平和になって、ゴリラ観測の観光客も増えてきているそうだ。国立公園では野生ゴリラを馴らして観光客が来ても逃げないようにしている。そうしなければ、観光客の前にゴリラたちは現れない。なるほど。ザンビアやタンザニアの国立公園でライオンやキリン、シマウマなどを見たが逃げずにゆうゆうとしていた。野生とはいえ「馴らされている」だけだったのか。RDCコンゴのカフジ・ビエガのゴリラ ツアーが400ドル、ウガンダでは600ドル、ルワンダの自然公園は1500ドルだそうだ。高いなぁ。世界にはお金持ちいるものだ。

コンゴの野生ゴリラ、観光客誘致に心の準備は?
Chimanuka in Kazhuzi-Biega National Park.
By Michael M. Phillips 
『ニューズウィーク』2017 6 20

「【カフジ・ビエガ国立公園(コンゴ民主共和国)】体重約230キロのゴリラ「ムプングエ」を人種差別主義者だと非難するのはフェアではないだろう。

 しかし、ムプングエは最初に白人を見たとき、森に逃げ込み、ストレスからくる発作的な下痢に見舞われてた。ゴリラを人間に慣らす責任者、ロバート・マリンビ氏はムプングエを安心させるためにマニラ封筒で作った白人風のマスクを着け、深いやぶの中に入って行かなければならなかった。

 マリンビ氏のアシスタントを務めるサンドロ・マスンブコ氏は「そのアイデアが浮かんだときには冗談のように思えた」と笑いながら話す。「でも、結果は上々だった」

 マリンビ氏は、カフジ・ビエガ国立公園のゴリラたちを観光客に慣らすことを任されている。国立公園当局者は野生のゴリラを観察できるトレッキングツアーで裕福な欧米人観光客を呼び寄せたいと考えている。ゴリラたちにこれを受け入れさせるのがマリンビ氏の役目だ。

 カフジ・ビエガ国立公園があるコンゴ民主共和国の東部は、1990年代半ばにルワンダ虐殺が国境を越えて広がって以来、断続的な戦争や移動しながら活動する民兵組織などに悩まされてきた。

 しかし、同国立公園は世界最大のゴリラを観光客が野生で見ることができる唯一の場所であり、当局者は比較的平和な期間が継続することで冒険好きな人々のバケツリスト(死ぬ前にやっておきたいこと)に入ることを望んでいる。ゴリラツーリズムには2つの役割があるという。国立公園と野生動物を保護する資金の獲得に加えて、近隣の住民にも収入がもたらされるのだ。そうした収入がないと、近隣の村人たちはゴリラを食用にしようと考えるかもしれない。

 1995年、コンゴには約17000頭のグラウアーゴリラが生息していた。そのうちの約77%が戦闘中に殺されてしまい、米国に本部を置く野生生物保護協会(WCS)によると、今やそのゴリラは近絶滅種に指定されている。ユネスコ世界遺産にも登録されている約6000平方キロのカフジ・ビエガ国立公園内で人の存在に慣れていたゴリラの群れは5つあったが、そうしたゴリラは戦争中にほぼ全て殺されてしまった。

 密猟者たちが近づいてもゴリラたちは警戒しなかったとマリンビ氏は言う。「彼らは密猟者たちのことを観光客だと思ってしまった。だから殺されたのだ」

 戦闘が沈静化したことで、公園当局は今こそカフジ・ビエガをゴリラツーリズムの穴場として売り込めると考えている。ウガンダのブウィンディ原生国立公園ではゴリラを見るための許可証が11人当たり600ドルとなっている。ルワンダは最近、ボルケーノ国立公園でゴリラを見る料金をそれまでの倍となる1500ドルに引き上げた。

 カフジ・ビエガの許可証料金は400ドルで、かなり割安となっている。

 同公園の責任者ジュベナル・マンガンガ氏は「他の公園のゴリラがわれわれのゴリラよりもすごいとは思えない」と話す。昨年の訪問者数は1124人で、その多くは政情不安や貧困を抱えるコンゴに滞在している援助活動従事者、国連平和維持部隊、その他の人々だった。コンゴ在住の外国人には許可証の料金に割引が適用される。

