25 février 2010

2月16日~2月24日まで du 16 fév au 24 fév 10

Le 16 février 2010, mardi
教会が各種登録や官庁の書類作成で世話になっているAntonio氏とKyungu会長を引き合わせた。Kyungu氏は全て自分のコネクションで解決出来るといいたそうだったが、お互いに協力してことに当たるように要請した。個人の矜持じゃないんだ。協会のためである。

マドンナに農園のミルクを買って与えたところ下痢。滅菌されているといっていたが、問題があるのか。それとも濃すぎるのか。ビオフェルミンを飲ませてみた。半錠。僕はこの薬ともいえぬ薬で小さいときから腹痛をなおしてきたけど、果たしてマドンナにも効果があるのだろうか。(追記: お腹の調子は翌日回復。農場のミルクにも慣れたようだ)。

Le 17 février 2010, mercedi
マドンナに初めて牛肉を与えてみた。サーロインの一部である。水煮にした。先ずスープだけを飲み、次いで肉をがつがつと全て平らげた。

Le 18 février 2010, jeudi
ルブンバシ大学の学長シャブ・ムンバ教授Prof Chabu Mumbaに面会。11時半のアポイントに約40分遅れて会談。日本の大学との共同研究、学生交換等に強い関心を示した。
「学生留学についてはマスターやドクタの手前でこれから大学の助手になろうとするようなレベルの人間を出したい。環境・公害問題についてカニキ副学部長(ポリテク学部、既面談)等専門家会議を実現させたい。正式申し込みを待って東京理科大学加納教授に招待状を出す用意がある。大使館、外務省を通じてよりも、直接日本の大学とコンタクトしたい。外交ルートでは時間がかかりすぎる」とのことであった。
2006年に会った学長はKabila大統領の顧問に就任。ムンバ学長は新任。専門は地質学だそうである。学長室は2006年と同じ。秘書官は僕のことを覚えていてくれた。

ルブンバシから僕の住むキプシまでは30Kmだが、途中にミンブル村(2月14日の項参照)がある。この村にカタンガ州及び隣国ザンビアの北部にまたがる地域の酋長chef coutumierがいる。西欧風にいえば貴族であり、「酋長」というのは語弊があろうが「住民の伝統的リーダー」である。いつか彼に会いたい。勿論政治的行政的実権はない。けれども隠然とした影響力が地域の人々にあるという。鉱山開発でも彼の同意がいるときいたことがある。初代大統領のカサヴブもキンシャサの西にあたるバ・コンゴ地方の「伝統的リーダー」でもあった。同様、カタンガ分離独立問題で悪者にされたチョンベもカタンガ州の地方の名門の出だった。現在これら「伝統的リーダー」から代議士や知事もいるし、大学教授も輩出している。だから酋長というイメージではない。

Le 19 février 2010, vendredi
昨日20日で切れるインタネットの月ぎめ契約を、余裕をもってルブンバシのVodashopで更新した。つまり次の30日間ネットアクセス使い放題のサーヴィスの為60ドル払った訳だ。ところが、60ドルがクレジットされたことをメイルで受け取ったが、肝心のアクセスができなくなった。キンシャサ本社のミスだというのだが、昨夜、今日とインタネットが出来ない。担当のDan君。Kinshasaに連絡したというのだが、どうなっているのだ。実にけしからん!

庭師との契約書を用意した。あとになって支払いで揉めたりしたときに契約書があった方がいいだろう。仕事の範囲、時間、雨で仕事が出来なかった場合の順延などかなり細かく決めておいた。

「Association Katanga-Japon」のレター・ヘッドを作った。プリンターを買おうかな、やはり。いちいちCybercaféに行くのも面倒だし、今後様々な手紙を提出しなければならないから。インタネットの世の中なのに、メイルではことを運んでくれない。保守的な事務がまだまだコンゴには多い。第一僕のように常時ネットに繋がることの出来るひとがそうはいない。役所だって、運輸省の出先機関で、あろうことか手動式のタイプライタを使っているのをみたのだから。電気が来なくても動くには違いないが。気の利いたところには自家発電機がある。

今夜はカレー。インド人は2006年にもいたがインド料理レストランはなかった。2009年6月にはレストランも出来ていた。さらにインド人経営のスーパー(Jambo Martなど)が出来たので、カレーの香辛料を売っている。ところが、今度はインドカレーといっても種類が多すぎる。日本の普通のスーパーではそれほどインド香辛料の種類が多くない。僕は分からないから大体の色で判断して適当な香辛料を過日買った。それでどうも間違いないようだ。

Le 20 février 2010, famedi
アスンタ修道女に教えてもらったヒーターを街中で買い求めた(1800FC、180円)。これでバケツに湯を沸かすのである。それをバスタブに入れて風呂に入る。直接バスタブの水にヒーターを入れてみたが、水量が多いのと、またバスタブの栓が緩く水位が下がるのでお湯にはとてもならない。バケツに沸かした湯を注いでいくしかない。えらい苦労だ。こんな苦労をして風呂に入らなければならないとは。鉛管工Augustinの無責任さ加減には腹が立つ。それでもやっと初めてこの家でバスタブを使ったのである。

ムラポ師にお湯の件を含めてクレーム・レターを書いた。プリンター(HP F2480、130ドル、初めの店では240ドルといっていたmulti機能プリンター)を買ったのでこれからどしどしレターを出す。

ネットが通じない。ルブンバシのVodashopにPCを持っていってモデムを差し込んだときは、SIMの中のメッセージを消してSIMの負担を軽くしたのでネットに接続できたとDan君は説明したが、家に帰って接続をトライすると相変わらずcredit額が不足だというメッセージが返ってきて接続できない。どうもDan君の説明は勝手な解釈のようだ。これで2日間ネットが不通。

Le 21 février 2010, dimanche
元Gecaminesのエンジニア2人に会った。一人は今KipushiのForrest精錬所の技師Robertさん、もう一人は独立して鉱山事業のコンサルタントをしているAugustinさん。主に後者がはなしをした。カタンガ州の鉱脈地図は70年代から更新されていない。調査があっても私企業はその結果を発表しない。唯一2008年にベルギーの博物館が新しい地図を作って公表している。銅・コバルト鉱脈はカタンガの南、マンガンは西、錫は北に集中している。ウラニウム鉱山は国の直接の管理下に置かれていて通常訪問できない。鉄道は古く、機関車は70年代初頭に納入された日立製(電気)とGE製(ディーゼル)が一番新しい。レール、枕木など設備も老朽化しており時速5km/Hがいいところ。運搬手段は従って道路以外考えられない。しかしMukoshi/Kinsengaからルブンバシ、ルカシを経由してKolwesiまでの道路はなんとか走れるが、それから西、また北は乾季はいいが雨季はトラックでは走行不可能。Augustinさんが先月北のKaminaまでカナダの会社と調査に行ったときは560kmに5日間を要した。乾季なら2日でいけるところである。道路整備計画(これは「日本カタンガ協会」のホームページに表紙を載せたカタンガ3ヵ年計画の一環)は10~15%しか完成しなかった。中国は中小企業が進出している。これまでいわば山師aventurierの投資だった。しかし、鉱業生産物とバーターでインフラを整備する巨大投資を中国政府がコンゴにofferしてIMFや世銀お批判を浴びた。昨年のことだ。たしかにバーターの予定だったが、中国に割り当てられた鉱山の質が悪く、中国側もインフラ整備のスピードを大幅に減らしている状態。
直ぐになんとか開発できるのはMukoshiからKolwesiまでのアーチ地帯(arc)の銅・コバルトだ。その他金属の開発にはインフラと一体になる必要があるようだ。先ず道路を作り、資材機材を運び基地を作る。それから鉱山開発という段取りか。

