31 juillet 2014

7月30日 アフリカのミニバス(タクシーバス) taxi-bus en Afrique (RD Congo)

Le mercredi 30 juillet 2014
5時、快晴、2055

アフリカにおける大衆の乗り物は大抵の国でミニバスである。RDCコンゴも例外ではなくミニバスで人々は移動する。インフラの破壊されたコンゴでは乾季だけミニバスの路線サービスがある場所もある。大型バスもないことはない。しかしごく限られた路線だけを走っている。大都市間は大型バスが走っている国が多い中、コンゴでは都市間も交通は空路だけになってしまう。ルブンバシからダルエスサラムやヨハネスバーグに行くバスはあってもキンシャサやキサンガニ(オリエンタル州の州都)行きのバスはない。それどころかルブンバシから同じ州のタンガニーカ湖畔の都市カレミや反対にアンゴラ国境の都市ディロロに行くバスもない。
ミニバスをタクシーバスとここでは呼んでいる。例外なくトヨタの中古ハイエースである。ハイエースHiaceと発音できないので「ヤス」と云っている。
僕はこの「ヤス」を今月初めに1台買った。僕のNPO「日本カタンガ協会」で車を買ってタクシーを走らせている。僕の給与を払ってもらうためだ。大NPOではないから、会費や寄付金は貴重で、そこから給与や必要経費を出すことはできない。寄付金は100%活動のために使う。タクシーは5台まで増やしたが、初めに買った3台が老朽化して修理経費がかさんできたので売却、それに少し僕からお金を足して「ヤス」を買ったのである。
5人ほどテストをしてジャン君という若者を運転手に選んで26日(土)から営業を開始した。
タクシーバスを営業するため運輸省に届出をだした。その許可に3週間かかった。乗客を運ぶために改造も必要だ。日本では定員が何人かしらないが、ここでは18人となっている。運転手席に乗客2人、その後ろに横に2列の座席を作り8人、さらに後部は両脇に座席があり8人が乗る。定員は18名だが工夫をして20人乗ることもある。後部の空いた真ん中に2人入れるのだ。少し長い車だと後部を5人づつ10人にしている。
改造後の灰エースの内部
シートはL字型鋼で前の座席2つは一体になっているが
床に置いてあるだけ
僕は節約のためにルブンバシにでるとき去年から専らタクシーバスを利用することにした。自分の四駆(三菱L200)を使うと燃費が悪いから10km/Lしかいかない。キプシとルブンバシを往復するとルブンバシ市内移動をいれれば70km80kmに直ぐなる。すると燃料費が11000フラン(1100円)以上かかってしまう。バスに乗る「外人」は僕だけだ。コンゴ人でもお金持ちはバスに乗らない。今年4月になってキプシ=ルブンバシ間が20年振りに完全舗装された。快適といっていい走行になったのである。
後部から見た座席
改造費210ドル
ソファーは木の板に薄い発泡ウレタンを巻いて
ビニールシートをかぶせている
乗客としてではなく自分でタクシーバスを経営するといろいろなことが見えてくる。
1台のタクシーバスが走ると何人もの人が潤う。運転手だけではない。運行はキプシ=ルブンバシの往復である。運転手の組合が終点(キプシとルブンバシ)でパーキング料を徴収する。走る順番は組合のひとが到着順にリストに書きとめている。結婚式などで家族全員が移動するときは組合に連絡が入る。「ヤス」を貸しきるのである。家族が多いから15人以上に簡単になる。キプシ=ルブンバシは通常料金が乗客当たり1000フラン(100円)だが貸し切ると25000フランになる。
街道に出ると町の入り口(出口)に交通警察官が陣取っている。かれらには「つけとどけ」がいる。1000とか2000フランとか。出さなければ意地悪をされる。朝1回、午後1回の「義務」になる。
キプシの市役所の役人も何をしてくれるのか、何もしないのだが、ショバ代のようなものをとる。
車掌(receveurという)をジャン君は雇った。バスは切符を発行しないが、乗客から料金を集め、札(コインはコンゴにはない)の真贋を確かめ、ドアの開閉、前後左右の危険を運転手に報せる、また車内の掃除などの役目をする。車掌を雇わず、全て自分でする運転手もいる。
乗客を呼び込むひともいる。僕が乗るときも、「ここに乗れ、あそこに乗れ」と支持を出す。残り一人分の空席になると「モヤ、モヤー(あと一人だぞ)」と大声を上げる。この呼び込みは日本でいうアルバイトのようなものだが、中年のおじさんもいる。
これらの経費は全て運転手の負担だ。運転手は固定給与制ではない。オーナーには定額を払う。かつガソリン代も負担する。満タンで車を受け取るのだから満タンで1日の終わりに車を返さねばならない。ジャン君は朝のリストで上位に入るために5時に車を僕の家にとりに来る。若いからできるのだろうが、僕には勤まらないきつい仕事だと思う。
待ち時間も長い。5時に僕の家をでても、今日の順番は4番目だったそうだ。ルブンバシの待ち時間は更に長い。ルブンバシに到着してからキプシへの帰りの客を乗せて出発できるのは数時間後。昨日今日は19時半に車を返して2往復しかできていない。3往復しないと採算にのらないはずだ。

待ちを少なくする方策をたてたが、明日はまともに稼げるかな。

7月29日 リベリア:エボラ伝染防止でサッカー禁止 Liberia: le football est interdit

Le mardi 29 juillet 2014
5時、快晴、2050。風強し。

必要があってBIAC銀行のキプシ市店でNPOのサブ・アカウントを作った。銀行に9時半に行ったらいつも人がいないのに今日は地元企業の給与日でひとがいっぱいだった。ではと午後13時半に出直した。僕本人の口座でもかまわないが、面倒を避けるために「協会」のA/Cを利用した。以前窓口は僕のパスポートと写真だけで口座開設が出来るといっていたが、今日いざ開設となると、「協会」の開設依頼書がいると言い出した。家に帰りUSBメモリーに依頼書を作って持って行ったらファイルが開けない。街で印刷してやっと開設になったが、半日費やしてしまった。

