05 décembre 2010

12月3日 le vendredi 3 décembre 2010 コート・ジボワール Côte d'Ivoire

Le 3 décembre 2010, vendredi
曇、多少の晴れ間あり。17時、雷とともに雨。

8時に建具屋セバスチャンが来る。ザンビアで9月に買った染色織物をサロンに掛けるためだ。9時になっても10時になってもセバスチャンは来なかった。僕が迎えに行くのをあてにしていたのだろうか。物置の戸のときは、迎えにいったけれど、桟くらい担いで来て欲しい。

マドンナの食事が10時になってしまった。ごめんね、お腹が空いたろう。

ブログの更新を12月2日分まで終えた。

15時、37度2分。Panadol 1錠。

11月、ギニア(首都コナクリー)とコート・ジボワール(経済的首都アビジャン)で大統領選挙があった。何れも決選投票が行われた。負けた陣営がなかなか敗退をみとめない。不正があったとごねる。選挙慣れしていないこともあるが、選挙の透明性が疑われるのである。国際監視団を受け入れても、負けると納得しない側が暴力に訴える。これでは民主主義が育たない。次の選挙で起死回生などとは考えないのだ。

ギニアではアルファ・コンデが大統領として正式に認められそうだ。
コンデもディアロもギニアでは、日本の鈴木、高橋のように多い名前である。
アルファ・コンデはセク・トゥレから死刑宣告もされた反骨の闘士。72歳。パリ大で政治学博士号を取得している。元首相のセル・ダラン・ディアロを相手にして勝利したのだから、たいしたものである。ギニア独立(RDCコンゴより2年はやく1958年)以来初めての民主的な選挙のようだ。

コート・ジボワールは現役のバグボGbagboと野党ウアタラの方はもっと複雑なようだ。選管はウアタラの勝利を発狂、憲法裁判所がバグボが勝利したといっているからだ。しかも、選挙監視団を送っていた国連を初め国謝意社会は選管の発表結果が正しいとウアタラ氏を支持している。ウアタラは米国で経済学を学び、IMFの副総裁までなった人物。西欧の受けがいい。バグボの支持者はアビジャンを含む南部、ウアタラは北部と分かれる。しかし、政策面だけでみれば、IMFのいうことをきいて経済復興した国は少ない。アルゼンチンのような大失敗もある、ウアタラが大統領になっても国民統一内閣を作りバグボ派もとりこんでいかないと先々内戦ということになりかねない。来年RDCコンゴは大統領選挙がある。対岸の火事ではない、(画像はウアタラ氏}

久しぶりにカレーを作っている。日本式。

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