26 septembre 2010

タンザニア国境トゥンドマ Tunduma, frontière tanzano-zambienne

ザンビアとタンザニアの国境。ザンビア側がナコンデ、タンザニア側がトゥンドマである。ここで昼からその日の税関の就業時間である18時まで車の通関で待たされた。車は一時輸入扱い。ボンドを積まねばならない。車の所有者の変わりにボンドを積む会社がある。その費用が150ドル。帰りにはザンビアでも同じことでボンドを積んだ。こちらは100ドルだった。
タンザニアからトラック、トレーラーがひっきりなしにザンビア側に通過する。ほとんどがコンゴRDCに向かう貨物を積んだトラック。ザンビアは南アとの結びつきの方が強そうだ。コンゴの生命線がザンビアやタンザニアに握られている。多くのトラックはトゥンドマで、またコンゴとザンビアの国境カスンバレサでそれぞれ数日以上待たされてやっと通関だ。とくにカスンバレサではトラックが隣町まで続く長蛇の列。

グレート・ノース・ロード Great North Road




ザンビアの首都ルサカから北上してKapiriで左(東)に曲がり、北東のタンザニア国境を越えてナイロビまで、さらにローズ(ローデシア)の計画ではエジプトのカイロまで伸びるはずだったザンビアの国道をGreat North Roadと呼ぶ。
僕が悪路と書いたのは、Kapiriから500kmほど先のMpikaからタンザニアの国境までである。Kapiriから200kmは素晴らしい道だが、Mpikaからが問題で、まだ修理されていなかった。帰り道、左前輪が破壊されたのもこの悪路の所為だった。道路工事は乾季しかできないから、来年の今頃は既に整備されているかもしれない。中国が手をいれているそうだ。

タンザニア ミクミ国立公園 Parc national de Mikumi en Tanzanie

Dar es Salaamに向かう途中、山越えをしてからミクミ国立公園に入る。国道が中を走っている。国立公園のほんの一部だが50kmある。この日は17時近かったせいか、去年12月に通ったときとは違って多くの動物をみることが出来た。行幸である。サル、イノシシ、シカ、そしてゾウ、キリン。この公園にはそのほかにライオン、水牛、チータなどがいるそうである。


タンザニアの国立公園ではセレンゲッティが有名だが、ミクミもいい。コンゴのカタンガ州にも広大な国立公園がある。問題はアクセス。タンザニアの資源は観光だけあってどこもアクセスがいい。ミクミの中にも宿泊施設が整っていて、サファリができる。朝方にはライオンも国道近くまで現れるそうだ。夜間は徐行運転で制限速度50km。しかし、動物たちが車を恐がっているようにみえないのは不思議である。

写真は同行のT氏の撮影。肉眼では直ぐそこに動物たちがいたが、写真では大分遠くにいるようにみえる。

9月25日 le samedi 25 septembre 2010

Le 25 septembre 2010, samedi
快晴。

隣の小学校は土曜日に授業がないようだ。全ての学校がお休みということではない。
静かでこちらはありがたい。

7時半停電しているのに気がついた。8時回復。

7月の日誌ファイル(word)に9月分を上書きしてしまった。7月分はブログにしかなくなった。ま、仕様がない。

卓上扇風機を買ってサロンの床に置くことにした。前に買ったもう一台は僕の寝室においた。朝はとても涼しいが、夜になっても室内が生温いことがある。窓を開けても、網戸があるからよさそうなものだが、蚊が侵入してくるのが怖い。

ネット不通。

9月24日 le vendredi 24 septembre 2010 小学校 école primaire

Le 24 septembre 2010, vendredi
快晴。風あり。

今度の家の隣が小学校である。校庭が殆どない。朝7時半には授業が始まるようである。しかし、午前中でみんな家に帰る。休み時間の賑やかなこと。子供たちが一斉に駆けずり回る。手や足を打ち鳴らし、きゃあきゃあ叫ぶ。元気いっぱい。隣に引っ越して来た僕のことにも興味津々。授業が始まると朗読の声や先生の声が聞こえる。しっかり勉強してくれ。君たちは国の礎(いしずえ)なんだからね。

ネットがよく切れる。Jacarandaの写真を2枚アップするのに30分以上かかってまだ出来ない。

入り口のドアを開けておいたらトンボが入ってきた。可愛そうにここから出られない。窓には全部固定された網戸が入っている。入ったドアを見付けてくれないと飢え死にしてしまうよ。もっとも家の中の蚊を捕まえて食べてくれるなら飢えがしのげるかな。台所に迷い込んだところを捕まえて庭に放した。

今日一日家にいたのに電気屋も建具屋も鉛管工(水道屋)も誰も来やしない。材料が買えないからと前金を要求するから一部払ってやるとそれで生活費にあてているのではないか。何も渡さないと一向に行動を起こさないから始末に終えない。

水風呂。プールで水のシャワーを浴びると同じ気分。

20時半、やっとブログを更新した。

24 septembre 2010

小テーブル petite table ?

亀のようでもあるが、トカゲではないかと思う。テーブルなのか、椅子にも使えるし、アフリカの椅子の足載せにもなる。一応、腰掛として売っていた。
je ne sais pas bien cet objet. est-il une chaise ou une table ou encore pour poser les pieds quand on est assis dans la grande chaise africaine. la forme, c'est une tortue ? je pense plutôt c'est un grand lézard.

