31 octobre 2010

10月30日 le samedi 30 octobre 2010 芝他 gazon, etc.

Le 30 octobre 2010, samedi
快晴。

庭の芝は、乾季に入って雨が降らなくなると枯れる。しかし。水さえ与えれば生えてくる。引越してきたときに荒果てた庭の枯れた芝をみたときは、もう再生不可能、芝を植えなおさなければいけないのかと思ったが、毎日水を与えると芽が出てきた。これが楽しみで水撒きをしている。植物の生命力もあなどれない。乾季でも水撒きをしていれば、新陳代謝が進んで庭は一年中緑を保てるということだ。でも、断水じゃ仕様がない。(写真の場所は、既にもう少し芝が伸び広がってきている)。

今日は人探しをした。有力筋だと思ったところが、欧州に移住してしまっていてトレース不可能と思われたときには目の前が暗くなった。しかし、幸い尋ねる人の家の位置を覚えていた方がGoogle Mapで道順を教えてくれたのが幸いした。Map自体はネットの調子がわるくみることが出来なかったが、通りの名前から尋ね当てることができた。35年も前に日本の方が親しくしていた家族である。こちが戸惑うほど、やれ懐かしやと感激してくれたお年よりは81歳。若いときの写真がサロンにあったが、映画女優さんのような美人だった。今はきれいなお婆さんになっている。

日テレが放映したコンゴ河を遡る船のルポルタージュが問題になっているそうだ。「週刊文春」に記事が載った。北澤大使の発言が問題視されているという。コンゴの警官が「強盗」を働いているというのだが、「強盗」はいいすぎだろう。なにか発言が曲解されているのではないか。普段慎重な日本の外交官としてはありえない発言だ。在東京のコンゴ大使マルセル・チディンバさんが日本の外務省に抗議するとかしないとか。
コンゴをレポートしてくれるのは有難いが、悪戯にこの国の混乱、無秩序を強調してくれるのは問題である。カタンガ州へのODAは州に対する外務省の評価が変わらないからセロだ。カタンガ州は戦闘地帯とは無縁である。戦闘地帯はタンガニーカ湖の北部、南北キヴ州、オリエンタル州などだし、それらの州にしても州全体が戦闘にまきこまれているわけではない。国連のひとがコンゴの女性は強姦の危機に常に晒されているなどとレポートするのと同じく、コンゴ社会を肌で感じる生活をしていない人々が憶測による極端な評価を下す。困ったものだ。(画像はキンシャサからコンゴ河を遡ってコンゴRDC第3の都市キサンガニに着いた国営交通会社Onatraの船)。

10月29日 le vendredi 29 octobre 2010 フランス国際放送 RFI

Le 29 octobre 2010, vendredi
快晴。

溶接工Ernestが7時前に来てくれて、サロンから庭に直接出られるドアの錠前を切断した。

ドリス君は遅刻か欠勤か。日曜日に来るから勘弁してくれなどと云うのだろう。

フランスの海外放送RFIが放送再開。数ヶ月キンシャサ政府が、都合の悪いニューズを流されるものだから、放送を停止されていた。キプシでもよく聞こえる。アフリカに関するニューズ専門の放送局である。FM98.00。ラジオだから「ながら族」たできる。時々耳を澄ませればいい。TVではそうはいかない。しかし、実はTVも欲しい。映画が見たいから。受像機があればサテライトのチャンネルが欲しくなる。今、その余裕がない。

マドンナは元気を取り戻したようである。食事のときに、小屋から勢いよく飛び出した。今日は鳥肉とご飯。ビスケットは相変わらず手にとって与えないと食べないけれども。今朝は夜中に何を食べたのか緑便だったので心配した。先祖がドイツのマドンナだから、暑さには弱いのかもしれない。