 公園当局者は、より多くの観光客を呼び寄せるのに十分な数のゴリラを人に慣れさせる一方で、人への慣れがもたらす危険にさらされるゴリラの頭数を必要最低限にとどめている。公園を守っているのは、自動小銃「AK47」で武装した約200人のレンジャーだ。

 人に慣れたゴリラの中でわずかに生き残ったうちの1頭が「チマヌカ」だ。今やシルバーバックに成熟したチマヌカと妻3頭、子供15頭は公園のスターとなっている。」

Le mercredi 21 juin 2017
6時、快晴、18℃、50%。

ルブンバシ路上の両替屋で1ドルがついに1500FCになった。昨年1月の900FCからコンゴフランの価値が1/3になってしまったということだ。物価は上げっている。しかし、ドル換算すると大幅に下がっているともいえる。例えば、キプシ=ルブンバシ30kmのバス代は1000フランだが、値上げっていない。しかし、ドルでは1ドル以上した乗車料金が66セントだ。フランでの値上げが追い付かず電気代が22ドルから20ドル等々。
家賃はだからドル建てフィックスされている。僕の庭師の給与もドル払いにしている。学校の授業料もドル。公務員給与も建前はドル。ただ、換算率が非現実的で相場とはかけ離れている。コンゴフランしか受け取っていない人々の生活は極めて苦しくなっていると推察できる。

du jeudi 22 juin au mardi 27 juin 2017
ザンビアのリビングストンに行っていた。
ビクトリア瀑布
橋を渡るとジンバブウェの瀑布になる

Le mercredi 28 juin 2017
6時半、快晴

12時、カスンバレサからルブンバシ経由キプシの家に帰った。
チーコちゃん、マーゴちゃん、ブラックー君皆元気にしていた。

コーヒーをいれた。ザンビアでは、コンゴ、タンザニア等隣国どこでもそうだがコーヒーと云えばネスレのインスタントかリコフィーしか飲めない。いずれもコーヒー生産国だが国民にコーヒーを飲む習慣がないのである。家に帰る挽いた豆がある。フィルターで漉してまともなコーヒーが飲める。

7時半、チリラボンブウェChililabombweのホテルを出発。カスンバレサ国境まで乗り合いバスで20分、20km。10クワッチャ(1ドル)。
チリラボンブウェで泊まったのは初めてだ。コンゴとの国境に至るザンビア側の最後の町である。これまでは、キトウェ(国境まで94km)で泊まっていた。数年来キトウェ=チンゴラ間の道路工事が完工していないため悪路が続いていて時間がかかるため、チンゴラChingola(国境から43.5km)の先のチリラボンブウェを宿泊地に選んでみた。ホテルはタクシーの運転手が推薦したところだが、レストランもバーもないゲストハウスであった。300クワッチャ(30ドル)。清潔でお湯も出たので良しとする。住宅街の一角だった。

ホテル到着が20時となり、近くの南ア系ショッピングセンターにあるファストフード店「ハングリー ライオン」でダブルバーガー(50クワッチャ)を注文した。KFCやマクドナルドを真似たところだが、サービスもバーガーも最低だなぁ。従業員教育とメニューの見直しをすべきだろう。

昨日27日(火)は朝9時のバスで首都ルサカを出発した。バスはザンビアでは最良のバス会社と思われ、以前にも何回も利用したインド系と思われるマザンドMazhandu社のバスにしたのだが、出発が珍しく40分遅れ、キトウェ到着も14時の筈が17時近くだっだ。バスも古くなって来ていてサービスも質が悪くなってきたようだ。

Le jeudi 29 juin 2017
6時、快晴、1855

Le vendredi 30 juin 2017
6時、快晴、1855

今日はRDCコンゴ独立記念日。1960年の630日に独立した。1885年のベルリン会議でコンゴはベルギー国王の私領とされた。75年後に独立したわけだ。独立から57年経った。
現在アフリカ大陸には54か国がある。最も新しく独立したのが南スーダンだ。もっとも南スーダンはスーダンから分離独立したので欧州宗主国から独立したのではない。