Visaで金を引き出そうとしたら出来なかった。銀行が拒否したというが。日曜だから引き出せなかったのか。身に一銭もない。明日引き出せなかったら大変だ。

エンジン・オイルの交換を自動車のメカ30年の経験を持つというKyungu氏と双子の兄弟にKyungu邸でしてもらった。新しいオイルが7L以上入った。スペックでは6.5なのに。オイルはELFを僕が買った。他のオイルはどうも怪しい。フィルターは20 000kmで代える。

昨日に引き続いてバスに浸かった。効率よくバケツの水をお湯にして60分後にバスタブに入れるようになった。

Le 22 février 2010, lundi
BiacのATMで400ドルひきだした。いっぺんに400ドルを出そうとしたらエラー。200ドルづつ2回のオペレーションとなった。気まぐれなATMというよりもこの銀行の都合で100ドルの新札で1000ドル引き出せたり、汚れた10ドル札ばかりだったりするのだ。客へのサーヴィスなどまるで考えていない銀行である。もっともそれは銀行だけではないけれど。

ネットがまだつうじない。ルブンバシではなく、Kipushiの家の向かいにあるVodashopの女性支店長Oliviaさんに頼んだ。それでも今日は不通。明日に期待するしかない。何か不都合が何時もあって、明日明日の毎日とは。

Kyungu氏の奥方と銀行口座開設のためにBiacに行った。奥方は押しが強い。Kyungu氏よりも機転がきく。この夫婦はどうも奥方でもっているようだ。今日は担当が外出で、都合よく女性部長Nadine Kalala女史に直接話ができ、明日にも口座ナンバーがとれることになった。口座開設のための最低入金が100ドルだというので、僕が入金。僕を除いて全員一人では金を引き出せないようにした。
Kyungu氏の奥方Marie-Jeanneを「日本カタンガ協会」の副会長兼事務長にしよう。

居住許可証申請のためにDGMに提出していた旅券が返ってきた。3年間の滞在ヴィザがおりた。予定より12ヶ月長かった。しかし今度は、海外に出るためには出国査証が必要だという。マルチで7ヶ月友好の出国ヴィザが300ドル。高いじゃないか。法外だ。そんな馬鹿げたことは初耳だ。なんでこう外国人を苛めるのか。

一体、後進国で働いている女性は普通の男たちよりも良く出来る。並みの男たちには「ぼんくら」が多い。勿論出来ないのに気位だけ高い嫌な女もいる。その例がアルジェリアにいた。思い出したくもない。

燃費。580.2km/58.2L。即ち9.97km/L。う~む、litter当り10kmいかない。

Le 23 février 2010, mardi
アルジェリアでは休日も普段も朝6時起床。アルジェリアを出てから7時起床にしている。今朝見知らぬ男が玄関口に立っていた。誰だろう、庭師が来られなくなったのだろうかとドアをあけると「子供が病気なので、薬を買うため仕事をさせてくれ」という。何が出来るのかと問うと、特に専門がない。しかも教会が僕のところに送ってきたという。早速教会のJustinさんに電話するとそんな事実はない。嘘つきめ。門の鍵がかかっていないから勝手に入り込む。鍵をかけると誰も入れなくなるが、不便もある。

冷えたパイナップルを昼に一個食べた。美味い。こんな果物が100円。天の恵みだ。そこいら辺でいくらも木に生っている。これを食べていれば飢え死にすることはない。家の庭にもあるはずだ。マンゴ、バナナ、アボカド、パパイア、パイナップル。グアーベというのもあった。そんな国柄なんだから、齷齪(あくせく)働かないといけない日本とは違う。

カタンガ州にも地雷が埋まっている。カタンガ州だけで日本よりも面積があることは「日本カタンガ協会」のホームページに既に書いた。地雷がこの州のいたるところにあるわけではない。東端のモエロ湖やタンガニーカ湖の地方と西端のアンゴラとの国境地方に埋まっている。このため危なくて農業が出来ない地方がある。そこに「MAG」というNPOが地雷除去作業をしている。ルブンバシに彼らの事務所があるが。3月で閉鎖して地雷のある地方の事務所だけを残すことにした。ルブンバシに事務所があるうちに訪問する予定である。

Vodashop@KipushiのPatrice氏の説明によると、ネットがダウンしているのはキンシャサのシステムが原因で昨日以来鋭意システム復旧に努力しているそうだ。昨日から? 僕は5日前からネットが通じないといっているのにねぇ。システムダウンなら僕だけの問題ではない。早急の回復を待つよりいたしかたない。Dan君も早くにそういう説明をすればいいのだ。キンシャサ本社に真剣に連絡をとっていれば原因が掴めたはずだ。駄目な男の一人としかいいようがない。明日朝なおネットが使えない状態なら、キンシャサのチーフに直接連絡がとれるようにしてくれると。何故今出来ないのか問うのは止めておこう。明日朝と決めた理由があるだろう。

ネットが通じないと日本からの翻訳依頼があったときに困る。しかし、家の筋向いにCybercafeeがあるので急場には間に合う。Cybercafeのシステムは僕の使っているUSBモデムとは違う。時差が日本と7時間あるので、急ぎの仕事も可能だ。でも仕事が来ない。アルジェリアにいるときは日本からの仕事を全て断った。アルジェリアでの仕事(調達)だけで手一杯でアルバイトなんて出来なかった。これでコンタクトが切れてしまった気がする。依頼する側にしてみれば、不快だったのに違いない。でもなんとかして欲しい。このブログを見ているXさん、Yさんお願いしますよ。