30 octobre 2010

10月28日 le jeudi 28 octobre 2010 ブレーキ他 plaquettes de frein, etc

Le 28 octobre 2010, jeudi
快晴。

ネット不通。8時回復。

車のブレーキを直した。前輪のブレーキ・シューplaquette de frein である。一昨日、タイヤがキーキーいうので夕方ガレージに寄った。ブレーキ・シューが磨り減っていたことがわかった。その日はブレーキを使わないように慎重な運転をして帰宅した。エンジン・ブレーキをつかってキプシまで30キロ、一度しかブレーキ・ペダルを踏まなかった。
初め部品をルブンバシで一番大きな店Auto Lubumbashiで買ったら大きさがあわない。同じMitsubishi L200でも新モデルの場合部品がないことがわかった。部品を求めてケニア地区へ。小さな店構えではるが100軒以上のパーツ専門店が並んでいる地区にガレージのIvan君と行った。なんとぴたりのパーツがあったのである。セコハンではない。1ドル負けてくれて20ドル。オト・ルブンバシのパーツは13500フラン(1350円)で多少安かったがいたしかたない。探せばどんな車種のパーツがあるのだそうだ。なければその場で作ってしまう。DRCのヴァイタリティにまた出遭った感があった。これでブレーキが後輪しかないという恐ろしい状態から開放される。

マドンナ君が、一昨日買った花をサロンの前の花壇に植えたところ、苗を掘り返して遊んでいた。こっぴどく怒ったがどれ程分かってくれたろうか。今は、大人しくしているが夜中に何をしでかしてくれることか。懲りないマドンナだから。

10月25、26、27日 les lundi 25, mardi 26 et mercredi 27 octobre 2010 ベラヤ『プランテイション』 «La Plantation» de Belaya

Le 25 octobre 2010, lundi
快晴。

ネットが不通なのはクレジットが切れた所為のようだ。今月分の60ドルを支払ったが、月契約であることをvalidationしないで使っていたので、通常のネット接続とみなされてどんどんクレジットを消費していたのだ。なるほど、月ぎめは有利なわけだ。しかし先月はvalidationせずに使用していた。誰かがvalidationしたのだろう。Alain君か、Vodacomの係員が。馬鹿なことをしたが、勉強だ。ネット用に使っているUSBモデムのSIMも携帯電話のSIMも同じSIMということだ。
アラン君に建替えてもらい新たにVodacomに今月分を払った。ネットが再接続された。

「日本カタンガ協会」の名刺100枚をやっと作成し終えた。

マドンナは元気を取戻しつつあるようだ。今朝庭に放つと勢いよく駆出した。昨日の昼間暑いときは、車の下でのびていた。ビスケットも多少夜のうちに食べ、今朝は手にとって与えるとむさぼるように食べたのである。おかしな奴。

プレトリア(南ア)に出張の話があったが、キャンセルになった。ちょっと残念。南アは犯罪天国、行政の首都プレトリアも例外ではない。確かに南アに行くのは怖い。とくにパスポートやクレジット・カードを盗られるのは、そのあとの処理を考えると面倒極まりない。命さえあればというけれども、この二つは強盗にも勘弁してほしい。命の次に大事だもの。お金は差し出すけれど。ルブンバシでこんな事件はまずない。パリや東京より安全なルブンバシである。

Le 26 octobre 2010, mardi
快晴。

ルブンバシを車で走っていたら、花の苗を自転車に載せて売っている青年がいた。さっそく止めて、ハイビスカス、アロエ、シャンスの苗を求めた。シャンスは名前がよかったので買ったがどんな花かわからない。シャンスとは英語のチャンスである。まさか花が咲いたらそれは僥倖というわけではないだろうなぁ。

コンデの本を返却し、今度はカメルーンの女性作家カリクスト・ベヤラCalixte Beyala『La Plantation』(2005年)を借りた。舞台はジンバブエ。独立はアフリカの中でもっとも遅く1980年である。それ以前は南ローデシア。大統領は最後の独裁者といわれるムガベだ。2000年に入って年間10万%というインフレが続き、ついに中央銀行はRDCコンゴと同じく発券銀行としての機能を停止し、米ドルが流通するようになっているそうだ。ジンバブウェについては追って詳しく書く。
このベラヤ女史、なかなかスキャンダラスな女性のようである。まだ40代後半だが、既に若くしてアカデミの大賞受賞したものの、いくつかの作品で剽窃、盗作問題を起こし、さらにフランスのマス・メディアの寵児、TVヴァライアティ・ショーのアニメイタであるミシェル・ドリュケルMichel Druckerの愛人宣言、裁判で敗訴等々話題を提供している。
果たして『プランテイション』なる作品はいかなるものか。

