19 novembre 2010

11月16日~19日 les 16, 17, 18, 19 novembre 2010 お湯シャワー・ユニット他

Le 16 novembre 2010, mardi
快晴。

夜のうちにマドンナがまたまた垣根を破壊してくれた。懲りない彼女。

ネット不通。今月に入って珍しいダウン。8時40分回復。

建具屋Sebastienが、昨日取り付けた物置の戸の代金を取り立てに8時20分にやって来た。戸と下の隙間を塞ぐ板を取り付けた。しかし、閂(かんぬき)などがついていないので、僕が手持ちの閂をつけさせた。戸をつけたのはいいが、閉める手段を考えていないのはプロとしておかしい。

配管工Ilungaが10時にやっと来た。湯沸し器をとりつけるためである。ただ必要なニップルやT字管などパーツを勘定して帰ってしまった。僕がルブンバシでパーツを買うことにした。彼に任せたらいつになるかわからない。しかし、電気屋Pelikanが来ないし、お湯のシャワーは一体いつ浴びられるのだろう。その頃は断水だったり、水圧がなかったりしないでくれ。雨季に入ったが、だからといって水が有り余っているわけではないだろうし、ポンプがまた壊れるかもしれない。

昨日買ったアヴォカドを食べてみた。久しぶりにクリーミィ。雨季になりアヴォカドの季節になってきたのだろう。家のマンゴも日に日に実が大きくなって来ている。まもなく食べ頃だ。

メイルの下書きファイルに32通ものメイルがたまっていた。実際には発進できたメイルもあるが、恐ろしいことに出ていないメイルもあるようだ。返信したと思ったメイルが実はでていないなんて大変だ。これから余程気をつけないといけない。反省。

Le 17 novembre 2010, mercredi
快晴。

今週の日曜日にルサカ(隣国ザンビアの首都、ここから436km)に出張することになり、ザンビア領事館で入国ビザ申請。翌日発行。写真が古いといわれ、街中で証明書サイズの写真を急ぎ撮った。エジプト人の写真屋らしい。15分。インスタントの写真ボックスがルブンバシにないとは。

Le 18 novembre 2010, jeudi
曇。夜のうちに雨が降ったようだ。

過日、インスタント・ラーメンが安売りだれていたので10個買った。1個350フラン(35円以下)。ThaiSpacyとある。袋に入ったスープの素は捨てる。麵だけを使うのである。スープは自分で作る。

17時、まだフランシスコ会の修道院で大型ファイルをdownload中、激しい雨が降った。家で使っているインタネット接続では1メガはおろか800Kでもファイルを受け取れないことがある。いや、ほとんど受け取れない。そこで、フランシスコ会のPCでdownloadしてUSBメモリーに落としたのである。街中のネットカフェでもトライしたがdownloadできなかったので、フランシスコ会にお願いした。いつも親切に協力してもらっている。有難いことだ。

ザンビア入国査証取得。

夜は、相当に寒い。風邪をひきそうだ。

Le 19 novembre 2010, vendredi
曇のち快晴。

明日ザンビアに入ってしまうことにした。日曜日にルサカで打ち合わせがある。これは絶対にミスできない。従って不測の事態にそなえて早めにザンビアに入っておく方がいいだろう。カスンバレサ国境の手続きも何が起こるかわからない。

洗濯物の乾きがやはり雨季なのか遅い。ジーンズが乾くのに3時間もかかる。

カメラが見当たらない。どこに紛失したのかわからない。最後はマドンナとチーコを撮った11月8日。ブログの写真に日付が入っている。その後どこにしまったのか、とんと思い出さない。机の引出しに入れておいたのでは、盗まれやすいと考えて移動させた気がするのだが、果たして何処へ。使用している部屋は少ないのだから直ぐに見つかっても良さそうなものだが。カメラを持って撮影に外に出る趣味はない。必要なときしかカメラを使わない。このカメラは去年バルセロナで買ったものだ。アルジェリアに日本から持って行ったカメラは案の定盗まれた。まずもってアルジェリア人全てが泥棒と思って間違いない。それほどにものを紛失したら出てこない。ルブンバシでは、携帯を置き忘れてもちゃんととって置いてくれた。全然泥棒がいないとはいわない。しかし、