鉱山局のダニエル氏に会った。何故か事務所ではなく外で会った。ガソリン・スタンドのオープン喫茶。薮蚊や毒虫にさされた。Chansa氏と行ったDar es Salaamの店を思い出した。話は独立系Augustin氏とは違ってもっと楽観的で、どの鉱山もアクセス可能だし、開発できるという。そうだろうか。役人のいうことだ。盛んに調査目的について聞く。
「鉱脈を探すのか、試掘したいのか、自主開発か、業務提携か。マンガンについては国営企業EMK(本社ルブンバシ)がアンゴラ国境に近いKisengeで採掘し、アンゴラ経由で輸出していると。(これが事実かEMKで聞いていみる必要がある)。錫étainはKatemiに鉱山がある。以前Zairetainが開発していたが今は誰も手を出していない。コバルトは多くの企業が進出していて飽和状態。一番大きいのはKambove鉱山である」。
権利はあるが、実際に稼動している鉱山がどれだけあるのかはかなり疑問。特に銅・コバルト以外。すなわちアーチ地帯と呼ばれるルブンバシ>リカシ>コルウェジに沿った地帯以外はアクセスが難しく、また運搬が困難と思われるからである。

豪雨の中、地雷除去を実施しているNPO法人MAG(Patrice Ngoy氏)を訪問。MAGルブンバシが3月で閉鎖するのは地雷除去が終わったからではないことが判明した。UKおよびベルギー政府がお金の出し手だったが、コンゴに対する援助項目の内で地雷除去の優先度が下げられたために資金不足となりルブンバシ事務所を閉鎖することになった。地雷除去はカタンガ州の東北、モエロ湖近くのPoeto地方で継続する。地雷はRCDがばら撒いた。MAGはアンゴラにも事務所があり活動している。アンゴラとコンゴの国境にも地雷が埋まっている。とくにKapanga。こちらは先ず被害状況の調査からしないといけない。全く手がつけられていない。MAG以外ではDCA(Den Church Aid)がカタンガの北部KalemiやKabalo、Nyunzuで地雷除去をしている。雪が降るほど高地で寒い地方だそうだ。ここもRCDの進入で被害を受けた地方である。
RCDとはRassemblement Congolais pour la Democrazie(民主主義コンゴ連合)。多くの政治・軍事団体、連合がそうであるように名前と行動が一致しない。テロ集団といっても過言ではない。隣国ルワンダ及びウガンダの支援を得た反政府軍。2003年以来政府軍の指揮下に入り、RCDのリーダーであるルベルワAzarias Reberwaは4人の副大統領の一人となった。
事務所をでるとさっきの激しい雨はもうあがっていた。

Le 24 février 2010, mercredi
ついに一週間ネットが通じない。困る。抗議のためにVodashopに毎日通っているが埒があかない。18時半に一度回復。しかし19時時には再びダウン。不安定。

新しい鉛管工が来て、直ぐに直したというものの、そのときは水が止まっていて、水が出始めた夕方に帰宅して調べてみると中途半端。これで10 000FC(1 000円)払えだって。しばらく払わない。しかし、湯が出ることが確認されたので、シャワーを浴びた。気持ちがいい。2月3日以来。公共の風呂屋もサウナもない街ルブンバシなのだから、バスタブなんてホテル以外では贅沢と思うけれど、これで生活条件が一応整ったといえるかもしれない。僕は日本の熱い風呂よりも、バスタブに泡立ち石鹸をいれてゆっくりとバスタブで身体を洗うのが好きである。日本に帰国したときに人の家で風呂桶の中で身体を洗い、使用後湯を抜いてしまって怒られたことがある。シャワーも勢いよく湯が迸りでるなら好きだけれど、ちょろちょろの湯では情けなくなる。

昼、またルブンバシの警官につかまった。こんどは警察署まで来いと言う。しかたない。交差点の中で止まったのがいけないと罰金150 000FC(15 000円)。アラン君が知合いのお偉いさんに手を回して、裏金30ドルで手を打った。署長の電話番号も手に入れた。次回は署長に直接電話してこ煩い警官の「おねだり」をかわすことにする。警察署の中に略式裁判をする部署があり、調書をとられたが署名を拒否した。こんなところで署名などしたくない。開放される前に署長に挨拶したが、どこかで見た顔だ。Julesさんという。「日本カタンガ協会」の宣伝をしておいた。本当に木っ端役人は手に負えない。食えない連中である。

ルブンバシ大学で国際協力担当部長ルバラ教授と会った。日本の大学との交流の話を持ちかけた。学長から既に話は聞いていた。
同氏はgéologueでもある。カタンガ州の鉱山開発に関するセミナーが先週ルブンバシであり彼も参加している。そのときの資料をくれるようにたのんだ。大学、行政、企業が参加したなかなか興味あるセミナーだったようだ。彼によればEMKのマンガンも採掘しているもののアンゴラの港まで搬出できていない。タンザニアの港まで運んでいては採算に合わない。従って現地で付加価値をつけて国際競争力をつける以外EMKを救う道はないといっていた。鉱山省の情報はやはりいい加減であった。錫はインフラがないので全く手付かず。コバルトは飽和状態。

16 février 2010

2月9日~2月15日まで du 9 fév au 15 fév 10

Le 9 février 2010, mardi
10時にルブンバシ大学ポリテク学部副学部長カニキArthur Kaniki Tshamala氏と面談した。大学間交流に関しては担当教授が別にいる。別途アポイントを取ることにした。
しかし、Kaniki教授はカタンガ州の鉱山関連公害の研究者である。
「公害研究についてフランスおよびベルギーの大学との協力関係が深い。言語の問題と歴史上の背景がある。その他言語の国の大学とかねてから交流したいと考えていた。カタンガでは鉱山開発を始めて100年がたつ。やっと公害問題について認識し始めたところである」。カニキ教授は、博士、修士ともにベルギーのリエージュ大学(Université de Liège)で取得している。しかも論文はカタンガの公害問題で、博士論文タイトルは「Caractérisation environnementale des rejets minéro-métallurgiques du Copperbelt congolais(コンゴ・ コッパーベルトに於ける鉱物・金属廃棄物の環境的特色)」。ここでCopperbelt congolaisというのはカタンガ州のことである。通常コッパーベルトというとZambia国コッパーベルト州を指すが、カタンガとザンビアの銅鉱床はつながっている。
「2002年7月11日法第007/2002号(鉱山法)及び2003年3月26日勅令第038/2003号(鉱業規則)に則って鉱山開発会社は政府に公害対策レポートを提出しなければならないが、正しいレポートがでているとは思えない。形式的であるし、賄賂をつかった虚偽報告が多いと推定される。そこにNGOがメスをいれ監視して欲しいが、専門的NGOはない。ごく局部的にはNGO活動がみられる」
カタンガには銅、コバルト、ウラン等々の鉱山があり、世界中から鉱山会社が集まっている。中には小規模な手工業的開発もある。公害問題にカタンガはもっとsensitiveになる必要があると思われる。
次は更に他の教授や大学当局にあたろう。