三脚テーブル petite table à trépied

このテーブルの特色は面白い組み方をした三脚である。一木(いちぼく)だろう。固い木で旅行中後部座席に放っておいたが壊れなかった。ザンビアで買ったが、同じものをタンザニアでも売っていた。アフリカには違いないだろうが、原産地がどこかはわからない。安定がよく考えられている。だから三脚なのかもしれない。

タムタム椅子 chaises tamtam

これもザンビアのKitweで見つけた。売り子のお兄ちゃんがこのタムタムに腰掛けていた。通信や音楽に使われたタムタムだが、今や椅子代わり。いけないことはない。
Ça aussi j'ai acheté à Kitwe, Province de Copperbelt en Ùambie. les jeunes vendurs étaient assis sur ces tamtams qui ont été sûrement utilisés comme des instruments de musique ou de communication. et maintenant à la place des chaises, mais pourqoi pas.

アフリカの椅子 la 2ème chaise africaine

この椅子はザンビアのKitweのマーケットで求めた。
前の椅子よりもずっと大きい。王様の椅子だ。
je l'ai achetée à Kitwe. Zambie.
en tous cas la chaise que j'ai acheté à Ruachi (Lubumbashi) est aussi, il me paraît, d'origine zambiene.
une chaise de roi africain ?

9月23日 le jeudi 23 septembre 2010

Le 23 septembre 2010, jeudi
快晴。

建具屋が来たが7時の約束に8時15分。ドアの取っ手を直しに来ただけ。棚などはまだ出来ていない。ずっと停電で木材を切断できないのだそうだ。

午後17時に帰宅した。断水。
水が出てきたら、頭を洗いたい。19時50分。水が出始めた。

新しい床屋に行ったら、アフリカ・スタイル(つまり男は坊主)ではない僕の短髪は、西欧スタイルとみなされて20ドル。それをアラン君の知りあいだから半額で10ドルだという。これまでの床屋Rafaelよりも高いとは。貧相な床屋なのに、なんということだ。2006年に行った床屋を探しあてたので、次回はそこにしよう。

水が出たと思ったら今度はネットが不通。どうして全てが順調ということがないのだろう。

9月22日 le mercredi 22 septembre 2010 ジャカランダ他 jacaranda, etc

Le 22 septembre 2010, mercredi
快晴。雲ひとつ全くなし。ドライ。
9月初めにダル・エス・サラムに出かけたときとは天気が一転しているようだ。以前も快晴続きには違いなかったけれども、太陽の暑さが違う。

電気屋のペリカンさんが11時頃来た。数ヶ所点かない家の外壁の照明、ガレージの照明、室内のコンセント等々の修理で10項目以上、190ドル。
家具屋(木工)は明日朝7時のアポイント。水道屋の連絡がつかない。

トイレの便座を取替えた。前の家で使っていたのは中国製の安物で直ぐ壊れた。ダル・エス・サラムで買った便座(3300円)を据付けた。それにカバーもつけた。トイレット・ペーパのホルダーも意外と複雑な取り付け方が要求されていたがなんとか無事に設置した。トイレらしくなった。

バス・ルームの鏡はダル・エス・サラムに行く前にTさんが助けてくれて壁にかけた。今度はタオルかけ。石鹸入れ。こうした備品があると、それらしくなる。しかし問題は水。

ザンビアで求めたアフリカの椅子(象の椅子)と三脚テーブル、タムタム兼椅子大中をサロンに入れた。サロンがなかなかサマになってきた。

16時半過ぎ、庭に打ち水。温度を下げる効果が相当ありそうだ。毎日、水さえ出れば打ち水したい。庭師にしてもらいたいが、アンドレ庭師が来ない。ここのBoyérieにいる若い男を雇うか。ところが彼も姿が見えない。

18時から断水。なんということか。20時半回復。どうも、前の家よりましな状況だ。ありがたし。

時間がどんどん過ぎて、マドンナの食事を用意する時間になった。21時。今日は鳥の手羽。水煮にしておいて、半分をマドンナに半分は僕のカレーにする。マドンナの分は骨を丁寧に抜かないといけない。

青紫の花をつける並木道がルブンバシにもキプシにもある。僕が引越した先であるKamalengeの辺りにもこの木が多い。人にきいても名前が分からず、ただ綺麗だなと思っていた。リラ(ライラック)かとも考えたが、ライラックは北国の樹木だそうだ。ネットで調べてその名を突き止めた。Jacaranda。南アの首都プレトリアはJacaradna Cityと云うのだそうだ。タンザニアでもザンビアでもみかけた。僕の家の前のジャカランダは散り始めた。メキシコ原産だという。カタンガ州にはジャカランダ農園というのもある。
ジャカランダ、響きのいい名前ではないか。ここでは8月が最盛期。 上の写真はジャカランダの最盛期。下は僕の家の、既に実をつけ始めたジャカランダ。

22 septembre 2010

9月21日 le mardi 21 septembre 2010 帰着 retour au Katanga (RDC)

Le 21 septembre 2010, mardi
快晴。

7時に朝食。

ネットでBridgestoneの代理店を探し電話したが、該当のタイヤがないことが判明。Totalのガソリンスタンドに併設されたKwik-FitというガレージでContinental製のタイヤ2本を購入してスペアと取り替えた。2本にしたのは少なくとも前輪2本を同じメーカーとしたいと考えたため。1 720 000クワチャ。5000クワチャで1ドルだから、ダル・エス・サラムで買ったBSタイヤとほぼ同じ値段。
これで安心してコンゴに帰れる。