シェラレオーネはギニアの南に位置する共和国である。名前からするとスペインの旧植民地のようだが英国に植民地化されて1961年に独立した。大航海時代にポルトガル人がつけた名前をスペインがおそいSierra Leonaといっていたのを英国がLeoneと綴りを間違え、そのまま国名になってしまった。首都はフリータウンである。
西アフリカで今回流行しはじめたエボラ出血熱はギニア国境で先ず発生した。シェラレオーネからみれば可也東のナイジェリでも死者がでた。犠牲者は米国人だそうだ。シェラレオーネではエボラ治療センターのトップが亡くなってしまった。彼は「患者に直接触れるようなことがなければ感染しないのだから恐れる必要はない」とTVのインタヴューで云っていた人物である。
シェラレオーネの更に南の国リベリアでも患者がでているが、ついにサッカーを28日(月)全国的に禁止してしまった。サッカー競技では人と人の接触があるからだという理由だ。リスクが高いというのだ。人口600万のリベリアで249人のエボラ患者が出ただけとも思うが相当に神経質になっている。
エボラで亡くなったシェラレオーネの
エボラ治療センター長
シェク・オマール・カーン博士
Liberia: le football est interdit
Dernière mise à jour: 29 juillet, 2014 - 13:55 GMT

Le Liberia se situe dans l'épicentre de la maladie
Alors que l'épidémie de fièvre hémorragique Ebola sévit au Liberia, la Fédération Libérienne de Football (LFA) a annoncé lundi la suspension de toutes les activités de football à travers le pays.
La LFA a ainsi déclaré que le football étant un sport de contact, il y avait un important risque de transmission de l'infection.
Les autorités libériennes ont pris un certain nombre de mesures pour contenir la propagation de cette épidémie qui a déjà fait plus de 129 morts sur 249 cas recensés dans le pays.

Les derniers chiffres publiés par l'OMS sur l'épidémie de fièvre hémorragique Ebola
Au ministère des Finances, où travaillait le Libérien décédé la semaine dernière lors d'un voyage au Nigéria, certains employés ne peuvent pas se rendre sur leur lieu de travail.

Selon le dernier bilan de l'Organisation Mondiale de la Santé, l'épidémie de la fièvre hémorragique Ebola qui a éclaté en Guinée au début de l'année a déjà tué 672 personnes sur un total de 1 201 cas recensés en Guinée, en Sierra-Leone et au Liberia.

29 juillet 2014

7月28日 アフリカの銀行 Les grands défis de la bancarisation en Afrique

Le lundi 28 juillet 2014
4時半、快晴、2047.5

RDCコンゴの国営鉱山会社ジェカミンGecamines社の代表取締役カレジ=ンカンドAhmed Kalej Nkand氏がカビラ大統領によって27日(日)「重大な背任」があるとして罷免された。カレジ=ンカンド氏は中央銀行出身。解任の詳細は不明。
70年代にあっては、ジェカミン社が当時のザイール国家予算の半分以上に貢献していた。21世紀になって、鉱権を海外を含めた私企業に不当な価格で切り売りしたといわれている。2010年ジェカミン社再建投資計画を政府決定したが、全く「絵に描いた餅」で、再建どころか今年に入って従業員給与も半年支払われていない始末である。
1996年と2003年との二回にわたるコンゴ戦争の所為で会社が傾いたとされるが、僕はむしろ経営の問題だと思う。真の原因は「腐敗corruption」である。
カレジ=ンカンド氏は、どうもこのジェカミンの「腐敗」体制を正そうとしたようだ。しかし、ジェカミンは独裁モブツ時代から現在も「金蔓」。従って国のトップたちがカレジ=ンカンドを任命したのが間違いだと気づいて濡れ衣を着せたのだという解釈をするひともいる。

大学入学国家試験(バカロレア、コンゴではエグゼタExetatという)の結果発表が26日(土)に発表されたが、カタンガ州カレミ市では試験に失敗した生徒たちが学校を焼き払った事件が起きた。合格率のの悪い学校だったようだ。
シスター・アスンタ佐野さんがいるフランスシシコ会が経営するルイシャ校では受験生全員が毎年合格している。全員寄宿舎で女生徒だけの小中高一校だ。ミドル・クラス以上の家庭の子供たちしか通えない学校だろうがこうした優秀な学校もある。
ルブンバシでは放火された学校はなかったようだけれども、反対に合格した生徒たちがバイクで走り回り交通事故が多発した。せっかく合格してのにヘルメットもカブラズ暴走して命を落としてた例もある。
兎も角、腹いせに放火されてはかなわない。9月からの新学年度を前にして関係者は途方にくれている。