ペリカンがやってきて、台所の蛍光灯を修理。やっとまた明るくなった。蛍光灯一本だけだと暗いのだ。お湯シャワー・ユニットを据え付けたいが、ペリカンは電気配線をどうしたらいいか発見できなかった。ユニットのとこに電気を入れればいいのかわからない。確かに分かり難い。説明書に図がない。図Xを参照せよという図が見当たらない。おかしな仕様書だ。メーカーはAristonだが中国製。ダルエスサラムに問い合わせることにした。

すっかり風邪をひいたようだ。鼻水。喉も痛い。微熱も。36度9分。早寝したいがマドンナに食事を作らなければ寝るわけにはいかない。

19時、断水。電気が瞬間切れたが、その所為だろうか。

早く床につきたい。怪しい突風が吹き始めた。雷まで鳴っている。

11月13日~15日 les 13, 14, 15 novembre 2010 破壊者マドンナ Madonna dextructrice

Le 13 novembre 2010, samedi
晴れ。

7時断水。11時回復。

マドンナがよく吠えるようになってきた。見知らぬ仁が敷地に近づけば吠える。番犬らしくなった。そこで昨日は僕の留守中に庭に放しておいた。彼女を怖がって誰も家に近づかない。それはいい。夜も食事のあと、庭に放しておいたが。ところが、これまで以上に悪戯が激しかった。隣家との垣根、塞いでおいた垣根は破壊、隣の小学校との間に目隠しにとりつけた「よしず」を数枚剥がして、その内の一枚をばらばらにしてしまった。さらに昨日大きな石をおいて閉めた物置の戸をまたまた壊した。サロンの前の花壇のアロエを食い千切ってしまった。今朝、懲らしめたがきっと今夜はけろりと忘れているのだろう。

今夜はコンゴはルブンバシの「TP Mazembe」とチュニジアの「Esperance de Tunis」のアフリカ・チャンピオンの決勝戦。「エンスペランス」の本拠地チュニスで試合が行われる。RFIでも中継。途中で雷がなり始めて、ラジオが聞こえなくなってしまった。RFIは本当に雷に弱い。雨も激しい。結局1-1の引き分けだった。従って前回ホームで5-0という大差で「エスペランス」を下している「マゼンベ」がアフリカ大陸のトップに立った。42年振りに連勝。150万ドルの賞金も獲得。おめでとう!
「マゼンベ」のニューズは日本では時事通信が伝えていたが、新聞社、TV局は無視したようだ。

Le 14 novembre 2010, dimanche
曇。かなり涼しい朝方。珍しく陽が射さない。東の空は晴れつつあるというのに。12時過ぎ太陽が現れた。

大掃除。人が来る予定もあって、ついでなので、羽蟻の屍骸、外から土足で入るために溜まった砂や土等をモップで拭き取った。

夕方、にわか雨。
お客さんたちとキプシの小さな人口湖の畔にあるレストランに行った。コロネル(連隊長)クンダがオーナー。しかし、天気が悪いにしても客は僕たち以外いなかった。メニューも鶏か魚(ティラピア)しかない。立地はいいのにこれでは客がいないのも不思議はない。

Le 15 novembre 2010, lundi
快晴。

このところルブンバシで夜になってしまうことが多く、レストランの食事になっている。早くて美味いのは中華料理。ギリシャ。サークルの一角にできた中華料理がルブンバシでは一番出来がいいとおもわれる。今日もそこで食事をした。しかし食べ過ぎ。海苔のスープ、揚げた豆腐と野菜の和え物、焼き餃子、牛肉の細切りとピーマン。豆腐は自家製を売ってくれるそうだ。

21時半帰宅。

14 novembre 2010

11月12日 le vendredi 12 novembre 2010 サン・マルタン島他 Saint-Martin, etc

Le 12 novembre 2010, vendredi
快晴。夜半雨。

マドンナを夜中、庭に放しているが、お仕置きの効果か昨夜は隣家には出ていない。ところが、物置の戸をこじ開けて中に入り、ゴミの袋をずたずたにしてくれた。焼却まえに一時置いておいたためだ。その掃除片付けが一仕事。