Kitweから国境までは2時間。ザンビア側の通関は今回早く15分で終えた。コンゴ側は90分。それも検疫官が予防注射の期限が切れていると難癖をつけたため。してもいない予防注射の判子を去年12月同様に押す。これが20ドル。手続きは行きも帰りもNgongo君がしてくれた。よくやってくれたと思う。彼の手数料は40ドル。行きと同じ料金としたエイジェントを使わないと余計に金がかかるばかりでなく面倒なことを税関や警察がいいだす。彼がいると、わんさかとたかってくる有象無象も追い払ってくれるのだ。

カスンバレサからルブンバシまでの有料道路も速度制限に気をくばり、速度を出している地元の車のあとをつけていったので、警察にも捕まらず無事とおり抜けた。15時、ルブンバシに到着。アラン君が出迎えてくれたので、彼の家に預けたマドンナを引取りにいった。彼女も元気にしていた。

ルブンバシが酷く暑い。7月、8月は寒い日が多かった。これから11月半ばまでが酷暑だそうだ。

昼、アラン君にネット代金60ドルを払ってもらっておいたが、帰宅してネットに繋げると、なんと奇跡ではないか、直ぐに接続できた。よく切れるものの、なんとかメイルに返事が書けた。

今回のダル・エス・サラムへのミッションは長かった。待ち時間が多かった。しかし、お陰でザンジバルにも足を伸ばせたし、念願のザンビアの温泉も寄れたのであるから良しとしよう。泊まる地点を上手く調整すると余り疲れない行程が組めると思う。結局、往復4600kmのドライヴであった。
ヨーロッパではジェネーヴからバルセロナまで900kmをしばしば運転した。一日最長はジェネーヴからアリカンテまでの1800キロだと思う。週末にルガノからカンヌを何回も往復した。ジェネーヴからカサブランカまで運転したこともある。アメリカでも運転がしたくてメンフィスからナッシュヴィルまでの高速をを走ったり、フロリダやカリフォルニアでも運転した。運転が好きなのは間違いがない。けれども欧州やアメリカは高速道路が一応完成している。在来の道路を高速で走るのとは違う。しかもザンビアでは300kmの悪路があった。
未だに船酔いと同じで車を運転しているような気分である。頭がくらくらする。明日はゆっくりしたいが、家の電気配線、水道の修理、家事が待っている。

9月20日 le lundi 20 septembre 2010 タイヤ破壊 pneu complètement éclaté

Le 20 septembre 2010, lundi
快晴。

7時40分、ホテル出発。国道に出るまでに40分かかった。Mpikaに向かったが、ここあたりの道が一番悪い。Mpikaに入る手前10kmほどで前輪左がパンク。それも只のパンクではなく、タイヤがボロボロになってしまった。こんなことになったのは生まれて初めてである。道端にトラックのタイヤの破片が転がっているのはみたことがあるが、ちょっとショック。動揺もあって、スペア・タイヤに変えるのに苦労していると、通りがかりの少年たち二人が助けてくれた。一人は高校生16歳。彼の友達は学業を諦めたそうだ。お金が続かないということ。散々ジャッキの位置を変えたり、車軸の下に石を置いたりと苦労してやっと再出発。タイヤはKitweで買うことにする。少年たちを次の町Mpikaまで送って多少のお礼を現金で渡した。
Kapiri Mposhiの手前200kmから急に道がよくなる。Mpikaから舗装の修理がほぼできていたが、ときたま穴凹がある。12月走ったときはMkipaの前後600kmに渡って危険な穴凹があった。ほぼ半分は修理されたわけだが、それでも危ない箇所が突然出現する。もう、タイヤに余裕がない。くわばらくわばら。

Kitweに17時過ぎに到着、前回のロッジは満員。近くを探してMukwa lodgeというのを見付けてチェック・イン。
ロッジのレストランはザンビア、インド、ポルトガル料理。トマト・クリーム。スープ。インスタントのスープの味。ポルトガル風カレー。歯ごたえのありすぎる肉。要するに生クリームにカレーの香りをつけただけ。腕や脚を蚊に刺されっぱなし。客への配慮がなさ過ぎ。
部屋は広く、チーコは駆けずりまわる。嬉しそう。シャワーとバスタブ。

9月19日le dimanche 19 septembre 2010 休息 en repos

Le 19 septembre 2010, dimanche
快晴。

朝風呂。気持ちがいい。

朝食は英国風。

ネットが部屋では出来ない。レセプションでネット。ブログ更新。

このロッジはジャスミンの香りが漂う。庭の向こうにMansha Riverが流れる。露天風呂のぬるい湯も流れ込む。
露天風呂はお湯をどこからか引いているのではなく、露天風呂の中の砂地をみるといくつもの穴からお湯が吹き出ているのである。温度は低く39度くらいか。

読書をしながら日光浴。

昼食は滝を見に行った家族が帰ってくるのを待って14時。サラダ、キッシュ、チーズ。野菜はこのホテルの庭の一角で栽培している。

夕飯の前に温泉。烏の行水。英国人たちはジン・トニックを持って入浴。

夕食のスターターはヴェトナム風ネム(春巻)だった。昨日の寿司といい、今日の春巻といい、面白いとりあわせ。メインはシチュー。

19 septembre 2010

9月18日le samedi 18 septembre 2010 カピシャ温泉 source thérmale Kapishya (Zambie)

Le 18 septembre 2010, samedi
快晴。

9時20分、ホテルを出発。7時に起きていたがゆっくりと朝食。部屋のネットが通じなかったので食堂でネットにアクセス。携帯の充電をしていたため多少遅くなった。

Mbeyaを出て30分後、ある街を走行中、速度違反。30kmのところ39出していたという。僕を追越していった車は捕まらず、僕が犠牲者になった。違反のチケットをきって2万TSだというから、半分にしてチケットをきるのをやめたらどう、と交渉。交通警官が同意したので、7ドル以下で