道ですれ違った若者にぶつかった。若者が携帯を落として大騒ぎ。諸膚を脱いで「どうしてくれる」と息巻いた。携帯は壊れてなんかいない。どうも昼間からの酔っ払い。周りにいた旧知の若者たちが件の若者を制止している間に車に乗込んだ。ところが、僕の車の荷台に乗ってまだ騒いでいる。仕方ないからそのまま警察につれていった。ところが知っているキャピテンは交通警察。こうした暴力事件には直接手が出せないらしい。それでも、一応保護してくれて酔っ払いの若者を追い払ってくれた。ムズング(白人)から金を取るんだと騒いでいたそうである。
ムズングというのはスワヒリで白人のことだが、欧米人だけを指すわけではない。インド人、アラブ人、中国人、日本人もムズングだ。ムズングは金をもっているというのがここの常識。だから、これ幸いと酔っ払いの若者が騒いだわけだ。

今日は疲れた。ついていることもついていないことも含めて。

Le 27 octobre 2010, mercredi
快晴。

昨日手配した溶接工エルネストが来てくれて門の修理をした。これで夜鍵をかけることもできる。隣の家との垣根も、マドンナが出られないように修理してもらった。持ってきた溶接機は手製? アンペア数もワット数も溶接工はしらなかった。修理代金12500フラン(1250円)。多分、これでマドンナを夜庭に放せる。しかし、頭のいいマドンナのこと、どこか見付けて外にでかねない。家を守るんだ、ほっつき歩くのは任務ではないことを教えなければならない。

午後からネット不通。午前中は快調だったのに。

25 octobre 2010

10月24日 le dimanche 24 octobre 2010 «Histoire de la femme cannibale», etc

Le 24 octobre 2010, dimanche
快晴。

7時半ネットがダウン。日曜日に不通になると普段でもクレームの仕様がないのに余計にフラストレイションだ。

庭に落ちえていた犬の糞(ふん、crotte)を拾ったら袋いっぱいになった。やはり先日書いたようにプラスチックの袋が混じっているのが多くみつかった。小一時間かけて拾い集めた。ドリ君にやってもらう作業だが、ちょっと集めるともう終わり。なかなか庭全体の分が終わらないから僕が自分でやった。ドアの取っ手やビンの王冠などもまだ残っていた。ジャカランダ花やマンゴの木の枯葉はかまわない、いずれ土に返る。しかしプラスチックは駄目だ。

昼はニンジンのサラダ。といっても生ではなく、塩で茹でて、オリーヴ・オイル、ヴィネガー、ガーリック・ソースで和えた。それと昨夜炊いて余ったご飯でチャーハン。ま、上手くいった。ニンジンは南アからの輸入。ニンジンも作れない農業ではRDCも困るなぁ。家の裏庭でさやインゲン、トウモロコシ、カボチャ、サツマイモ、ジャガイモ、唐辛子、トマト、ナス等を作る予定。ドリ君が栽培するといっているが果たして雨季になったら芽がでてくるのかな。

夕方6時15分、雨が降り出した。空の半分は雨雲だが、遠くは夕焼け。でもこれで涼しくなる。ところが家は断水中。雨は15分で止んでしまった。

アボカドのいいのに当たらない。まだシーズンではないとはいえ、出回りはじめて見つけるのに苦労しなくなったが、固かったり、半分腐っていたり、最近全然いいものがない。値段もまだ一個1000フラン(100円)。最盛期の倍だ。家にはアボカドの木がない。今月初めから食べる度に種をとっておいて、芽がでたら植えようと思っているのに芽がでない。アボカドを育てるのは簡単だときいているのだけど、不可思議だ。