RDCコンゴは宗主国ベルギーに弓をひいて、銃を向けて独立したのではない。独立戦争というほどの武力闘争はなかった。革命の経験もない。現大統領の父親がキンシャサに入城してモブツ政権を倒したときも、革命というよりも、ジンバブウェ、ルワンダ、ウガンダ、アンゴラの軍の応援を得ていた。国歌では「立て、コンゴ人Debout Congolais」と高らかに歌うが、全国民が政府に向かって立ち上がったことはない。

アフリカの大部分の国は、北アフリカ諸国を含めて、独立以前よりも農業生産が落ちている。国民生活も爆発する人口増の前に、独立前よりも良くなったのかどうかあやしい。インフラも独立前の方がよかった。
これからアフリカは何処に行くのだろうか。海外からの援助がいらない、援助を期待しないアフリカに何時なれるのだろうか。

RDCコンゴでは独立記念日を各地でささやかに祝ったが、大統領演説はなかった。これで今年の半分が過ぎるけれども、今年中に約束の大統領選挙が行われる気配はない。

57 ans d’indépendance de la RDC : que reste-t-il à faire ?

Publié le jeu, 29/06/2017 国連オカピ放送
Parole aux auditeurs Émissions National
    
Défilé militaire des forces armées de la République Démocratique du Congo le 30/06/2014 sur le boulevard Triomphal devant le Palais du peuple à Kinshasa, lors de la célébration de 54em anniversaire  du Congo. Radio Okapi/Ph. John Bompengo
Défilé militaire des forces armées de la République Démocratique du Congo le 30/06/2014 sur le boulevard Triomphal devant le Palais du peuple à Kinshasa, lors de la célébration de 54em anniversaire du Congo. Radio Okapi/Ph. John Bompengo
30 Juin 1960-30 juin 2017, cela fait 57 ans jour pour jour depuis que la RDC a accédé à la souvernaité nationale. 57 ans après, le pays a connu et tenté de relever plusieurs défis sur la plan politique,social, économique et sécuritaire.


A cette occasion, quelle réflexion faites-vous sur les acquis à capitaliser et des défis qui restent encore à relever?

6月6日~15日 キレラバランダ Kilela Balanda

Le mardi 6 juin 2017
5時、快晴、22℃、50%。

5時、ネット不通。7時、回復。昨日のブログをアップした。

昼過ぎCongo Airwaysにてキンシャサに向かった。定刻に到着。

ホテルネット不通。街中で便利なところにあるホテルだがWifi事情は悪い。

夜はムブジマイ通りの韓国料理店。店の構えは派手ではないが、中身がいい。美味しかった。いくつもの小皿、巻き寿司、豚焼肉と焼きニンニク、豆腐、卵焼き。

Le mercredi 7 juin 2017
キンシャサ、曇り。

1345分のフライトでルブンバシに帰る。1650分、無事到着。機内食は不味い。最低。コーヒーのサービスがない。

キプシに帰宅できたのは1810分。停電していた。21時、回復。ちっと長い停電じゃないか。通りの向かいは停電していなかった。

Le jeudi 8 juin 2017
545分、快晴、18℃、55%。

次の土地名を声を出して読んでほしい。
キロベロベ Kilobelobe
キレラバランダ Kilela Balanda
シャンガレレ Changalele
何とも美しい名前ではないか。僕はこれらを発音する度に感動する。
キロベロベはルブンバシ市アネックス区にある土地でフランシスコ会の農園がある。キレラバランダはコンゴ河3700キロの源流点とされカタンガ州にある。1892年に発見された。チャンガレレはルブンバシから北に120km行ったリカシ市の湖である。何れの名前も、ルブンバシの通りの名前に採用されている。
「キロベロベ キレラバランダ チャンガレレ」。語順は「チャンガレレ キレラバランダ キロベロベ」でもいい。

コンゴの人名には特色がある。カ行が非常に多い。
キュング、キンバング、カサブブ、カビラ、カペンダ、カバンゲ、カトンビ、クンダ、ケンゴ、コロンゴ、、、。電話帳は存在しないが、名簿を作るとKから始まる人名が圧倒的だ。