国境の町Tundomaに11時に到着。給油。国境通過手続きはタンザニア側が30分と順調。しかし、ザンビア側が2時間半かかった。時差が1時間あるので13時にザンビア国内を走り始めることができた。
費用はザンビア側だけ発生。車のボンドに100ドル。通関業者の謝礼40ドル。
100ドルをザンビア通貨クワチャに。1ドル=4700クワチャ。レートが悪いが国境なのであいたしかたない。ザンビアの携帯SIMを購入。携帯のクレジットも入れて通話可能になった。

ここからMpikaまでが悪路。悪路とはいえ、既にコンゴのKasomeno-Kilwaや毎日通っているKipushi街道の悪路を経験している僕には、最悪の道とはいえない。気をつけて走行すればなんとか越せる。

宿泊は国道沿いの村Shiwa Nganduから脇道を30キロ北上した温泉のあるKapishya Hot Spring Lodgeに決めていた。このロッジのホーム・ページを見、さらにGoogle mapで確認していたがChinsaliを通ってから何回も人に道を訊いた。訊くたびに違うことをいう。
17時過ぎロッジにチェックイン。国境から350km。世界で一番きれいな所とオーナーの祖父が感動して英国から移住、ここにロッジを建てたという曰くのあるところ。一度来てみたかったのだ。なるほど桃源郷。露天風呂でゆっくり。疲れた身体を休めた。温泉は僕の趣味ではないので、日本でも殆ど温泉につかることがないけれど、たまにはいいだろう。

夕食の前菜に寿司が2個出てきた。サーモンとマグロ。宿泊客は英国系の白人ばかり。12人。みなさんリタイアしてアフリカ巡りをしているご老体ばかり。一組だけ子供をつれた夫婦がいた。

余り疲れたので、また運転が面倒になったので、ここで2泊することにした。

9月17日 le vendredi 17 septembre 2010 帰路 retour (1er jour)

Le 17 septembre 2010, vendredi
曇。内陸に向かうほど天気がよくなってきた。

7時半ホテルを出発。ダル・エス・サラムを抜け出るルートはGoogle mapで前夜調べておいた。最も単純な道を選ぶ。ホテルから海岸線の道を伝って本道に出て左折、パーム・ビーチを渡って右折、国連通りUnited Nations Roadに入る。この道を真っ直ぐ行けばモロゴロ・ロードに突き当たる。右折してモロゴロ・ロードをひたすら直進すればもう道に迷うことがない。
タンザニアは国道に沿って村々が多い。村や町に入るたびに速度を50kmに抑えねばならない。中には30kmというところもある。しかし、田舎道は120以上出せる。一応速度制限は100kmに設定されている。
休みなく走った。今日の宿泊地はムベヤMbeyaと決めていた。来るときに泊まった町だ。700kmと予測していたが実際は850kmを超えていた。なかなか着かない。525km地点のIringaには16時半に着いていたが、そこから300km以上走った。Iringaで70Lも給油。夜になってしまって対向車が怖い。やっとMbeyaに到着。21時10分になっていた。
多少早めでもIringaで泊まってしまう方が賢明だろう。
ミクミ国立公園は昼に通過。公園の中を50km走る。今日は動物がいない。僅かにサル、キリン、シカがいただけだった。早朝に通ればライオンの姿も見られることがあるらしい。
Mbeyaのホテルは来るときに利用したと同じところ。
疲れ果てた。チーコちゃんもキャリー・ボックスの中に閉じ込められて夜になってから大騒ぎしていた。お腹も空いたし、トイレも我慢したのだから辛かったのだろう。ごめんね。

ディナーは野菜スープとミート。スパゲッティ。スープは美味く作る。スパゲッティはフランス風に短く切ってしまうし、茹で過ぎ。デザートはパパイア。

23時就寝。

16 septembre 2010

9月16日 le jeudi 16 septembre 2010 帰国決定 demain au retour à Lubumbashi

Le 16 septembre 2010, jeudi
晴れ。

朝食のテーブルにカラスが来る。皿からパンやベーコンをさらってゆく。

南アの作家Alan Patonの『Cry, the Beloved Country』を読み始めた。ダル・エス・サラムの本屋で見つけた。英語の原本である。フランス語版『Too Late the Phalarope』は中断した。フランス語翻訳が僕にあわない。リズムが崩れてしまって読めない。映画だとフランス語吹き替えでみていても大抵違和感を感じない。不思議である。
『Cry, the Beloved Country』の英語は読み易い。僕でさえ読めそうだ。

ムリマニ・ショッピング・センタ等でチコちゃんの食事や玩具、砂を大量に買い込んだ。

明日朝ルブンバシへの帰途に着くことになった。一人旅。

暫くブログ更新はできないだろう。ルブンバシに着いたら、またネット問題が待ち伏せている。今日の分まで更新しておく。

9月15日 le mercredi 15 septembre 2010 休み en repos

Le 15 septembre 2010, mercredi
曇。一時俄か雨。

車はコンゴへの帰国に備えた。さて、何時ルブンバシに戻れるか。

昼、晴れ間をぬって日光浴。さすが日差しが強い。僅か1時間ほどの晴れ間であったが火傷するようなじりじりと照りつける太陽であった。ルブンバシは今が一番暑いはずだが、ダル・エス・サラムは曇がちが続いていた。晴れた後に短い雨。