Le 10 février 2010, mercredi
大家である教会の本件賃貸責任者L’abbé Mlapoムラポ師に今朝直接水問題を始めてとして諸問題を訴えた。かなり厳しい調子でしかし多少は外交的に訴えた。彼が家に来て、といっても教会の事務所から20Mしか離れていないが、実地検分してくれた。問題解決に少しは前進したろうか。一応、「問題点がクリアになった、解決に努力する。しばしの辛抱だ」というが、既に彼のアシスタントからレポートが出ているはずなのに、今更しらばっくれてるわいな。「悪いのは俺(ムラポ師)じゃない」といいたいのか。

ルブンバシの助役maire adjointと金曜日10時半にアポイントがとれた。こういうアポイントでは背広を着る。コンゴの人たちは服装にうるさい。市長は病気療養中。おそらく南アで入院しているものと思われる。

水道問題が一部解決。台所には水がでるようになった。圧力の上がる夜半を待たなくても16時ごろから翌朝7時までは水がでそうだ。一日中水が出る為にはまだ時間がかかろう。バス・ルーム、トイレは配管が間違っているのではないか。明日検討することになった。しかし台所で水が出ればあとはなんとかなる。お風呂は先の話だ。今のところ鴎外式に身体を拭くだけ。シャワーからお湯が出たら嬉しいだろうなぁ。2006年、モエロ通りの家では停電が毎日あった。通電したことを報せるモニター電球が灯ったときの嬉しさを思い出す。

ブログ『アフリカの星』および『日本カタンガ協会』を更新した。ホームページもできればする。

Le 11 février 2010, jeudi
一日家の掃除。入り口のベランダだけでもつかれてしまう。

Le 12 février 2010, vendredi
キュング会長とともにルブンバシ市助役(副市長)カプト氏(Kaputo Cando Benjamin)と面談。市長病気入院中で市長代理を務める。助役といっても官吏上がりではないから副市長というのが妥当。カプト氏は現役の弁護士でもある。不幸なことに同氏の弟の葬儀があり、時間が殆どとれなかった。執務室は絨毯が敷き詰められており、事務机もそれなりのステータス。TVがつけっぱなし。僕らが部屋に入ってからも、ソファーも置いてあった。緊急の用事か、ひっきりなしに事務官が署名や意見を求めに入ってきた。手短に「日本カタンガ協会」の紹介をし、姉妹都市案件の推進を依頼。市長顧問が担当することとなった。彼は大いに乗り気。
Kaputo氏の事務室に通されるまえに寄った市長秘書官ムヤ氏(Muya)の部屋に魚市場の絵がかかっていた。署名を見るとMakikaとある。どんな画家だろう。市庁舎の入り口ホールには、僕が2006年に数枚買ったMbayaの絵が飾ってあった。市で買い上げたのか、Mbayaから寄贈されたのかはわからない。
市役所の駐車場でまたMuya氏に会った。そしたら「あの絵に興味があるのか、なら売ってもいいよ」ときた。大きすぎるからと断ったが、市役所の絵を何故売れるのだろう。市の財産だろう。画家から売ってくれと頼まれているとも考えられないことはないが、僕はむしろMuya氏の小遣いになるのだろうと推測する。

僕の車の燃費がまた悪くなっている。496km/54L。9.18km/Lとは。冷房を出来るだけ避けていたのに。来週はオイル交換。5000km。悪路の所為か、運転が拙いのか。

Le 13 février 2010, samedi
今日は台所とバス・ルームを集中的に掃除。台所の壁にこびりついた油を落とすのが一苦労。14ヶ月前にこのVillaの住人だった司教さんは女中を雇わず料理人だけを雇っていたそうだが、そのコックはこの台所で何を作っていたのだろう。汚れ放題じゃないか。料理人は調理場が命、清潔さを保ち調理器具はぴかぴかに磨くのが当たり前ではないか。どこで教育を受けたコックなのだろう。

庭師を雇うことにした。Andréさん。中年の男。Kyungu氏の親戚筋。Kipushi在住。月間80ドル。週給にして20ドルで毎土曜日支払い。当面は仕事量が多いので日曜日を除く毎日8時間労働。何しろ庭が広いから僕だけではとても無理。町で暇にしている若者たちを雇おうとも一時考えたが、素人で遊んでばかりいても困るので、プロに任せることにした。来週月曜日から仕事開始。草刈。追って植木、花壇などを設計、実施しよう。
ここのForrest工場で働いている日雇いが一日8時間労働で3000FC(300円)だそうだ。時間給ではない。日当だ。当初1時間1000フラン(100円)としようかと思ったけれど、相場と乖離しても具合が悪いので申し出の額とする。

部分停電。この家の配線はどうなっているのだろう。昨夜はどの部屋も照明がついたが、台所のコンロのコンセントだけが機能、他のコンセントは軒並みダウンしていた。今日の夕方は天井の照明がどこも点かず、台所の冷蔵庫脇のコンセントは機能したものの、昨日のコンセントは機能せず、しかしサロンもバス・ルームも僕の部屋のコンセントも機能した。ところが20時にばバス・ルームと僕の部屋の照明は点いたが相変わらず台所の照明は点かない。一体何系統になっているのだ。それとも天井のネズミの所為か。

Le 14 février 2010, dimanche
ルブンバシ大聖堂の帰りに、昨日スタンドを倒して壊してしまったので、開けていた小さな店で電球を買った。100Wしかない。

今日はバレンタイン・デー。駆け込みでプレゼントを買う人がいるのだろう一部の店が開いていた。

快晴でかなり暑い。僕の地元となったキプシKipushiのプールは子どもたちでいっぱいだった。ルブンバシから来ている家族連れも多くいるそうだ。
このプールもとなりのテニス・コートも、鉱山会社Gecaminesが全盛時代に出来た施設だ。70年代、80年代の話である。往時が偲ばれる。

モップで床を掃除。モップをつかったのは小学校以来か。小学校では教室やトイレの掃除は当番制で生徒が掃除をした。今でもそうしているのだろうか。小使いとか用務員なんていなかったような気がする。自分たちのことは自分たちでするという教育だったのだろう。

マドンナにプレーン・オムレツ(玉子焼き)を作った。ミルクから多少卒業させてやらないと。かりかりのビスケットもミルクに浸けないで食べることが出来るようになったのだから。

夕飯。ルブンバシからの帰り道の途中でアボカド2個買った。カタンガのアボカドは大きい。アントレで1個食べてしまった。中の種も大きい。しかし、美味い。僕の家の庭にもアボカドの木がある筈なんだがなぁ。