21時帰宅。断水。雨がこれだけ降っているのに断水とは。

コンデ『Traversee de la Mangrove』にサン・マルタンSaint Martin島がでてきた。カリブ海の島で、コロンブスが発見したということになっている。島の北側、島の半分以上がフランス領、南側がオランダ領である。今、フランスもオランダもヨーロッパ連合(UE)の構成国である。だから、この島には国境も税関もなく人々が自由に行き来できると思ったら、1648年の条約によるのだそうだ。小説では、登場人物の口を借りてそれぞれの地域の人々が極めて仲が悪いと書いている。島の共通語は英語。島の人々は独自の英語を話すのだそうだ。米語でも英語でもなく、サン・マルタン英語。島の歴史はコロンブスが来て以来、列国の利害にはさまれて、忘れられたり、ブラジルを追われた人々が移民してきたりと翻弄されている。今日は観光。
小説の舞台であるグアダループから北に250KM。

11月10、11日 les 10 et 11 novembre ガソリン値上げ他 hausse du prix d'essence, etc

Le 10 novembre 2010, mardi
晴。

電気料金支払い。

ガソリン、ディーゼルの値が今日から上がった。1400フラン/L(127円)。昨日と今日で100フランも違う。7.7%の値上げである。ちょっとショックだった。というのは昨日燃料をいれようかなどうしようかと逡巡して結局今日に持越すことにしたからだ。翌日から値上げするという予告は全くなかった。

昨日より3時間早く帰宅できた。明日は朝が早い。

Le 11 novembre 2010, jeudi
曇のち快晴。

17時、ルアシRuashiで雨にあった。キプシでも雨が降ったろうと思う。

朝のアポイントがキャンセルになり、9時半に外出すればよくなった。しかし、今日も23時過ぎに帰宅、アポイントがどんどんずれるからしかたない。

11月9日 le mardi 9 novembre 2010 ルブンバシのホテル hôtels à Lubumbashi

Le 9 novembre 2010, lundi
快晴。

TさんがDar es Salaamから陸路、今日ルブンバシに入る。久しぶりの來カタンガ。ルブンバシを訪れる人が一人でも増えることを切に望む。
Tさん、無事ルブンバシに到着。但し、車の通関でもめて市内に入ったのは19時45分。

ホテルは「プラネット」にした。ゴルフ地区の「イコマ」に昼間行ってみたが、プールもあって悪くはないがレストランのメニューをみるといま一つピンとこないので、ベルギー人経営のプラネットにしたのだ。ここは食事がいいという評判だ。高いが確かにフランス料理、イタリア料理がメニューの大部分を占めていたが質は一流だった。おそらくコンゴでトップといってもよい。ルブンバシにも探してみるとホテルがかなりある。ステイタスがあるのは、5つ星の「カラビア」だろうが、部屋が狭い。他にインド人経営の「ホテル・ルブンバシ」、古の格式をもつ「パーク・ホテル」、街の中の「チョンベローメ」、その隣の「ボ・リーヴ」、アンヴィル・マイニングの中のホテル等々、チョイスが広がっている。料金は125から250ドルと高い。

09 novembre 2010

11月8日le dimanche 8 novembre 2010 国連開発計画指数

Le 8 novembre 2010, lundi
快晴。

ドリ君は身内の葬式でリカシに行き、一週間の休暇。

羽蟻が昨夜も襲ってきた。今朝みると羽だけを残して蟻はどこかに消えてしまっている。サロンに夥しい羽、羽。集めて捨てた。

コンゴ・フランが多少安くなったようだ。1ドル900フランで推移していたが、先週金曜日には913とフラン安。年末にかけてインフレ傾向になるのではないか。

コンデ『Traversee de la Mangrove』のコピーに落丁があった。64ページから75までが抜け落ちていた。明日ルブンバシで渡してくれるそうだ。63ページまでで一休みだ。

こんどは、チーコちゃんがホットなようだ。7ヶ月だから初めてのピアリアッドだ。今回はチーコにも我慢してもらおう。来年になったら、やはり可愛い王子様を見付けてあげるから暫しの猶予を願う。

UNDP(国連開発計画、仏語はPNUD)が4日発表したところによれば、世界169カ国のうち快適生活指数のトップはノルウェーだそうだ。最下位は先週話題にのせたジンバブウェ、さて我がRDCコンゴは如何。何と最下位をジンバブウェに譲ったものの、堂々168位である。日本は11位、フランスは14位、アメリカが4位である。
コンゴはそんなに酷い国なのか。不快生活指数トップ争いをするところなのか。コンゴはアフリカのブラジルである。「今にみていろ」、アスナロの精神で頑張らなければいけない。しかし、その頑張りを打ちのめすような統計はいい加減止めにして欲しい。
以下のニュースのソースは次のサイト。
http://hdr.undp.org/en/data/trends/ (英語)

