31 mars 2020

【enfant de Musoshi 7】 ambassade du Japon en RDC


【ムソシの子供たち 7】日本大使館の対応
在コンゴ民主共和国日本大使はこの10年で北澤寛治氏、富永純正氏、牛尾滋氏、軽部洋氏と変わった。ケイコ元「ムソシの子供たちの会」会長が2007年キンシャサの日本大使館を訪れた時の大使は柳谷俊範大使だっと思われる。しかしケイコさんには会っていない。参事官の方が面接している。

北澤寛治大使は2008年の赴任であった。牛尾滋大使は2014年のご着任。現ポルトガル大使の牛尾氏だけが、「子供たち」にルブンバシで会っている。牛尾大使が外務省の「子供たちのことは民事である」という方針を変えたわけではない。しかしながら「子供たち」の窮状、事情を察せられたのだと思う。「なんとかしてあげたい」という温情である。
左からケイコさん、ハラダさん、牛尾大使、ヨシミ君、ヒデミツ君、ヨシミツ君
牛尾大使は本省でTICAD7を成功に導き、現在ポルトガル大使になられた
牛尾大使と野口参事官が、DRCのハンセン病患者施設を訪問のために来られた笹川陽平氏に「子供たち」の話をされた。笹川氏は財団が中に入ると時間がかかると、個人のポケットから1万ドルを寄付された。即断だった。ありがたいことである。

「子供たち」が話し合って、ご寄付を原資として食堂をルブンバシに開設することになった。食堂の利益から孫たちの学資を出そうと云うことだった。20158月開店。家賃が$500と高く、運営に難があった。201712月閉店。店をムソシ近くのカスンバレサ国境に移したが、それも同年7月に早くも閉店に追いやられた。運転資金に手をつけ、残ったのはテーブルや椅子、冷蔵庫、冷凍庫、食器、調理器具、TV等備品だけになってしまった。それでも、サイトウ君は、またルブンバシ大学があるカサパ地区で食堂をすべく走り回っている。

日本大使館で「子供たち」のことを考えてくれたのは牛尾大使の時代だけである。しかし、今回サイトウ君が出した手紙を大使館は無視しているわけではないようだ。Covid-19対策で大使館は大忙しに違いない。だから、無暗と返信の催促はしない。しかし、思いやりのある回答が寄せられることを期待している。

大使館は子供たちの存在を否定してはいない。「ムソシの子供たち」の存在そのものを否定しているのは旧日本鉱業、現JX金属である。そこで、大使館に続いて、サイトウ会長名で「子供たちの存在を認めて、父親探しに協力して欲しい」旨の手紙をJX金属社長宛てに手紙を出すことにした。次回は、ことの元凶、日本鉱業、現JX金属(JXTGホールディングス)について書く。

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