Maryse Condé『Histoire de la femme cannibale』を読了。今回はちょっとインチキをして読んだ。というのは、主人公Rosélieが20年連れ添った夫Stephenが殺される。舞台は南アなので、頻繁にある強盗殺人事件かと思われたが、どうもそうではない。そんな風に物語の仕立てがスリラーにもなっている。だが、なかなか原因がわからない。14章まで進んでも夫とのエピソードがめんめんと続く。そこで、最後の20章を読んでしまって、そこから19、18章と戻ることにしたのだ。夫が殺された原因は僕の想像を超えていた。だが、戻りながら読むとよくわかる。なるほど、複線がいろいろとあったのだ。
この小説は、しかし、スリラーというよりも極めて質の高い教養小説である。普通ではローラン・バルトRoland BarthesとかサルトルSartreとかモンテーニュMontaigne、セゼールCésaireなど簡単には出てこない。芸術(文学、映画、演劇、絵画、音楽)の趣味も高く読み飛ばすのは難しい。別の言葉でいえば西欧の中産階級インテリ世界がグアダループ、パリ、NY、ケープ・タウンを背景に描かれているのである。アパルトヘイト廃止後の南ア社会の現実もある。多少東京も出てくる。夫が大学の文学部の先生、主人公は画家という家庭。単なる白人の夫と黒人の妻という人種ミックスではない。
コンデは『セグ』を初め歴史小説を書いているが、この小説は現代、21世紀における彼女の集大成ではなかろうか。自伝的要素も否めない。
各章の書き出しは本当に上手い。コンデが60代後半に入ったときの作品で彼女の人生観がよくでている。かといって老成した嫌らしさはない。回想場面にはプルースト的感性がある。次のノーベル賞作家ではないかと思う。
さて、どうして「Histoire de la femme cannibale」なのか。これを頭にいれてずっと読んできたが、どうもよくわからない。主人公ロゼリーが食人cannibaleということだが、第5章でフィエラという見知らぬ女性が最愛の夫を殺害してその肉を食すという事件を新聞で読み、この女性と自分とを同一視する。フィエラに語りかける文章が何回もでてくる。そして終章で自分の描いたタブロに向かって「Fiéla, est-ce toi ? Est-ce moi ? Nos deux figures se condondent. フィエラ、これは貴女なの、それとも私、私たちは一つになるのね」というのである。さらにそのタブロに「Femme cannibale(人食い女)」とタイトルをつける。極めて哲学的な終焉である。
日本でこの小説は翻訳されえないだろう。小説が子供の作文のような単純な作家、たとえば近年の芥川賞作家たちによって書かれる時代になって、膨大な注釈をつけないとコンデのこの作品はちんぷんかんぷんだろう。辞書や注釈がひつような小説は書くなといったのは石原慎太郎だが、そりゃ、慎太郎の小説ではすらすら読めるに違いない、だが無教養、無知蒙昧で「日本、日本」と叫ばれてはたまらない。日本は文化的に沈没してしまう。高校生で鷗外が読めない教育なら、大学などいらない。
もっとも、ルブンバシのCCF(フランス文化センタ)の貸出し記録をみると、コンデのこの本を借りたのは今年になって僕が初めてだから、多くの読者をコンデがもっているともいえない。「食足りて」の食できゅうきゅうしているのだから、コンゴ人が読書をしないのは致し方ない。でも、中にはコンデを紹介してくれたアラン君のような若者もいる。それが希望だ。

10月23日 le samedi 23 octobre 2010 RDC東部の性暴力 voils dans l'est de la RDC

Le 23 octobre 2010, samedi
薄曇。昼から15時ころまで陽がさしたが一日曇り空。雨雲ではなく殆ど薄紫といってよい雲が天全体を覆っている。夜は満月がよくみえた。22時過ぎなのにやや赤みを帯びた満月であった。

特に今年8月以来、RDCの性犯罪、女性や子供に対する強姦が世界のメディアで盛んに取り扱われている。これは、東部の戦闘地帯での話である。カタンガ州ルブンバシでは強姦事件が一件でもあればスキャンダルになる。しかし、東部(南北キヴ州やオリエンタル州等)では政府軍と反政府軍との戦闘が激しい。国連も軍隊を送っている。
2009年コンゴでは1万5000人以上が性的暴力の犠牲者となったとある。国連や欧州連合は、現在、強姦の首謀者たち(国軍を含めて反乱軍の指揮者たち)を国際犯罪法廷で裁こうとしている。RDCが自ら首謀者を逮捕して法廷で裁く力がないからである。
国連(Monusco)はアフガニスタンよりも広いRDCの市民を現在の体制(人員)守りきることは不可能だと云うが、RDC全体が強姦事件を起こしているわけではない。中部西部南部は無関係である。しかし、「RDCは強姦世界一」などと喧伝する国連発言、言動は問題がある。いくら声高に言ってみたところで、戦闘が続く限り強姦はやまない。市民を巻き添えにしない戦闘をせよ、などというのはどだい無理である。戦闘、戦争そのものを根絶やしにしなければ意味がない。
以下はラジオ・カナダの記事。

République démocratique du Congo
Plus de 15 000 viols dans l'est en 2009
Mise à jour le samedi 16 octobre 2010 à 11 h 49

Buira Lubungu, 27 ans, a été violée devant ses cinq enfants par sept hommes le 30 juillet 2009, lors d'une attaque du village de Luvungi par des rebelles hutus.