Top-169 de l'Onu Douce France
Publié le samedi 06 novembre 2010 à 11H00

La Norvège conserve sa première place au palmarès annuel du développement humain publié par les Nations unies.
La France apparaît au 14e rang de ce classement, lequel prend en ligne de compte degré de prospérité économique, niveau d'éducation ou encore espérance de vie pour essayer de mesurer depuis vingt ans le bien-être de la population mondiale.
L'Australie et la Nouvelle-Zélande complètent ce podium onusien.
Tout en bas, le Zimbabwe est devancé par le Niger, qui fermait la marche en 2009, et la République démocratique du Congo (RDC).
Les États-Unis remontent de la 13e à la 4e position tandis que l'Islande, durement touchée par la crise financière, recule de la 3e à la 17e.
A noter que dix-neuf des vingt pays les moins bien classés sont en Afrique.

20時、雷雨。雷が近い。殆ど目の前で落雷。危ないのでPCを一旦切った。昼間、水撒きをしたが、雨が降るとわかっていればしなかったのに。ま、僕自身が庭で水浴びしたので良しとしよう。

08 novembre 2010

11月7日le dimanche 7 novembre 2010 グアダループ他 Gouadeloupe (Gwada en créole), etc.

Le 7 novembre 2010, dimanche
快晴。

マドンナが、左の腿にも怪我をして帰ってきた。一体どこで何をしているのか。しかし、並外れた顎の力を持つマドンナに傷をつけるとは、相当に喧嘩慣れした猛者に違いない。それとも自傷?傷にヨードチンキをたっぷりつけて消毒。ハエなんぞに傷口にたかられて堪るか。

家にいると昼軽く食べる。すると夕方には酷く空腹感を覚える。どうしてだろう。ルブンバシに出ると昼食をとっている時間がない。面談する人が昼だからといって食事にでることは滅多にないからだ。すると、特に強い空腹感が夕方でもないのだ。不思議である。

昼暑いと水シャワーも快適である。第一、水が冷たくてしようがないということがない。

マリーズ・コンデ『Traversée de la Mangrove』を読み始めた。舞台はグアダループの小村Rivière au Sel(塩川)。実在の村ではない。コンデの創作である。この村にやってきた外国人フランシス・サンシェールの死体を村の定年退職した女教師ティモテーが発見する。見たところ外傷はない。この亡くなった男は一体何者なのか。殺されたとすれば、誰が殺したのか。彼を巡って20人の村人たちが証言する。「サンシェール」とはフランシスコ・サンチェスらしい。しかし、ではキューバ人なのか、職業はなんだったのか、どんな目的で村に来たのか、それぞれの証言が始まる。閉鎖社会としての村。渦巻く嫉妬、羨望、偏見、関心と無関心。なかなか面白い構成である。織り込まれているクレオル(カリブの黒人たちの言語、カリブ海の黒人はアフリカから奴隷として拉致された人々、彼らの言語がクレオル。フランス語、アフリカ諸国の言語、英語からできた基本的には話言葉。20世紀に入ってから文字化された)も興味深い。ちょっと大陸のフランス語と違うフランス語も出てくる。コンデの小説としては珍しくグアダループから外に出ない。村という選ばれた小宇宙から何が見えてくるのか。コンデの力量はもう知っているから楽しみな小説である。

チーコ 満7ヶ月 Tchiico, 7 mois accomplis et en chaleur

ボンジュール、皆さま!
わたしの誕生日は毎月8日。
マドンナ先輩は2日なのね。
わたし、何か変なの、田邊さんは来年王子さまをお婿さんにというけど、わたし、いま王子さまが欲しいわ。
もだえちゃう。
なんとかしてちょうだい!

マドンナ 満10ヶ月 Madoona, 10 mois accomplis

皆さま、こんにちわ。
お久しぶりです。








太腿の傷がわかります?









傷を舐めるの。どうして傷が出来たかって?
秘密です。

07 novembre 2010

11月6日 le samedi 6 novembre 2010 マングローヴ他 Mangrove, etc.