アフリカ諸国では銀行口座を開設しているひとが人口の10%にも満たない。大都市では多少数字が大きいだろうが、それでも企業を除くと僅かな数値である。
コンゴのエコノミスト、ケザ氏によると銀行が発達しない理由には次の3点があるという。
銀行ネットワークを構築する政策が不在であること。
銀行に信用がなく、伝統的「講」を利用していること。
携帯電話会社が電子バンキングを始めたこと。
RDCコンゴでみても、ルブンバシやキンシャサには外国銀行もあるし、地方銀行もある。しかし、一歩外にでると銀行の支店は全くない。僕がいる鉱山都市キプシ市でもやっと今年5月になって銀行の支店ができた。国際企業リオ・ティントの子会社が来たお陰である。
郵便局で預金が出来るシステムがない。第一、郵便局が機能しなくなって既に20年以上になる。農業協同組合は各地にあるが、地方ではその日暮らしで、預金をするような余裕のある家庭が少ない。精々箪笥預金になってしまう。
携帯電話会社が開発したバンキング・システムでは電話料金を別にすれば実際の各種支払いが出来ないままである。Vodacomm-pesaAirtel社のAirtel moneyに僕は課k入試たが、これでは買い物が一切出来ない。電話会社の営業時間外でもプリペイド電話料金を自分の携帯に送金できるメリットしかない。政府の役人や軍人、教師の給与をこの電話会社創設のマネーで支払うことになったのは、上司が給与を「ピンはね」してしまうのを防ぐ妙案だったが、政府による支払いの遅れや現金化が面倒なので評判が悪く、元のように上司が現金で払うシステムに一部戻っている。
ケニアではモーバイル・バンキング普及率が60%にも達しているそうだ。携帯会社の宣伝でマサイ人が山羊の売買取引を携帯を使ってしているのを見たことがある。
724日から2日間ブラザビルで開かれていたアフリカ経済フォーラムでは、高い教育を受けた人ほど銀行口座を持っているというリサーチが紹介され、銀行普及の鍵は教育であるとなったようだ。
ルブンバシでは2009年やっとATM現れた
現在ではかなり復旧している
観光立国セネガル、ケニヤ、タンザニアでは早くにATMが設置された

Les grands défis de la bancarisation en Afrique
Poids des traditions et Mobile banking tendent à éloigner les populations du système bancaire.
Avec la mondialisation des échanges, l’on pourrait penser qu’il y a des choses qui vont de soi. Par exemple, que tout le monde dispose d’un compte en banque. Pourtant, en Afrique, l’idée n’est pas du tout vraie. Moins de 10% des populations sur le continent, soit environ 10 millions de personnes, sont bancarisées. Et, selon les analystes, il s’agit du taux de bancarisation le plus bas au monde. Ce qui, dans bien des cas, peut ralentir la dynamique économique des pays de la région.

Et c’est précisément parce qu’il existe des liens entre la bancarisation et le développement socio-économique d’un pays  que la question a été retenue pour nourrir les échanges lors de la troisième édition du forum économique organisée par la version Afrique du magazine Forbes, les 24 et 25 juillet à Brazzaville (Congo). L’objectif de cette rencontre entre les décideurs politiques et les acteurs économiques africains et leurs partenaires est de «contribuer à construire les conditions de la confiance et de l’innovation, pour accélérer l’émergence du continent».

Mais, juste comme ça, petite question à 10 francs CFA: pourquoi si peu de personnes en Afrique disposent-elles d’un compte bancaire? La plupart des spécialistes s’accordent sur trois raisons que résume bien le magazine Next Afrique.

Il y a d’abord une question d’ordre politique et structurel. Partout sur le continent, les décideurs semblent peu prompts à faciliter l’installation et l’accessibilité des banques, avec une législation et des dispositifs adéquats.

Seulement, cela renforce les pesanteurs socioculturelles liées au sujet. Et c’est la seconde raison. En effet, comme l’explique l’économiste congolais Jean-Baptiste Keza qui a effectué des recherches pour le Centre d’études stratégiques du Bassin du Congo, le poids des traditions est tel que la confiance des populations à l’égard du système bancaire est proche du néant. L’habitude des fameuses tontines, ces sortes d’ancêtres du microcrédit, continuent d’être un maillon essentiel des circuits informels d’épargne.

Le tout repose sur la confiance fondée sur des liens d’amitié, de fraternité ou de clan. De quoi s’agit-il? Des personnes créent un pot commun où chacune verse la même somme d’argent à échéance régulière, le total revient ensuite à chacun à tour de rôle, sans intérêts. C’est du moins la définition qu’en donne l’économiste F. Bouman, à la fin des années 1970.  Dans ces conditions, rien de plus compréhensible que les populations ne maîtrisent pas toujours les codes du système bancaire et fassent peu confiance à ce dernier. Jean-Baptiste Keza trouve d’ailleurs cela normal:

«La solidarité et la confiance que les individus se font au sein d’un groupe plus ou moins élargi constitue une meilleure garantie pour la microfinance.»

Ceci, se comprend d’autant plus que le manque de confiance existe d’ailleurs dans les deux sens, puisque les banques, elles aussi, craignent une insolvabilité des populations.

«Une des solutions réside dans l’association des banques classiques avec les banques islamiques [puisque les opérations n’y sont soumises à aucun intérêt] pour fournir des financement mixtes où les taux d’intérêt  prohibé est remplacé par un taux de rendement sur des activités réelles», souligne Jean-Baptiste Keza.

La troisième explication à la faible bancarisation de l’Afrique réside aussi dans le développement rapide du mobile banking. Presque partout sur le continent, et notamment au Kenya, la plupart des opérations bancaires s’effectuent via les téléphones portables. Le Kenya, avec son système de mobile banking M-Pesa, avait d’ailleurs fait dire à The Atlantic que c’est «LA solution qui portera le monde rural à l’économie moderne». Plus de 60% de la population adulte au Kenya est adepte du mobile banking.

Mais par-dessus tout, l’une des pistes que doit explorer le Forum Forbes Africa pour répondre au défi de la bancarisation en Afrique, est celle de l’éducation. Car, selon une étude de Global Findex, les taux de bancarisations sont proportionnels aux taux d’éducation. En Afrique, 55% des personnes ayant suivi un enseignement supérieur ont des comptes bancaires.