Un haut responsable de l'ONU a déclaré vendredi devant le Conseil de sécurité des Nations unies que plus de 15 000 viols avaient été répertoriés dans l'est de la République démocratique du Congo (RDC) en 2009.

Le chef de la Mission de l'ONU pour la stabilisation en RDC (MONUSCO), Roger Meece, a soutenu que les viols collectifs « atroces » perpétrés en juillet et en août par des milices rebelles dans la région minière de Walikale ont mis en évidence l'urgence de protéger les civils.

Il a toutefois affirmé après la rencontre que les problèmes de sécurité de l'est du pays sont énormes et a admis que les forces de maintien de la paix ne sont pas en mesure protéger toute la population menacée par les groupes armés qui se disputent les ressources minières de la région et utilisent le viol comme arme de guerre.

Dans cette vaste région, plus grande que l'Afghanistan, il n'est pas possible pour la MONUSCO de garantir une protection totale à tous les civils. Pour s'approcher de cet objectif, il faudrait des forces et des ressources bien plus élevées.
— Roger Meece, chef de la MONUSCO

M. Meece a présenté son rapport sur la situation en RDC au lendemain de révélations de l'envoyée spéciale pour les violences sexuelles dans les conflits. Selon Margot Wallström, des soldats de la RDC se sont livrés à des agressions sexuelles et à des pillages dans la même zone où des viols en série ont été commis cet été.

Jusqu'à 500 personnes, dont des enfants, ont été violés à la fin juillet et au début d'août dans 13 villages de l'est du pays, selon l'ONU, qui attribue ces crimes aux miliciens Maï-Maï et aux rebelles hutus des Forces démocratiques de la libération du Rwanda (FDLR).

Radio-Canada.ca avec Agence France Presse

10月22日le vendredi 22 octobre 2010 ケープタウン他 le Cap, etc.

Le 22 octobre 2010, vendredi
快晴。

名刺をPCで作ろうとしたら、前のPCに入っていたソフトが動かない。新たに「名刺メーカー」をダウンロードしたら、圧縮されていて開けない。解凍ソフトをダウンローぞするのにとんでもない時間がかかる。

マリーズ・コンデ『Histoire de la femme cannibale』の中で面白い表現をみつけた。259ページ。以前読んだコート・ディヴォワールの作家クルマAhmadou Kourouma『Quand on refuse on dit non』にあった思考と全く同じだった箇所である。
ケイプ・タウンのブレンダ園という庭をガイドが案内するときの台詞である。このブレンダ園は調べてみると、ケープ・タウンにそんな名前の公園がないので作家の創作かもしれない。
「Regardez, mesdames et messieurs, regardez bien ! …C’est à cet endroit précis qu’au cours d’une des plus violentes révoltes du ghetto dix petits nègres se sont fait abattre. Leur sang a irrigué la terre qui est devenue du terreau pour ces fleurs merveilleuses que Brenda vous offre aujourd’hui.(ご覧くだい。みなさん、とくとご覧ください。まさにここなんです、黒人ゲットーの激しい抵抗があったとき、ここで10人の黒人の子等の血が流されたんです。その血が土地を潤して腐植土となり、今、みなさんが鑑賞されているこの美しい花々を咲かせているのです)
この台詞でブレンダ園を訪れた観光客は大いに感動し満足する。
クルマの小説の方では少年兵が、内戦のために多くの人々が血を流して斃れていくが、それが世界一美味しいコート・ディヴォワールのコーヒーを生む、というものであった。

ケープ・タウン、フランス語ではル・キャップle Cap。行政の首都プレトリアと並んで立法府府がある南アの首都のひとつでもある。有名な喜望峰Cape of Good Hope/Cap de Bonne Espéramce はこの都市の南に位置する。しかし、喜望峰はアフリカの南端でもなければインド洋と大西洋の交わる地点でもない。15世紀のポルトガル人がここまでくればインドは近いと希望を抱いた岬ということになっている。
コンデは云う。「喜望峰とはいうが、東インドやマダガスカル、モザンビークで積まれた船の哀れな船荷(奴隷)にとっては、全ての希望が微塵と砕けた絶望峰であった」(頁105)。

