26 janvier 2010

引越まで jusqu'au déménagement (2)

Le 8 janvier 2009, vendredi
公証人notaireのところにNPOの定款を提出。

銀行ATMで700ドルを引き出した。初め一度に1 000ドルを下ろそうとしたら駄目で、100ドルづつ下ろすことにしたが、400ならと試してみたら可能だった。今日は新札ではなかった。

交通局で「駐車許可書」は幾らと訊くと、30 000FCだという。その場で支払いせず、先ずはTchimengaと街中で会った。彼は「払うな、俺が処理するまで待て」という。昨日の警察官への恫喝の効果をみているので、「分かった、問題があったらまた電話するぞ」といって別れた。

車の中に敷くタピtapisを、旧モブツ通りの新しいオートパーツショップで購入(25ドル)。泥道を走るので、乗り降りの際に車の中が汚れる。

Kyugu氏と宿で打ち合わせ。ともかく僕の滞在許可と協会の銀行口座開設と免税措置を急がねばならない。遅々としている。

Le 9 janvier 2010, samedi
Kipushi。支払いが滞っていたというVillaの借主は昨日あっさりと払ったという。従いこの家は借りられない。外観は一番よかった。もう一軒、2月に空くという家にPatrick君が目をつけていた。これが有望かもしれない。庭が広く、こじんまりとした家屋も悪くない。設備はどうなのか月曜日にみるが、手直しをするだけの価値がありそうだ。家賃をどんどん値上げして200から250になりそうだが、それなら条件をつけないといけないだろう。605番地。これ以外の物件は3月ということになり、ちょっと時間がかかりすぎる。

ルブンバシにもどり、Jambo Martで買い物。このスーパーはインド人系。ギリシャ人系Sparoやベルギー人系Megastoreにとって手ごわい競争相手か。商品が豊富。さらに南ア系でアフリカ各地に店を出しているShopriteが、土地を既に確保して進出を窺っている。ルブンバシの周りには、マーケットがたくさんあるが、いずれ淘汰されていくのだろう。遠い将来には欧州系の大資本が来るに違いない。グローバリスムmondialisationの波はもうそこまで来ている。

ルブンバシの並木は素晴らしい。ベルギー時代に植えられたのだろうが大きな木に育った。コンゴの「杜の都」である。ルブンバシは自ら「Capital de Cuivre(銅の都)といっているが、「杜の都」といっても相応しい。日本で「杜の都」といえば、仙台だけれども、仙台以上に木々が多いのである。

Le 10 janvier 2010, dimanche
ルブンバシの近くに自然動物園ができたとKyungu氏からきいていたので出かけてみることにした。ルブンバシから北へ15km、Likashi街道をいったところにその動物園があった。入場料は外国人が15、ローカルが10、駐車料金5ドル、計30ドル。高い。Muyambo Parkという。Muyamboはオーナーの名前、元社会事業省の大臣だそうだ。オーナーにちらっと挨拶する機会があったが、大臣だっただけで100 haの土地を購入して、動物園を開園できるとは。いわくこの国で大臣の椅子にすわると儲かるのだそうである。日本では大臣も給与取り。ま、役得はあるだろうがそう儲かる商売とは思えない。園内には人口湖もあった。キリン、シマウマ、孔雀、らくだ、サル等が園内に放し飼いにされている。
Patrick君が駱駝に気に入られて追いかけられた。彼の背中に鼻を押し付けて親愛の情を示す。Patrick君が逃げ回ると、僕の方に向かってきた。僕も逃げる。ところが滑って転んで、あやうく駱駝の脚に蹴られそうになった。園の人が駱駝を宥めてことなきを得た。
当初曇り空でキリンの姿が見えなかったが、晴れ間がでてきてシマウマの一群のなかに4頭のキリンがいた。近づいても逃げない。でも、駱駝のように気に入られては敵わないので、5Mほど距離をおいた。写真をとったが、写真で見る限り、公園内ではなくアフリカの大草原にいるキリンのようにみえるだろう。
檻のなかにいたのはニシキヘビとハイエナだけ。あとは放し飼い。ライオンもお目見えするのだそうだ。勿論ライオンは檻にいれられる。
人口湖を舟でまわった。ペダル式。一人3 000FC(300円)。こぎ手は二人。一人は髭の生えた女性。30メートルも掘った人口湖で、海水と同じ濃度にして海の魚が飼われているのだそうだ。釣りも可。釣った魚は、目方に応じて料金を支払って持ち帰ることができる。

ここの女性は毛深い。アフリカの女性が全て毛深いわけではないけれど、本当に毛深い女性の場合、胸毛まである。南アフリカの短距離女性選手の性が問題になったことがあった。彼女の声は声変わりした男性の声だった。しかし、僕は女性に違いないと思う。そうでないと既に女性選手の仲間たちからクレームがでていたろう。