Le 6 novembre 2010, samedi
晴。15時ころから雷を伴ってにわか雨。直ぐに止んでしまった。

マリーズ・コンデ『Traversée de la Mangrove(マングローヴ渡り)』をコピーしさらに製本した。7500フラン(675円)。以前ソニー・ラブ・タンシの『L’État honteux』もコピーしたけれど、そのときは製本しなかった。悪くない出来である。

マングローブMangrove(海水湿地の林)を初めて小船で訪れたのはカリブ海のサント・ドミンゴだった。それからマルティニーク島やセネガルのカザマンス地方、ヴェネスエラ等々で見ている。海水が入ってくるような場所に林があるのは不思議は不思議なのだけれど、だから何処でも観光資源になっているのだが、入組んだ水路に迷い込む気がして不気味でもある

この小説、2番目の夫リチャードRichard Philcox(作家、翻訳家)に奉げられている。コンデ50代に入ってからの作品で、かなり哲学的なようだ。 最初の夫が、ギニアの俳優コンデなので、作家としてはこの名前を使っている。この夫はコナクリー(ギニア)で離婚するが、その後、アクラ(ガーナ)、サン・ルイ(セネガル)、パり(フランス)を転々として学校の先生をしている。最初の夫との子供4人の母親でもある。リチャードとはパリで再婚。彼が、マリーズの作品を英語に訳して米国でも知られるようになった。リチャードは白人。

豚肉のローストが売り切れだったので、自分で作ることにした。オーブンがないからフライパンで作る。上手く出来たらこれからは出来るだけ自分で作るか。
時間がかかる(1時間)ものの、上々の出来。なるほど、そんなに難しいことではないと分かった。随分昔、アルジェのアパルトマンで子牛のローストを作ったときには、オーブンがあった。ニンニクなどを埋め込み、塩コショウしてロリエを貼り付け、肉の形を整えて糸で巻いたのである。今回はもっと簡単に焼いただけ。ロリエの代わりにエストラゴンで香り付けをしたのみ。

06 novembre 2010

11月5日 le vendredi 5 novembre 2010 ベヤラ『プランテイション』他 «La Plantation» de Beyala, etc.


Le 5 novembre 2010, vendredi
薄曇、のち晴。

カリスト・ベヤラCalixte Beyala『La Plantation』を読了。454ページだが、文字が大きくページの行が詰まっていないのでページ数ほど読むのに苦労はなかったが速読してしまったことは確かだ。問題は内容だ。舞台はジンバブウェ。
ジンバブウェは旧南ローデシア。1965年以前に生まれた人は、日本の新聞でもイアン・スミス・南ローデシア首相の悪あがきそして内戦が長期に渡って報道されたから覚えている方も多いだろう。ローデシアはケープ植民地の首相だったセシル・ローズCecil Rhodesに因んで名付けられた。ローズはローデシアを植民地経営していたイギリス南アフリカ会社の創設者でもある。1901年に北ローデシアと南ローデシアに分かれた。北ローデシアが独立してザンビアとなった(1964年)。南ローデシアがジンバブウェとして独立を果たしたのは1980年4月である。首相そしてまもなく大統領となったのがムガベRobert Mugabeである。以来今日までムガベが権力を握っている。ジンバブウェの首都はハラレHarare、元サリスバリーSalisbury、美しい首都のようである。ムガベは2000年4月、農地改革を強行する。農地改革とは、白人プランテイションを取り上げて、ムガベの側近に分け与えるものであった。
閑話休題。この農地改革断行がベヤラの小説の時代背景である。主人公は白人のプランテイション経営者コルニュ家の18歳になる娘ブルースBlues。時代背景は面白い、満86歳のムガベがまだ政権の座にいるという生な面があるが、壮大な現代歴史を背負っているのであるが、僕の評価は悪い。三文小説だ。矢鱈とベッド・シーンが出てくる、レスビアンまで描かれている。それを非難するつもりはない。しかし、ムガベの農地改革への切込みが浅い。土地に執着するのは『風とともに去りぬ』と同じで、裏表紙では比肩させているが、スカーレットとブルースではタマが違う。出版が2005年で作家44歳の頃の作品である。アフリカ出身の黒人だからといってアフリカ全部が書けるわけではない。彼女はカメルーン生まれ、17歳でパリに出てしまっている。既にアフリカは遠いのではないか。しかもジンバブウェはカメルーンとは文化が番う。ムガベが敢えて農地改革をした背景には、現カビラ・DRC大統領の父親を軍事的に応援し、見返りとしてコンゴのコバルト等地下資源を得、その資金的背景をもって暴力に訴えることが出来たのである。この改革のためにジンバブウェは空前のインフレに見舞われる。知らないことを知っているように書くのが作家だろうが、そのためには力量が必要である。つまり勉強。彼女にはそれがない。最近作はパリの郊外の移民の話だそうだが、それなら彼女の体験で書けそうだ。処女作『C’est le soleil qui m’a brûlée(太陽が私を焼き尽くしたの)』は何時か読むかもしれないが、今のところBeyalaの作品を読む意欲がなくなった。
ベラヤを反面教師として、僕がジンバブウェを書くとしたら、モブツの最悪の政策ザイール化政策から何も学ばなかったムガベの農地改革で犠牲になった白人ではなく、そのときにジンバブウェを去った300万人のジンバブウェ黒人を主人公に選ぶだろう。