ブログ更新。
ネットは順調。これでないといけない。

夜は韓国料理。去年12月に行った店は郊外。今回はホテルから近い。カルビがちょっと違うなぁ。目の前で焼かせてくれなかった。生野菜をいただいたが大丈夫だろうか。ままよ。ビビンバは焼き飯だ。

15 septembre 2010

9月14日 le mardi 14 septembre 2010 車整備 entretien de 20 000km au garage

Le 14 septembre 2010, mardi
晴れ。

一日、車の点検、新しいタイヤ2本の購入で振り回された。
バンパー、ラジエータ、エアコン修理等で66 000TS(44 dollars)。ブリジストンのタイヤ230 000TS(153 dollars) x 2。
エアコンの頭部左とラジエータが接触してしまって、ラジエータの細いパイプが破損しているとのことだった。ラジエータの修理は同じ中国人のアトリエでは出来ず、となりの小屋で細々と営業しているオヤジさんのところで下請け。なんとも情けない店だったが修理はできたようだ。
タイヤは同じブリジストンにしたが、本当にブリジストン製品なのかどうか全く不明。信じるより他はない。
オイル・フィルタは箱を見ると日本語らしき文字があるけれど、漢字が旧漢字で三菱の純正品ではない。致し方ないか。

夜は中華。Tさんと一緒。カニ。ザンジバルでも中華に行ったが、回教の町とて豚肉料理がなかった。中華で豚がないというのは、焼き鳥屋で羊の串焼きを食うようなものだ。カニは久しぶりだった。ルブンバシで海鮮料理は食せない。
行った中華料理店は、数あるダル・エス・サラムの中華の中で一番中国人や日本人の評判がいいところ。豪華な造りの店ではないがメニューにない豚肉もちゃんと出てくる。美味しい。太和山荘海鮮酒家。

9月13日 le mardi 13 septembre 2010 ガレージ garage

Le 13 septembre 2010, lundi
曇。

12時半の高速艇でダル・エス・サラムに帰還。途中海上で雨にあった。雨は数ヶ月ぶり。往復とも船酔いしなかった。海は多少荒れて白波が立っていた。

車の点検。エンジン・オイル、エア・フィルタ、オイル・フィルタ交換。紹介してもらった中国人経営のガレージ。知らないところに車を出すと部品を盗られてしまうことがよくあるそうだ。120000TS(80ドル)。1ドルが1500タンザニアン・シリング(TS)。
パーツは別として、取付け費用(労賃)が時間当たり10 000TS。6.6ドルはルブンバシと同じくらいか。既出Jossimo君が週に一回来てもらっている女中さんは、掃除洗濯をして2時間で3000TS(2ドル)。時間あたりにすると、ルブンバシの方が安い。
ホテルはそのスタンダードからしてダル・エス・サラムがずっと安い。ルブンバシでは競争がない所為であろう。競争がないというよりも選択肢がない。

夜はホテルのレストランにした。ストロガノフを注文したがちょっと違うなぁ。英国系旧植民地は料理が不味い。

9月12日 le dimanche 12 septembre 2010 ザンジバル週末(2) weekend à Zanzibar (2)

Le 12 septembre 2010, dimanche
曇。

Stone Townを俳諧。ダル・エス・サラムのShopping Center Mlimaniで買ったアフリカの椅子が70ドルだって!ムリマニでは12ドルだった。しかも壊れている。壊れているのは骨董だからなどとほざく。いくら値段交渉をしたってこれでは話にならない。
木工家具を作っているアトリエが沢山あった。アラブ風の長持が欲しいがここで買うのは馬鹿らしい。

昼、インド料理。ランチ・メニュ。甘めのカレーだった。

イタリア人が経営している海岸のホテルで日光浴。天気があまりよくない。

総じていえば、僕にザンジバルは、フェズやマラケシほどの好印象を与えてくれなかった。英語圏の東アフリカにあるから特色が目立つだけのことではないか。またここザンジバルはアラブによるアフリカ奴隷取引の一大中心地であったことも心に刻まれている。さらに物価がダル・エス・サラムと比しても異常に高い。

夜、イタリアン・レストランLa Tavernaに行ったらラマダン明けの休みと日曜日が重なったのか閉まっていた。仕方なく中華。インド人の客が多かった。広東だそうで餃子がない。

9月11日 le samedi 11 septembre 2010 ザンジバル週末(1) weekend à Zanzibar(1)

Le 11 septembre 2010, samedi
曇。

天気がいまひとつ優れない。雨がふるという訳ではないが、海に入ろうという気がおこらない。せっかくビーチにいるというのに。

向かいの島、ザンジバルに行くことにした。去年12月には行かなかった。イスラムの島である。欧州からチャータ便が直接入る観光地。15時の高速艇に乗った。

タンザニアは連合共和国United Repubulic of Tanzaniaである。何が連合かというとザンジバル(島国)とアフリカ大陸のザンザニア(旧タンガニーカ)が一緒になって1964年に成立した。ザンジバルに渡る交通手段は空路と海路がある。高速艇でダル・エス・サラムから北に2時間。外国人は行きが40000TS、帰りが35ドル。ザンジバルで旅券審査がある。しかし手続きは極めて簡単。

見所はStone Townと呼ばれる旧市街。世界遺産に指定されているのだそうだ。アラブ、ペルシャ、インド文化が混在しているというが、僕にはモロッコのフェズのメディナのように思える。勿論フェズの方が規模が大きし、歴史が古い。
Stone Townの周りの海は余りきれいではない。去年12月僕がいたダル・エス・サラム郊外のジャングワニの海岸と変わらない。島の東海岸の方が水が澄んでいるときいた。
香料の島という異称もあるそうだが、マルサラやサフランの香りが漂っていたわけではなかった。