23 octobre 2010

10月21日 le jeudi 21 octobre 2010 プラスチック公害他 pollution des sachets plastiques, etc

Le 21 octobre 2010, jeudi
快晴。

3月にとった出国+再入国ビザをDGMでとりなおさないといけない。3月の日誌をみると、マルチ7ヶ月有効で250ドルかかっている。たまらないなぁ、こうした出費。出国査証なんて誰が考え出したんだろう。

マドンナはビスケットを食べなくなった。手にとって与えると喜んで食べる。どういうことなのだろう。気まぐれCaprice? 昨夜はパスタまで残した。おいおい痩せちゃうぞ。

庭にプラスチックの袋が捩れて相当数落ちていた。拾って捨てていたが、今日マドンナの便からもそうしたプラスチックが発見された。ということは前にいた犬たちが袋を食べてしまって排泄したものもそこいらじゅうにあったということだ。それがマドンナの元気のなさの一因かもしれない。プラスチックの袋を食べてしまうなんてみっともない。地中海の亀や魚たちがプラスチックを食べて排泄できず死にいたることもあると聞いたことがある。イタリア南部やアルジェリアの海はゴミだらけ。プラスチックの袋は公害というより人災だ。紙袋をこの国でみたことがない。紙がたかいのだろうなぁ。困ったことだ。

10月20日 le mercredi 20 octobre 2010 アルジェリア人ジャーナリストが見たルブンバシ他 Lubumbashi vue par un journaliste algérien, etc

Le 20 octobre 2010, mercredi
快晴。

朝から断水。ドリ君によると今日から3日間断水するとラジオでアナウンスがあったそうである。えっ、3日間も! 汲置きの水は豊富にあるが不便だなぁ。なんか汚い、水を節約することを考えなくてはいけない。ところが、10時に水が出始めてその後断水していない。ガサネタか同じキプシでも地域によるのか。いずれにせよ、水が出るのはありがたい。

今日か明日ネットが切れる。先月21日に1ヶ月の支払いをしている。どれが切れる。先月は珍しく継続に問題がなかったが、これは初めてのことで、いつもトラブルがあった。20時現在まだ通じている。

いつの間にか停電している。断水に停電。ついていない日だ。電気も19時15分回復。

ドリ君、庭師のお兄ちゃん、26歳だが既に結婚している。18のとき15歳の奥さんをもらった。処女であることを病院でチェックしたという。結婚相手が処女か否かが未だに重大な条件とは。彼も童貞だったそうだ。しかし早婚である。子供は既に3人。これでは人口が増えるばかりだ。人口は国の力には違いないけれども、子供を養い、教育しなければ将来はない。父親としてドリ君がどれほど責任を感じ、果たしているのか甚だ疑問だ。奥さん以外に婚外の女性が3人いるのだという。クリスチャンとしてはいけないことだろうというと笑って誤魔化した。本当かどうかはわからない。期待、希望と現実が一緒になる人たちだから。

電気がきたところで風呂のシャワーを修理。シャワーの支えを取り付けた。ドリル(Black & Decker)は1ヶ月以上前からシスター・アスンタさんに借りたままである。ドリルの歯mèchesを1本壊したので、ついでに日本製マキタの歯のキットがあったので買った。30ドル。コンクリ、木、メタル用が各3本づつ。これをつけていつか返却しよう。

マドンナ君、相変わらず食欲がない。暑気あたりではないだろうか。水ばかり飲んでいる。

僕はアルジェリアの高速道路プロジェクトで去年秋まで調達の責任者だった。70年代とは違って自由化したアルジェリアではあったがものがない。調達に非常な苦労をした。ルブンバシで同じ仕事をしたらもっと楽かもしれない。ザンビアやタンザニアから調達しなければならない事態もあるかもしれないが、アルジェリアよりも柔軟に対応できるだろう。