次に読む本は決まっている。再びMaryse Condéの『Traversée de la Mangrove』(1989年)である。アリアンス・フランセーズの図書館で一日だけ持ち出してコピーしてもらっている。コンデの生まれ故郷グアダループが舞台のようだ。アラン君が感動して3度読んだという本だが果たして、、、。

マドンナが右足の腿のとことに怪我をして帰ってきた。昨夜どこをほっついていたことやら。隣家との境を壊して出て行き、そうすると表の通りに出られるようである。怪我のところを消毒しておいた。毛が抜け落ちただけで深い傷ではない。喧嘩したのかな。したのなら負けてはいけない。負けると癖になって、いわゆる本当の「負け犬」になるらしい。番犬としては失格だ。

11月4日le jeudi 4 novembre 2010 アリアンス・フランセーズ他 Alliance Française, etc.

le 4 novembre 2010, jeudi
曇。早朝5時ごろは雨だった。

羽蟻の大発生。雨が降った所為だろう。

僕の旧ホーム・ページ『フランスのWEB』(Hebdofrance)、改称後は『エピクロスの園』(Jardin d’Épicure)の掲示板にある迷惑投稿を削除した。8月から掃除していなかったが、クリーンになった。設定をみると、停止という選択があったので、チェックをいれた。なるほど、これでエログロ投稿を防げる。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~davidyt/
このサイトはもう更新しないが、今でも結構アクセスされている。検索エンジンで記事の内容がヒットするからだろう。僕に連絡がとりたければ、メイル・アドレスがでているので、真面目な読者は連絡可能。今年5月に更新したサイトだが、6月末に故障したPCに入っているソフトでないと更新できない。

アリアンス・フランセーズが東京にはないことを、ここのアリアンスの図書館に行ったときに教えられた。仙台や札幌、名古屋等にはある。おそらく、アテネ・フランセや日仏会館があるため重複を避ける意味があるのだろう。ここのアリアンスは子供たちにフランス語だけでなく初等教育を提供している。図書館は充実していたが、独裁者モブツが去り、現大統領の父親LDカビラが政権を握ったときに略奪にあっている。本を略奪して、読むのでは勿論なく、道端で叩き売った。政権が変わる度に略奪されていてはたまらない。来年の大統領選挙後、民主化の定着を見せて欲しいものである。アリアンスはまだ貸出しをしていない。アラン君の顔でコピーをとらせてもらうことにした。CCFにない本が書架にある。
パリのアリアンスには6ヶ月通った。上級の速習クラスで、先生は小説を書いていた。スイス、アイルランド、ドイツ、イラン、イタリア、メキシコ等からの学生10人ほどの小さなクラスだった。このクラスのお陰で会話に不自由しなくなったのだと思う。文法には飽きあきしていたので、会話と作文中心の楽しいクラスだった。 (画像はパリのアリアンス・フランセーズ本部。2007年11月。アルジェリアからの一時帰国途中パリに寄ったとき、ノスタルジーにかられて、通ったアリアンスや一時下宿していたSquare Port Royalなどを訪れたときに撮影したもの。PCの中にあったのをやっと見つけた)。

11月1~3日 les 1er. 2. 3 novembre 2010パリ・クラブ他 Paris Club, etc

Le 1er novembre 2010, lunci
快晴。
万聖節Toussaint。

蚊が大発生している。何故なのだろう。僕の寝室だけは何とか防いでいるが、台所やサロンで朝から攻撃された。スプレーに全然驚かない蚊どものしつこさ。

TFM(テンケ・フングルーメ・マイニング)とコンゴ政府のネゴが落着くところに落着いた(10月22日)。この記事をブログ『日本カタンガ協会』の方に掲載した。
http://associationkatanga-japon.blogspot.com/2010/11/rdctfm-negociation-rdc-tfm.html

le 2 novembre 2010, mardi
快晴。

9月、10月と怠けて家計簿をつけなかった。やはり支出のチェックをするためには家計簿をつけた方がよさそうだ。

真夜中に雷。空の半分は星空。果たして雨が来るか。

Le 3 novembre 2010, cercredi
雨。

朝6時、激しい雨。7時15分には小降りになった。さすが涼しい。
いよいよ雨季の到来だ。雨季といっても梅雨とは違う。雨は降るものの一日中というのは珍しい。東の空は晴れ始めた。雨はだいたい夜に降る。