夜、港近くのシーフードの店。イセエビなし。外人ばかり。

11 septembre 2010

9月10日le vendredi 10 septembre 2010 タンザニア紀行8日目 mission pour Tanzanie (8ème jour)

Le 10 septembre 2010 vendredi
快晴、のち曇。

タンザニアではラマダン明けの祭。

タイヤパンクの修理をした。修理のアトリエがどこでも閉まっていた。Institit for Administrationという学校近くのアトリエがあいていたので修理を依頼。ところが、ホテルに帰ってきてしばらくするとレセプションから電話があり、降りてパーキングにいくと、修理したタイヤが再びパンクしていた。ガードマンが助けてくれてタイヤ交換。

ダル・エス・サラム大学近くのMlimaniショピング・センタへ。ルブンバシより質が高い商品が安い。バス・ルームやトイレの備品をそろえることにした。アフリカの小さな椅子も見受けた。Visaカードも使えることがわかった。

夜、ネットで調べたイタリアン・レストラン「Zuane」を探した。店の従業員の説明が不十分で、ホテルから10分で行けそうなところだったのに40分もかかった。ニョッキとオッソ・ブッコ、デザートにプロフィッテロル、ワイン等で120000TS(90ドル)。Jossimo君と二人分。高いことは高いが質は悪くなかった。ちょっと料理に塩気が多かった。

9月9日le jeudi 9 septembre 2010 タンザニア紀行7日目 mussion pour Tanzanie (7ème jour)

Le 9 septembre 2010, jeudi (Dar es Salaam)
曇。

ネット接続は最高。

珍しくバスタブがある。朝風呂。気持ちがいい。ところが栓が抜けず水が捌けない。

ホテルにATMがないので、近くというSea Clif HotelのATMを探した。近いどころか500M以上の距離。しかも昨日からout of orderだという。SlipwayのATMならOKらしい。

着るものがないのでSlipwayでTシャツ2枚とアフリカ・シャツ(麻)1枚を購入。113000TS。ピーナツ、干しブドウ、チーコの食品なども買った。

部屋に金庫がある。使い方の問題かと思ったら、バッテリーがきれているようだということになった。待つこと1時間。専門家らしき男が呼ばれてやってきた。インド系。こんなことは客に云われてすることではないだろうに。ホテルのチェックリストに載っていないのか。情けないね、タンザニアも。

ザンジバルで旅行会社を経営している若い友人Jossimo君が会いに来てくれた。夜、slipwayの日本料理店へ。

9月8日 le mercredi 8 septembre 2010 タンザニア紀行6日目 mussion pour Tanzanie (6ème jour)

Le 8 septembre 2010, mercredi
快晴。

朝8時Mbeyaのホテルを出発。昼Mafingaで給油。その次の大きな町Iringaで速度違反でつかまった。街中で速度を落としていたが、チェックポイント近くで追い越したので62kmで12kmオーヴァーだったそうだ。罰金、4万シリング(27ドル)。車から慌てておりてドアに指を挟まれて怪我をしていまった。とんちき。

山道で速度が出せない。総じて道はいいのだが工事中のところも多かった。
夕方、やっとMikumi国立公園まで来た。この公園、去年12月に通ったときは、サル、水牛、鹿くらいしか見られなかったが、今回はなんとキリン、ゾウ、シマウマが街道沿いにいた。時間帯が動物たちの行動時間とあっていたのだろうがチャンスであった。
夜間の走行は怖い。速度を落として大型トラックとすれ違う。21時になってもダルエスサラムにつけない。あともう少しというところでタイヤがパンク。ついていない。丁度ガソリンスタンドの目の前だったことは、しかし助かった。タイヤを入れ替えて再出発したのが22時。

24時過ぎCoral Beach Clubホテルに入った。一流そうだが、既にレストランはしまっており、ルームサーヴスは24時間というものの出来るのはサンドイッチのみ。初め入った部屋がエアコンが動かず部屋替え。寝たのは3時。

9月7日 le mardi 7 septembre 2010 タンザニア紀行5日目 mission pour Tanzanie (5ème jour)

Le 7 septembre 2010, mardi
快晴。

Mpikaの宿を7時半に出て、街のスタンドで給油。前日とは違って、全く道路の修理が出来ていない。悪路の連続。国境まで500キロというホテルの情報も嘘で、400キロに満たなかった。それでも深い穴もあって嵌り込んだら大変なことになるので、慎重な運転。

サンビアとタンザニアの国境での待ちが長かった。15日前に法律が変わって、タンザニアに入る車は、タンザニア国内で売却されてしまうことを防ぐためにボンドを差し出すことなったらしい。このボンドの手続き、コンピュータ化されたというシステムのためにプロセスが長くなったのだという。しかし長い。昼過ぎにはタンザニア側のTundumaに入ったというのに、車の通関で結局18時になってタンザニアを走行できるようになった。コンゴ=ザンビア国境が2時間の手続き、それでも長いと思ったのに、タンザニアがこの様である。

予定の街Iringaよりも国境に近いMbeyaで宿泊することにした。新しいロッジ。部屋は5つしかないが清潔。だたお湯が設備はあるものの上手く出ない。
夜食は野菜スープとカレー。タンザニア産ワインを注文。ミサ用の甘い赤ワインだった。山間で寒い。

9月6日 le lundi 6 septembre 2010 タンザニア紀行4日目 mussion pour Tanzanie (4ème jour)