Le vendredi 9 juin 2017
5時半、快晴、1952.5

コンゴフランは1ドル1450フランに下落。ローカル通貨でのガソリン代は上がっているが、ドル計算するとルブンバシではリッターあたり1ドルで変わっていない。

Petit pays193ページから。
le jour où les hommes arrêteront de se faire la guerre, il neigera sous les tropique
「人間が戦争をしなくなったら、南国に雪が降るだろう」
悲観的考えに見えるかもしれないが、現実に違いない。コンゴ東部で戦闘が収まる日が近いとは思えない。反政府にも、武装強盗集団にも十分な武器が常に供給されている。

Le samedi 10 juin 2017
5時半、快晴、2055

寒い。手がかじかむ。水道の水は出たてが冷たい。しばらく流していると地中からの生ぬるい水が出始める。正午を過ぎると、出たてが熱い水になる。空中に出ている水道管の水が温められるからだ。

Petit pays196ページから。
la mort n’était plus une chose lointaine et abstraite. Elle avait le visage banal du quotieien.
死はもはや遠くのものでも抽象的なものでもなかった。死はごく日常的な顔をしていた」
死が身近なものになっていく内戦。

Le dimanche 11 juin 2017
7時、快晴、18℃、55%。

夜中3時に起きたとき停電していた。7時半になっても停電中。
1505分、やっと回復。

ロラン・ガロスの決勝が見られないかと思ったが間にあった。15時からFrance2で中継。ナダルの誕生日は63日で31歳、昨日女子で優勝したラトビアのオスタペンコは68日で20歳。奇しくも二人ともロラン・ガロス開催中の誕生日。ナダルは2005年に初めてロラン・ガロスで優勝している。彼は19歳だった。

朝飲めなかったコーヒーを入れた。

ロラン・ガロスはナダルの10度目の勝利で終わった。表彰式ではスペイン国歌が演奏され、国旗が翻ったが、ナダルは地中海のバレアレスの出身、言葉もカタランだから、ちょっと複雑な気持ちだろう。

Gaël FayePetit pays』を今朝読了。Petit paysとは著者の生国ブルンディのことだが、同時に母親の国ルワンダのことでもある。全30章の構成の後半は急速に悲劇的終焉へと向かう。
作者ガエルはラップ歌手、作詞家でもある。
彼のアルバム『Pili pili sur un croissant au beure』(バタークロワッサンの上の唐辛子を「読む」と、ガエルの歌と『Petit pays』は深く関わっていることがわかる。
ブルンディはルワンダと国境を接している。ルワンダの南に位置し、タンガニーカ湖の北端にある。従って、ザイール(現RDCコンゴ)東部、南キヴ州(州都ブカブ)も隣国だ。
大湖地帯の国々は一体であると思う。国境で分けると見失う。
僕にはガエルの叫び、訴え、思い入れが極めて共感できる。しばらく、彼の書いた世界を追ってみたい。
Pili pili sur un croissant au beure』(バタークロワッサンの上の唐辛子)
[Couplet 1]
Il voulait quitter la routine, celle de son père
Qui étiole les rêves au large des paupières
Enfourcher son vélo, repartir à zéro
Petit gone de Lyon aux oripeaux d’évasion
Partir ! Non pas pour voir de nouveaux lieux
Mais voyager, pour ouvrir de nouveaux yeux
Orpailleurs d’horizons, y’a que des hôtels mille étoiles
Pour les clochards célestes qui ne s’embarrassent pas d’un toit
Petit croissant au beurre, petit français qui flâne
Il lisait Kerouac et chantait Bob Dylan
Il est parti vivre à la dure
Découvrir l'humain, épouser la nature
Et de pays en pays, il pédale, il pédale
Et de guerre en maladie, il pédale, il pédale
C’est usé par la route d’un voyage de cinq ans
Qu’au bord de son doute il rencontre un piment

[Couplet 2]
Elle était belle comme un piment, une robe du dimanche
Elle rêvait d’un charmant, d’un amour qui s’épanche
Elle vivait dans un quartier populaire
Elle avait fui son pays, les pogroms et la guerre
Et la terre des ancêtres était un vaste mouroir
Et ce pays d’accueil, un sombre miroir
Qui lui renvoyait cette image de paria
Une réfugiée HCR qui glisse aux parois
Et qui veut s’envoler, partir loin d’ici
Là où le ciel ne dit ni Hutu ni Tutsi
Et puis les murs de sa chambre au vert papier peint
Recouvert de poster de « Salut les Copains »
Etait son antre où elle rêvait d’être hippie
D’écouter du Jimi et de vivre à Paris
En attendant le bus sous un arbre en fleur
Son destin croise celui d’un croissant au beurre