27 juillet 2014

7月27日 昆虫食(アントモファジー) entomophagie

Le dimanche 27 juillet 2014
7時、快晴、1947.5

一月前に『Slate Afrique』の記事を引用、「市営墓地に学校や住宅が建っている」と書いた。ヨーロッパの他紙でも本件が報道されていた。
この墓地内の数十件軒の宅や学校が軍隊の手で7月取り壊された。ブルドーザーが来て家々を破壊していったのだという。軍隊は大統領命令だと言ったらしい。その真偽は定かではない。しかし、代替の土地や家が提供されたわけではなく、ただただ破壊し、抵抗した住民には暴力が振るわれたようだ。
住民は行くところがないのだから再建するといい、廃墟にレンガ積みを始めている。不法に売買された土地とはいえ、必ずしも住民側に瑕疵があるとは言えず、当局には穏便に処理して欲しいところである。

南キヴ州とカタンガ州の境を流れるキインビ川で金が採れる。そこで鉱業的開発が始まった。ところが両州が徴税で争っている。どちらの州に徴税権があるのかがはっきりしない。こういう問題は国際河川でもありそうだ。
タンガニーカ湖畔のカレミ市はキインビ川のバンデーラ・ダムから水と電気の供給を数十年前から受けている。水はRegideso、電気はSnelだから国営会社。彼らが税金をはらっているとすれば国家だから問題がない。結局、専門家と両州で委員会を作り話し合うことになった。多分税金を折半するのではないかと僕は思う。

昆虫を食べることをentomophagieというと知った。日本語では昆虫食というようだ。日本ではハチの幼虫とかイナゴが食される。フランス料理のエスカルゴは巻貝だから昆虫ではないが似たようなものだといってはいけないだろうか。
下記の記事は『Jeune Afrique』電子版である。キンシャサのマーケットで売られている昆虫を珍しげに書いている。しかし、これはキンシャサに限ったことでもなく、ルブンバシでもあるいはザンビアやタンザニアなど近隣諸国でもマーケットにおいてある。イモムシ、コクゾウムシの幼虫、アリなどである。
うちのクリスチャンも干からびたイモムシを近所の店で買ってきてピーナツや野菜と煮たり油で炒めて食べる。僕は香りと形状が「怖い」ので食さない。枡売りで計り売りはしていない。食肉より多少安い程度で「貧乏人」の食ではない。蛋白質が豊富なのだそうだ。粉にしてミルクに混ぜて6ヶ月以上の乳児にもあたえるというから、それなら食べられると思うが試していない。
ヒトは何でも食べる雑食動物だが、サルを食べてしまうよりずっといいとは思う。火を通すので、衛生的とは思えない売り方がされているが健康には問題ないと思う。しかし、この食材もカタンガ州ではザンビアから輸入されている。自給できないのは貧困になってしまったインフラの所為である。
それにしても食べず嫌いはいけないかなぁ。
マーケットで売られている昆虫類
(キンシャサ)
A Kinshasa, on croque chenilles ou larves pour le plaisir et les protéines
20/07/2014 à 09:09

Au marché Gambela de Kinshasa, on trouve des insectes pour tous les goûts: grosse larves de charançon blanches qui laisseront une impression d'onctuosité dans la bouche, chenilles légèrement croquantes ou termites cassant sous la dent.
Ces plaisirs sont à la portée de toutes les bourses et constituent une source de protéines à moindre coût, mais les véritables amateurs en défendent les vertus gastronomiques.
La fréquentation des étals des marchandes d'insectes prouve l'engouement des Kinois pour cette nourriture généralement bouillie ou frite.
"Les chenilles et même les autres insectes que nous mangeons sont très riches en protéines", soutient Maguy Manase, vendeuse.
Les chenilles sont vendues séchées, vivantes ou bouillies, dans des casseroles, des sacs ou dressées en pyramide sur les étals en bois vieilli ou à même le sol. Les termites, vivants, sont ramassés à la louche dans une casserole pour venir emplir le sac du client. En saison, on trouve aussi des sauterelles.
Les prix varient fortement d'une espèce à l'autre. Elise Yawakana s'est procurée six grosses larves bien grasses à 1. 000 francs congolais (environ 0,8 euro ou 1,1 dollar). Pour cette sexagénaire, "c'est un menu spécial", "un repas de luxe". Plus commun, un gobelet de chenilles se vend à 1. 500 francs (1,2 euro ou 1,6 dollar).
Les chenilles sont "mieux que les vivres frais", lance Marie Nzumba, vendeuse de chenilles depuis 15 ans, pour écouler sa marchandise.
En République démocratique du Congo, près de 90% de la population vit avec moins de 1,25 dollar par jour selon l'ONU. Conscientes de l'intérêt nutritionnel des insectes, les autorités sanitaires organisent des séances de sensibilisation pour inciter les femmes à en inclure régulièrement dans l'alimentation de leurs enfants.
Au Centre de santé "Boyambi" tenu par l'Armée du salut, ces séances sont quotidiennes.
Emilie Kizayako Mpiedi, infirmière, appelle les mères à servir une bouillie à base de farine de chenilles comme supplément alimentaire au lait maternel pour leurs nourrissons de plus de 6 mois.
- Acides aminés -
Un tel traitement permet de soigner les enfants souffrant de malnutrition, explique le Dr Véronique Mbuzi, alors que selon le Programme alimentaire mondial, 52% des enfants de moins de cinq ans sont atteints de malnutrition chronique ou aiguë en RDC.
Les chenilles "sont à la portée de toutes les bourses", mais ce n'est pas pour autant "une nourriture de pauvres", insiste l'infirmière pour vanter la qualité nutritionnelle de ces ingrédients.
Notant qu'un habitant de la planète sur trois consomme déjà des insectes, l'Organisation des Nations unies pour l'alimentation et l'agriculture (FAO) préconise dans un rapport récent (http://www. fao. org/forestry/edibleinsects/fr/) le développement de l'entomophagie (consommation d'insectes) pour "répondre aux problèmes de la sécurité alimentaire humaine et animale".
"Les insectes comestibles contiennent des protéines de haute qualité, des vitamines et des acides aminés pour les humains", indique ce document qui plaide pour un développement des fermes d'insectes.
Selon la FAO, l'entomophagie pourrait contribuer à nourrir les 9 milliards d'habitants que la planète devrait compter en 2030 en préservant mieux l'environnement que ne le fait l'élevage traditionnel.
Pour l'heure, à Kinshasa, la totalité des insectes consommés sont récoltés à l'état naturel, et la grande majorité provient de la forêt équatoriale qui couvre les provinces de Bandundu et de l'Equateur (Ouest de la RDC).
On mange aussi simplement les insectes parce que l'on aime ça, comme Bonaventure, qui en savoure un plat dans un boui-boui de Kinshasa. "C'est bon", dit ce chauffeur quinquagénaire en souriant, "c'est une nourriture que j'aime, je la préfère à la viande". Chenilles à la "mwambe" (sauce d'arachides), aux légumes, en friture ou à la tomate: pour lui, chaque recette est un plaisir.
De nombreux restaurants de fortune en servent tous les jours en friture avec du piment pour accompagner le "fufu", pâte ferme à base de farine de maïs et de manioc.