Le 15 février 2010, lundi
扇風機をJamboで買い込んだ。組み立て30分。なかなか良くできている。40ドル(3600円)。リモコンまでついている。2006年の滞在の時、僕は扇風機を買わなかった。同僚は買っていた。昨日暑かったので扇子で扇いでいたが疲れちゃうので扇風機を買うことにした。エアコンは高いし、この高原では今のところ必要がない。でも89月は暑いらしいから悲鳴を上げるかもしれない。それまで様子見。扇風機をつけて、チーズを齧りながら冷えたPrimusビールを傾ける。ちょいとした贅沢ではないか。
Primusビールって、キンシャサ資本でルブンバシでも一昨年あたりからカタンガでも生産されだしたビールだけれど、残念ながら地元のSimbaビールより美味いなぁ。Simbaは薄味すぎる。またTempoビールは濃すぎる。

庭師は確実に仕事をしてくれたようだ。家の敷地の門の前がさっぱりしてきた。Andréさん、がんばってくれ。

協会の銀行口座開設のためBiacに行った。担当は営業のRoddy Mlalelamaさん。整えた書類に更に加えて幾つか提出しなければならないが、今週中には口座番号がきまりそうである。

日本鉱業がカタンガで鉱山開発をしていたが、1983年に契約解除、1 000人以上いた日本人は全て帰国してしまった。日本鉱業が業務を開始したころ合弁会社Sodimizaに入社したSongasongaさんにお会いした。ルブンバシのSodimicoの責任者である。SodimizaのzaはZaïresのzaである。国名が本のCongoにもどったので会社名もSodimicoになっている。彼は青春時代を日本人上司と過ごしたことになる。かれにとって栄光の時代だったようだ。日本の手をはなれてからオーナーはカナダ、ポーランド、南アと移っているようだ。
MusoshiにあるSodimicoの鉱山見学を申し込んだ。日本人との間に生まれた子供たちが相当数いると聞いた。既に三十路を過ぎた子どもたちである。僕はここでモラルを語ろうとは思わない。コンゴの女性との間に子どもができていても不思議ではない。父親探しに協力するつもりはない。しかし、identityを求める子らの気持ちは分からる。どうしたらいいのであろう。答えはそう簡単には見つからない。
ネットで日本語サイトを調べてみると、Sodimiza/Sodimicoに関する記事は日本政府の資料の中と僕の「ルブンバシ・リサーチ2006」しかなかった。

カタンガ州政府に『カタンガは今』という広報誌がある。2008年から不定期ではあるが発行されている。知事モイーズの宣伝といえないこともないけれども、安物ではない相当金をかけた広報誌である。ここに次回「日本カタンガ協会」の紹介記事が載るよていである。

Soude caustique(苛性ソーダ)を買ってきたが、使い方がわからない。水の通りの悪い下水管(バスタブの排水)の塞がりを除くためだが、そのまま配水管に落とせばいいのだろうか。ソーダと水との反応は激しそうで躊躇される。

13 février 2010

マドンナ登場 Madonna diable mais très mignonne


マドンナちゃん、生後5週間目。お茶目、お転婆、悪戯っ子、仔犬なら当たり前でしょう。可愛いのは今のうちだけという話もある。彼女の母親をみるとたじろぐ。上の写真はネットから頂いた成犬。番犬中の番犬。



10 février 2010

2月4日~2月8日まで du 4 fév au 8 fév 10

Le 4 février 2010, jeudi
夜中1時半に、数十箇所も蚊に刺された夢をみて目が覚めた。マドンナが暴れまわっていた。蚊帳に飛びつくは、僕の靴を齧るは、電気のコードを引っ張るは。サロンに寝かせているのに僕の部屋に入ってくる。完全に部屋のドアを閉めてしまうと泣き出す。

水がまだでないので、近くまで水を汲みにいった。鉱山会社従業員社宅のある地域には水が出る。バケツで5個、プラス60Lの水槽。シャワーは浴びられないが、これで炊事はできる。もともと料理に使う水はミネラル・ウォータ。缶切りもAgata店で一流品を買った。8500FC(850円)。精肉をKipushiで買おうとしたら冷凍しかない。牛も鶏も冷凍。これは意外だった。
デザートにアイスクリームが食べられるように冷凍ケースを買おう。ピクニックにも都合がいいかもしれない。

初めて夕飯を作ることができた。当然パスタ。アラビアータ風。チーズはPadanoが冷蔵庫に一週間前に入れておいたがカビが生えていなかった。

シスター・アスンタさんのところに去年休暇を利用して6月に来たときに預かってもらった衣類や本を受け取りにいった。バック・パッカー一個とスポーツ・バッグ一個分。

Le 5 février 2010, vendredi
部屋の掃除をした。また未完成。汚れなんてもんじゃない。天井も蜘蛛の巣だらけ。洋服箪笥の中にまで厚い埃が溜まっていた。
スイスでは引越しをするときに一ヶ月前から掃除に取り掛かった。入居のときの保証金を取り戻すためである。生半可な掃除では、とても保証金をとり返せない。ZurichからGenèveに引っ越したとき、Zurichの大家(不動産屋が代理)に保証金全額を取られてしまった経験から、その後は注意に注意を重ねた。スイス時代15年間で7回引っ越している。だからそのうち6回はほぼ全額返却してもらった。大家が返却しない場合、訴訟に持込んだこともある。勿論勝訴している。

Le 6 février 2010, samedi
水がないことを除いては普段の生活をとりもどした。

DVDの映画を50本持ってきた。アルジェリアには200本持っていき、サイトのアドミが大部分をコピーしてキャンプの住人に貸し出している。今日やっが映画「アラビアのロレンス」を見ることも出来た。厳選した50本のうちの一本だ。しかし、今回は苦労した。というのも映画を見るにあたってはいいスピーカーを使いたい、Boseをスーツケースにいれてきたが、100Vからスピーカー用の12Vに落とすトランスに220Vをとおしてしまい、トランスを壊してしまったようだ。不注意そのもの。煙もでなかったのに電気屋でテストしてもらったら、使い物にならないという。仕方ないから220Vから直接12Vに減圧するトランスを買った。スピーカーにつなぐジャックが合うかどうか心配だったけれど、4タイプのうち一つがぴったり一致した。さらにPCに内蔵されているDVDプレイヤーが完く動かず、外付けのプレーヤーを買った。LG製。付いてきたソフトでは持っているDVDを再生できず、もともとあったソフトWinDVDで再生が可能と分かった次第である。