動物公園を出てから、湖に行こうということになった。Patrick君が近くに湖があるというからそうしたのだが、いけどもいけども行き当たらない。それもそのはず、ルブンバシから210kmのKasengaという町があるが、湖はその先だとういうことが途中の村人に聞いてわかった。173km行った村Kasomenoで引き返した。悪路になって来ていてKasengaまで行き着いてもルブンバシに今日中に帰れないと判断したからだ。13時に出発してからもう16時。この街道は中国人がまだ工事中。日曜日にも拘わらず工事を進めていた。中国の会社はCREC。

Le 11 janvier 2010, lundi
朝起きられない。眠気ではない。腰が痛いのだ。昨日悪路を3時間走った所為だろうか、それとも駱駝に追いかけられて転んだ所為だろうか。ぎっくり腰状態。車の運転もPatrick君に代わってもらった。
夕方アスンタさんのところで膏薬と痛み止めをもらった。ありがたい。腰を暖めてから貼るのだそうだ。シスター・アスンタは看護士資格ももっている。

DGMでレジデント申請書をみてもらいその場で修正するものは修正して提出。Yellow Cardのコピーもいるという。受領書recepéを発行してもらうのに更に30ドルとられた。レジデント・カードは653ドルもする。持ち合わせがないので明日銀行で引き出してから支払うことにした。ONG「日本カタンガ協会」の公証人判つきの定款も必要。

Kipushiで例の605番地の家の大家と面談。借家人がごねて出て行かないのが問題だという。家賃も200から250に値上げ。依然として鍵がないので内部を見られない。
一方亡くなった司祭が住んでいたというVillaを訪ねた。幹線道路に面しているが、教会が貸しているという薬屋の裏。広い庭。菜園まである。庭は1 500M2はあろう。家の日当たりは悪いが、庭が広いので太陽は庭で十分浴びられる。明日教区長との会合があるので、貸してもいいといわれたら内部も見せてくれると。前に軍の将校が貸してくれと来たが、断ったのだそうだ。教会が平和主義で軍人嫌いというわけではなく、軍人は払いが悪いかららしい。Assuntaさんにもサポートの電話をしてもらうことにした。Patrick君も気に入った物件のようだ。

車を洗った。5 000FC(500円)。ジェットがこわれていて全て手で洗っていた。1時間もかけて丁寧に洗ってくれた。これで料金を負けろとは云えないよ。サレジア会Imaraの宿舎にもどったところで雷雨。

Patrick君もサレジア会の食堂で一緒に食事。誰も部外者が食事をしていることに文句を言わなかった。それどころか歓迎してくれた。いいことだ。そう、Patrick君も同じ神の子なんだから。といって、ここは慈善bénévoleのレストランではない。僕が連れてきた友人として歓迎してくれたのだろうと思う。

Le 12 janvier 2010, mardi
銀行で600ドルをおろしてからDGMに行ったら、レジデントカードは653いや700ドルだがその他書類作成があるから総計1 200ドルだという。口論しても仕様がないから再び銀行に行き、更に600ドルをおろしてDGMに支払った。領収書なし。これで、用紙代だ、なんだかんだでDGMに払った金が1 300ドル。どうなっているんだ。キュング氏に連絡しても何ら打つ手なし。こっちは企業が後ろについているわけじゃないんだ。でかいONGが後ろ盾でもないんだ。金をぶんどるのは止めて欲しい。悲鳴をあげるぜ。さらに担当のNyemboが「俺の分も考えてくれよな」などという台詞を口走っていたんだから嫌になる。
パスポートを預けた。これは居住許可証とは別に滞在Visaの延長のためだという。要は移民局(内務省)と外務省の両方が金をとるということだ。代わりに写真つきの滞在証明書が発行された。正式滞在許可証が2週間でできるというが、書類もパスポートも首都キンシャサに送られる。不安だね。

アスンタさんの紹介で交通省の人が家を2軒見せてくれた。1軒目はGuset House付属のStudio。暗く不潔な結構式場が隣で五月蝿そう。部屋も一つだけ。それでもいいけど部屋も汚い。大家は汚いと思っていないようだ。30ドル/日で貸している部屋だという。月極めなら450ドルにすると。冗談でしょ。一昨日来いってんだ。2軒目は、Golfの外れ、新築。寝室3部屋。ほぼ家具付。保証金なし。悪くはないが、600ドル/月で12ヶ月前払い。高い。一遍に7200ドルは払えない。アクセスも悪路で芳しくない。更に住宅街の外れで安全sécurité面でも問題がありそう。止めておこう。