C'est notamment une nourriture de fête. Dans ce cas précise Ginette Ngandu, tenancière, les clients commandent souvent "d'avance leurs plats de chenilles" pour être sûr qu'ils leur soient servis.

26 juillet 2014

7月26日 マリ北部反政府軍6派が停戦(アルジェ合意) Accord inter-malien à Alger

Le samedi 26 juillet 2014
5時、快晴、18℃47.5

5時起きしたのはジャン君(ハイエース運転手)が6時に来るのに備えた。ハイエースのガソリンを満タンにするためだ。金を渡せば済むことだが、凡その検討で金を渡したらまだ信用はできない。だから僕がスタンドで支払う必要があった。満タンで91000フラン(9100円)、100ドルで2000フランの釣りがきた。ガソリンは1650から値下がりして1500フランになっていた。キンシャサではガソリン不足で大幅値上がりしたときいているが、ルブンバシは逆に値下がったわけである。ここのガソリンは主としてタンザニアまたはザンビアから輸入されている。ガソリンがスタンドで切れたことはない。

Excelファイルが3月から尋常では開けなかった。Geeegle日本語で開けないExcelを開けるようにする解説が出ていた。半信半疑で実行してみた。今日作ったファイルが開けなくなったので必死だった。解説は日本語。Excelのバージョンも違う。僕のExcelはフランス語。日本語は直訳調だからやかったのかもしれない。Excelが開けたときの嬉しかったこと、嬉しかったこと。

2019年のサッカー・アフリカ杯の開催地としてRDCコンゴが決まっていた。開催準備を調査するアフリカ・サッカー連盟の代表団が716日からRDCコンゴに来るはずだった。しかし、突如RDCコンゴが開催中止を連盟に伝えたようだ。調査団派遣は勿論取りやめになった。開催中止の理由が明らかにされていない。アルジェリア、カメルーン、コート・ジボワール、ギニア、ザンビアと争って開催地に決定されたアフリカ杯開催だっただけに憶測を呼ぶ。まだ開催までに5年もあるというのに。僕は2年後に控えた大統領選挙の所為ではないかと思う。カビラ大統領が3選されるためには憲法222条改正が必要だが、国際社会また国内の野党、教会等から3選反対の声が上がっている。確かにカビラ大統領は43歳と若く、国会で圧倒的多数派を構成しているのだから憲法改正も無理ではない。しかし、3選となった場合、武力闘争を含めた混乱が予想される。
政治日程が不透明な中、たとえ5年後でも毎年予算をつけて準備しなければならない国際大会に踏切れなかったのだと思う。
東京オリンピックに限らず、大きなスポーツ大開は政治的な決定である。

RDCコンゴでは今日がバカロレア(大学入学資格試験)の結果発表日。若者が夜になって大騒ぎをしている。こんな夜に出かける馬鹿はいない。合格者が頭に粉(トウモロコシや小麦など)をかけられて喜ぶのはいいとして喧嘩になると困るなぁと心配する。ジャン君も車も無事に2045分に帰ってきた。

アルジェリアの仲介で先週19日(土)からマリ政府と反政府勢力が話し合いに入っていたが、一週間のネゴで反政府6集団(トアレグ及びアラブ)と中央政府が停戦協定にサインした。これは成功なのだろう。どこまで誰が譲歩したのか詳細が語られていないが、いわゆるマグレブ・アルカイダは中に入っていないようなので、実効性のほどが不明。
マリの反政府武装集団の代表たち
(アルジェ)
Accord inter-malien à Alger
Dernière mise à jour: 24 juillet, 2014 - 18:55 GMT

Les pourparlers avec les groupes rebelles se tenaient depuis le 16 juillet
Après plus d'une semaine de délibérations en Algérie, le gouvernement malien et les groupes armés ont signé un accord de cessation des hostilités.
Il s'agit de six groupes armés, touaregs et arabes du nord du Mali.
Le document paraphé dans le cadre des négociations de paix est une "feuille de route" destinée à "la mise en place d'un cadre pour des négociations de paix pour permettre l'émergence d'une solution globale et négociée."

La réunion en Algérie était rendue difficile par le rejet que des groupes armés réservaient à d'autres qu'ils présentaient comme indigne du titre d'interlocuteur approprié.