こうしてやっと「アラビアのロレンス」を見ることができたのである。この映画は日本でロードショーで見たときから、僕に勇気をあたえてくれる壮大なドラマである。だからフランスやスイスの映画館で何回も見た。70mmの大画面。DVDで見るようになったのは2006年からである。主人公ロレンスはピーター・オトゥールのはまり役である。神懸りにはちがいない。シナリオも良くできている。実在のロレンスとはきっとかけ離れているのだろう。それでもかまわない。感動のシーンが盛りだくさん。そして沙漠。僕が経験した実際の沙漠は決して映画の中の沙漠ではない。Leenの描く砂漠は夢の中の沙漠である。それでもかまわない。そして音楽。心の底まで感動させてしまう広がりのある音楽。大作中の大作である。アルジェリアのアラブ人は嫌いになったが、映画に出てくるトルコに虐げられたアラブ人は単純明快でロレンスが独立させようとした気持ちも納得できる。

TVもない、まともなラジオもない、ステレオもない、唯一あるのがPCという生活ではDVDは貴重な娯楽である。もっともTVはあっても殆ど見ない。時間を過ごすにはTVは格好の手段だ。しかし、大宅壮一の「一億総白雉化」ではないが、余程番組を選ばないと馬鹿になる。TVは新旧の映画を見ること位しか使い道が僕にはない。ニュースはネットで得られる。ラジオはあってもいい。しかし、携帯電話に仕組まれているラジオ、災害時使用の懐中電灯と一緒のラジオを時々聞くけれど、興味をひく番組が見当たらない。

Le 7 février 2010, dimanche
引越しまでの日誌をブログにアップした。

昨日の夜23時になって水が出始めた。万歳! ところが水圧がない。15Lのバケツ5個と60Lと80Lの水槽に水を溜めた。これに2時間半もかかった。こんなこと毎日やってられないなぁ。

電気はKipushiでは問題がない。この間の停電は例外のようだ。これは大いに助かる。ルブンバシではどこかの地区がいつも停電している。空港近くの新しい変電所は長期間未完成。電線は地下だが、これが返ってメンテを難しくしている。

Le 8 février 2010, lundi
15時、ルブンバシ市環境部長イルンガJean-Pierre Ilunga とアポイント。
公害問題。同氏の曰く、
「市の公害問題は3つある。
1.下水
下水処理場はルブンバシに数ヶ所あったが、いずれも古く現在機能していない。雨水、家庭排水、工場排水が一緒にして川に流している。川の水は従って極めて汚い。
2.空気
排気ガス規制がない。乗用車、トラックともに古い車が多く排ガスは深刻だ。
3.騒音
騒音規制もない。夜間のクラクションは禁止いているが、その他祖運は市民の常識に任せている。
なんといっても、河川の汚染問題が一番大きな問題である。しかし、市当局は上記の公害を測定する機器も持っていない。買えない。何とかしたいが予算がない」
下水は確かに問題だ。下水道はベルギー時代のものだろう。その後はメンテがある程度までしか出来ていない。機能していない下水処理場にも下水管を通して汚水が一旦は集まる。下水処理場の周りは耐えられない悪臭が漂う。激しい雨が降ると道路が水浸しになるし、その水がなかなかはけない。郊外では垂れ流しの汚水の臭いもするようになる。
空気は緑が多い所為か(ルブンバシが杜の都だとは前に書いた)、街中の一角を除いては、排ガスで息苦しいというほどではない。ただ、走っている車(トラック、乗用車、小型バス)の90%以上が日本製の中古車である。それもかなり古いものが輸入されている。90年代いやそれ以前の車が走っている。日本からドバイなどに輸出、それが回りまわってここまで入ってきた。日本で公害規制がクリアされないような車ばかりである。日本車がこれだけ走っているというのに日本は、買うほうが悪いと腕組みをしていていいのだろうか。
騒音については、測定器があっても法整備ができていなければ宝の持ち腐れ。もっとも測ってみなければ、規制の基準も決められないかもしれない。
部長から、公害の専門家、大学教授、関連NPOを紹介してもらったので、さらに調査を続ける。

カタンガ州における活動について、州当局から許可を正式にもらった。2001年7月20日法第004/2001号による登録番号013/1021/2010である。これで銀行口座開設が可能。口座開設してから、本格的にNGO「日本カタンガ協会」の活動を開始できる。

水が22時半から出始めた。一昨日よりは水量が多いがまだまだ風呂の湯沸し器に溜まるほどの勢いはない。

07 février 2010

引越まで jusqu'au déménagement (5)

「引越しまで」の最終回

Le 30 janvier 2010, samedi
フランシスコ会が経営するルイシャLuisha(またはLwisha)の学校をシスター・アスンタさんと訪ねた。LuishaはLikashi街道を70kmほど行ったところを左に入る。Likashi街道は有料道路である。学校は森の中の環境に恵まれたところにある。広大な敷地に校舎と寄宿舎。小・中学校の寄宿生徒が800名。全員女子。外部からの通いの生徒が800名。総計1600名という大規模な施設。男子は小学校のみ通いなら入学できる。始まりは鉱山会社Gecaminesの社長をしていたというベルギー人夫妻が建てた学校。夫婦に子どもがなかったので学校を建てたらしい。当初は聖ウルスラ会が運営していた。

学校の敷地に入る手前に鉱山労働者たちの村があった。この辺りでもコバルトや銅が採れる。露天掘りである。ごみごみとした村。仮説の建物というより掘建て小屋。小さな店が街道筋に立ち並んでいる。商品は豊富にみえる。鉱山会社に勤めている者もいるが、大抵は勝手に鉱石を掘って業者に売る不法労働者だそうだ。茣蓙を敷いて選考している人も散見した。近くに鉱石がなくなったら、村ごと移動する。
学校の敷地内にも銅、コバルトが眠っているという。数年前、学校を取壊して鉱山開発をするという話が持ち上がり、フランシスコ会がルブンバシの街中でデモをしたそうだ。効果があって知事も出てきて取壊しは中止となった。カタンガ州いやコンゴには土を掘ると鉱石がでるという場所がいくらでもある。銅、コバルト、ダイヤモンド、金などなど。

時間があったので食事を学校でご馳走になってから、鉱山の跡地で水が出て、人口湖になったところを見学。水は飲料水としてポンプで貯水タンクまで汲み上げられる。何十人もの村人(子供たち)がポリタンクを持ってとりにきていた。凄まじい光景である。大人は鉱山で働き、子供たちが水汲みに借り出されているのだ。水道を引けばどんなに便利になるだろう。しかし、飲料水は貴重だ。この鉱山の跡地のようなところを中国が買ったそうだ。まだ開発できると見込んだのだろう。跡地の竪穴、横穴を見たが、狭く如何に鉱山労働が厳しいものかの一端を覗いた気がした。大人ではなく子供たちが地下にもぐって採掘していたのではないか。
フランシスコ会はこの村に小さな教会と無料診療所を建てた。