Kipushiの神父Mlapoから賃貸承諾の電話が18時半にあった。明日9時から10時の間に来て欲しいと。そのとき家賃について話そうと言葉を濁した。なるだけ安く決めたい。女中を雇うと100ドル。それだけ奇麗に家をつかうと約束しよう。男所帯では汚される、荒れると思うかもしれない。本当に女中は雇ったほうがいい。掃除は下手だし、料理は知らないだろうけれど、多少面倒さが省ける。家に女がいるのもいいことだ。しかし通いにする。夜の面倒までみてくれとはいわない。欧州人家庭で働いたことがある女性がいい。

Le 13 janvier 2009, mercredi
Kipushiの家は180ドル/月。週末には引越しできることになった。明日木曜日6か月分を支払う。保証金なし。部屋をみたが、司祭の残した本がたくさんまだあった。台所にシャンパン、赤ワイン、リキュールなど酒類がおいてあった。司祭さん、結構呑み助だったのかな。司祭が亡くなってから13ヶ月誰も住んでいない。埃だらけだが、本や書類は直ぐにも片付けてくれるという。水道と電気についてルブンバシよりも問題がないという。日本では電気・水道があるのは当たり前だろうが、これは重要なポイント。2006年の『ルブンバシ日誌』を読んでいただけるとよく分かると思う。電気・水道が安定供給されるのは、Kipushiにもある鉱山会社Gécaminesとその大部分を買収したForest社(カタンガ最大の建設会社だが多角化している)のお陰である。ルブンバシでもGécaminesの工場の従業員社宅がある地域は停電がない。Gécaminesはコンゴ最大手の鉱山会社(今、ちょっと斜陽)。
ペンキを塗り替えたり、カーテンをかえたりと、僕の住処らしくなるのは大分先の話だ。しかし、それだけの労力と投資をするだけの価値のある家とみえた。一戸建ての家に住むのは、中学一年のときまでの仙台は北山以来だ。

ルブンバシで冷蔵庫をみて歩いた。Jambo Martが一番安そうである。タイ製のSharpの冷蔵庫があった。家具はサレジア会の職業訓練学校で作って売っているというから、ベット、机などはそこで手に入れたい。Cite des Jeunesにあるそうだ。2006年に郊外の木工工場で作らせたベットは直ぐに壊れてしまった。このサレジア会の宿舎の家具は大部分そこで作られたときく。飾り気はないが、頑丈に出来ている。

床屋にいかないといけない。Dar es Salaamで整髪したのは11月の15日頃だったろうか。殆ど坊主頭にしてくれたには違いないが、2ヶ月は長い。Patrick君の行きつけの床屋か,
2006年に行った店か、その店の見当は難しいが、ともかく髪を切ろう。家を移ってからはバリカンをアスンタさんに預けてあるので、家で床屋をしよう。

明日、家の契約を記念にどこか外で食事をしよう。この宿舎の食事も悪くはないけど、variationがない。殆どいつも同じ。ワインも飲みたいなぁ。

Le 14 janvier 2010, jeudi
冷蔵庫をJamboで買い、荷台に乗せて走った。しっかりと留めてくれたので悪路でも荷崩れしなかったのは幸い。冷蔵庫はタイ製Sharp、190L。365ドル。
家賃支払い。ちゃんと領収書がでてきたのは流石教会できちんとしている。本や書類は運び出してくれたが、掃除がされていなかった。掃除は大家である教会がしてくれと頼んだ。電気・水道がまだきていない。

Cité des Jeunes(青少年センター)の家具を見にいった。Cité はサレジア会の経営で、若者たちの手に職をつけるための訓練所と学校がある。家具職人、溶接工、靴職人などの養成だ。学校は男子生徒のみ。広大な敷地に広い運動場が2箇所ある。
シングル・ベッド150ドル、サロン・テーブル200ドル、勉強机385ドル。机は椅子も付いていないのにこの値段。しっかりした作りだが高過ぎ。ベッドは安物を買うと痛い目にあうので、150ドルもしかたない。サロン・テーブルは街中でガラスの洒落たものを買いたいが、高いから諦めよう。スイス時代は最高級家具を一生ものだとして買ったけど、今度はそうはいかない。家具に保険までかけたなぁ。バブルの頃である。いや、過去は問うまい。

シーツ、枕、タオルもJambo Mart。いいお得意さんになった。毛布は化繊のものしかなかった。これはいけない。コットンか純毛がいいけど売っていない。アクリルの毛布は蕁麻疹がでる。贅沢かなぁ。

夜はGolf地区のレストラン「Piccolo」へ。初めて入った店だが悪くない。Piccolo(イタリア語で「小さい」)というからこぢんまりとした店かとおもったら、案に相違して広い敷地にテーブルの数も沢山ある一流のイタリア・レストランであった。メニューもイタリア本国並み。ワインをいれて120ドル。高いには違いないが、まぁ、そんなところだろう。しかし、一体誰がこんなところを利用するのだろう。客は極めて少なかった。パトロンも挨拶にでてきたが、普通のひとは来られないレストランに違いない。

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