7月25日 エール・アルジェリーのマリ北部上空墜落事故 Vol AH 5017: aucun survivant

Le vendredi 25 juillet 2014
6時、快晴、1850

車検が昨日終わったのでハイエースに乗客用の椅子をすえつけた。日本では貨物輸送用に使っていた車で運転手の後ろの席は一列しかなかった。そのシートを外してここのタクシーバスとして乗客18人乗りとするのである。運転手をいれて、ひとり平均70kgとすると1330kgでハイエースの上限となる。
夕方改造を終わった車で初営業。16500フランの売り上げは運転手ジャン君に全額進呈した。甘いかな。割と時間を守る青年なので採用した。

エール・アルジェリーの飛行機が24日墜落した。犠牲者100名を超える。その半数がフランス人だ。ブルキナの首都ウアガドグOuagadougouとアルジェを結ぶフライトだった。
僕はこんなラインがあることを知らなかった。アルジェリアとブルキナが経済的に強い関係にあるとは思えない。乗客にアルジェリア人は6人しかいなかった。
アルジェから南に行く飛行機は少ない。アルジェリア政府は政治的な理由でマリ、ニジェール等に飛行機を飛ばしている。アルジェリア陣営にサハラ周辺国を、おそらくモロッコとの対抗の為に、兄弟国として外交している。採算にのる路線では通常はない。
アルジェやオランからフランスの諸都市に向かう飛行機は新しく機種もいい。しかし、僕がアルジェからダカールに行ったときに乗ったのはアール・アルジェリーがトルコ航空からレンタルした酷い飛行機だった。座席はボロボロ、トイレは悪臭を放ち、乗組員を含めたレンタルでホステスたちもフランス語ができなかった。
今回堕ちた飛行機もレンタルのようだ。スペインの会社から借りた飛行機らしい。整備はきちんとされているとフランスの外務大臣が云っていたが本当かなぁ。
ウクライナに続いて、戦闘地帯マリ北部上空を飛んでいたのもおかしい。
亡くなったフランス人たちは、エール・フランスに乗りたかっただろうが、何かの事情でアルジェリア経由の帰国になったのだと思われる。フランス政府は今日発見されたフライト・レコーダーを含めて事情説明を明日土曜日にすると発表している。
この事故も防げた事故であるように思う。
エール・アルジェリーの事故現場
(マリ)
Vol AH 5017: aucun survivant

La compagnie Air Algérie a annoncé avoir perdu le contact avec un de ses appareils 50 minutes après son décollage de Ouagadougou au Burkina Faso.
Air Algérie informe que les services de navigation aérienne ont eu leur dernier contact avec l’avion à 1h55 GMT. Son arrivée était prévue à 5h10 (heure locale).
Le vol AH5017 transportait à son bord 118 passagers. L'avion, un McDouglas MD83 appartenait à la compagnie espagnole Swiftair.
Le contact avec l'avion a été perdu alors qu'il survolait le nord du Mali.
Après plus d’une journée de recherche, aucun survivant n'a été découvert à la suite du crash de l'avion d'Air Algérie survenu, a annoncé le président français François Hollande.
Le président malien Ibrahim Boubacar Keita a survolé vendredi après-midi le site où s'est écrasé l'appareil. Il a déclaré que son pays va collaborer avec l'Algérie, le Burkina Faso et la France dans le cadre de l'enquête pour faire la lumière sur les circonstances de la catastrophe.
Le bilan a été revu à la hausse, passant de 116 à 118 passagers. "Il n'y a hélas aucun survivant, je partage la douleur des familles", a déploré le chef de l'Etat français François Hollande, vendredi en fin de matinée.
Il a toutefois indiqué qu’une boîte noire a été retrouvée vendredi au milieu des débris de l'avion désintégré retrouvé dans le nord du Mali, près de la frontière avec le Burkina Faso.
Cette découverte devrait aider à déterminer les causes de la chute du vol AH 5017.
Un détachement terrestre d'une centaine de soldats français est arrivée sur les lieux du crash tôt vendredi matin. Des enquêteurs français sont attendus sur les lieux.

L'avion aurait pu s'écraser pour des raisons liées aux conditions météorologiques.
Selon le ministère français de la Défense, leur mission est de "sécuriser la zone".

A Ouagadougou, le gouvernement a décrété deux jours de deuil national à compter de vendredi, à la mémoire des 118 victimes du vol HA 5017 d’Air Algérie.

7月24日 公害プラスチック(カメルーンの場合他) Cameroun: sacs plastiques indésirables

Le jeudi 24 juillet 2014
6時、快晴、1847.5

運輸省のアントワーヌさんからハイエースの車検証とタクシー営業許可をもらった。取得に20日かかった。これでも早い方だろう。経費170ドル。車検のために車は移動させなかった。つまり、書類審査だけ。建前は検査場に行って本当に点検するらしい。しかし、検査場は長蛇の列で、行った日に検査されるとは限らない。何回通わなければならないのかもわからない。そこはコンゴらしく多少検査費用を上積みすると書類だけの検査になるのである。

グリーン・ピースをルーシー小母さんから買った。鞘付きである。30分以上かけて豆を取出して茹でた。ネットでみると3分で茹で上がることになっているが、5分とちょっとしないと青臭くて食べられない。カタンガの野菜は固いのか、鞘インゲンは12分以上、大豆は半日以上煮ないといけない。

ヤスミナ・カドラ『昼が夜に負うもの』を終えたので、CCF(フランス文化会館)からクロード・レビ=ストロース『悲しき熱帯Tristes tropiques』{1984年文庫版}を借り出した。1955年のベストセラーだそうだ。字がとてつもなく小さく497ページもある本なのでとても夏休みに読み終えられるとは思えない。多分拾い読みしていくだろう。

