13 avril 2020

【Enfants de Musoshi 9】la première rencontre avec les enfants japonais au Congo


【ムソシの子供たち 9】子供たちとの出会い
そもそも初めて「ムソシの子供たち」の存在を知ったのはチーちゃんの訪問を受けてからだ。多分、2010年の暮れのころと思う。どうして僕の存在を知ったのか、キプシの家に突然尋ねてきた。当時カタンガ州には僕とフランシスコ会女子修道院のシスターであるアスンタ佐野さんしか日本人はいなかった。去年アスンタさんが帰国して現在は僕一人になってしまった。

チーちゃんは、自分は「日本人の子だ」と宣言した。27歳。不思議に思って訊いてみると父親はモリタといい、ムソシ鉱山で働いていた日本人で、父親が帰国後苦しい生活を送ってきたと切々と語り始めた。その日は多少の小遣い(コンゴでは「交通費」という)を渡して帰した。

そのごちょくちょくチーちゃんは家に来た。無心である。一度、彼の住んでいるというムソシの家に行ってみた。日鉱が建てたコウヨウという日本人住宅街の外れに住んでいた。住宅街には遊園地もある、往時は瀟洒な一戸建て住宅街と思えた。しかし、チーちゃんが奥さんと小さな子供といたのは、ガレージのような長屋の一角であった。台所もない、テレビもない狭い一室だけ。目を覆いたくなるほどの貧しさだった。

チーちゃんはその後奥さんと別れて(逃げられて)、ルブンバシに登り、ケイコさんの家などを転々としている。一時、電話会社の守衛などをしていた時期もあったが、今、失業中。

コンゴで就職するためには、縁故がないとできない。縁故は出身種族である。「ムソシの子供たち」には種族がない。父親が他界していても出身種族を申し出なければならない。日本人だというと相手にされない。差別である。しかし、これがコンゴ社会だ。

チーちゃんの画像が見当たらないのでブルース・ナルセ君のものを出す。ブルースは父親がムソシで空手などを余暇で教えていたらしい。空手映画の先駆者ブルース・リーから名前をとったと思われる。彼も就職先がなく、ぶらぶらしている。


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