Le 6 septembre 2010, lundi
快晴。

8時にKitweのホテルを出発一路南下。Kitwe-Ndolaの高速道路は何回通っても立派。流石カッパーベルト州としかいいようがない。ルブンバシ-コルウェジ間の高速をコンゴも早く作らねばならない。
ザンビアの交通警官の質はコンゴの黄シャツと変わらない。難癖をつけて細かい賄賂をせびる。
ルサカへの本線とタンザニアに向かう国道との別れ道のKapiri-Muposhiまでは直ぐに着いたが、所要で本線のKabweまで30数キロを往復。無駄な寄り道となった。そのためMpikaに着いたのが夜の21時になってしまった。しかし、Kapri-Mpika間の道は補修されていた。けれど、ところどころまだとんでもない穴が塞がれずに残っていた。全線ちゅうごくが補修したという情報は偽りであった。
Mpikaにはいいホテルがない。Safari lodgeという名前ばかりが一流のロッジで宿泊となった。湯があるといったが実際はぬるま湯以下、しかもちょろちょろ。蚊帳があったのでなんとか蚊は防げた。高原で寒いので蚊も少なかった。夜食は固い冷凍肉。冷えたモシ・ビールだけが取柄か。

9月5日 le dimanche 5 septembre 2010 タンザニア紀行3日目 mission pour Tanzanie (3ème jour)

Le 5 septembre 2010, dimanche
快晴。

果たして今日はタンザニアに向かえるか。

Chembe Bird Sanctuaryを探した。ホテルのオーナーさんが地図を書いてくれたが、あまり正確ではなかった。
入場料20 000クワチャ(4ドル)、日曜日というのに僕たちの前に来ていたのは1グループ(4人)のみ。後から客も来なかった。ガードマンに云わせれば入場料がたかすぎりのだそうだ。中に湖がある425ヘクタールという自然公園であるが、今年は水がなかなか引かず湖を一周する道は途中までしか通れないという。
鳥類公園なのに2羽の小鳥しかいない。そこで行けるところまで湖を周ることにした。途中引き返そうとした地点でUターンしようとしたのが誤りで車が見えない泥濘に嵌って動けなくなった。僕がガードマンの助けを呼びに行き、Tさんが残った。ガードマンを連れて帰ってくると、二人の男がいて、車は既に泥濘から出ていた。何処からともなく人が現れるのは、有難いときもある。結局30分ほどで難題が解決したわけだ。

9月4日 le samedi 4 septembre 2010 タンザニア、ダル・エス・サラムへの道 chemin vers Dar es Salaam, Tanzanie

Le 4 septembre 2010, samedi
À Kitwe en Zembie ザンビア国キトウェ
晴れ。快晴ではない。30%くらい雲があった。

ホテルのインタネットは快調。ブログを更新した。

この町にも本屋が少ない。ホテルの受付できいたら、なんとか本屋らしきところを押してくれたが土曜の午後は閉店。『Cry, the beloved country』のタイトルは聞いたことがあるようだったが、その作家の名前、Alan Patonは知らなかった。ザンビア人作家の本を読んだことがないという。
本屋は完全失業だ、コンゴでもザンビアでも。

Kitweの市場にいったら、民芸品のコーナーがあった。アフリカの椅子を探した。Kitweはコンゴのカタンガ州と銅の鉱脈を共有しているが、マラカイトはコンゴの特産でコンゴで仕入れてここで売っているのだそうだ。一方、アフリカの椅子を初め、タムタムや織物は、ルブンバシの店で売っていてもザンビアや他の国で作られたものだそうだ。さもありなん。アフリカの椅子、タムタム椅子、テーブル、壁掛けの布などを買い求めた。〆て135ドル。ルアシ(ルブンバシの東北部)の店よりもザンビア人の方が商売人だ。そうとう長い値段交渉をした。60分。Tさんは交渉が上手い。

ネコちゃん用の砂、cat litterをスーパーShopriteで見つけた。やはり川の砂では出張中のホテルで部屋が砂だらけになって困る。コンゴ人は人工の砂をみたことがないようだ。

04 septembre 2010

9月1日~3日 les 1er, 2, 3 septembre 2010 出張 mission

Le 1er septembre 2010, mercredi
快晴。

帰宅16時。停電。19時10分回復。
家の中の片付けをほぼ終えた。ジャベル(次亜塩素酸)で床も掃除した。やっと家らしくなってきた。ソファーはいらないが、食卓が欲しい。あと幾つか鏡を壁にとりつけよう。安い絵はないほうがいい。

Le 2 septembre 2010, jeudi
快晴。

マドンナ失踪か。あいつ何処に消えたのか。呼んでも飛んでこない。7時半になって、となりのおばさんが、「あんなたの犬がこっちにきているよ」と教えてくれた。一安心だが、不良少女だ、

ザンビア領事館で入国visa申請。午後取得。

TさんをRuishaに案内。土産物市でアフリカの椅子をまた買いたかったが、こんどは値段があわなかった。前回30ドルで手に入れたのに。200ドルとか120とか、なかんか値を下げない。今回は諦めた。

ネットだ通じないと思ったら、クレジットがきれただとさ。あんなに8月いっぱい不通だったり、ばさばさ数分毎にれてたりしておいて、30日だったからまた払えというのだ。呆れた商売だ。詐欺行為。クレームすべし。

明日からザンビアを通って、タンザニアのダル・エス・サラムまで行くことになった。一週間くらいか。マドンナはアラン君の家に預ける。チーコは籠を買ったので一緒に連れて行く。