ルワンダに入国する際の荷物検査でプラスチック袋が発見されると没収される。だから事前に紙袋に詰め替える必要がある。かなり厳しい検査ときいている。それはアメリカ独裁職の強いキガリ大統領政権だからできることだろう。それでも、キガリのマーケットでプラスチック袋を求めるのは容易なようだ。
カメルーンでもプラスチック袋使用が禁止されて2ヶ月になる。その間国境で没収されたプラスチック袋は215トンにも登るのだそうだ。かなり懸命に環境を心配している。
RDCコンゴも法律上はバイオプラスチックではないプラスチック袋は生産および使用が禁止されている。しかし、現実にはそんな禁止など何処吹く風、マーケットでもスーパーでも平気で包装に使われている。道路でも公園でもプラスチックのゴミであふれいている。
しかし、バイオマスプラスチックは新しい産業を生むわけであるし、環境に「優しい」ので歓迎されるだろうけれども、コスト面でアフリカではまだまだ無理があるように思う。プラスチック袋と同じ値段なら問題はないが、代替が用意されずに「環境、環境」といってもひとはついてこない。
ルブンバシにEUのお金までつけてもらってNPOがプラスチック・ボトルの再利用プラントをつくった。4年前のことである。ところが電気供給がなく、またNPOの職員もころころ代わり未だにプラントは稼動していない。街中のプラスチック・ボトルを何銭かで買い集め、失対にもなるというプロジェクトだった。僕はとっくに動いているのかとおもったが、先週たまたまそのNPOの代表に街で遭ったら、彼はNPOを退職していたし、プラントも未稼働だと聞いた。プラントンの機械は通関し設置されていたのを見ているので、運用資金が僕はどこかに消えたのだろうと思う。
バイオプラスチックにもどれば、僕は強権発動でプラスチック使用を止めるよりは、先ずはゴミ集めをしてもらいたいと思っている。
バイオプラスチックの袋
アフリカでは木を伐採する紙袋は物の問題を生む
Cameroun: sacs plastiques indésirables
Dernière mise à jour: 23 juillet, 2014 - 16:18 GMT

Les services de contrôle et répression ont saisi 215 tonnes d’emballages dans la région du littoral
Au Cameroun, la traque contre l'utilisation des emballages plastiques non biodégradables est en cours.
A la faveur d'une campagne lancée par le ministère de l'environnement et de la protection de la nature, les autorités annoncent avoir saisi 215 tonnes d'emballages plastiques.
Cela fait quasiment deux mois que la commercialisation des emballages plastiques non biodégradables a été interdite dans le pays mais certaines grandes surfaces refusent d'appliquer la règlementation en vigueur.
Depuis la mise en application de la mesure sur le territoire camerounais, la circulation des sachets a effectivement baissé.
Pourtant au marché de la ville de Douala, ils sont encore vendus aux clients.
Selon les responsables de la protection de l'environnement la circulation de ces sachets plastiques non autorises est le fait de sociétés illégales.

Le ministère de l'Environnement camerounais déplore aussi la présence d'emballages en plastique non biodégradables frauduleusement importés des pays voisins.

23 juillet 2014

7月23日 ガンビア:独裁20周年 Jammeh : 20 ans de règne

Le mercredi 23 juillet 2014
7時、快晴、18℃、45%。

チーコちゃんはまだ健康ではないようだ。僕を見て飛び掛ってくるよなことはないが、こんどはマーゴを抱きかかえて離さず、声をかけると「ギャオー」。マーゴがまるで彼女の子供のように庇う仕草をする。精神を病んでいるのかなぁ。チーコは酷く痩せたような気がする。
マーゴちゃんを放さないチーコちゃん

一方マドンナちゃんはフルバ(悪知恵が働く)で、ちょっと目を離すと家の敷地から出て遊びに行く。塀のどこか、隙間があるところを見付けて抜け出すのである。いけないと諭すと大人しく聞いているが、背をむけると直ぐに「舌を出す」。

物騒なことで、首都キンシャサの大統領府衛兵キャンプが昨日22日午後何者かに襲撃されだ。銃撃戦で7名の死者を出した。

ブラザビル(コンゴ共和国の首都)で中央アフリカ共和国の内戦の当事者を集めて和平交渉を21日(月)からしているが頓挫している様子。イスラム系反政府軍セレカの代表はブラザビルに来たものの和平協定書に署名する段階でホテルに閉じこもって出てこないというのである。セレカ内部の問題なのだろうか。厄介なことだ。今日明日の成行きをみよう。

ナイジェリアの大統領グッドラック・ジョナサンが4月中旬にイスラミスト「ボコ・ハラム」によって拉致された女子高校生の親たちに初めて会った。現地チボク村に大統領が行く予定は何回も延期になり、被害者の親たちが政府の手配で大統領府に招かれた。大統領はリップ。サービスに終始した。いままで手出し出来ずにいるジョナサン大統領の言葉を誰が信じるだろう。

ガンビア、この国もどうなっているのだろう。セネガルに楔を打ち込んだような国土は英国とフランスのアフリカ分割の象徴である。最近英連邦を離脱、英語を公用語から排斥していまった。独立独歩といえば聞こえがいいが孤立無縁。ヤヒア・ジャメ大統領はダウダ・カイラバ・ジャワラ大統領を倒してから独裁だ。既に20年。選挙をする気配などとんとない。
しかも首都バンジュルBanjulは欧州の女性を相手とする男性売春で有名なところなのである。去年男性売春を犯罪化する法律ができたというが、それは男性売春が横行していることを認めたにすぎない。
独裁20周年記念が722日(火)だった。ジャメ大統領は49歳。いずれはリビアのカダフィのような運命を辿るに違いなかろう。
ジャメ大統領
(ガンビア)
Jammeh : 20 ans de règne
Dernière mise à jour: 22 juillet, 2014 - 17:37 GMT

Le mardi 22 juillet 2014 marque le 20e anniversaire de l’accession du Président gambien, Yahya Jammeh, au pouvoir.
Le 22 juillet 1994, un groupe de jeunes officiers dirigés par le lieutenant renversait le président gambien Dawda Kairaba Jawara.
Le nouveau dirigeant s'autoproclame président de la République et installe un climat de terreur marqué par de nombreuses violations des droits de l'homme, selon les ONG.
Plusieurs journalistes décident de quitter le pays.
Le directeur de publication du quotidien Le Point, Deyda Hydara, sévère envers le régime, sera tué dans des conditions qui n'ont jusqu'à présent toujours pas été élucidées.
Opposants, journalistes, et activistes des droits de l'homme font encore souvent les frais des excès de colère du chef de l'état gambien.
Il y a quelques années, il a annoncé avoir découvert en lui des pouvoirs mystiques pouvant lui permettre de guérir la stérilité, le sida ou encore le diabète.