帰りにまた警察のバリケードでつかまった。速度制限50km/hのところを56kmで走ったというのだ。道路標識を見て速度を50以下に落とす途中だったのだが、許してくれない。目的は分かっている。賄賂sucréだ。アスンタさんを初め他に3人のシスターを乗せていた。彼女たちは「一切払うことはない、いろというなら一晩中でもいてやる。本庁のお偉いさんに連絡するわ」。ところが電話が通じない。電波がとどかないポケットに入っていた。二人のシスターが車から降りて電波のあるところまでヒッチで移動。その間に警官側が諦めて「もう免許証を返すから、とっとと行ってくれ」。ヒッチをしたシスターたちを拾いに行って、戻ったら警官たちの影も形もなかった。シスターたちは強い。制限速度オーバーが小さかったし、事実速度をぐんと下げたのだから強気に出たのかもしれないが助かった。ありがとうシスターさんたち!しかし警官たちのお陰で30分以上道草をくった。悪質な警官たちだ。ところが驚いたことに、ポリスの制止を聞かず振り切って逃げてしまう車が後を絶たないことを目撃した。「とまってられるか」というのだろう。危ない。しかし警官も心得ていて、さっと逃げる。なるほど。プレート・ナンバーを控えたり、写真をとったりなんかここの警官ができるわけがないのだから逃げるが勝なのだ。でも彼らの真似はこちらとしてはチョイトできないな。万が一警官を轢いてしまったらことだもの。

Le 31 janvier 2010, dimanche
再び動物園。今度はAlain君をつれて行った。いい散歩になる。今日はトラもライオンも一頭づつしか見られなかった。日差しが強かった所為で、部屋に閉じこもっていたのだろうか。しかし、2006年2月とは大きく改善されたのはさすがである。そう何度も思う。

Kipushiの水道工事は順調に推移しているというが、明日はどうなるのだろう。

Le 1er fevrier 2010, lundi
デッキ・チェアーをみつけた。空港へ行く道のMozarという店は210ドル。プラスチック製。理想的だが高すぎ。街中の中央郵便局裏の店は、スチール・パイプだが洒落ていて100ドル。アルジェリアではいくら金をはずんでもなかなか手に入らなかったsun bathing用のイス。それでもコンスタンティーヌでやっと見つけたのはとても重たいL字型鋼製だったが、直ぐに壊れてしまった。それに守衛が夜勝手に持ち出して寝ていた。アルジェリアは地中海を隔てて欧州の向かい側だというのにものがない。生活習慣がちがうとはいえ、商品にvarietyがない。国民所得の差を考えると購買力はコンゴよりずっとある筈だが。ルブンバシの方が探せばなんでもある。高級品から粗悪なものまで。

車の燃費が悪い。9.2km/Lとは! ポルシェ以上に燃料を食う。どうもエアコンを無闇と使っているかららしい。Dar es Salaamのコンゴ人友人Chansaさんは、エアコンをつけると燃費が悪くなると、暑い最中エアコンをつけずに走っていた。お陰で僕は汗をふきふき助手席に乗っていた。しかし、エアコンをONにして走るとのとOFFで走るのとでは大差がありそうだ。調べてみると確かにエアコンONには問題がある。ルブンバシは高原地帯で本当にエアコンがいるほど暑くなるのは89月くらいなのだ。気をつけなくっちゃ。

Le 2 février 2010, mardi
サレジア会の神父Jean-Paulの誕生会があってご馳走だった。神父さんたち、例の如くよく飲む。今日はvideoを持込んで踊りだした。女性もかなり来ていた。神父さんの一人がキャバレーまがいのベリーダンスを披露。さらに他の神父さんたちが踊り手の胸や耳に札を挟んだ。おいおい、やりすぎですぞ。

みつからないように段ボール箱に入れて、タオルをかけ「マドンナ」をサレジア会の宿舎の部屋に泊めた。夜中にくんくんと泣き出した。母恋し、兄弟姉妹恋しなのだろう。ミルクをがぶ飲みする。飲むと直ぐにおしっこ。うんこもしてくれた。やはりマドンナと一緒にサレジア会に長居はできない。マドンナ極めて健康そうだ。残っていた仔犬の中で一番太っていた。

Le 3 février 2010, mercredi
意を決してKipushiに引っ越した。町の水ポンプは2台とも代えたそうだが、まだ水が来ていない。しかし、問題は煮詰まってきているので、ここ数日の内には解決するだろうという僕の見通しである。なにしろ、「マドンナ」をかかえてサレジア会の宿舎にはいられない。

AKJ, Association1のドキュメントは今Division de la Justice(法務省出先機関)にある。Kyungu氏が内務副大臣と懇意とて、早急な登録手続きを期待しているが、今日になって180ドル必要だという。初めて聞くことだ。計画性がない。たまたま僕が持っていたからいいようなものの、なければまた手続きが遅れる。金曜日には仮登録ができると?眉唾だね。フランシスコ会のためにこうした手続きをしているAntoine氏とKyungu氏を会わせよう。Antoine氏は教会の車関連、通関、身分証、NGO(教会もNGOをいくつか設立している)等の手続きを一手に引き受けている。

トマトの缶詰を開けようとしたら缶切りが使えない。歯が曲がっている。中国製。みかけに騙された。明日ルブンバシの「Agate」でまともな缶切りを手に入れよう。久しぶりのパスタも明日以降だ。

19時10分から20時25分まで停電した。Kipushiは停電しないといったのは誰だった?

蚊が思ったほどいない。勿論電気蚊取り、スプレー、蚊帳は併用している。

引越まで jusqu'au déménagement (4)

なかなか引っ越せない。この項、29日まで。

Le 22 janvier 2010, vendredi
Kyungu氏宅で。奥様の知り合いにカーテンの仕立てを頼む。協会の登録進展は如何。Kyungu氏は怪我で去年2月から入院している姪の保険求償問題で忙しい。保険屋は払いが悪い。これは何処でも一緒か。

車の燃料を満タンに。82ドル。ここサレジア会Don Boscoスタンドの為替レートが1ドル=910になった。コンゴ・フランの僅かだが下落が続く。消費物資の殆どを輸入している国ではインフレに直接結びつく。警官を含めた官吏の給与は簡単に上がらない、物価スライドなんかしないから、またcorruptionに繋がる。悪循環。

19時半、Justin氏から電気はきているし、明日にも水がでるので入居可能だと電話があった。こちらから問い合わせたのではなく、彼から電話連絡してきたのは初めてである。明日確かめてみよう。

今日の食事は昼夜といただけなかった。トリップ(内臓)と干し魚の煮込み。

Le 23 janvier 2010, samedi
ルブンバシにもう一つ大きなスーパーがあることが分かった。Liberty「Ma Maison」。キンシャサからの進出。置いてある商品の質はここが一番高そうだ。インド系。