アルジェリア人ジャーナリストが見たルブンバシの記事があった。しきりとコンゴの後進性を強調している。アルジェリア人に云われたくないな。アルジェリアこそ対岸がヨーロッパなのに欧州との格差は犯罪的である。産油国(天然ガスと原油)で膨大な収入があるけれど、その分配が公平に行われていない。急進イスラム勢力によるテロも未だに絶えない。山地、カビリー(中心はチジウズ)やコンスタンティーヌ(アルジェリア第3の都市)の冬は厳しく雪が降る。その冬を越すのにまともな暖房も庶民の家にはない。
アルジェリア人ジャーナリスト(特派員)は、ルブンバシで行われたサッカーの試合のために来た。アフリカ・リーグ・チャンピオンの準決勝戦が10月16日(土)に開催されたからだ。試合は0-0だった。しかしアウェイでルブンバシのチーム「TPマゼンベ」がアルジェリアの「JSカビリー」を3-1で下しているから、マゼンベが決勝進出を決めた。このマゼンベは1939年創設の伝統あるチームだ。去年のアフリカチャンピオンでもある。オーナーはカタンガ州の知事モイーズ。ビジネスマンである。富豪モイーズ兄弟については既述している。

Le pays tente d’effacer les affres des crises et des conflits
Lubumbashi, locomotive poussive du développement de la RDC
19-10-2010
notre envoyé spécial à Lubumbashi (RD Congo)
Abdelghani Aïchoun
このタイトルからして気に食わない。「紛争・危機の苦悩を消し去ろうとしている国、DRC発展の牽引車、だが青息吐息の牽引車ルブンバシ」というのである。なにが「青息吐息」だ! いちいちコメントしていると超長文になるので、ここでは割愛する。ブログ『日本カタンガ協会』の方に全文を乗せコメントする。


La République démocratique du Congo (RDC), plus connue par le commun des Algériens sous le nom de «Zaïre», l’ancienne appellation, ou encore de Congo Kinshasa, histoire de faire la différence avec le Congo Brazzaville, son voisin, est l’un des pays les plus vastes du continent africain. L’éloignement de ce pays de la région nord-africaine fait qu’il est quasiment inconnu par bon nombre d’Algériens. La RDC est pratiquement à deux heures de vol de l’Afrique du Sud. Si certains entendent quand même parler de sa capitale Kinshasa, il en est tout autrement de Lubumbashi, considérée pourtant comme l’une des plus grandes villes du Congo. C’est grâce au match de football des demi-finales de la Ligue africaine des champions, ayant opposé la JS Kabylie au TP Mazembe, le club phare de cette «commune», que Lubumbashi est désormais connue des Algériens. La ville est située dans le sud du pays –à près de
1 500 kilomètres de la capitale– dans la province de Katanga, l’une des onze provinces du Congo Kinshasa, dont le gouverneur n’est autre que Moïse Katumbi, le président du TP Mazembe. Une province connue pour ses exploitations minières. D’ailleurs, Lubumbashi est également appelée par certains «capitale du cuivre», en référence aux gisements de ce matériau dans son sous-sol.
(以下省略)

20 octobre 2010

10月19日 le mardi 19 octobre 2010「杜の都ルブンバシ」 Lubumbashi, ville forestière

Le 19 octobre 2010, mardi
快晴。

昨夜21時40分に停電。丁度マドンナ食事を用意していたところ。直ぐ回復したからいいようなものの、そうでなければマドンナは最近食べないビスケットだけになるところだった。

ルブンバシの通りにはジャカランダの方が多いが、この写真の通り、サレジア会イマラ校(小中学校)に通じる道は鳳凰木flamboyant(ほうおうぼく)の並木になっている。綺麗でしょう!ルブンバシは「杜の都」というに相応しい。仙台市と姉妹都市をと考えているのに誰も応援してくれない。
鳳凰木はマダガスカル原産。日本では沖縄に多いと聞く。台湾にも並木があるそうだ。

カスンバレサ(国境の町)に用事ででかけたら、カスンバレサの手前のチェック・ポイントでDGMにつかまった。旅券を持っていないというのが理由。身分証明書として運転免許証を出したが通じない。なんのかんのと屁理屈をいって逮捕だなどとおどかす。結局は金をくれということ。20ドルとられた。アホらしい。カスンバレサ地域に入るのに旅券がいるとは知らなかった。

(10月20日記 ネット契約更新日。また暫くトラブルでネットが不通になるかも。今日は停電と断水。さらにネットも?)