Google Booksというのがあることを日本の方から教えていただいた。開いてみると膨大な図書館である。アマゾンなどネットの本屋にリンクしているものもあるが、キーワードを入力して資料として一部を読めることもある。

ドリ君、自転車のタイヤチューヴを買ってやってから、出勤に遅れないようになった。いいことだ。今日は子供を病院につれていくということで12時に早退。しっかり、僕があまり食べないパパイアをもぎ取って5コ持帰った。

昼間13時には日が射した。
夜、霧雨。かなり涼しい。

ブログ『日本カタンガ協会』にパリ・クラブについて書いた。RDCの債権国による借金棒引きが来年に延期された。債権国グループの中から、コンゴ政府の経済運営にクレームがついたためである。延期はコンゴ側が申し込んだ。
L'annulation de la dette du Congo reportée à 2011

Le club de Paris ne devrait pas accorder en 2010 à la République démocratique du Congo (RDC) la remise de la dette que Kinshasa escomptait, car plusieurs pays créanciers se posent des questions sur la gouvernance économique du gouvernement du Premier ministre Adolphe Muzito, a indiqué mardi le ministre belge de la Coopération au développement, Charles Michel. Cette remise de dette sera réévaluée en 2011, a-t-il affirmé.

Accord
La RDC a atteint en juillet le point d'achèvement de l'initiative Pays pauvre très endetté (PPTE) en vertu duquel le Fonds monétaire international (FMI) et la Banque mondiale ont annoncé un accord pour réduire sa dette de 90%, soit 12,3 milliards de dollars.
(以下、省略。全文はブログ『AKJ』に掲載)
http://associationkatanga-japon.blogspot.com/2010/11/drc_5211.html

22時、雷を前触れに雨。

01 novembre 2010

10月31日le dimanche 31 octobre 2010 黒い聖母他 Sainte Vierge noire, etc.


Le 31 octobre 2010, dimanche
快晴。

ネット不通。ネットワークのアンテナが立っていない。11時、ネット回復。

8時から断水。昨日も帰宅したら断水で22時まで水がでなかった。18時10分回復。

今日の午後、サッカー・クラブのアフリカ・チャンピオン決定戦がルブンバシ開催された。「マゼンベ」とチュニジア「エスペランス・チュニス」である。「マゼンベ」が5-0でチュニスを下した。得点王トレゾールTresor選手を欠いた試合だったのに圧倒的勝利。「マゼンベ」は既に去年の覇者。今年もトップに立てるか。先ず戦勝。次はチニジアまで遠征。
家で日光浴をしていたが、遠くでゴールの度に歓声があがるので、「おっ、やったな」とわかる。強いサッカー・チームがあることは、ルブンバシの、カタンガ州の、いやコンゴRDCの誇りである。フォルツァ・マゼンベForza Mazembe !
マゼンベと日本のサッカーチーム,、たとえばベガルタ仙台との親善試合をして欲しいなぁ。ルブンバシを知ってもらう最高の手段だろう。 そうすれば仙台との姉妹都市のプロジェクトが進むかもしれない。

僕の部屋に「黒い聖母マリア」をプリント・アウトして金の額縁にいれて飾った。黒い歳暮はスペインのアンダルシアの御輿が有名だが、プリント・アウトしたのはポーランドの教会のもの。聖母マリアもイエス・キリストも中東の生まれ。ユダヤ系である。あるいはセム人といってもよい。パレスチナ人との差はない。肌の色は白い場合も考えられるが、普通なら褐色、髪は黒、頭髪は巻き毛だったと思う。職人(大工)の妻だったから、家事の傍ら、裏庭で畑仕事もしたに違いない。とすれば、真っ黒に日焼けしていたとも考えられる。いずれにせよ、青い目、ブロンド、白い肌の聖母マリアは西欧の発明である。黒い聖母は全く自然であると僕は思っている。