結局今日も騙された。Kipushiの家の水がでない。僕のところだけでなく町全体が断水。新しいポンプを設置するのが遅れているということだ。見通しは全くない。遠からずというのみ。これで町当局も平気なのかな。どっしりと構えるはいいとしても、引っ越さないかぎり、毎日50ドルかかっていく。賃貸契約をしたのだから、この遅れは大家に請求してもよさそうだが、相手は教会。家賃も安いことだし、とても契約を盾にサレジア会の宿舎の代金を出せとは交渉できない。精々契約発行日を入居日としてくれというだけか。

更に、わんちゃんのことでも騙された。わんちゃんを横取りされてしまったのだ。手付金を払っておけばよかったかもしれない。それにしても詰めが甘いというべきか、相手がいい加減であることを前提にことを進めないといけないのか。

Le 24 janveir 2010, dimanche
相変わらず水が出ない。町中が断水なのだから仕方ないといえばそれまでだ。それに日曜だし、既に工事を開始しているにしても今日進むわけがない。工事主体が中国人じゃないんだから。

Alain君が夕飯をおごる、しかもギリシャ人会のレストランというから、80ドルや100ドルも負担させては悪いので、夕飯はサレジア会でとらないと皆が心配するからと、湖の畔の「リビエラ」でトニックをおごってもらった。ここは僕の好きな場所のひとつである。夕日も奇麗だ。水鳥が今日はいなかったが、ゆったりと水が流れていて趣がある。遠藤周作の『深い河』を思い出す。小説の内容ではなく、イメージだけの話である。

Le 25 janvier 2010, lundi
わんちゃんは初めに見た犬にしよう。純血のRottweilerだそうだ。スイス・ジュネーヴでは危険種として飼うことを禁止されているというのは気になるが、フランスでは人気度4位とある。ネットでみると確かに番犬だが、家庭内でも飼えると書いてあった。要は育て方なのだ。それによって獰猛にも大人しくもなるようだ。しっかり教育しなければいけないな。わんちゃんに舐められないように。主人maîtreは僕なのだとわからせることだ。我侭に育ったら手がつけられない。

カーテンが出来上がった。

水は相変わらず出ない。しかしポンプの工事は開始したというから、おっつけ出るようになるだろう。じっくり構えよう。

わんちゃんはRottweiler(日本ではロットワイラーという)。黒に茶色の斑点のある可愛い仔犬を選んだ。純血。メス。100ドル。名前を考えなくちゃ。Pompeiaというのはどうだろうか。シーザーの妻の名前である。Rottweilerはローマ時代にその起源があるという犬である。でも言いにくいな。ポンペイに通じるから、ベスビオ火山みたいに爆発されても困る。Romana(ローマ人)。Pizzaの店みたいだ。Regina(女王様)。僕が支配されてもいけない。Ragazza(少女)。Madonna。引き取りは2月2日と決まった。それまでにKipushiに入居出来ない場合はAlain君の家に寄留してもらう。
もう一匹わんちゃんがいてもいいなと思う。Boxerがいないだろうか。

サレジア会の宿舎の夕飯が昼と同じで、口に合わなかったので(好き嫌いが激しいというだけのことだが)、近くのママ・イェモ通りにある中華店に行った。麻婆豆腐。これがとてつもなく塩辛かった。辛いのは当たり前だが塩辛かったのである。塩の文句をいったら、素直に支払いを請求しなかった。スープと水の代金だけ払った。8ドル。若い責任者は河北出身だそうである。去年6月に行った時よりも店が奇麗になっていた。以前は場末の食堂という感じだった。

Le 26 janvier 2010, mardi
快晴。清々しい。

車をゴルフで久しぶりに洗った。洗っても直ぐ泥でよごれるからなぁ。

『日本カタンガ協会』のホーム・ページを更新した。これに4時間もかかってしまった。定款の画像をいれたこと、定款本文をWordでのせたことが主な変更点。
ブログ『アフリカの星』も更新した。引越しまで更新を待とうとおもったが、引越しがなかなか出来ないので溜まった日誌を21日分まで掲載した。

わんちゃんの名前は「マドンナ」になりそうだ。歌手のマドンナ、漱石の『ぼっちゃん』に出てくるマドンナ、イタリア語で会話に良く出てくる「何てこっちゃ」といういみの「マードンナ」、いろいろ掛けて『マドンナ』。

Le 27 janvier 2010, mercredi
水は一旦出たが、テストだったのか直ぐに止まったそうだ。
家の不具合リストを作成、アベ・ムラポに提出。一部は僕の負担だが、時間をかけて直してくれるだろう。
カーテンをかけてみると、横の長さに余裕がなかった。窓よりも余程長めにすべきだった。後で店の売り子に聞くと、窓の幅の2倍必要だそうだ。

Le 28 janvier 2010, jeudi
Kipushi進展なし。

Le 29 janvier 2010, vendredi
サレジア会ではなく、街のランドリーに出したカーテン、シャツ等を受け取った。上出来。よく乾いている。生乾きだと雑菌が繁殖するのか悪臭がする。カーテン3枚とTシャツ5枚で28 000FC(2 800円)は勿論この国では高い。しかし女中や洗濯女に任せたら、色変わりするだろうし匂いも気にしないから、中途半端な洗濯で終わってしまう。自分で洗うか洗濯に出すかだ。ここでは狭くて小まめに洗う以外洗濯が出来ない。

東京理科大学の加納教授とSkype。環境科学の先生。カタンガの公害問題について話す。ここのNGOの調査もし、公害の現場にいってみないといけない。ルブンバシ大学の先生にもあたる。大学間の交流が可能とおもう。
加納先生のサイト:
http://www.ed.yama.tus.ac.jp/mkano/html/english.html


シスター・アスンタさんの仲間の修道女がマラリア。キニーネを一週間飲むのだそうだ。慣れている。キニーネを飲んでいると食欲がなくなる。副作用だ。しかし飲まなければ回復しない。無理して食事をしないと体力がつかない。いつか僕もマラリアに犯されるのだろう。ギニアの斉藤さん(金鉱山のオーナー)は何回もマラリアを克服している。高熱を下げてしまえば死に至る病ではない。しかし、ほっておけば確実に死ぬ。

教会紹介のAntoine氏が本省の内務大臣に会えそうだというので、朝7時からHôtel Lubumbashiロビーで待った。大臣の宿舎になって、このホテルに警察、憲兵がたくさんいた。去年6月僕が泊まったところだ。ルブンバシでは最高級だったKarabiaホテルが改装中で、植民地時代には一流だったと思われるParkホテルよりもずっと新しく設備がいいのがHotel Lubumbashiだ。インド系。サーヴィスはあまりよくない。従業員の訓練ができていないからだ。結局は大臣のスケジュールが固まらず会えなかった。参事官のIsidore Kadimbe氏が接見。大臣のスケジュールを調整してくれることになったが、果たしてどうなるか。