[Couplet 3]
Elle et il aux Sources du Nil
Un vent souffle l’idylle sur les branches d’un nid
D’un croissant beurré et d’un piment swahili
Qui s’étaient donc jurés de s’aimer pour la vie
Malgré toutes les routes crevées d’ornières
Dans le panache de poussières des saisons blanches et sèches
Malgré le doute et les pluies diluviennes
Malgré les torrents de boue qui s’écoulent dans la plaine
Le croissant, le piment ont le goût d’un enfant
Puis de un puis de deux, carpe diem d’un instant
Aucune écluse ne peut contenir les rêves
Que le cœur transporte et pour lesquels il crève
Pili-Pili rêvait de Paris
Croissant au beurre voulait vivre ici
Ils se croisent, se décroisent les chemins
Et laissent des enfants au carrefour des destins
このような詩の朗読が「スラム」として一つの運動になっているようだ。これはエリートたちの詩ではなく、詩のグローバリスムかと思う。

Le lundi 12 juin 2017
5時半、快晴、18℃、55%。

出かける8時まで停電なし。昨日の長い停電は、またもや高圧ケーブルを盗まれたためと、電力会社に先月分を支払いに行ったときにきいた。それが本当かどうかはわからない。

フランスの総選挙は新時代の幕開けかなぁ。これまでのフランスらしくないといえないこともない。ノンポリというカテゴリーがあった。政治に無関心というわけではない。野蛮な資本主義に同意できないとしても、経験済みの社会主義や共産主義にも同調できないクラスである。そのノンポリがマクロン政権を生んだのではないか。右か左しか選択がなかった過去を葬った。

Petit pays133ページから。
La guerre, sans qu’on lui demande, se charge toujours de nous trouver un ennemi. Moi qui souhaite rester neutre, je n’ai pas pu. J’étais né avec cette histoire. Elle coulait en moi. Je lui appartenais.
「戦争は、誰に云われるわけでもなく、僕たちに敵を見出すことを迫る。僕は中立でいたかったけれどもそれができなかった。僕はこの歴史とともに生まれたのだ。歴史は僕の中を流れていた。僕はその歴史に所属していた」
確かに難しいが、歴史を自分の中で断ち切ること、歴史に流されないことが「自由」の意味であり、云われる歴史を疑うことが知性であると僕は考える。

Le mardi 13 juin 2017
5時半、快晴、18℃、55%。

家賃3か月分、7月から9月末までを払うことができた。600ドル。

Petit pays26ページから。
Les Zaïrois, au moins, c’est facile à comprendre. Un matabish-bakchich, et c’est reparti ! Les Brundais ?  Ces gens-là ! Ils se grattent l’oreille gauche avec la main droite...
「ザイール人は少なくとも理解しやすい。「賄賂」で解決できる。ところでブルンディ人はどうか。彼らは右手で左耳を掻くんだ、、、。」
ザイールがコンゴになっても、賄賂体質は変わっていない。「交通費」がどうのこうの、「喉が渇いた、コーラが欲しい、水が欲しい」。理由はどうでも「賄賂」に違いない。それを社会の潤滑油だといったコンゴの経済学者に会ったことがある。

Le mercredi 14 juin 2017
5時半、快晴、1960%

Petit pays』ページ30から。
Kapokierカポキエという木がでてくる。中米から中部アフリカに19世紀に伝えられた木らしい。大木で樹高70メートルにも達する。フランス語ではフロマジェFromagerともいう。実の繊維で防水性のある布を織ることができるようで救命着を作った。油を搾ることができ、食用、明かり、石鹸などに利用できるとWikipedia にある。
ルワンダには多い樹木らしい。ここカタンガにもあるようだが、ちょっとみかけない。
 
カポキエの大木
カポキエの花
カポキエの実、綿がとれる


Le jeudi 15 juin 2017
5時半、快晴、2060