Face aux critiques de ses détracteurs et des organisations de défense de droits de l'homme, l'homme reste imperturbable et continue de diriger son pays d'"une main de fer".

22 juillet 2014

7月22日 東アフリカで携帯電話国境廃止 Téléphonie : le Rwanda, le Kenya et l'Ouganda abolissent leurs frontières

Le mardi 22 juillet 2014
7時、快晴、20℃、50%。

東アフリカの三国、ケニア、ウガンダ、ルワンダへの入国ビザが今年220から共通ビザになっている。それぞれの国のビザをとる必要がなくなった。もっとも別個にビザ取得をすることも可能ということだが、100ドルで共通ビザをいずれかの国の領事館で発行してくれる。30ドルはど安くなった。本当はビザなしで通行できる方がいいに決まっているがその前の段階なのだろう。この新システムには今年末前にタンザニア、ブルンジ、南スーダンが加わる。三国共通ビザも予定は今年11日からだったが、、ま、多少遅れて2月下旬となった。
上記と多分関連して、この三国間の国際電話が国内電話料金設定に今年91日からなる。60%相当の値下げになるらしい。ローミングはやはり高くつくからテレコムの改善である。
税関事務はタンザニアを含めて簡素化する。西アフリカ同様東アフリカがこうして結束を固めてゆくのは歓迎だ。東アフリカ共同体(CEA)の具体的な成果と思う。
この夏休み(ここでは冬休み)にマラウィに行く計画だが、マラウィは日本人にもコンゴ人にも入国査証を要求しない。コンゴ人はジンバブウェにもビザなしで入れる。ところがザンビア入国にはコンゴ人でも50ドル払わなければならない。国境周辺だけなら200フラン(20円)で国境通過チケットが発行されるが、それでは国境のマーケットにいけるだけだ。ザンビアを通過してマラウィに行くためには再入国のため70ドルをコンゴ人も僕も払う。カタンガ州とザンビアの国境線は長い。これは外交問題だけれども、ビザを撤廃して自由な通行が確保されることが望まれる。
携帯電話はアフリカではなくてはならない必需品
アルジェリアでは「アラブ電話」といって
口から口へニュースが伝わると云われたが、
今や携帯の時代、アフリカ人はおしゃべりが好き
Téléphonie : le Rwanda, le Kenya et l'Ouganda abolissent leurs frontières
jeudi 10 juillet 2014 16:32

Dès septembre prochain, les coûts de communication entre le Rwanda, le Kenya et l’Ouganda se feront aux tarifs des communications locales. Cette mesure devrait entraîner une baisse de 60 % du coût des communications transfrontalières.

ナイロビ
(ケニア)
À partir du 1er septembre prochain, le Rwanda, le Kenya et l’Ouganda vont abolir les frontières existant entre eux, en matière de téléphonie. Les trois États ont lancé, le 08 juillet dernier, en marge du 6e sommet "Intégration du corridor nord", l’initiative "One-network-aera". En vertu de cet accord - qui devrait être étendu au Soudan du Sud à partir du 31 décembre 2014 - les appels téléphoniques entre ces pays seront facturés au coût des communications locales.

De même, les coûts de roaming seront supprimés entre les quatre États parties de cette convention. Plus concrètement, cela signifie que les abonnés au téléphone mobile circulant à travers ces pays bénéficieront des mêmes tarifs de communication que ceux appliqués pour les communications locales dans le pays de visite.

Baisse de 60 % des couts de communication

Selon le communiqué publié sur le site du gouvernement rwandais, "les opérateurs de téléphonie mobile devront renégocier leurs accords bilatéraux pour assurer la mise en oeuvre complète de l’accord aux dates indiquées".

Toujours selon la même source, l’application de cette mesure devrait entraîner une baisse moyenne de 60% des coûts de communication entre les pays membres de l’accord, "ce qui devrait accroître les échanges et le commerce transfrontaliers" dans cette région.

Cette initiative est une preuve, s’il en fallait, de l’intensité croissante et de l’ambition régionale des pays d’Afrique orientale. Qu’il s’agisse de transport, de finance et de tourisme, le Rwanda, le Kenya, l’Ouganda, le Sud Soudan, mais aussi la Tanzanie et le Burundi ont mis en place des projets régionaux aussi audacieux qu’originaux au cours des dernières années.

Par exemple, depuis le début de l’année 2014, le Kenya, l'Ouganda et le Rwanda ont instauré un visa touristique commun aux trois pays, une initiative qui pourrait être étendue aux deux autres membres de la Communauté d’Afrique de l’Est (CEA).

"Coalition des enthousiastes"

En octobre dernier, le Rwanda, le Kenya et l’Ouganda, la "coalition des enthousiastes" au sein de la CEA, ont instauré une union douanière afin de simplifier et d’accélérer le transit transfrontalier des marchandises. En 2013, ces trois pays ont lancé, avec la Tanzanie, l'ambitieux projet de ligne ferroviaire entre Nairobi, Kampala, Kigali, Bujumbura et Juba, au coût estimé à quatre milliards de dollars.


Enfin, début juillet, le Burundi, le Kenya, l'Ouganda, le Rwanda et le Soudan du Sud ont créé l'East African exchange (EAX), une nouvelle bourse régionale des matières premières, basée à Kigali.