Le 3 septembre 2010, vendredi
快晴。

マドンナをアラン君の家に預けた。
ルブンバシからキプシの家にもどり、チーコを車に乗せた。Tさんとも話し、キプシからの国境越えをやめて、カスンバレサKasumbalesaからザンビアに入ることにした。

結局はこれが正解だろうと思う。乾季とはいえキプシからザンビアのソルウェジSolweziに行くのは悪路だし、Kitweに行くのに遠回り過ぎる。カスンバレサに13時に到着。前回通関を頼んだNgongo君に連絡した、諸手続きで2時間。15時にザンビア側に入った。それからは道がいいので、Kitweまで200キロを鉱山の町チンゴラ経由2時間半で着いてしまった。本当にザンビアのカッパーベルトCopperbelt州の国道は素晴らしい。カタンガだってこれぐらいのインフラがあったのだ。今は過去の内戦の所為でメンテが出来ず悪路の連続になってしまった。残念だなぁ。
(写真は国境の町カスンバレサの雑踏)

ホテルはSherbourne。Pama通り。悪くないが蚊帳に大きな穴があいていた。シャワーは固定式でお湯は出たがカーテンを越して水浸し。どこか間が抜けている。 清潔は清潔なのが助かる。

夕食はホテルで。Bœuf Stroganovにしたのだが、この簡単な料理に20分。しかもピーマンの細切りが入っている、ちょっと変わったストロガノフ。ま、英国系のホテルにしてはまともというべきか。英語圏の食事はやはり一つ抜けている。
(写真はKitweに至る途中の鉱山の町チンゴラChingolaの鉱山)

チーコはホテルの部屋で最初かくれんぼ。慣れると興奮して飛び回り、そこいら中を爪でかりかり。車の中では初め大声でないていたが、疲れたのかだんだん声が小さくなり、終いには寝てしまった。彼女のパスポート(予防注射証明)を持ってきたが国境での検査はなかった。
カッパーベルト州の州都はNdolaだが、Kitweは同州の経済の中心地。空港はNdola側にある。両市はおそらくザンビア国唯一の高速道路で結ばれている。


8月31日 le mardi 31 août 2010 遅い帰宅 rentrée tardée

Le 31 août 2010, mardi
快晴。風あり。

7時半停電。7時38分回復。

今日も夜10時過ぎに帰宅。チーコは普段よく残す袋入りの食事(牛、鳥、羊の肉の煮込み)まで綺麗さっぱり食べてしまっていた。余程お腹が空いたのだろうと、大急ぎで夜食を準備して出すと、横をむいてしまう。じゃれついてくる。爪は出さないけれど、とりすがって軽く噛付く。
マドンナは小屋の中でクークーうなっている。彼女の食事は、ビスケットとパスタと玉子焼き。今日はオッソブッコを買ってきたけれど間に合わない。定番の食事メニューで我慢してくれ。
やっとこちらが落着いたのは23時。

8月30日le lundi 30 août 2010 First Quantum子会社操業停止 filiales de la First Quantum ont suspendu ses activités

Le 30 août 2010, lundi
快晴。

蚊帳を吊ったので安心して快眠できた。

マドンナもチーコも家に慣れてきたようだ。

ネットはこのところ快調。これが当り前なのだがなぁ。

Sodimico(日本がメインだった銅鉱山会社Sodimizaの後身)がカナダのFirst Quantum社と所有権を法廷で争い5月に勝利した。その後もFirst Quantum社は操業を続けていたが、先ずサカニア(ザンビアとの国境)の精錬工場の操業を停止した。First Quantum社は中央政府と仲がいい。しかし、司法がSodimico社に軍配を上げた。
Frontier et Comisa suspendent leur exploitation de cuivre à Sakania
Les entreprises minières Frontier et Comisa Sprl, filiales de la firme canadienne First Quantum Minerals au Katanga, ont suspendu leurs activités d’exploitation de cuivre le week-end à Sakania, cité située à plus de 250 kilomètres de Lubumbashi. Cette suspension est consécutive au retrait de leur permis d’exploitation par le cadastre minier. Une décision rendue par la cour suprême de justice en mai 2010.
Le coût d’investissement de ces deux entreprises est évalué à plus de 350 millions de dollars américains.

Frontier et Comisa exploitent 80 000 tonnes de cuivre par an et figurent parmi les grands investisseurs dans ce secteur en RDC, selon les experts.

Le week-end dernier, le calme planait dans les installations dans ces deux entreprises.

Sur ordre des responsables de Frontier, le concentrateur de cuivre de l’usine ne fonctionne plus.

Seule la mine souterraine marche encore. L’eau y est extraite pour qu’elle ne noie pas.

Les agents de Frontier et Comisa sont déçus. Ils affirment avoir rédigé des mémos pour dénoncer l’arrêt de la cour suprême de justice attribuant les gisements actuels de leurs entreprises à la Sodimico. En vain.

Contrairement aux agents de Frontier et Comisa, les chefs coutumiers ne sont pas déçus. Selon eux, ces entreprises n’ont jamais considéré les intérêts des populations locales.

Pour sa part, le patron de la firme First Quantum en RDC a livré officiellement le motif de la décision de cette suspension d’activités. Mike Parker a déclaré :

« Nous n’avons aucune sécurité juridique ici pour le moment. Dans ce cas, nous ne pouvons plus continuer à travailler. Il y a trop de risques.»

Et de préciser qu’une assemblée générale des associés de First Quantum sera convoquée cette semaine pour se prononcer définitivement sur cette affaire.

Entre temps, l’entreprise Sodimico attend de débuter l’exploitation sur les gisements occupés par Frontier et Comisa.